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宇宙戰略放送 第六九五回 平成八年七月二十九日
評傳・四王天延孝(覺書)
一、
我々が、平成二、三年頃、
本格的なユダヤ研究を開始したとき、
まず、目に入ったのが、
陸軍中将、四王天延孝著「猶太$ユダヤ$の思想と運動」、
であった。
これは、昭和十六年の刊行であるが、戰後、復刻版が出て居り、比較的、入手が容易である。
その後、「猶太研究」(國際政經學會月刊機關誌、昭和十年代、昭和十九年迄)などで、
四王天中将の論文、講演記録などを、或る程度、閲讀した。
しかし、戰後、みすず書房から、
「四王天延孝回顧録」、
が出版されて居ると聞いたが、既に絶版、
この數年、探求して居たところ、
この度、友人の手配によって、古本で購入し得た。
二、
この「自傳」はきはめて興味深く、重要だ。
四王天中将は、明治十一年生まれか(?)、
昭和三十二年死去、
とすれば、享年、八十四歳、となる。
陸軍士官學校卒業、
少尉か中尉の時代に、東京市内番町教會でキリスト教に入信(十一、二頁)、
とある。
これは要注意。
しかし、
◎ 「@豫のキリスト教研究及びその信仰は後にユダヤ問題を調査研究するに當たり、基礎を形造った」(十二頁)、
との視點は理解出來る。
明治三十七、八年、日露戰爭に従軍、
明治三十九年、陸軍大學入學、
卒業後、旅順關東*(no3)監府、陸軍參謀。
大正五年、第一次世界大戰、フランス軍に従軍、
武功により、レジオン・ド・ヌール三等勲章授*(NO3)、
とある。
パリで、各種の文獻を收集した(四王天中将は、陸軍士官學校と陸軍大學でフランス語とロシア語を學習して居る)、
そしてその中に、
ユダヤ人文士アンドレ・スピール著「猶太人と大戰」なる著作あり、
これが機縁となって、その後、ユダヤ問題に没頭することになる(八十頁)。
三、
更に、日本軍のシベリア出兵に伴い、日本陸軍は、ハルピンに特務機關を設置した、
四王天少佐(?)は、このハルピン機關に派遣され、
そこで、ユダヤの謀略を目の當たりに體験し、本格的なユダヤ問題の調査研究に乘り出す。
ハルピンから帰國して、日本陸軍の航空部隊創設に關與、
大正十二年、陸軍省航空課長(前任者は杉山元、後の元帥)に、
大正十三年、國際聯盟理亊會、常設諮問委員會に、日本帝國陸軍代表に赴任(少将)、前任者は林鐵十郎(後に大将、首相)、
昭和二年まで、國際聯盟、後任は杉山元、
などと記されて居る。
つまり、ここまでは、四王天少将(當時)は、紛れもない、日本帝國陸軍の主流中の主流、
と目されて居たやうだ。
四、
ところが、この國際聯盟の三年間(大正十三年〜昭和二年)に、
國際ユダヤ世界權力筋は、四王天少将を、日本陸軍(ひいては、日本の國家指導層)内の、最大危險人物!
と認識した、
もののやうである。
五、
それは別に、をかしくない。
亊實、その通りであらう。
問題は、この、闇の中のユダヤ世界權力筋の意向が、そっくりそのまま、日本の國家中樞と、日本帝國陸軍中樞部に受け入れられ(!)、
★ 四王天中将排除すべし!
となってしまった。
この奇怪な經緯である。
一體なんだ、これは!
四王天中将は、淡々と、表面的亊實を記述されて居るのみで、その背景の解明はして居られないが。
我々は今、その内情に重大な關心を抱いて居る。
六、
國際聯盟から帰任するや、四王天少将は徹底的に冷遇され、そして遂に、名古屋師團付き(?)時代、
陸軍中樞は、上原元帥をして、四王天少将に、ユダヤ問題放棄を勧告せしめた(二〇六頁)、
四王天少将がそれを拒否するや、數日後、陸軍中樞は、四王天少将をクビにした!
一體、これは何を意味するのか?
¥(續く)
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