週刊日本新聞 第二○一號
[ホームページ] 住所 http://www.pavc.ne.jp/~ryu
平成十三年九月三日(月曜日)
發行所 週刊日本新聞
〒一一二−〇〇〇一
東亰都文京區白山五−三五−十二
電話 〇三−三八一三−七八二五
編輯主幹 太 田 龍
一部三百圓 送料九十圓(プラス)
年間郵送購讀料 二萬圓(適宜分割可)
郵便振替 〇〇一八〇−六−四〇六四四八
《本號の主な内容》
◎ 編輯前記(編輯人から讀者へ) 太田 龍
◎ 宇宙戰略放送(一、二四五號) 太田 龍
木ノ下 甫著
「戰犯復權論」(昭和五十四年十一月)を
復刻するに當つて。
◎ 宇宙戰略放送(一、二四六號) 太田 龍
「日本人の劣化」現象が急速にすすむ。
− しかし それは「何となく」
さう成つて行くのか −
◎ 鐡砲洲稻荷神 太田 龍
シナ食人の歴史
(講義要旨)
◎ 戰後を見直す
戰犯復權論(連載2)
− 今こそ戰後史を見直さう − 木ノ下 甫
◎ 【ガンパックブリーフ・二○○一年八月號】 森 通曉 譯
アイオワの抹殺
− ウヰリアム・ピアス博士 (2)
◎ 編輯後記 太田 龍
編 集 前 記(編輯人から讀者へ)
編輯主幹 太田 龍
○ 夕刊フヂ(産經新聞社發行)の平成十三年八月二十一日號をたまたま、ずつと見て行くと、18頁、19頁、30頁が、全面「消費者金融(高利貸)」の廣告であることを發見した。
○ 小紙一九八號、二〜四頁參照。
○ 産經新聞は、山本健造、山本貴美子共著「ねぢれ古代史」の有料廣告掲載を拒否した。そして、藤本義一氏が指摘して居るやうに、かつては、有害なるものとして各マスコミが掲載をしなかつた、その高利貸の有料廣告を、三頁に亙つて堂々とのせる。
○ かねのためには平然と惡魔に魂を賣る。それが、敗戰後の日本の權力階級エリート階級指導者階級のまぎれもない正體である。すべてことごとく、唯一人の例外もない。全員、ユダヤイルミナティ世界權力の手先、である。
○ そのことは、故黒岩重治先生が占領中にはつきりと見拔いて居られた。
○ ユダヤイルミナティ占領軍(米英、及びソ連中共)に叛抗するやうな日本人は、全員、即刻、日本の指導的地位から追放排除された。形式的獨立以後も右に同じ。
○ 新カタカナ語ポケット辭典(海江田萬里編、有紀書房、一九九九年)を買ひ求める。二萬二千語を收載、だと云ふ。これだけの西洋語が、今、日本語の中に侵入し、そしてなほ、日々、増殖中。
○ 小生も、そのあまりの多さに遂に音を上げて、この辭典を手にした。
○ フランチャイズ(Franchise)これはもともとは、市民權、公民權、免許、認可、の意味の英語だが、もちろん、今、日本語の中に入つて來てゐるのは、マクドナルド、その他の系列店システムのこと。
○ 「月刊日本」平成十三年九月號、百二十三頁。堀杉作、と云ふ方が、「三島(由紀夫)が見拔いたやうに、命令はアメリカから來るのであり、これにのみ自衞隊は從ふのである。」と述べて居られる。もちろんこれは、イロハのイ。そのあとが問題だ。
平成十三年八月二十二日記
平成十三年八月二十日
木ノ下 甫著
「戰犯復權論」(昭和五十四年十一月)を
復刻するに當つて。
本紙前號(二〇〇號)から、木ノ下甫論稿「戰犯復權論」を復刻連載中である。
筆者の、木ノ下甫氏は、昭和五十四年の時點で、福井市在住、七十才。海軍中佐、元第二南遣艦隊參謀。戰後は、福井縣秀芳館々長。
本稿は、
「讀賣新聞への公開質問状」。
讀賣新聞、昭和五十四年四月二十日、
その「編輯手帖」。
「びつくりしすぎて聲も出ない」、
と云ふ。
何にびつくりしたかと云ふと、
東條英機元首相らA級戰犯十四人が「昭和殉職者」として靖國神社に祭られてゐた、
ことが「發覺した」、
そのことにびつくりしたと云ふ。
「編輯手帖」のみでない。同日付けの「社説」でも、讀賣新聞は全く同じ論旨を展開した、と云ふ。
昭和五十四年とは、靖國神社の宮司が交代して、新しい松平宮司(この方は、越前松平家)が、既に厚生省から送付されて居た名簿に依つて、東條英機元首相以下、A級戰犯として占領軍によつて死刑判決を受けて處刑され、また獄中で病死した十四人を合祀したことが公表された、その年である。
その事實が報道されたときに、日本のマスコミがそれをどのやうに評價したか、
その代表格として、木ノ下甫氏は、讀賣新聞を取り上げて居られる。
それを讀んで、私(木ノ下)も、びつくりしすぎて、しばらく唖然とした、と云はれる。
この讀賣幹部記者の感覺が、三十年前、マッカーサーの占領中と少しも變つてゐないことに。
假りにこの讀賣編輯手帖子の年令を當時五十歳、としやう、
するとこの人は、もし、今もご存命なら、七十二、三歳。
そして、敗戰時は十五、六歳と成る。
當然、軍隊經驗はない。
占領期七年間は、この人は、中學、高校、大學生。
つまり、占領軍を正義の軍隊、ご主人さま、として崇め奉るイデオロギーを刷り込まれた世代である。
ちなみに、小生は、これらの人々と全く同じ世代に屬する。
このイデオロギーは、その後讀賣新聞に入社して二十數年、
新米記者からだんだん出世して、會社の最上級クラスの記者に成るまで、全く變らない。
かくして、前述のやうな文章が出現するのである。
ここで、少し、説明して置く必要がある。
昭和二十七年四月、いはゆる多數國との媾和條約發效によつて、日本は形式的に獨立する。
この時點では、朝鮮戰爭は繼續して居た。
そのことの意味を、その後のより若い世代の日本人は、全く、知らされて居ない。
朝鮮戰爭が續いて居る間、媾和條約發效後も、對日占領状態は何も變らない。
この状況に變化が生じたのは、昭和二十八年(一九五三年)三月スターリンの死、同年六月東ドイツの反ソ連反東獨共産政權暴動、そして同年夏の朝鮮休戰、
そのあとである。
昭和二十八年八月以降の日本がどう變つたか。
これは、重要だ。
この時、日本人の人口の壓倒的絶對的大多數は、あの戰爭を擔つた世代であつた。
戰後生まれ、ないし、占領下に幼兒少年として、占領軍(米英、ソ連)をご主人さまとしてひたすら崇拜するやうにイデオロギー操作された亡國の民、
この亡國の民はまだ、日本社會のごく一部、
を占めるのみ。
良く聞いてほしい。
戰後生まれ戰後育ちの日本人。
この日本人は、ニセ日本人、亡國の民として、占領軍によつて飼育されたあはれむべき家畜人ヤプーに過ぎない、
と云ふ、苦い眞實を。
敗戰後三十年。即ち昭和五十年。
これが一つの轉機である。
三十年とは一世代。
この年、ほぼ日本のすべての領域で、戰後生まれ戰後育ちが多數派と成り、社會の指導者層にも參入して來た。
敗戰前の世代は續々と死亡引退し始める。
そして丁度その頃、田中金脈とロッキード事件が直撃した。
ユダヤイルミナティ世界權力の第三次對日侵掠戰爭が開始されたのである。
昭和二十八年からしばらくの間、米英オランダに對する戰爭を擔つた世代が日本社會の主力を占めて居た。
そこで何が起きたか。
占領軍の「戰犯裁判」によつて投獄されて居たA級、BC級のいはゆる「戰犯」を救出しやう、
と云ふ一大國民運動が澎湃として下から盛り上つて來た。
實に四千萬人が「戰犯」釋放請願に署名した。
そして「戰犯」は釋放された。
更にそれに續き、A級、BC級戰犯として死刑とされた人々の名譽を恢復し、その遺族に恩給を支給すべしとの國民運動が生まれ、そしてそれも實現された。
かくして、厚生省は、規則に從つて、昭和四十年代初頭に、靖國神社に、「A級、BC級戰犯」刑死者の名簿を送付した。
けれども、靖國神社の松平新宮司が、この「刑死者」を合祀した、昭和五十四年の時點では、既に、敗戰後の亡國の世代が日本社會の主流と化して居る。
マスコミを先頭にして、
そのことに對する猛烈な攻撃が開始された。
いはゆるインテリほど、亡國性が高ひのだ。
これは、保守革新を問はない。
資本主義、共産主義の別を問はない。
前記、讀賣新聞「編輯手帖」の記者は、まさか、日本共産黨員ではないだらう。
またそのときの讀賣新聞「社説」の論説記者も、共産主義者ではないだらう。
しかし、A級戰犯云々、に關する限り、
讀賣新聞の立場は、日本共産黨の機關誌「赤旗」と、寸分、變はらない。
今、日銀と大藏省(今は財務省)は、五千圓札に、新渡戸稻造の肖像を印刷して居る。
新渡戸は、IPR(大平洋問題調査會)日本代表を勤めた。
IPR(大平洋問題調査會)は、三百人委員會直系の重要機關であり、
一九一八年九月、モスクワのユダヤイルミナティ、ソ連共産政權代表の大會に提示された「日支鬪爭計画」を實施するために用意された組織である(渡部悌治著「攘夷の流れ」七十六頁以下、參照)。
つまり、新渡戸は、れつきとした、まがうかたなき、
賣國奴、以外の何者でもない。
かくの如き正眞正銘の賣國奴を、麗々しく、五千圓札の肖像とする。
この大膽不敵さ。
「新渡戸稻造や吉野作造らがユダヤ・フリーメイソンであつたことなどでも知られてゐたことであり……」(「攘夷の流れ」、五十八頁)、
とある通り。
そして、現代日本「インテリ」の模範が、
吉野作造であり、
新渡戸稻造である。
いづれも、ユダヤイルミナティ世界權力の日本滅亡のための侵掠戰爭の工作員である。
しかし、この木ノ下甫元海軍中佐も、ユダヤ問題は分かつて居られなかつたやうだ。
オーエン・ラチモアの戰後の著作「アジアの情勢」から、
「日本が立派にやり遂げたことは、アジアにおける植民地帝國の十九世紀的構造を破壞することであつた」、
と云ふ箇所を引用する。
しかしここのところはをかしい。
渡部悌治著「攘夷の流れ」七十七頁、
昭和四年十月、IPR大平洋問題調査會第四囘大會が京都で開催された。
米國代表はゾルゲ事件のバックとなつた男であり、コミンテン・ソ連スパイであつたオーエン・ラティモアであつた、
と述べられて居る。
平成十三年八月二十ニ日記
太田 龍
宇 宙 戰 略 放 送(一、二四六號)
平成十三年八月二十二日
「日本人の劣化」現象が急速にすすむ。
―― しかし それは「何となく」
さう成つて行くのか ――
筆者は、平成八年、「日本型文明の根本原理」(泰流社、絶版)、二百五十七頁に、
次のやうな圖を掲げて置いた。
「彼等」は、デュープな(騙されやすい)日本人(の群れ)を、二つに分けるつもりだ。
即ち、下圖(前出)のやうな具合に。
かくして、原日本人は死滅し、
九十九パーセント以上の白癡と、
一パーセント未滿の賣國奴(破壞神を信じる惡魔主義世界權力の一味となり、同胞たるべき日本人を騙し、少々の利權と「名譽」を代償に、日本民族を、この世界權力に賣り渡す人々)とに、
分解してゆく。
これが、「彼等」から見た、この四百五十年の日本の歴史である。
以上、引用終了。
右の文章は平成八年。に書かれて居る。
それから五年、
「週刊朝日」、平成十三年八月三十一日號に、
「日本人の劣化」ことば、井上ひさし、
と云ふ記事を見付けた。
これは連載の第一囘。
「みんな劣化してゐるんだよ」
ため息つゐて同僚が云ふ。……
とある。
さう、この一、二年、マスコミ上に、
「日本人の劣化現象」についての報道と論評が見受けられるやうに成つた。
この日本人の劣化は、前記圖の右側、
即ち、
この過程の現象形態である。
しかし、この劣化は、左側、即ち、
この過程と一對を成して居る。
なんとなくさう成つて居るのではない。
「彼等」が意圖的に、仕掛けて居るのだ。
「彼等」が計画的に日本民族を解體し、分割しつつあるのだ。
日本人の絶對多數が柔順な白癡と化し、
そしてごく僅かな「エリート」が、有能な賣國奴に「出世」する。
これが現代日本社會を支配する基調音である。
かくして、日本人は「民族としての一體感」を剥奪されて行く。
「日本人は自信を失ひ、未來を描けないでゐる」、
と、前出記事は云ふ。
もちろん、この表現は間違つて居る。
「彼等」によつて、既に明確に、日本人の未來は指し示されて居る。
九十九パーセントの白癡、
完全に米英ユダヤイルミナティ化した一パーセントの有能な賣國奴、
これが日本の未來像である。
つまり、日本の未來像とは、日本の消滅である。日本はこの地球上から抹殺されるのである。
しかし、その「彼等」とは何者なのか。
それは、イルミナミティ世界權力である。
彼等の目標は、
世界人間牧場の完成である。
もちろん、そのことを、日本人は、未だかつて、學校で教へられたことはなく、大學で研究されたこともない。
その問題が、學校の試驗に出されたこともなく、公務員試驗、外交官試驗、會社の入社試驗に出ることもない。
昭和十七、八年頃をピークとして、
ほんの一瞬、ユダヤフリーメーソン問題がマスコミ上に登場したことはあつたとしても、忽ちのうちに敗戰となる。
つまり、日本民族は、幕末以降、西洋ユダヤイルミナティ世界權力の日本侵掠戰爭に於て、思想的精神的に、完全に武裝解除させられて居る。
心理的精神的に丸裸である。
その上、手足を縛られ、目と耳をふさがれて居る。
これが、この百數十年來の日本人の本當の姿である。
ユダヤイルミナティ世界權力の好き勝手に操作され、もてあそばれて居る。
「彼等」の正體に迫り、それと對決しやうとした日本人が、これまで、絶無とは云へないが、きはめて少ない。
幕末明治初年では、まづ第一に、孝明天皇。
そしてそれから、
島津齊彬
藤田東湖
橋本左内
吉田松陰
西郷隆盛
勝 海舟
その他、精々、十人以内。
明治以降では、
ユダヤフリーメーソンの正體を突き止めた、若宮卯之助、四王天延孝陸軍中將、白鳥敏夫元駐伊大使、愛宕北山(文學博士、東北帝大教授)ら、
最盛期でも、第一綫の研究者、學者、著述家は、十人くらゐ、甘く見ても二、三十人。
敗戰と共に、對ユダヤ對フリーメーソン思想戰組織は、占領軍によつて潰滅的な打撃を加へられた。
その再建と、その傳統繼承の氣運が現はれたのは、實に敗戰時から四十五年後、平成三年二月のことだ。
筆者が既に述べたやうに、敗戰後日本のユダヤフリーメーソン研究には大別して、二つの流れが存在する。
第一は、國際政經學會を中心とする敗戰前の對ユダヤ思想戰工作の精神、志とその業績を繼承し、その歴史的限界を克明にして、今日的に發展させやうとする潮流。
第二は、國際政經學會の存在とその活動を知らず、知つて居たとしても無關心、またはそれを評價せず、否定する潮流。
筆者と小紙週刊日本新聞は第一の流れに含まれる。
しかし、この流れは、現代日本でユダヤフリーメーソン問題になんらかの程度で關與し、關心を持つ人々のうちの、ごく僅かな部分でしかない。
壓倒的大多數は、第二の流れに入る。
そしてこの潮流は、遲かれ早かれワキ道に外れ、また親ユダヤフリーメーソン化し、ユダヤフリーメーソンと妥協し、問題を曖昧化させる役割を擔つてしまふのである。
日本は、確固たる對ユダヤ對イルミナティ、フリーメーソンの對抗陣營を構築しなければならない。
そのことによつてのみ、今、急速に進行中の「日本人劣化」の過程を喰ひ止めることが出來るであらう。
平成十三年八月二十四日記
太田 龍
平成十三八月十九日
鐡砲洲稻荷神
シナ食人の歴史
(講義要旨)
太 田 龍
一、食人は野蠻人の風習。
文明人には食人の風俗文化なし。
と云ふ定説の誤謬。
二、中國黄河文明は、古代世界四大文明の一つ、と定義されてゐる、と云ふが、
この黄河文明に由來するシナの文明は、食人文化を制度化した。
その事實を、日本を含むシナ以外の文明は、今日に至るまで、はつきり認識してゐない。
三、つまり、シナ黄河「文明」は、他のすべての地球の「文明」とは、著しく異質である、(食人が正々堂々白晝公然と制度化されてゐる、と云ふ意味で)その異質性はいかに説明さるべきか。
中國原住民生え拔きの文明は、黄河文明でなくて、稻作を基礎とする、揚子江(長江)文明であつた。
と云ふこと。
黄河文明は、西城から黄河上流、中流に侵入侵掠して來た外來民族による征服文明である。
と云ふこと。
外來黄河文明は、中國生え拔き原住民の長江文明を武力で征服した、と云ふこと。
この武力征服の過程は、BC二○○○年から秦の始皇帝、そして漢帝國の出現までの、概むね、二、○○○年で完結する。
右の事情は、最近二十年ほどの長江(揚子江)一帶の考古學的發掘調査にもとづく研究によつて明かにされて來た。
四、中國史に於ける食人「文化」は、外來侵掠者黄河文明が中國原住民を征服する過程で必然的に形成された。
と云ふ説。
五、三千年もの間、「食人文化」が中國文明の制度として續いた。
それは、中國原住民の文明、即ち長江(揚子江)流域の生え拔き文明の抵抗力がそれだけ強力であつた、
と云ふことを示してゐる、
と云ふ説。
六、中國の食人文化は日本列島に侵入しなかつたのか、
と云ふ問題。
侵入した、と見る。
二千數百年前
大陸から日本への侵入侵掠が始まる。
日本原住民の抵抗、
日本建國。防衞。
出雲。
ホヒノ命とその子孫が、
出雲に侵掠して來た
大國主命の子孫に、
殺され、煮て食はれたと云ふ説。
七、過去四千年(三千年)。
中國の歴史は、
單に易姓卒命、王朝興亡の歴史、と云ふにとどまらない。
頻々たる文明の崩壞の歴史、でもある。
そしてそれは、
侵掠外來征服者の權力が、
四千年かかつて黄河を喰ひ潰し、そして一千年前から揚子江を喰ひ潰して行く。
その歴史である。
八、中國大崩壞の切迫。
ユダヤイルミナティ世界權力はその崩壞の破壞エネルギーをロシア、韓國、日本、東南アジアの破壞と解體の方向に誘導しやうとしてゐる。
戰慄すべき事態が進行中だが、日本は無防備無警戒。
九、ユダヤイルミナティ世界權力による、第二次日支鬪爭計画の謀略に嵌められてはならない、と云ふこと。
十、そのための第一前提は、中國食人文化を正視し、直視すること。
十一、中國の社會を特徴づける二層性。
その源泉は、
原住民と、
西からやつて來た侵掠征服者と、
その歴史に由來する、と云ふこと。
十二、日本民族が決定的に中國を乘り超へる上での、中江藤樹の學問(天學)の重要性。
十三、日日本の 天皇 と、
中國の 皇帝 と、
その決定的な違ひ、異質さ。
(「中國食人史」第十六章)