
ま え が き
今年[昭和五十四年]四月十七日NHKテレビで月曜特別番組として、「進め!デリーへ」が放送された。「進め!デリーへ」(チャロー・デリー)は、インド獨立の武力鬪取を信條とした英傑チャンドラ・ボース氏が、昭和十八年七月シンガポールにおいてインド國民軍(INA)の總帥となり、自由インド假政府を樹立して對英米宣戰を布告した閣議で決めた標語である。(INAはマレイ作戰中私とモハンシン將軍によつて結成されてゐた。)
「進め!デリーへ」のNHK特輯は、ボース氏の率ゐるINAが、インドの獨立に決定的な役割を果したばかりでなく、A・A全域植民地の解放、大英帝國の崩壞につながり、世界史のうへに轉換をもたらし、しかもその獨立鬪取の蔭に日本の偉大な貢獻と、わが將兵の尊い血の犧牲があつた祕史を解明したもので、磯村尚徳氏をはじめNHKの精鋭チームが一年の日豫を費して、世界的にリサーチし、現地で録畫したものである。
現地では私の斡旋に應へてインド國防軍當局や、INAを創設した後に英軍事裁判の被告となつた現存將校等、およびボース記念館々長(チャンドラ・ボース氏の甥)の全面的な協力を得た。
「進め!デリーへ」構成上ハイライトの第一は、昭和十七年二月シンガポール陷落直後、同地のファラバーク大競馬場を埋めた約五萬のインド將兵俘虜を前に、日本軍代表として私が訴へた「俘虜解放!INAへ參加!」呼びかけの宣言に對し、全將兵が熱狂蹶起する光景。
第二は、チャンドラ・ボース氏が、非暴力主義を固執するガンジーやネールと袂を分ちドイツへ脱出したが、ヒットラーの無理解に失望の末、昭和十八年五月日本とINAに期待を寄せて日・獨の潛水艦を利用し東亞に潛行、昭和十九年三月INAを率ゐて日本軍とともに祖國の一角イムパームに進撃したが遂に挫折に至つた經緯。
第三は、太平洋戰爭終結直後、英軍がINAの三將校を叛逆者としてインド國民反英抗爭上積る怨念の古城デリーのレッドフォードで開いた英軍事法廷における論爭場面を、同じ部屋で實在三被告の出廷を得て當時の裁判記録そのままに再現した。
祖國に對する不屈の獻身と日本側の支援を毅然として陳述する劇的場面、これに呼應する英印三軍叛亂の状況、全インド國民の總蹶起、大英帝國に對するインドの逆裁判とその結末の状況を撮影した本特輯迫眞のクライマックスであつた。
殘念なことにチャンドラ・ボース氏は終戰直後の八月十八日臺北で飛行機事故によりこの世を去り、彼が悲願とした「チャロー・デリー」が實現した祖國の晴れ姿を見ることがなかつた。ボース氏の遺骨は東亰都杉竝區高圓寺の蓮光寺に安置されてゐる。
チャンドラ・ボース氏の功業を敬慕してやまぬインド國民によつて、レッドフォードを指さしINAの將兵を叱呼する雄壯なボース氏軍裝の銅像が建立され、「チャロー・デリー」を死して果したチャンドラ・ボース氏の世界的偉業が永久に象徴されてゐる。
磯村氏がその勇姿を仰ぎ見ながら、死せるボース、活ける大英帝國を走らせた歴史的不滅の偉勳を解説したシーンは感泪を誘ふ肝銘であつた。
「進め!デリーへ」の反響
「進め!デリーへ」のNHK放送は極めて高ひ視聽率を示し、視聽者に多大な感銘を與へた。
この放送が終るとNHKには應答の暇がないほど感激に滿ちた電話が殺到し、また全國各地から數百通の投書が寄せられた。私は前記のやうにINAに深い關係がありこの番組に寫し出された一人でもあつたので、早速NHKを訪れ磯村尚徳氏をはじめこの番組を取材した人逹に會つてそのことを承知し、うず高くつまれた投書のうちいくつかを見せてもらつた。
クイズやリクヱスト番組でないものに、これほどたくさんの投書が寄せられた例は少いさうで、その内容も極めて眞面目で眞劍さに滿ち、年齡、性別、職業、知的レベルを超へてをり、いはゆる投書マニヤとは異なる人逹と見受けられたのが特色であつた。ただ一通、大東亞戰爭肯定論につながる危惧を表明したものがあつた以外はすべて好評嘖々であつた。
これは磯村尚徳氏の高ひ人氣と、その公正、鋭利明快な史觀、要を得たソフトなタッチ、豐かな話術、勇氣ある解説が、妙を得た構成と相まつて然らしめたものと思はれる。また一面、戰後視聽者が祕められた歴史の眞實と、その意義の重さを初めて知らされた衝撃が、感動と共感をいつさう深くしたものと察せられる。
この放送に對する共通の好評例
NHKに寄せられた投書には共通して次のやうなことが記されてゐた。
○ 驚異と衝撃の連續でした。 (女子大生・21才)
○ 深い感動と興味をもつて拜見した。私がテレビを見はじめて以來、最高の充實した内容でした。 (元軍人・65才)
○ 今囘の特輯を見て、NHKの受信料は安いと思つた。 (主婦・30才)
○ 實に立派な思ひ切つた勇氣ある作品と思つた。 (米穀商・45才)
○ すばらしいの一言につきる。歴史の眞實にふれることが、こんなにも爽快なものであることを初めて知らされた。 (男・49才)
○ 最近最高の放送と思つた。壓倒的な重みと説得力があつた。 (婦人・年齡不詳)
○ テレビでこんな感動したことは初めて、深く自らの内部に問ひかけ考へさせられた。 (婦人・28才)
○ 滿足の一言につきる。 (主婦・48才)
投書したほとんどの人が一樣に「日曜日に再放送してほしい。家族全員に見せたい。ヤング向けのキラキラしたくだらぬ放送を少くして、この種の放送番組を多くしてほしい。」と要望してゐた。
私あてにも、全國各地の戰友や遺族その他多くの知己から電話や、手紙で同樣の内容を含めた感激と激勵を頂いた。
「進め!デリーへ」放送に對する反響事例
東亰都の主婦・門 姿農
INAの指導者逹をイギリスが軍事裁判にかけた場面――三名のINA實在將校が出廷して、當時の状況そのままに再現してくれた時は、まるで突然タイムカプセルで往時に引き戻されたやうな錯覺を覺えた。
インドの獨立と日本の深いかかはり合ひ、現在なお貧困なインドの現状が察せられ、日本は口先だけではなく、眞實の心をもつてインドをはじめ東南アジアの國々に協力の手を差し延べなければいけないと思つた。
そして日本の若人逹に、「若者よ、世界に眼を向けよ。歴史の流れを平和の方向に持つてゆくやうに努力せよ。あなた逹の醒めた意識で、肌の色が異つても若い人逹が手を取り合つて、子供、孫の時代を確保しなさい」と訴へ續けたい。
作曲家・古關裕而
取材の適確、詳しい調査、英軍事裁判の再現等、微に入り細にわたるルポルタージュにいたく感銘を受けました。
私は昭和十七年晩秋、NHK南方慰問團の一員としてシンガポール、ビルマに、次いで同十九年四月のイムパール作戰に、大本營報道班員として作家・火野葦平氏、画家・向井潤吉氏と共にビルマのラングーンに數カ月滯在し、INA將兵に接し、その意氣と笑顏が瞼に燒きついてゐる。INA兵舎を數度訪ねて、軍歌「進めデリーへ」と國歌?「ヒンドスタン・ハマラ」を採譜し、歸國早々放送したことがありました。
この特番で、再びINAの軍歌と國歌のメロディーに接し得て、感懷切なるものがありました。良い番組を放送してくださつて有難うございました。
東亰都・主婦・高木喜代子
「進めデリーへ」は日本と關係がありましたがゆゑに、誠に感動深いものがありました。日本があの戰爭を戰つたことにより、東南亞の植民地が解放され、獨立できたことは知つてゐましたが、シンガポールの陷落が、インドを英國から解放される最大要因となつたことを、この放送でよく知ることができました。
日本人はこの事實をもつとよく考へ、戰爭が徒らに侵掠戰爭であつたとのみ思はず、もつと祖國への榮光と自信を取り戻すべきだと思ひます。放送の最後の場面――三名の將校が英軍事法廷で處斷されやうとした時、インド全國民が一齊に蜂起し、英國はつひにインドを抛棄せざるを得なくなつたあの場面は、本當に感動的でした。
日本は敗戰はしても、インドをはじめ、東南亞諸民族の解放、自由と獨立の鬪取をもたらし、また日本の榮光(皇室護持)は守られました。でも日本國民は祖國への自信と榮光に眼を閉ぢ、一途に戰爭は間違つてゐたものと惡いやうに思ひ込み、卑屈に陷つてしまつてゐます。
今の日本國民には國家意識とといふものが一かけらもありません。國家といふと、すぐ軍事主義と妄斷し、マイ・ファミリー本意の甘え、エゴで、自由と放縱をはき違へてゐます。
鹿兒島縣・主婦・留川喜代子
S・C・ボース氏は祖國の自由と獨立鬪取のため、ガンジー翁の非暴力主義に對して武力に頼り、ドイツ・日本・ソ連との提攜利用を辭さなかつた現實主義で、行動的リーダーだつたのですね。
結局はボース氏の率ゐたINA三將校を裁く英軍事裁判がきつかけとなつて、陸海空のインド軍が叛亂し、また國民の全面的蜂起と相まつて、英國にインド抛棄の決意を餘儀なくさせたのであり、インドの獨立獲得には、武力行動が必要であつたはけですね。
この獨立インドに、一日も早く民生の向上と經濟の確立がもたらされねばなりませんね。日本は獨立インドに對し、心をこめて支援してあげねばならぬと思ひました。
東大阪市・堀齊太郎(ビルマ派遣軍に協力した商社囑託)
「祕められた一つの軍事裁判を軸とするインド獨立ドラマを採る」を拜見して感動し、この手紙を綴ります。
私は、軍が邊疆の作戰補給に使用する大八車を大量製作して、軍の兵噐廠に納入する變つた仕事に當つてゐました。
私は今日まで、あの苦しい戰況の中で、何故イムパール作戰が敢行されたのかといふ疑念を持ち續けてをりました。イムパール戰綫崩壞、敗退の慘況を將兵から聞くにつけ、こんな無理、無意味な作戰が、何故決行されたのかと疑問を深めて參りました。
ところが、このたび貴殿(磯村氏)のデリー軍事裁判の再現ドラマ放送で、法廷に立つた被告INA三將校(實存の方)の口から、「獨立は日本のお蔭です」と明瞭に述べた聲で、私の長い疑念は一應解かれた思ひです。
アジアの狹小な國日本が、あの宏大な領土、厖大な人口を擁する植民地インドの解放を授けた原動力となつたこの事實に、イムパールに散華された兵士の「み靈」は、慰められるだらうと思ふのです。
イムパール作戰の最激戰地・コヒマの死鬪三カ月有餘戰ひ拔いた五八聯隊會會長・
西田 將
私(西田氏)のもとにも戰友、遺族から切々の言が寄せられた。その代表的な一例、八十一才の遺族老母のそれを紹介したい。
「今日までいろいろの方から、倅の戰死は無謀・無意味な戰さに、犬死同然の犧牲となつたのだと聞かされて、悔み恨み續けてきた。ところがNHKのこのたびの放送を拜見して、倅の戰死が犬死でなかつたことを知り、長い胸のわだかまりから救はれました」と。 (次號につづく)
【ラストトランペット・ニュースレター 二〇〇一年九月號】 (1)(抄譯)
――デビッド・J・メイヤー――
アメリカ帝國の倒壞
強大な古代ローマ帝國が倒壞、解體し始めた時、市民たちはそれを信じやうとはしなかつた、と歴史は傳へてゐる。ローマの軍事的、經濟的力は竝ぶものなく、交易をしてゐた全世界がローマに支配され、その強大な都市に貢納を行つてゐた。けれども、その名聲あふれる帝國は泥醉、不道徳、大食そして政治的無關心によつて、すさまじい崩壞へと導かれたのである。ローマの人々は、蕃族がローマを打ち破り、彼らの領土を占據してゐる中で、快樂を求め、娯樂にうつつを拔かし、自分たちの慾望の限りを盡くした。皮肉なことに、いま私たちは、アメリカ合衆國において、信仰心の無さも含めて、當時のローマと同じ事が起きてゐるのを目撃してゐる。イルミナティーの大陰謀を企圖する者たちは、首都ワシントンの市街地計画をフリーメーソン的意圖をもつて設計した際、それを「ローマ(Romulus)」にたとへたが、彼らは自分たちが何をしやうとしてゐるのかを良く承知してゐた。合衆國といふ國家は超大國に昇りつめ、そして突然、激しく倒壞するだらう。現實にはアメリカ合衆國は極めて強大となり、その結果、イルミナティーは、この國を衰頽させて惡魔自身を獨裁者として戴く、さらに強大な單一世界帝國内のたんなる一構成單位に過ぎないものに變へてしまふのに、豫定してゐたよりもずつと長い時間を要してゐる。私たちが現在、目にしてゐる状況を作り出すために、大變な勞力がワシントンとニューヨークで行使されてゐるのだ。陰謀と政治腐敗は、いたるところにある。ビル・クリントンのやうな男が、この國で八年間も大統領であり得たといふ事實こそ、この國の腐敗が、いかに深く進行してゐるかの確實な證左なのである。
戰爭と諸國民の苦難が地平綫に不氣味に姿を現はしつつある中、ブッシュ大統領はより多くの軍事基地を閉鎖する方向を求めて行くとの聲明を發表した。ク(カッコ内は原注・以下同樣)國防長官 ドナルド・ラムズフエルドによれば、冷戰終結以降、我々には、もはや基地は必要ない、とのことである。ケ この發言はコーリン・パウヱル國務長官が共産中國の地を最近訪問した際、公然たる敵、共産中國を友好國だと發言したのと軌を一にしてなされたものである。コ 中國は明らかに紛爭を開始するのに最も適した機會を待ち受けてゐるところである。
中東では、この世のエルサレムが完全に、一つの「重荷の・・石」になつてをり、ブッシュ政權は近い將來に大きな紛爭がある事を豫期してゐる。七月二八日、過激派ユダヤ人グループがエルサレムで第三神殿の礎石を設置する準備を終へたとの報道がなされた。サ しかしながらイスラエル政府はイスラム勢力の反響を恐れて舊市街(the old wall city)のユダヤ人居住區への南側入口にある「ダング門(Dung Gate)」の礎石を置く事のみ許可した。シ 一方、パレスチナ人たちは、神殿建設のいかなる試みをも沮止すべく、一三の抵抗グループを結成した。ス
ロシア軍事筋は、八月一三日、今後六ヶ月以内に中東で戰爭が勃發するであらう、との發言を行つた。セ ロシア筋は、エジプト軍がその第三軍(third army)をシナイ半島に展開する準備を完了した。戰爭は避けられない、と言明した。ソ 合衆國では國會議員たちが最近アンドリュー空軍基地で會合し、「暗い冬」といふコード名のコンピューターに基く摸擬演習を行つた。この會議の結果は「アメリカに對する生物兵噐によるテロリストの攻撃は、我が國に崩壞の危機を招く可能性がある」。と指摘した。タ また、この會議では(その際)戒嚴令が必要となる事、テロリストが導入した傳染病によつて我が國が二ヶ月にわたつて崩壞するであらう事も指摘された。チ
これらすべての厄介事が起こらうとしてゐるにもかかはらず、さらに私たちはアメリカ政府内部に、はなはだしい愚かさと弱さが露呈してゐる事に驚かされてゐる! 聯邦調査局(the Federal Bureau of Investigation)の一部に機密情報を含む、四五〇の武噐と一八〇のコンピューターが紛失もしくは誤つて配置した、との報道が最近なされた!ツ 仕上げとなる話は次のやうなものだ。アメリカ政府は八月一二日、ジョージア州の沿海で水素爆彈を紛失した事を認めたのである。この記事はオーストラリアの新聞によつて報道されたが、我が國ではニュースにならなかつたやうだ。事實は廣島に投下された原爆より百倍もの破壞力を持つ、三四五〇キログラムの水素爆彈が一九五八年二月五日以降、ジョージア州沿海に放置されたままになつて現在に至つてゐるといふものである。この爆彈は、當時三六、〇〇〇フィート上空での戰鬪訓練中に、戰鬪機の襲撃を受けたB―47ジェット爆撃機から投棄されたものであつた。國防總省は同省が正確な落下地點を把握してをらず、また、その爆彈は安全であると主張してゐる。同省は同時に、この爆彈に接觸するのは極めて危險なことを理由に、それを囘收する考へがないとも述べた。テ 完全に裝填され、起爆裝置も備えた三・五メートルの核爆彈がサヴァンナ河、河口近くのタイビー島付近のどこかに沒してゐるのだ。それはTNT火藥、三五〇萬トン分の爆發力を有してをり、私はその地域に地震が起つた時に、それがこの核兵噐にどんな影響を與へるのかと危惧の感を禁じ得ない。ジョージア州の人々は(行政の)對應を要求してゐるが、州政府は爆彈の位置がわからず囘收は不可能に近いと述べ、その發見には五年の歳月と二三〇〇萬ドルを要すると斷言した。行政府の聲明は二枚舌の言説に滿ちてゐる。ト
獸の帝國の勃興
ジョージ・ブッシュ大統領はイタリイのジェノアで最近開催されたG―8サミットの準備過程で、「私は孤立主義者ではない」と言明し、自らの氣持ちを明らかにした。ナ この言葉を讀んで、私は、ニューヨーク市の外交問題評議會(CFR)本部の外に立つて、その組織の二、三の事務官たちと言葉を交はしてゐた時の事を思ひ出した。私はそのビルから外に追ひ出されたところで、CFRの組織は非公開のものであり、報道機關といえども、その内部に入る事は許されてゐないのだと告げられた。私たちが祈祷を行つてゐる間、監視のために出てゐた事務官のうちの一人に私は「CFRの第一の目標は何なのか」尋ねて見た。すると、その女性は「アメリカ合衆國が孤立主義に陷らぬやう努めること」、と答へたのである。報道ではジェノアの中心部はG―8の代表團のみしか入れない、ゴーストタウンとなつたと傳へられてゐる。この地域のいたるところで激しい抗議活動が勃發したが、これは、ある程度まで状況を知つてをりその恐ろしさを把握してゐる一定程度の人々が存在してゐたからである。長年、G―7と呼ばれ、近年はロシアの參加の故にG―8と呼ばれるやうになつた、このサミットを觀察する時、我々は默示録17章10〜11節に驚くべき豫言的類似を發見する。そこには次のやうにある。「そしてまた、七人の王たちのことである。五人は既に滅びたが、一人は今もをり、もう一人はまだ來てゐない。彼が來ればしばらくの間、留まるはずである。かつてはゐたが今はゐないといふ獸は、八番目のものであるが、それは先の七人のうちの一人で、やがては滅びにいたるものである。」(フランシスコ會聖書研究會譯 中央出版社刊)私たちはこの豫言が特にローマ帝國に關聯しての豫言である事を承知してはゐるが、七番目と八番目の王の類似性には注目すべきものがある。獸は世界支配をめざして急速に勃興しつつあるのだ。
私たちはまた、合衆國内で、もう一つの驚くべき現象を目撃しつつある。ロシア人移民がニューヨークに押寄せ、その海岸地區を占領しつつある。ニ メキシコ人及びスペイン語系中南米人たちもまた、ブッシュ大統領の命令によつて特別の地位を認められてをり、メキシコとカリフォルニアを區分するフェンスは壞されてしまつた。八月一一日土曜日、ラヂオABCは午前五時のニュースで何千人もの本來なら違法なメキシコ人たちが鎖でつながれた國境フェンスを踏みつけてゐる足音を放送した。そして彼らのうちの三百萬人がすべての移民法の手續きを取らずに合衆國での生活と勞働を許可されるだらうと豫測されてゐる。ジョージ・ブッシュ大統領は他の世界の指導者たちとともにアメリカを零落させて、新世界權力の内部にあらかじめ決められた規模にまで貶めやうと努力してをり、彼が裏切者である事に疑問の餘地はない。
あまりに多くの事が現在起こりつつあり、さうした出來事をすべて追ひかけるのは極めて困難である。最近私は一人の國際問題の評論家から二〇〇二年一月一日にユーロ通貨が全面的に流通するやうになり、二〇〇二年七月一日には西歐各國のすべての通貨が使用出來なくなり、價値を無くしてしまふと教へられた。私たちは現在、ウォールストリートでの戰ひを目の當たりにしてをり、またアメリカ經濟がユーロ通貨に打ち勝たねばならない故に苦鬪してゐるのを目撃してゐる。だがアメリカの通貨も遠からず價値を下落させる事であらう。そして間もなく單一世界通貨が出現する事となり、エレクトロニクスが完全に支配するやうになるだらう。
アメリカは大規模な計画の枠組みの中で、その割當てられた地位に適合するやう縮小され、大會社が人員を削減し、生産施設を閉鎖してをり、私たちはその經濟が倒壞しつつあるのを目撃してゐる。
ルーセント・テクノロジー社では一三、〇〇〇人の人員削減が行はれ、さらに二〇、〇〇〇人の解雇が明らかにされたところである。これを合計すると三三、〇〇〇人に及ぶ。ヌ 私たちはさうしたオカルト的な數字を眺めつつある。また私はニューヨークの聯邦準備銀行がリバティーストリート33に位置してゐるのも興味深い事だと考へてゐる。ネ フォード社も五、〇〇〇人に及ぶ事務系職員の解雇と將來における工場閉鎖を發表した。ノ 二〇〇一年七月の失業者が二〇五、九七五名に上つたのは悲しい現實でありハ、今年度の失業者總數は今日までのところ七七七、〇〇〇人に逹してゐる。ヒ 八月一五日、國際通貨基金、IMFは「アメリカの膨脹し續ける貿易赤字はドルに深刻な危機をもたらす。」との懸念を明らかにした。フ この警告の直後、アメリカ通貨はユーロ、圓、ポンドに對して値を下げ、過去四ヶ月で最低の水準にまで下落した。ヘ
私はドルの記號($)が中世にまでさかのぼる、一つの表象である事を興味深く思つてゐる。それを貫く棒のつゐた「S」は災難、もしくは「惡魔の束縛の下にある」といふ意味なのである。同樣に、葬儀屋や屍躰置き場といつた言葉と同じルーツを持つ「抵當(權・證書)」といふ言葉は「死の契約」を意味するので、人々がドルの表示の隣にそれを記すとすれば、それは定義上、惡魔のくびきの下での死の契約となるわけである。同じく英國「ポンド」の記號は横棒に貫かれた、「L」であるが、これも、もちろん惡魔の束縛の下にあるといふ意味である。(續)
(森 通曉譯)
週刊日本新聞 二〇四號(13・9・24)
編 集 後 記
編輯主幹 太 田 龍
○ 新しい書き下ろしの著作「イルミナティの皇室破壞工作の歴史と、日本民族の反撃(假題)」。第十一章を間もなく脱稿し、そのあと、最終第十二章にとりかかる。
○ 九月末か十月始めに書き上げたい。
○ ジョン・コールマン博士の新しい日本語版著作「來るべき大災害(假題)」、製作進行中(成甲書房)。
○ この著作で、コールマン博士は、「三百人委員會」が二〇〇五年大破局の豫定を、二、三年ほど早め、二〇〇三年經濟大破局、そして、それから第三次世界大戰、と云ふ風に設定し直したことを詳細に論證する。一刻も早く、日本民族の有志に屆けたいと切望する。
○ 「正論」平成十三年十月號、百三十頁以下。龜井靜香。「龜井靜香の緊急提言。小泉總理へ直談判申し候」。
「ところが、國家の枠組みさへ認めない日本人が増えてゐる。しかも、驚くべきことに國益に反する行爲が正しいと思ひ込んでゐる人間が行政を司る役人たちの中にも少なからずゐる。……グローバリゼーションの名の下で行はれてゐる日本の金融機關の外資への切り賣りの凄まじい實態に觸れた……役所の内部では外資のヘッジファンドの連中が闊歩し、大臣の祕書官でさへ外資の關係者だ。……問題は役人たちが外資に賣り渡すことが正しいと思ひ込んでゐる點にある。……」(前出、百三十二、三頁)、だと。
○ なるほど。
○ まあそんなものでせう。
○ 私は、平成三年二月、國際政經學會(昭和十一年〜二十年)の業績を學習繼承發展させる課題を自覺してからずつと、日本の國家機關政官財學會マスコミ指導階級が、完全に「賣國奴」によつて掌握されて居ることを彈該し續けて居る。
○ しかしこのありさまは、敗戰後の現象ではない。
○ 江藤淳著「南洲隨想、その他」(文藝春秋刊、平成十年十二月)。ここに、「滅亡について」(對談、江藤淳、植谷秀明。「文學界」一九九八年六月號)が收録されて居る。
○ これは、江藤淳著「南洲殘影」が完結したあとに行はれた對談である。「西郷さんは有栖川宮に託して帝(明治天皇)に對して直訴し奉つてゐるけれども、私にはそんな勇氣はないので……」(前出、八十八頁、江藤)。
○ 「……本當にいま日本はあるのかなあ、自分は本當に生きてゐる人間なのかなあ、ひよつとすると幽靈ではないのかなあ、と。」(前出、百六頁、江藤)。
○ 西郷隆盛は既に明治六年、このままでは日本は滅びる、と見て居た。
○ 「このまま」とは何のことか。それは大久保、木戸一派の「西洋かぶれ」である。いや「西洋かぶれ」に止まらない。西洋への投降である。
○ しかしそもそもその「西洋」とは何者なのか。
○ 岩倉使節團員の一人、村田新八は、明治六年歸國して、西郷、大久保の決裂を知るや、ただちに東亰を去つて鹿兒島に歸り、明治十年、西郷と共に起ち、戰死した。篠原、桐野らと共に西郷南洲四人の主將の一人。
○ 村田は、薩摩で、西郷隆盛に次ぐ人物と目され、大久保も次代を託すつもり。
もし生きて居たら、日本の初代首相は、伊藤ではなくて、村田であつたらうとされる。
○ その村田は、西洋を見て、西洋の「闇」を見拔いたのであらう。
○ 藤田紘一郎著「謎の感染症が人類を襲ふ」(PHP新書、二〇〇一年八月)。
「人類は、自分自身が『地球を宿生にしてゐる一つのパラサイト(寄生蟲)に過ぎない』といふ事實を完全に忘れてしまつた。」(百九十七頁)
○ この本は一讀に値いする。限界も多々、感じられるが。
○ 江藤淳氏は、明治元年から明治十年までと、平成元年から平成十年までは似て居る。
しかし今、西郷隆盛(に匹敵する人物)は一人も居ない、と云ふ(「南洲隨想」)。
○ これはまた隨分と荒つぽい見方だ。この人は、愛妻を失ない、病氣、そして翌年自殺で世を去る。
○ このお方は敗戰後の文士では最高峰であらうが、ユダヤイルミナティ問題には終生、無縁であつた。
○ ブッシュ米大統領は、アフガニスタン政府に對して、イスラム原理主義指導者、ビンラディンの引き渡しを要求。
○ 米國とNATOは、アフガニスタンに對して、地上軍二十萬人の派兵を計画とか(九月十四日各紙)。
○ つまり、對イスラム「戰爭」である。
○ だが、アフガニスタンは三〇〇〇メートル〜五〇〇〇メートル級の山々が連なる山嶽地帶だ。あのソ連が介入して泥沼に引きずり込まれて居る。
平成十三年九月十四日記