週刊日本新聞 第一九〇號
[ホームページ] 住所 http://www.pavc.ne.jp/~ryu
平成十三年六月十一日(月曜日)
發行所 週刊日本新聞
〒一一二−〇〇〇一
東亰都文京區白山五−三五−十二
電話 〇三−三八一三−七八二五
編輯主幹 太 田 龍
一部三百圓 送料九十圓(プラス)
年間郵送購讀料 二萬圓(適宜分割可)
郵便振替 〇〇一八〇−六−四〇六四四八
《本號の主な内容》
◎ 編輯前記(編輯人から讀者へ) 太田 龍
◎ 宇宙戰略放送(一、二二三號) 太田 龍
「米英の野望は、日本を地球上から抹殺することである」
(「新若人」昭和十九年八月號。
栗原 悦藏「米英世界制霸の野望」)
◎ 宇宙戰略放送(一、二二四號) 太田 龍
救國國民運動の第一歩としての日本型文明
原理にもとづく日本的教育の再建。
◎ 「新若人」昭和十九年八月號より轉載
米英世界制霸の野望 栗原 悦藏
◎ 【ザ・スペクトラム 二〇〇一年五月八日號】 森 通曉 譯
(南アフリカ)ズールー族長老シャーマン・
クレド・ムトヴァがグローバル・エリートらに
歎願−−アフリカでのジェノサイドを停止せよ!(1)
−−リック・マーチン−−(二〇〇一年四月三〇日記)
◎ 編輯後記 太田 龍
編 集 前 記(編輯人から讀者へ)
編輯主幹 太田 龍
○ 「新若人」昭和十八年七月號。
○ 「新若人」昭和十九年八月號(但し、この號の原本は末尾20頁ほど缺けて居る)。
○ 戰時中のこの貴重な古本を貸して頂いたので、コピー本を作成した。二册で二千五百圓(「18・7」は千五百圓。「19・8」は千圓)。送料は、二册で三百四十圓。
○ 申し込みは週刊日本新聞へ。
○ 十九年八月號掲載の「米英世界制霸の野望」(栗原悦藏)。これは氣合ひが入つて居る。小紙に轉載する。
○ J・T・ガットー著「米國教育の隱された歴史」(二〇〇一年)を讀みすすめる。本當にこれは凄い本だ。しかし日本語に飜譯すると、四百字詰二千枚。一千頁くらゐの本になりさうだ。
○ ガットーさんは、六十歳代前半か。
○ この人の「アダム・スミス」への肯定的評價には、私は、同意出來ない。
○ The Plagiarism(プレイジャリズム)の問題を調査したい。
○ これは、「(他人の文章、説などの)剽竊」「盜作」を意味する。
○ 米國では、大學に入ると、「論文の書き方」と云ふ講義が必須。そこで、論文を書くときには、出典(Source)を明示することと、剽竊(盜作)をしないことと、この二つを叩き込まれる、と云ふ。
○ 學者、のみならず、およそ公やけに文章を發表する者は、一度でも、剽竊、、盜作が發覺すると、永久に、その世界から追放される、と聞く。
○ 日本の大學でそんな講義がなされて居るかどうかは知らない。
○ 手始めに、''The Plagiarism Book, A Stndent's Manual'' by G.K. Clabaugh, E.G. Rozycki(一九九九年 New Foundation Press.)と云ふ、大學生用テキストを入手した。
○ ノルベルト・フォラツエン著、瀬木碧譯「北朝鮮を知りすぎた醫者」(草思社、平成十三年五月)を讀む。
平成十三年五月三十日記
宇 宙 戰 略 放 送(一、二二三號)
平成十三年五月二十九日
「米英の野望は、日本を地球上から
抹殺することである」
(「新若人」昭和十九年八月號。
栗原 悦藏「米英世界制霸の野望」)
栗原悦藏。淺學にして、この人の履歴は承知して居ない。
しかし、小紙に轉載收録する「新若人」昭和十九年八月號栗原論文は堂々の正論である。
「新若人」は、受驗雜誌「螢雪時代」を發行して居た「旺文社」が、戰時中、青年學生世代向けに出した月刊綜合誌である。
現在、これに類似する月刊誌は存在しない。
「我が國を抹殺する事により東洋制霸の憎むべき野望を逹成せんとする敵米國は、……
「米英の我が國に對する野望は、日本を地球上から抹殺する事である。……」
この見方はどうか。
これは戰時下の狂信的言説か。
いや、さうではない。
「米英はそもそも如何なる理由によつて、我が國をかくも執拗に壓迫し續けたのであらうか。それは米英の世界制霸にとつて、我が國が最大の障礙になつてゐた爲に他ならない。」
この云ひ方はどうか。
「大東亞戰爭に勝利を得た曉は、我が國の國力は無限に伸張し、大東亞の地は萬邦共榮の理想郷となる。その逆に日本が米英に撃滅せられんか、日本民族は地球上より抹殺せられてしまふであらう。彼等はかく宣言してゐるのである。
「蓋し米英の世界制霸の野望にとつて、我が日本の存在は最も苦手とする障礙だからであり、何等かの形で日本生存の道を遺さんか、日本の再起により、彼等の世界制霸の野望が挫折する危機が豫想せられるからである。」
この情勢認識はどうか。
この論者は「米英」、と云ふ。
しかし「米英」の中味はどうなのか。
近着(5・23)米國の新聞「トゥルース・アト・ラスト(The Truth At Last)」(四二八號)は、いはゆる「眞珠灣六十周年(一九四一−二〇〇一年)」記念特輯號、と成つて居る。
「ルーズベルトは入念にパール・ハーバーの慘事を誘導した」、と云ふ。
「ルーズベルトは、まる二年間、アメリカを參戰させるべく、チャーチルと緊密に協同した。彼は、アメリカ人の八十パーセントが(第二次世界大戰への)米國の參戰に反對であることを知つて居た。……」
ルーズベルトのまはりには、ユダヤ人と共産主義者が密集して居た。
そのユダヤ人の主たる者は、
バーナード・バルーク(米國ユダヤ人社會の首領。大金持。米國内の最も有力な市民。ルーズベルト大統領の側近中の側近)。
フェリックス・フランクフルター(ルーズベルトのいはゆる「ニューディール」政策の中心。アメリカのユダヤ人社會の頂點)。
「一九四〇年、祕密裡になされた世論調査では、アメリカ人の八十八パーセントが、アメリカは、第二次世界大戰に卷き込まれることを、絶對に避けなければならない、アメリカは第二次世界大戰の局外に居なければならない、とする、チャールズ・リンドバーグ大佐、ヘンリー・フォード、チャールズ・カフリン(有名なカトリックの神父)の主張に同意して居た。
「そしてルーズベルトはその祕密報告を受けて居た。……」
と云ふ。
この數字は何を意味して居るのか。
それは疑問の餘地なく明確だ。
米國民の壓倒的大多數の意志は、いはゆる第二次世界大戰に參戰することに反對であつた。
にも拘はらず、米國の國家中樞は、ありとあらゆる策略を弄して、米國を世界戰爭に引きずり込んで行く。
「トゥルース・アト・ラスト」紙(四二八號)は、一九三九年から一九四一年十月にかけての、米國の愛國者たちのことばを引用して居る。
○一九三九年六月三十日。リンドバーグ大佐。
「我々はこの國(米國)が英國とユダヤの宣傳によつてヨーロッパの戰爭に卷き込まれることを沮止しなければならない。……」
○一九四一年九月十一日。リンドバーグ大佐。
「私が、英國、ユダヤ、そしてルーズベルト政權と云ふ三つの主要なグループが戰爭を煽動して居る、と述べたとき、全聽衆が立ち上つて贊意を表明した……。」
○一九四一年九月十五日。リンドバーグ大佐。
「今日、アメリカに於て、ユダヤ問題以外のいかなる問題も討論することが出來る。“ユダヤ”と云ふことばを發しただけで、あらしが起きるのだ。」
○一九四一年五月一日。リンドバーグ大佐。
「この國(米國)に於けるユダヤ勢力の大部分は、戰爭を後押しして居る。彼等は我が國の新聞、ラヂオ、映画の殆んどを支配して居る。」
○一九二六年十二月號「ナショナル・レビュー」に引用された、下院議員カザレットのことば。
「ユダヤはこの前の戰爭(第一次世界大戰)の責任者であり、そして將來、もう一つの戰爭を作り出すことが出來るであらう。」
○一九四一年十月四日。リンドバーグ大佐。
「戰爭煽動者たち、それは、アメリカ政府、英國政府、ユダヤ、そして新聞、ラヂオ、映画の大部分である。人民の壓倒的大多數は戰爭を欲しない。しかし、大統領は我々國民を戰爭に引きずり込むことが出來る。何故なら彼は、色々な行動や事件を引き起こして、戰爭を不可避なものとするからである。……」
第二次世界大戰は、前囘の第一次大戰と同じく、「彼等」の描いた臺本によつて入念に準備され、演出された。
その「彼等」とは誰か。
栗原悦藏論文では、それは、
米英アングロサクソンである、
とされる。
その説は正しいか。
もちろんそれは正しくない。
リンドバーグ大佐はアングロサクソンの一員ではないのか。
「アングロサクソン」と云ふ固有名詞は、ここで、意圖的に誤用されて居り、日本人はそれを鵜呑みにして居る。
「反セム主義」と云ふ用語が十九世紀末頃、ユダヤ世界權力によつて發明された事情と似て居る。
「米英アングロサクソン」の正體については、既に、「大いなる祕密」(デーヴィッド・アイク著、三交社、上下)、「三百人委員會」(ジョン・コールマン博士著、KKベストセラーズ刊)、「欺瞞の外交」(ジョン・コールマン博士著、雷韻出版)、「血塗られた英國王室」(太田龍著、雷韻出版)などで、詳述されて居るので、ここでは省略する。
しかし、米英の一般國民ではなくて、米英に取り憑いたイルミナティ世界權力を、ここで設定することにしやう。
さう見れば、このイルミナティ世界權力の世界制霸の野望にとつて、日本の存在は最も苦手とする障礙であり、從つて、彼等は日本民族を地上から抹殺しなければならないのである。
かう理解すれば、話の筋は通る。
幕末の國學者大國隆正が、一八二〇年代、長崎に遊學したとき、オランダ通辭から、
西洋の賢人たちは、
シナは間もなく西洋の支配下に入る。
しかし日本は手強い。
西洋が一致して當れば日本も三十年で打ち破ることが出來る。
だが、日本は一度くらゐ破つても、一人でも生き殘つて居ればまた再起するであらう。
從つて、日本を敗北せしめられたら、占領して、日本人を一人殘らず殺しつくし、日本の國土に生えて居る草木を一本殘らず拔き取つて、海外から人も草木も持つて來るくらゐのつもりで處理しなければならない、
と見て居る、と聞かされたと云ふ(「文武虚實論」)。
昭和二十年八月十五日、日本は米英に降伏した。
それでどうなつたか。
一見したところ、「彼等」は日本民族を地上から抹殺しなかつた。
それでは、栗原悦藏論文の論旨は間違つて居たのか。
いや、さう結論付けることは出來ない。
第一に「彼等」は、長期計画で(例へば百年)、日本民族抹殺作戰を遂行して居る。
そしてそれは着々と成功して居る。
第二。日本は追ひ詰められて、自衞のために、米英に宣戰布告したものの、やがて、この戰爭の目的を「大東亞を米英オランダ西洋帝國主義からの解放」、として定義した。
かくして、昭和十八年十一月、東亰で「大東亞會議」が開催され、大東亞共同宣言が全世界に向けて發せられた。
この會議には、インド獨立の英雄、チャンドラ・ボースも出席して居る。
この反撃が、西洋帝國主義に痛撃を與へた。
そして、日本が敗北したあと、歐米帝國主義は、アジアに大戰前の植民地支配體制をすぐに復活することが出來なかつた。
にも拘はらず、敗戰後五十六年、
日本は、ユダヤイルミナティ世界權力占領下で、
民族抹殺に向けて、
ころげ落ちつつある。
そして日本の國家中樞と上層指導階級は、日本をユダヤイルミナティ世界權力に賣り渡すことを業務とする賣國奴によつて完全に掌握された。
この状況下で、昭和十九年八月の栗原悦藏論文を小紙に轉載收録することは意味のあることであらう。
平成十三年五月三十日記
太田 龍
小紙前號(一八九號)誤植訂正
誤 → 正
1頁下段本文5行目 自動化 → 白癡化
2頁下段終から5行目 全面的裁判緩和 → 全面的規制緩和
5頁下段5行目 日本論 → 日本語
6頁下段一の3行目 タラジューンズ → ダウヂョーンズ
8頁上段六の1行目 第一囘半期 → 第一四半期
12頁上段本文14行目 萬能性 → 可能性
平成十三年五月三十日
救國國民運動の第一歩としての日本型文明
原理にもとづく日本的教育の再建。
ジョン・テイラー・ガットーさんは、「米國教育の隱された歴史」の中で、
「(米國の)國家は、西洋の精神的(又は靈的)傳統を危險な存在と見なして居る」
と述べて居る。
だからこそ、「國家」は、子供たちを、十二年もの間、精神的なもの(又は靈的なもの)に敬意を拂ふことなしに、強制的に學校に收容しておくのだ(二百八十八頁)、と。
十二年、とは、小學校六年、中學高校六年。
ここのところは、きはめて重要だ。
「西洋近代教育」の歴史、その深層、その意味、その結果、などなどについて、私は、長い間(五十年以上)、批判的に考へ、研究して來たが、あいにく、私は教育學者でもないし、教育活動に從事して居るわけでもない。
斷片的には見えて來ても、その全體像と、そしてそれが生きて働らくかたちが分らない。
ガットーさんの今度の大著は、その解答を與へてくれた。
近代西洋社會そして國家の本質は、
宗教(教會)と政治の分離、だと、我々は聞かされる。
つまり、國家の世俗化(脱宗教化)である。
しかし、國家の世俗化と云ふ方針がその通りに實現されるためには、全國民(必ずすべての子供)を強制的、包括的に學校に收容して、世俗的脱宗教的教育を注入しなければならない。
「宗教」、と云ひ切つてしまつては一寸違ふだらう。
英語で云へばスピリチュアル。
日本語では、精神性、靈性、信心、信仰、……
要するに、さうした要素を排除した強制義務教育を、全國民(すべての子供)に與へなければならない。
「科學と個人主義は西洋的世界觀がよつて立つ、二つの世俗的基盤である」(前出、二百八十九頁)。
ここで「西洋的」と言はれるとき、それは、十八世紀のいはゆる「啓蒙主義」時代に準備され、一七八九頁のいはゆる「フランス革命」によつて幕を開き、十九世紀に全面開花した。
そのやうな構造と性格を有する體制を意味する。
つまり、世俗化された近代西洋社會では、「科學」が「宗教」にとつて代る、または「科學」が「宗教」と成る。
この場合の「宗教」とは、一つの信仰體系を意味する。
信仰體系は、無批判的に前提される一つのドグマ(獨斷的教義)を出發點として、その上に次々に積み重ねられて行く。
そのやうに定義されたものとしては、「科學が宗教である」「科學と云ふ名の宗教が出現した」、
との云ひ方は成立する。
しかし一體、この「科學」とはそもそも、何者なのか。
「科學と云ふ宗教は、およそ善も惡も存在しない、と主張する」(ガットー著「米國教育の隱された歴史」、二百九十二頁)。
さう、ガットーさんの言はれる通り。
「科學は價値中立的である」、と「科學者」は稱する。
もちろん科學がさうであれば、技術にも、善も惡もない、と成るであらう。
しかし、何が善か、何が惡かを教へない宗教(即ち科學)とは竒怪なしろものだ。
一體、その社會で、倫理道徳は成立し得るのか。
その社會の道徳の基準はどこに在るのか。
それは、個人主義である。
つまり、個人が道徳の尺度と成る、と云ふ。
しかしこれで話のつじつまは合ふのであらうか。
近代西洋の教育は、
、ヒンズー的カースト制度を模範とした、究極のカースト化を根本原理とする。
、ごく少數(一〜五パーセント)のエリート教育と、殘り(九十五パーセント)は、命令に從順な奴隸勞働力育成(ないし飼育)のための教育と、この二極。
、認識論的哲學的には、ロックに發する經驗主義つまり、人は白紙として生まれて來る。經驗がその人間をつくる。と云ふ哲學。
、このロック的經驗主義が、デカルトの「動物機械論」、ラメトリーの「人間機械論」、ルソーの「エミール」、フローベル、ペスタロッチの教育學、ヴントの實驗心理學などを經て、二十世紀、行動主義心理學(又は行動主義)に集大成されて行く。
インディヴィデュアリズム、と云ふ。
しかしこの用語はをかしい。
「インディヴィデュアル」とは、分割不可能なもの、の意味であらう。
しかるに、デューイ一派の唱へた「ニュー・インディヴィデュアリズム」に於ける「個人」は、成型可能な、操作の對象としての物體、從つて、取り替へ可能な部品のやうなものであらう。
なによりも深刻な脅威は、
西洋近代社會とその教育が、
家庭、家族と、そして地域共同體を徹底的に破壞して行くことを基本方針として居る、
と云ふ事實である。
このことは、小紙で既に紹介した松井和さんが、米國の状況に即して、適切に描いて居る。
しかし、家族や地域共同體を解體して、「彼等」は、一體、どうしやうとするのであらうか。
これは單なる「教育」問題の次元を超へて居る。
しかし、近代西洋の極致としての米國の實情は、日本民族に、多くのことを教へてくれる。
ガットー著によると、
一九九九年末の時點で、米國の總人口二億七千五百萬人、そしてそのうち、七千五百五十萬人がなんらかのかたちで「教育」に關與して居ると云ふ(「米國教育の隱された歴史」、三百三十七頁)。
これは驚くべき數字だ。
約六千七百萬人は、學校(小中高)と大學(カレッジ)に通つて居る(收容されて居る)。
そのうちの三千八百萬人はK−8(これは何か?)。
千四百萬人は中學校。
千五百萬人は大學(カレッジ)。
四百萬人が學校(小中高校)及び大學(カレッジ)の教師として雇傭されて居る。
NEA(全米教員組合、又は全米教育協會)についてはここでは省略する。
教育! 教育! 教育!
なるほど、たしかに「教育」は、ユダヤイルミナティ世界權力が全人類を世界人間牧場に狩り立てて行く上で、決定的に重要な役割を與へられて居る。
そのことが實感されるではないか。
ガットーさんは、最終章を、
「罠からいかにして拔け出すか」、
として居る。
さう、まさしくそれが問題だ。
今や我々は、状況を正確に把握した。
いかにして罠から拔け出すか。
日本の國家各界の指導階級は、一から十まで、
完璧に、
賣國奴、である。
この連中を信用するな。
「彼等」はユダヤイルミナティ世界權力の工作員(エージェント)として、我々日本民族を、世界人間牧場に誘導しつつある。
これらの國賊賣國奴と縁を切れ。
そこからのみすべてが始まる。
平成十三年五月三十一日
太田 龍