『涼しい話』

そう云えば、暑い夏になりました。そこで涼しい話を一つ。一年程前にあるきっかけで書いた話ですが、自分でもすっかり忘れていた作品が、Macintoshの書庫の片隅に残っていました。虫干しの最中、出て来ましたので、お客さまへの、涼しい御もてなしとしてお披露目いたします。お一つ如何。
この話は奥州の牡鹿半島にある草深い地方の、とある港街の事であった。その街の中心に一軒の庄屋が居った。店は大変繁盛していたが、中々跡継ぎが生まれない。しかしある年の春とうとう、待望の男の子が誕生した。「御目出度うございます。」「御近所の皆様お陰さまで…」庄屋の喜びは其れは大変なものであった。其の子もすくすくと、何事も無く育っていった。やがて十五歳の春男の子は、両親に打ち明けた。「私も最早十五歳になりました。是迄沢山の愛情を込めて養育して頂き、本当に有難うございました。」「何を改まって、他人行儀な。ははは。」「お前もそんな事を言える様になったのかねぇ。」少年は云った。「お父さん、お母さん。私一つのお願いが有ります。」「何でも云ってごらん。」「嫁は未だ早いと思うが。」少し顔を赤らめた少年は、「少々遅きに思いますが、私、江戸に上り、天下一の都で学問を極め、人様のお役に立ちたいと存じます。」「何をお前、急に。お前は此の庄屋の身代を継いで、一生是に暮らすんじゃ。」その夜少年は一晩中、起きていたが、次の日の朝、未だ陽の昇らぬ内に、そっと庄屋の家をでた。少年は街道を歩き名勝松島も上の空で、仙台に着いた。やがて仙台で顔見知りになった商人の親子と道ずれに、花のお江戸に着いたのは、あれこれかかって花見の季節であった。世話になった商人の口利きで、やがて小石川に居た有名な蘭学者に書生として住み込んだ。くる日も、くる日も朝から晩迄寝るを惜しんで勉学に勤しんだ。やがて六年後の春を迎え、結婚した彼は故郷の両親に、永い無沙汰の報告をするため、夫婦共々田舎へ帰途に着いた。何日もかかって、それは懐かしい帰郷であった。しかし、実家まで歩いて半時の距離まで来て、急に歩みが止まってしまった。「如何致しました。」「お前、済まないが、実家へ先に行って、それとなく様子を見て来て呉れないか。」止む無く此処からは、女房一人が実家へ尋ねて行く事になった。「ご免下さい。」「どちら様で。」突然の来客で庄屋の家は驚いた。そこで女房は一部始終を語り始めた。すると「内のせがれでしたら、今寝てますが。」「えっ。」「そう云えば、せがれは随分以前、江戸に出たい。学問を修めたいと随分わし等を悩ませました。しかし、間もなく諦め掛けたと思ったら、病に罹りましてな。未だに裏の療養所で寝て居ります。」「……」驚いた女房は、気色の悪い事と想い乍らも、裏の療養所に尋ねて行った。縁側の障子を開くと、内からは青白い顔をした亭主が「おう、お前か。良く来てくれた。」
「きゃぁ〜〜〜〜〜〜〜〜っ。」これは中國の会談。いえ、階段じゃなく、怪談が原点だったと思います。

『裏山』

日本の文化の一つに講談と云う話芸があります。私も多く知って居る訳じゃ有りませんが、素人風情の手作りですので、僭越ながら“巷談”と行きましょう。炎天下ですので、少し涼しめ。摂氏19℃位の設定です。何しろ素人ですので、尻切れ蜻蛉…かな?
漆黒の闇と謂うものは現在の都市部では、少なくなってきた。しかし、跳梁跋扈が常とされる時代には、月も星も無い夜は、全く墨一色の世界であった。京の都と云えど夜は田舎と同じで、暗い色彩の無い闇であった。都の中程に大きな武家家敷があった。三方を堅牢な塀で囲った佇まいは、武士としては裕福な造りであった。表の門は夜更けまで、赤々とかがり火が焚かれていたが、灯りが燃え尽きる頃には、屈強な門番の男達も眠りについてしまい、起きているのは竈の残り火と、縁の下の鳴く虫位である。長い廊下を渡って行くと、奥には屋敷の主、頼光の寝室があった。ふと目を醒ました頼光が「むむっ。山犬が吠えておる。」「何事であろう。」暫くすると、遠くから・じりっ、じりっ、じりっ・と地面を引きずる音が近付いて来る。ふわりと生暖かい風が吹き込んで来た。頼光が気が付くと、二間程離れた所に人陰が現れると、じっとこちらを見下ろしていた。「何者じゃ。」それは痩せ細った老僧であった。僧は無言の侭、床の一部を見据えていた。やがて「儂は裏山の庵に住む、放厳と申す坊主でござる。」それを聞くと、頼光は(はて、裏山に庵などあったであろうか。)頼光の怪しむ様子に落ち着きの無い僧であった。頼光はがばと立ち上がろうと試みたが、全身何かに縛られたかの様に身動きが取れないでいた。「儂に何の用じゃ。」すると老僧は主の布団の上辺りをじっと見つめておった。「狐狸の仕業じゃな。成敗してくれる。」主は床の間の大刀を手にしようと焦ったが、矢張り身動きが出来ずにいた。「綱は居るか。」思わず叫んだ。隣室で宿直をしていた、四天王の綱が、最前より怪しい気配を感じて居ったが、此処ぞと引き戸をがらりと空けた。…………………………つづきは今考え中です。ので何れまた、何時の日か。「それでは、皆様ごきげんよう。」

『栗駒おろしの夜』

作:渡邉憲三

三百年はあろうか。樫の大木が三本寄り添う様に聳える山陰に、
大きな館がひっそりと建っていた。
これは其の筋の者に云わせると、此の里に隠れ棲む或る盗賊の館らしい。
盗賊の館と云っても、この奥州の雪と寒さを凌ぐ為、一粗民には、
どうやっても持ち得ない豪奢な造りである。
大の大人で二抱え程もある大黒柱を支えに、三十帖の大部屋が三つもある。
云わば小城か、砦とでも云うべき代物である。
その屋敷の奥に一族の重鎮が集まっている。
真っ赤な鼻の権三が、高笑いをしていた。
「あっはっはっ。亘理のおやじも豪気な者よ。
儂が娘をくれと云うと馬十頭で勘弁すると云っとる。」
「おーっ。あの別嬪の娘子をか。」
「しかし、それは欲張り過ぎじゃないか。」
「おやじは権三の弱味を握って居る。
権三の面食いは、急所じゃ、あっはっはっ。」
冬の薄暗い部屋だが、話が盛り上がる分だけ暗さは感じられない。
「おい。頭領、何を鬱いで居る。」
「うーむ。」
「何じゃ、どうされた。」
「この春、上方から化け物がやって来るらしい。」
「あっはっはっ。頭領らしくも無い。」
「此の奥州一帯を、誰が仕切って居られる。蝦夷の八郎様が、どうなされた。」
「ふん、何を恐れるものか。
どんな奴らがやって来ても、儂は奥州の覇者じゃ。引き下がれるか。」
「そうこなくちゃ。」
「都の役人が、どんなに来ようが構いやしない。
儂は引かんぞ。其処に馬が居れば、儂等の物じゃ。
此処は儂等の土地じゃ。お宝が有れば盗り放題さ。」
「おう、皆の衆。猪汁が出来た。喰わんか。」
「七日に儂は狩りに出るが、お主は行かんか。」
「いや、儂はおやじと一緒に居たい。」
「そうか。」
「それより、其の怪物とやらは、何時やって来るんじゃ。」
「此の春、雪融けにやって来るそうだ。」
「ふん。やって来やがれ。此の奥州の鬼共が成敗してくれる。」
「鬼が役人を成敗するか?はっはっは。」
「しかし、商売がやり難くなるな。」
「そうじゃ。」
その冬も奥州各地の豪族や、小商人は、度々盗賊共に悩まされていた。
良馬に乗り、何処で手に入れたか、天下の
技ものを引っ提げて、あちらこちらの里を荒らし回って居た。
この奥州一の盗賊共は、多勢であろうと、無勢であろうと、
この辺りの役人は丸っきり相手にならなかった。
非道は余りせぬものの、
一面敵無き如き大胆さは、始末に負えなかった。

延歴十年、春正月。
朝廷は蝦夷地を平定する為、
正五位上百済王俊哲、従五位下坂上大宿禰田村麻呂を、
東海道から奥州に遣わした。
その年は春から夏にかけて、東日本に旱魃や疫病、
地震等が続き、人々の暮らしは困窮していた。
街道の彼方此方に飢餓や病人が溢れた。
一軒の飯屋に多くの旅人が寛いでいた。
「大変なご時世ですな。」
「これこれ、娘や。儂の側を離れるんじゃない。
人攫いに捕まったら、本に大変な事じゃ。」
「そうじゃ、そうじゃ。」
「何でも、天子さまはこの難儀続きの世から、
不徳を責めなされ、御所では御自ら華飾を謹ませ、
諸寺社にご祈祷を命じられたそうな。」
「ふむふむ。」
「勿体無い事じゃ。」
尚、帝は此の機に田租を免じられた。
奥州宮城野の大地。
多賀城の城下町、と云っても畿内に数有る町には及ばない。
民家が五百軒程、ぽつぽつと群れている。そんな小高い丘の麓に庄屋であろうか、
少々大きな屋敷が見える。
周囲を石垣で囲っているが、裏へ回ると石垣の破れが見える。
その破れ穴から、子供達が出入りして遊んでいる。
「おーい、クニちゃん。おいで。」
「なんだい、ハナ。」
「あそこで寝ているのは誰。」
「知らない。」
「大きな鼾ね。ははっ。」
昼下がりの日射しが心地良い頃、屋敷の裏庭に面した縁で、
一人の男が昼寝を楽しんで居た。
「ねっ、お髭に蜻蛉が。」
「あれ、捕って。」
ハナは茶目っ気で云った。
ぎょっとした男の子は、いやいやながらも、仕方が無さそうに近付いた。
もうすぐ蜻蛉が捕まりそうな頃、
「くわっ。」
突然寝て居た筈の男は、半身を起こして、両手を広げた。
「わっ。」
すっ飛んで逃げる子供達が恐さに
「わーん。」
足がもつれて逃げ損なって泣き出した。
「わっはっはっは。」
奥から足音がして、
「あーら、何ですか。大人気ない。」
「すまん、すまん。ご免よ。」
暫く子供達は、しゃくりを上げていた。
「嫌です事、此れでもお城では、お殿様ですから。困った人。」
「おう。わらべ達に水菓子でも取らして、機嫌を直して貰ってくれ。」
「おう。お前達、何して遊んどった。隠れんぼかい。ははっ。
子供は良いのう。可愛らしい。」
人並み外れた好奇心と機転で、大人も子供も驚かしたり、感心させたり
つくづく、魅力に溢れた人物であるらしい。
際立った鐘馗髭は、持ち主の童顔を被って、相手を畏怖させる細工らしい。
しかしその鋭い眼光も、婦人や子供には余り利き目が無い様である。
「殿、城よりお使いが。」
「おう、そうか今行く程に…。では又、さらばじゃ。」
大急ぎで着替えると、立派な将軍であった。「殿のお見えですぞ。」
「はっ。」
「おおっ。柴殿でござるか。大変お疲れでござろうの。」
「いえっ。しかし、都から関八州までも相当有りもうすが、
尚また奥州の果てともなると、遠いものでござるの。」
「そうであろう。お寛ぎあれ、此処では窮屈な都の儀式ばった事は無しじゃ。」
「で、如何致した。」
「今年は春から天候が不順でのう。都を始め、畿内でも。」
「そうそう。東国一帯も旱魃や疫病が大流行りでのう。
帝も大いに気を病まれての、春より三度も、使いを畿内七道に遣わし、
幣を天神地祇に奉られ、
雨を乞い世の乱れを身の不徳となされては、謹まれて居られる。」
「そうか、お痛わしい。」
「又、九月には、お伊勢のご神域より、火の手が上がり、一帯を燃してしまわれた。」
「勿体無い。」
「帝は泰平の世が中々遠い事を憂い、諸官に謀り平城宮の門を転じなされ、
長岡宮へお移しなされた。」
「それは存ぜぬ事、初耳でござる。」
「正に災い転じて福と成すでござろう。」
「御意。」
その頃、京の街道沿いでは、遷都に乗り遅れた貴人から、
武士、平民に到る迄、華やいだ行列が続いていた。
牛車で行く者、駕篭で行くもの、
牛馬の裸の背に乗って、揺られながら行く者。
大半は勿論徒歩である。
主なる河川では、人夫が金持ちの家財の運搬に大わらわであった。
道端では物乞いや、昼飯の握りや、雑炊を売り歩く売り子もひしめいていた。
「これこれ、むさい姿で御車に近寄るでない。」
「これ、離れなされ。」
「佐々木。」
黒塗りの車の中から、婦人の声がした。
「如何なされました。」
「予て用意の物を、振舞われ。」
「はい。わかり申した。」
付の男の指図で、下男達が、少し離れた後方の荷車を二台、
街道の松の木の根元に止めると、積んであった保存食を、餓えた民に分け与えた。
荷車の前には蟻の群れの様な黒山の人だかりが出来た。
その間に車は先に進んだ。
「これこれ、もう、仕舞いじゃ。」
「追って来てもそれ切りじゃ。」
「ほうれ、無いぞ去れッ。」
「不憫じゃの。」
「はっ。」
施しは、しても、しても、し尽しても、中々世間の飢餓は納まらなかった。
帝の願いで諸方の役所や、寺社の穀物倉の硬い扉が開けられた。
皆々太平、豊饒の世を切に願った。

陸奥の長い冬が始まると、野山に通じる路という路は、厳寒の世界に閉ざされる。
薄紫の暗い夕べに、ちらほらと白いものが舞いはじめた。
草原一面に薄ら薄化粧を施すと雪は止んだ。
遠く土手の上の椎木林の間から小さな灯りが見えた。
宵の明星の様に、ぽっ、ぽっと点って、幻想の世界に彩りを添える。
彼方から静寂を破り突然
「うぉーっ…」人の声が聞こえ、そして馬の蹄の音に掻き消される程の、
非日常の出来事が始まった。
疎らに見える百姓家から、人々が恐れて顔を覗かせた。
二百騎程の兵士の群れであった。
何事であろうか。兵士の群れの中から、少々位の高そうな男が家来を連れて、
一軒のあばら屋を尋ねた。家人から何事かを聞き出して行った。
「おおい熊どん。何事じゃ。」
「蝦夷の八郎じゃ。」
「何じゃ。お頭の事じゃないか。」
「今度の多賀城の殿様が、痺れを切らしたんじゃ。」
「へっ。そう簡単に事が行くものかね。」
「何しろ筒抜けじゃからね。はっはっは。」
「金持ちの領主が、儂らから絞り採ったお宝を、儂らにまた振り分けてくれる。
其れがいけないとでも云うのかい。」
「そうは云わんが、大丈夫だろうか。」
「なに、お頭の事じゃ、そこら辺のご領主や、新米役人には負けやせん。」
「しっ。声がでかい。」
一団はやがて、桃生方面に向かっていった。突然
「ごおっ。」
と物凄い風が吹き、雪と砂塵を舞い上げて行った。
「うふぉう。しゃっこい。(寒い)」
皆一斉に、戸を閉めると固く閉ざした。
「おどっちゃん。」
「何だべ。」
「今度の冬は、正月つぁん、来るかね。」
「今年は八郎さまが頑張って呉れだから、良い正月つぁんが来るだべさ。」
粗民の家も、商家の屋敷も、武家、貴族の館も、当時の夜は真っ暗闇であった。
その闇を照らすのは、月の光と雪明かり位のものであった
。紙燭や行灯等も一般には、未だ行き渡る筈も無く、
其れだけに多くの松明の群れを、目の当たりにすると、中々夜は興奮して眠れなかった。
「嫁か、世間は相当荒れそうだぞ。」

嵐の納まった翌日。
「おおーい。築館の方に親爺が居だそうじゃ。」
「そうかよっ。」
馬諸共に真っ白な息を吐き出しながら、
頑丈そうな騎馬兵士が城の武者溜まりに寄り合って来た。
「どーん」と太鼓が鳴った。
「集まれいっ。」
「是より征討軍“疾風”は山内殿指揮下に桃生から築館方面に向かう。
征討軍“山嵐”は古川方面から進んで、親爺を挟撃する。指揮は殿自ら執る。」
一斉に出立となった。進む左手には雪を抱いた蔵王山系が、
雄大な姿を見せていた。
馬上凛々しく指揮を執る将軍坂上田村麿は、暫し眺めつつ、
陸奥路を進む折に、街道に見た不二の高嶺を思い出した。
不二の高嶺を想い浮かべると、不思議にどんな困難をも悩みも払拭出来るのであった。
畿内の郷に残した母や朋がらへの諸事も些細な執着と、自ら慰める彼であった。
偏に主上の彼に対する厚き信頼と、期待のみが彼の原動力の全てである。
暫く行くと北上川の川辺に突き当った。
河原沿いに進むと渡し場があった。
「何事じゃ。」
先発の者が慌てて戻って来た。
「申し上げます。昨夜から、この渡し場の守を致して居た者達が、
八郎の配下に、知らずに酒を振舞われ、迂闊にも渡しを占拠されたらしいです。」
坂上の眼はぴかりと光った。
「ううぬぅ。抜かった。」
「申し訳ございませぬ。」
「あ奴も中々の知恵者らしいの。」
出鼻を挫かれた田村麿は、してやられたと、口惜しがった。

其の歳の正月は久々に、天候に恵まれ、此処陸奥宮城野も静かな日々を迎えられた。
弥生三月の或日、八郎の配下、真っ赤な鼻の権三に慶事があった。
稲生の郷に彼の隠れ家があり、此のお人好しの悪党にも年貢の納め時が来たらしい。
今日は頭目の八郎を始めとして、赤鼻の権三の祝言に集まって来たのである。
花嫁は云わずと知れた“亘理のおやじ”の可愛い娘であった。
面食の権三は朝から、へべれけで有頂天であった。
「お頭、目出たいのは結構じゃが、あ奴の締まりの無さは、一寸尋常じゃありませんね。」
配下には眉を潜める者も居た。
悪党には不似合いであるが、仲間内の祝言があった。
細やかではあるが宴が始まると、噂話しやら、世間並の余興等が始まり、
お決まりの泥酔に八郎が疑念を感じた時は、もう既に遅かった。
「者共かかれっ。」
八郎の配下四十名程が突然騒ぎ出した。実はこの宴席を影で仕切っていたのは、
彼等の知らない田村麿の配下であった。
「しくじった。謀られた。」
権三の甘い面食いに、突け込まれた失策であった。
“蝦夷の八郎”の失敗談である。
田村麿にして見れば“酒での仇は酒で討つ”倍返しをしたのである。
束の間の宴は、混乱の坩堝と化した。
手負いの八郎は、舌打ちしながら、宿敵の強かさを思い知ったのである。
必死で逃げる彼等には、田村麿の豪快な笑いが聞こえたかも知れない。

遅い陸奥の春たけなわ、八郎一派を懲らしめた田村麿は、
生真面目に政務の処理に尽していた。
「お帰りなさいませ。殿。殿は余りに生真面目過ぎまする。
時には早うお帰りなされ。お躯を大事になさりませ。」
「相、判った。」
「ん。客人か。」
「殿さまの想い焦がれる、大切なお人。」
「何。……はっはっは。坊んさんか。」
「お判りでございまするか。」
「そうよのう。確かに善福寺の上人は儂の想われ人かも知れぬ。」
「おお、これはこれは、ようこそお出でなされた。」

「武蔵野より参った。はははっ。」
「何時、ご到来なされた。」
「つい、先程。」「数十年とも、一時とも待つ身の辛さ。ほっはっ。先に頂いて居る。」
「上人との出会いは、父母未生からの深い縁を儂は感ずる。」
「それは一介の坊主として、勿体無いお言葉。」
「昨日初めて会った様な気も致す。不思議じや。」
「人の心情は日々変化するものじや。
昨日の儂は、今の儂とは違う。同じ肉身でのう。」
「ではお聞き申すが、昨日に犯した我が罪業の数々、その問責は如何に。」
「其れは無しじや。」
「ん。」
「無いからこそ。神仏より頂いたこの身、汚す事、まかりならん。
と云う訳じや。お判りか。」
「判りもうした様な気が致す。」
「流石、殿は三國一の武将じや。」
「嬉しいが、その歯の浮く様な誉め言葉は頂けん。」

「そうか。其れは失礼致した。この生臭上人、未だ修行が足りんの。はっはっは。」
「まあ、随分と盛り上がっています事。」
「おお奥方さま、生臭とは云え、坊主は坊主なれば、
私にはまるっきり女子衆の縁は無いようで。
専ら酒と肴に縁が深いようです。はっはっ。」
「まあ、ふふっ。御存分にお楽しみ下さりませ。」
「時に殿、昨今世聞の風評は如何でございます。」
「儂の治世振りか。」
「殿のご活躍は、武蔵野の地まで鳴り響いて居ります。」
「そうか。j
「出る釘は打たれると云うものの、此の寒冷の陸奥に於いて、
仕置きが余りきつ過ぎる事は、又別の災いの種を蒔く事に成りませぬか。」
「儂の仕置きに不満か。」
一旦癇に耐えぬ表情を顔に走らせたが、直ぐに彼は瞑目した。
ややあって
「左様な話は聞きたく無い。」
互いに口を閉じ、あらぬ方に視線を走らせた侭、やがて善福寺は
「今日は般若湯が喉を通らん。」
云う侭、席を発った。気になる田村磨であったが、気不味い侭に独酒を呷った。
善福寺は翌朝、早々に発った。

田村麿の治世へ傾ける情熱は激しかった。善には優しく悪には峻厳を極めた。
そんな初秋の頃。
前谷地方面に、姿を潜めていた蝦夷の八郎率いる傘下の賊共が、
割拠していると云う情報が入った。
相手が相手だけに、迅速に対峙する必要があった。
一手は石巻方面から。
もう一手は裏街道から小勢で撹乱する戦法を執った。
小勢の方は機動性を発揮する為、自ら精鋭を揃て発った。
川に沿った土手道の下を、悟られぬ様に進んだ。
荒野を夢中で二里程進むと、一段と低地で、奥まり、
見通しの利かない湿地に出た。
谷地とは陸奥に多い地名であるが、元々蝦夷の言葉で、
沼地とか湿地の意味らしい。ふと気が付くと、
敵の攻撃に対し最も不利な地勢であった。
田村磨は此処は早々に抜けねばと、
思った矢先に野盗の攻撃を受けた。
「広がれ一っ。」
田村麿の指揮に一斉に陣を組みつつ転戦。皆良く防御に尽した。
こちらは二百名そこそこ、敵は五百名は居るであろうか。
屈強の田村麿の家来達であるが、徐々に賊の術中にはまり、
瞬く内に味方の数は、半減していった。
その時左手から三十、四十本の矢が、俄雨の様にばらばらっと降り注いで来た。
正に天佑とは此の事か、戦局は突然大混乱を見せた。
「何者か。」
「おうっ。坂上殿、大丈夫でござるか。」
「おおっ。そなたは、葛西殿、恭ない。挨拶は後程。」
「おおっ。」
危機を辛うじて脱出し得た田村磨は、援軍の葛西氏と轡を並ぺて、猛反撃に出た。
其れまで持ちこたえていた八郎達であったが、
正規の武術を身に付けた官軍連合には叶わなかった。
やがて蜘蛛の子を散らす様に逃げ去って行った。
「坂上殿らしくもない。八郎ずれに。はっはっ。」
「面目無い。はっはっ、然し、笑い事では無い。」
「然り。」
「端から奴めに、読まれて居った。」
奥歯をぎしぎしさせながら悔しがった。
「坂上殿、お立場は判り申すが、盗賊風情、程程に遊ばせ、
まあ、度が過ぎたら懲らしめる位が、上々と儂は思うが。
なにせ、この所の不作、旱魃で、百姓も疲弊して居る。
皆あ奴らの分け前を、期待して居る有り様じや。
是が善政とは程遠いかも知れんがのう。」
田村麿は其れには応えなかったが、
年長の葛西公の云う事は充分承知している。
「葛西公、この度の事決して忘れませぬ。」
「はて、儂は何を致したか、とんと耄碌いたして忘れ申した。かっはっは。
まあ、こんな事で、犬死にした者共の弔いは、しっかりせんと、不憫でござるの。」
「御意。」
珍しく傷心の田村麿の姿であった。
僅か残った家来を引き連れ、帰途についた。
何時の間にか三日月が昇り、黙々と歩む一同を優しく見下ろしていた。

陸奥の最奥部に風邪が吹いた。
その年三月、奥羽の山中に遅い春の兆しが見えて来た頃、
いつもの様に山家育ちの一族と、蝦夷(と云っても此れは和人の蝦夷とは、
種族が少々異なる事は、彫りの深い面立ちが物語る。)
の一族が、狩猟の縄張りが原因で騒動が起こった。
普段は柔和な蝦夷の若者達と、
山家猟師のマタギの若者同士の軽はずみな争いから、
長年の確執が絡んだ争いへと飛び火した様だ。
更に一月も経つと、消しようの無い大きな物へ拡大して行った。
北上の大地に、大きな果たし合いが始まりつつあった。
「おーい。」
「とまれーっ。」
一関の街道沿い磐井川が北上川に合流する辺りに、二つの種族が向かい合った。
「この辺りの狩り場は、儂達の縄張りじゃ。勝手な振る舞いは許さぬ。」
いつもは小人数で狩りをする彼等であるが、今回の果たし合いは、
一族の命運に関わる故、その、気合いの入れようは違った。
一人の男がくるりと振り替えると可笑しそうに笑った。
「はーはっはっ。可笑しいや、おうっ。皆聞いたかや。
あんな寝言を言っとるぞ。笑ってやれ。」
三百人は集まったであろうか。
蝦夷の男達は一斉に笑った。
流石に女や子供達は、不安気に見回していた。
「うわっはっは。」
辺りの山々には、その笑い声が暫く響渡った。
其れを聞くなり、マタギの猟師共は雪焼けの顔を真っ赤にして怒った。
「なーんと、小癪な。」
「儂達は百年も前から、この土地の神仏に、狩りの恵を頂いて居る。
お前達の様な和人でもない輩に、分ける物は無いのじゃ。」
今度は蝦夷の男達が怒った。
突然和人には解せない言葉で、大声で喚き出した。
「ホォウッ、ホォウッ、ホォウッ。」
不気味なかけ声も響いて来た。
双方普段は弓で狩りをする名手であった。一般に蝦夷の人々の使用する弓は、
狩猟専用で小さく実用本位であり、
時にはトリカブト等の毒矢を使用する事はよく知られている。
和人の弓は武人の戦闘用の弓もあるが、マタギの弓は矢張り狩猟用で小型である。
此処で互いに自慢の弓を弾かせたら、其れは非常に壮絶な場面が展開するであろう。
よって此の果たし合いは、互いに合議の上で、素手で戦う事となった。
「そうれっ。」
「うぉーっ。」
とうとう大変な争いとなった。
半時程肉弾戦は続いた。

「ウォーン」
突然、天地を揺るがす大音響がした。
一時争いは止んで、皆我に返った。
先程の大きな音は、誰かの発した七本の蕪矢であった。
その時、蝦夷、
マタギの一族双方を更に多くの弓矢の軍勢が取り囲んでいたのである。
「鎮まれ。」
「天下の将軍坂上田村麿閣下の御前であるぞ。
この騒動直ぐさま止め、互いに引くべし。」
すると
「申し上げまする。此の争いの元は…。」
「黙れっ。どの様な訳か子細は存ぜぬ。
しかし互いに神仏の恵を狩猟で頂く身。
その恵を争いの種にする等、不届きである。
しかし、まあ各々の事情もあろう。
よって、この果たし合いは、此の儂に任せよ。よいな。」
さすがに蝦夷の長老も、マタギの長老も此処で背く訳にも行かず、
一族を率いて、応じる事と成った。
そして翌々日、田村麿の仕切りに任せ、同じ場所で対決する事になった。
その日は此の広大な大地に対決の場が設けられ、
畏まった両族長を一族郎党が取り囲んだ。
やがて役人が罷り出で声高に宣べた。
「従五位下坂上大宿禰田村麻呂閣下、此処に両一族の果たし合いを許可す。」
方法は何かと皆々考えていたが、何と酒の飲み比べであった。
何とも合点が行かぬが、大樽が五つも会場に運ばれて来ると。
「うぉーっ。」
と歓声が挙がった。
こうなるともう、否が応でも負けられないものであった。
各々十名づつ酒豪を募り、将軍の前で大勝負が始まった。
周りでは、笛や太鼓が興じられ、その唄や踊に合わせて杯は重ねられた。
飲む者は笑いながら、観る者も野次や、歓声をあげて勝負を見守った。
延々と続く果たし合いであったが、
半日もすると大桶に五つの酒も、目に見えて減ってきた。
やがて其処彼処は、風までも酒臭くなり、
下戸や女子供の中には、その匂だけで気分の悪くなる者も出てきた。
夕刻時分に大騒ぎの中、双方泥酔の引き分けとなった。
さすがの酒豪自慢も、仲間に担がれ、散々な姿で住み家へ退散となった。
将軍の裁きの末に双方互いに、猟域を犯さない事で、此の騒動は納まった。
或一族の長老は言ったものである。
「将軍さまとは云え、ふん。ふざけたものよ。
かっかっかっ。誇り高い儂らの果たし合いを、
飲み比べで納めるとは。憎い方じゃ。」
「お陰で命拾いした訳じゃ。」
訳知り顔の三左が云った。
「おうっ。分かっとるよ。三の字。」

陸前の南部丸森に、小高い山があった。
黒松が鬱蒼と生い茂り、地元の者でも余り寄り付かない地域であった。
山の梺には葦原が限り無く続いていた。
この日は夕べからの冷え込みで、葦原も小山も霜が降り、一面に白く煙っていた。
朝日も未だ昇る前なので、寒さも一段と身に染み通る朝であった。
小山まで一本の小道が続いている。
其の時彼方の方から何者かがやって来た。「寒いのう。」
「寒うござる。」
三名の武士が馬を曵いて歩いてくる。
「のう、村井殿。」
「何じゃ。」
「お館様は、一体何を考えてござるのか。」
「はてさて、盗人の頭目を迎え入れるとは、
幾ら天衣無縫のお館様と言えども。なあ、三村氏。」
「其処がお館様の器の大きさじゃ。誰でも出来る芸当ではござらぬ。」
「清濁合わせ呑む。と云う事かのう。」
「敵を捕らえて慣らす。何れ手中の駒じゃ。」
「そう巧く行くものでござろうか。」
「少なくとも、我らには出来ぬ相談じゃ。」
「待たれい。」
村井が叫んだ。
周囲の森影から出し抜けに一隊の人馬が現れた。
「すわっ、抜かるな。」
「正面は儂が。」
村井が制した。
「待て待て。此所で、しくじってはお館様に申し訳が立たぬ。儂に任せろ。」
村井は其の、如何にも神経の図太そうな顔を向けて一歩前に出た。
三名の前には百名程の賊が現れ、ぐるりと取り囲んだ。
一人の頭目と思しき男が、周囲の男共を制した。
「その方、誰の許しを得て、此の地へ踏み込んだ。」
すると村井はニヤリと笑うと、大きな声を放った。
「かけましくも、いと賢き丸森山の明神殿。
親族ご一同うち揃い、我々をお迎えとは忝なく候。」
「…。」
「では、遠慮なく同道致そうか。」
一瞬しらけた雰囲気の中、賊の頭目らしい男は大きな声で笑った。
「うわっはっっは。小憎たらしい男め。
さすが坂上殿が送ってこらした男じゃ。ふはははっ。」
「同道致そう、我らが賎家へ参られよ。ふはははっ。」
一団は何事も無かった様に森の奥へ消えて行った。
黒松の間の狭い道を二十町程入って行くと、
木立の中にぽかりと広い空間が広がり、大きな屋敷が現れた。
樹々の切れ間から、梺の里が良く見えた。
しかし梺の村々から此の山の様子は不思議と見えないので、
自然の要塞となっていた。村井某らが引き連れられた屋敷の中は、
思いの他広く大黒柱を中心に、小部屋が五、六部屋隣会わせていた。
「上がられよ。」
上座には蝦夷の八郎であろう小柄な男が丸い目をぐるりと剥いて、
周囲を睨み据えて居た。
その左右に面構えの良い男共が居並んでいた。
「蝦夷の八郎殿。」
「軽々しく呼ばわるなっ。」
「まあ、待て。話を聞こう。」
「我々は先祖の代から、此の地方を寝ぐらに好き勝手のし放題をして参った。
田畑を耕す馬が居れば、馬は百姓の物かも知れんが、儂らの物でもある。
奴らに預けてある様なものさ。
商人が商売で小金を増やして居れば、儂らの物。
稼がせてやって居ると云う訳じゃ。」
此の身勝手な論法に、さすがの村井某達も、いささか腹の虫に据え兼ねた。
額に青筋で聞いて居った。
「しかしだ。此の幾年か前より上方から、
坂上とか云う男が参ってじゃ、儂らの邪魔をしおる。」
「まあ、待たれよ。蝦夷の八郎殿。八郎殿に聞き申すが、
八郎殿は此の世にお生まれなさる時、母殿の胎内より、
何か土産を持って参られたか。」
「何を、何の話じゃ。」
「どうですかな。」
「そんな物、赤子は皆手ぶらで生まれよるわ。」
「そうでござります。人は皆無一物で、この世に生まれ出で、
無一物であの世とやらへ、引き連れられて行きます。」
「此の世で手にした物は一切、皆預かり物。末期の時までの宿命にござります。」
はっとして暫く床の一点を見つめて居た八郎は、かっと見上げると、
「はっはっは。そうか預かり物か。この様な処で、
こんな有り難い説法を聞くとは思わなんだ。
分かった。で、今日の話は何の用じゃ。」
「はい、此の陸前より、遥か北へ参りますと、陸奥の國が有り申す。
その下北と申す土地を御存じで居られまするか。」
何事かと云う表情で
「そんな事は童でも知っとる。其れがどうした。」
「三、四年以前から下北の地に鬼共、いや遠つ國の者であろう、
賊がやって来て、土地の百姓共に悪さを仕掛けよりまする。」
「其れは我々和人とは違うのか。」
「はい。奥州に住み慣れたエゾとも違います。
可成り悪辣で、女子供にも、容赦致さぬとか。」
「その鬼共と儂ら一族に何の関係が有ろうか。」
「いや、ござらん。」
「む、いやにあっさりと引込め居る。」
「実は我がお館様は八郎殿と、此の数年来凌ぎを削られて居りまする。
中々八郎殿が戦の技量に惚れ込み居りまする。」
「うん、降参するか。」
「御冗談を。」
「かっはっは。そうか。分ったか。」
「その技量を逆に、治世に生かしたいと申して居りまする。」
「ふん、好い気な物よ。」
「いいや、八郎殿。この後も御上と何年争っても、
残る物は不毛の荒地。血と涙だけですぞ。」
「其の辺りを御考えなされ。」
「そんな話に乗る物か。」
「お前は黙っていろ。」
「へいっ。」
「何をしろと云うのじゃ。」
「其れは此所では申せません。」
「なんじゃ。」
「騙されるな。」
「兄貴の恨み、忘れんぞ。」
「罠じゃ。」
周囲は怒号と化した。
「静かにしろ。」
「お館様とお二人のみで。」
「帰るんじゃ。」
村井達、三人は、ともかく殺されずに帰った。

延歴一四年秋半ば多賀城の主は一人執務室にて何かしら想いを巡らして居た。
秋の陽は釣瓶落としとか。
すっかり暗くなるのも気が付かない程であった。
「殿。客でござる。」
いそいそと、灯火の支度をする若者の声に、我に返った田村麿は、
「おおっ。もう、こんな時分か。」
「例の客か。」
「御意に。」
北國の治安を守る将軍の居城は畿内の城より、一層と警備が厳重であった。
その最奥の執務室ともなれば、さぞやと思いきや、
以外にそれは人影も、まばらであった。
「お館殿は居られるか。」
野太い声が出し抜けに響いた。
小柄ではあるが、目付きの鋭い男が、
数人の小者に囲まれつつ、廊下を巡って来た。
「おおっ。こちらでござる。」
夕暮れの残照に怪しく照らされた、二人の男が対峙した。
互いを観察する息苦しい時が暫時続いた。
「こちらへ参られよ。」
珍客は黙して其れに従った。
「陸奥の國、下北の騒ぎを聞いて居ろうが。」
「其れより、儂を見くびらんで欲しい。」
突然の高圧的な申し様に、顔色一つ変えず反撃してくる相手を、
好敵手を迎え撃つ余裕で田村麿は受けた。
「本人同士と云え、単身敵陣奥まで、
のこのこやって来る馬鹿が、何処にござる。」
「いるさ、此処に。」
「くあっはっは。居たか。そうさのう。」
一瞬眼の色が怪しく光った。
多賀城下の要所、すき間無く見張られて居る。
総勢五○○名程か。
「ほほう、良く見抜いて居られる。
将軍対する賊の頭目の腹の探り合いと云っても、
そう簡単に八郎が首は屠られる訳には参らん。
城兵五千と云えど、儂とて戦の要は存じて居る。」
「多賀城近郊に官軍が三万居る。しかし陸前の此の地で、
官軍賊軍がその覇を競っても万民至福の明日は無い。」
「ここらで、陸奥の八郎も朝廷の威に服してはどうか。
今までの愚を改め、天下に共に轡を並べて見てはどうか。
儂も力添えを惜しまぬ。」
「陸奥の八郎が将軍殿の下風に立つと云う事か。」
「む。天下の仕置きは、厳しいぞ。」
田村麿が、にやりと凄味を利かせたが、八郎は澄ました顔で、
「其れを恐れる八郎でも無いが、無闇な争いで、
小者達の命を粗末にしたくは無い。」
八郎は真面目なまなざしで云った。
「小者達を納得させる条件を聞きたい。」
「はっはっはっは。造作の無い事。棲み代えじゃ。勿論色を付ける。」
「色とは。」
「小者達の新しい庭と、下北の鬼退治じゃ。」
何事かと八郎は眼を丸くした。
「くそっ。将軍づれに、謀られた。」
一部土民の支持を受けて居ても、
数有る悪行はそう簡単に免れる訳には行かん。
否よと云えば、どちらにせよ、何れは賊の壊滅が運命であった。
相当八郎としては腹立たしい結論ではあったが、
此の将軍の申出に、窮地の賊を率いる頭目として、
正当な活路が見い出せそうな予感が、嬉しかった。

余り完成度の高くない作品ですがお楽しみ頂ければ、嬉しいです。

この作品は時代背景、実証史からは掛け離れた架空のものです。

「その後の九郎話」

晩秋の陸奥もそろそろ雪の便りを耳にする時節となって来た。
山間から鳶の寂し気な笛の音が聞こえて来る。
「お寂しいですか。」
「何の話かの。」
「京のお山を離れて久しゅうございます。」
「はっはっ。なんの、そなたが居るではないか。」
「嘘おっしゃい。顔に書いてございます。」
「……。」
「申し訳ございませぬ。心無い事を。」
「なんの、そなたのせいではない。世の中、人の世のうつろい、
侘びしいものじゃ。」
「はい。弁慶殿も申して居りました。」
「軍務を離れ、天性の戦上手も
多くの家来共と離れ離れ。…お労しい」
「泣くな。身の不徳故…。」
云うべき言葉を無くす二人であった。
秋の日の肌寒さが、心を重くするのであろうか。

京は華の香に咽ぶ様な霞につつまれていた。
瀟洒な構えの屋敷が立ち並び背後に、やや、うらぶれた家があった。
庭先にさつきが一群れ咲いて居た。
一人の年増が庭先で着物を取り込んでいた。
「かえで殿。」
「あれ、若。…」
思わず周囲を見回し、庭先に佇む若者を奥へ招き寄せた。
「これっ。若殿。来てはならんとお伝えした筈じゃ。」
其処には青白く顔を引き攣らせた女が居た。
「申し訳ござりませぬ。
このかえでの不始末でございます。若には何の…。」
「かえでも、かえでじゃ。」
「母者…。」
「其れを申してはなりませぬ。」
「いいえ、儂もそう分別の無い年頃とお思いか。」
「分かって居る。」
声を潜めて、
「先夜ものう、六波羅の探査であろう。怪し気な男がこちらを伺って居った。」
「儂が今度、成敗を。」
「止して下され。入道殿に知れたら其れはもう、地獄じゃ。」
「…。」
「分かった儂は帰る。」
「一寸お待ち。かえで。」
「はい、ご用で。」
「あれを持たせておいで。」
「餅菓子でございますね。」
母堂と見ゆるが女はこっくりと頷いた。
「儂はそんな物は要らぬ。」
もう、童子では無いとばかりに、首を振った。
その仕種に幼い時の侭の可愛らしさが彷佛したか、
女は思わず若者を二の腕に掻き抱き、
「後生だよ。粗末にしないでおくれ。」
暫く二人は石の様に、身動きも無く抱き合った。
漸く心の空白を埋める事が出来たか、
若者はささやかな女の仮住まいから立ち去った。
その後ろ姿に「五条の橋は悪法師が居って、悪さをするそうな。
避けて行かれ。」
と云った。
青年はその言葉にニコリと、爽やかな笑顔を返した。
「南無…。」小声で誦す声が聞こえた。

奥州の北牡鹿の郷に、網地ヶ島と云う小島が浮かんでいた。島には働き者の漁師が多く、中ノ浦に住む七郎と云う若者が居た。浦島太郎の末裔だそうな。あるひ、釣り竿を抱えて浜伝いに歩いていると、多くの童たちが騒いでおった。なんでも一匹の大亀と童たちが、戯れておった。なんとはなしに、とおりすぎた。暫くするとさっきの亀が、何かを思い出したらしく、七郎を呼び止めた。「もしもし、あなたは浦島太郎さまのご子孫ですか。」七郎はその問いにびくりと動揺した。“その手は喰わない。”と思いながら。ゆっくりと振り向いた。「実は太郎さまは、間違って、竜宮の別の宝をお持ち帰りになりました。」「はて、何を今さら云いなさる。」
「実は竜宮界と人間界の時間の経過は格段の差がございます。太郎さまには申し訳ありませぬが、誤解のありませぬ様に。広義に解すれば時差の様なもの。」「分ったような、判らぬような。」「今更間に合いませぬが、太郎様の代わりに、本当の竜宮界の宝をお届け致します。」「いらぬ事を」余りにも律儀な亀に、七郎はいやいや、宝を受け取った。「これは《ありありの壷と、なしなしの壷》でございます。心に描いた物が、壷の中から現れまする。尚仕様書は必ずお目通し下さい。」しぶしぶ受け取ると、用件が済むとほっとした亀は嬉しそうに海の世界に帰って行った。さて宝を持ち帰った七郎は、空腹にあれこれ、食べ物を思い描いた。すると“ありありの壷”から音を立てて、寿司やら、丼ものやらが、出てきた。「なんだ、思った侭だから、普段の食生活が出ちゃった。」仕方なく食べ始めたが、酒が欲しくなった。するとニ級酒が出てきた。次に嫁が欲しいと思ったら、嫁が一杯出てきた。赤子が欲しいと思ったら、沢山の赤子が音を立てて出てきた。なにやら恐ろしくなった七郎は、思わず“なしなしの壷”は何処へ行ったかと、心に描いたれば、たちまち、“なしなしの壷は”音を立てて消え失せてしまった。


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