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概念集の1項目から

 

極東軍事裁判の現情況的意味


  「東京裁判史観」という概念がある。それは、第二次世界戦争に関して日本がおこなった行為に対する戦勝国家による裁判の権威と判決の正当性を認め、それによって戦争だけでなく戦後の全ての問題の評価軸とする歴史観である、とひとまず規定しておく。
  東京裁判(正式の名称は、極東国際軍事裁判)公判記録資料の序文と写真をこのぺージ右と次のぺージ右に転載するが、この序文にみられる雰囲気が敗戦後の日本人のかなりの部分を支配していたことが想像できる。勿論、これに対する異議の感覚は戦争に心から参加した多くの国民の中にも根深く潜在していたとはいえ、占領軍への恐怖感から表立って表明することは困難であり、また、日本の進歩的な勢力は東京裁判史観に立って活動したために異議感覚の主体は保守的な政治勢力に暗黙の中に吸収される他なかった。
  しかし、既成の保守的ないし進歩的な勢力の破産を踏まえて敗戦後の50年を把握し直す場合、第二次世界戦争に関して日本がおこなった行為に対する戦勝国家による裁判に対する評価をやり直す必要があるのはいうまでもない。ただ、それだけでは少なくとも私にとっては本格的に対象とするための何かが欠如していた。この欠如を満たすというよりは、それを超えるような必然としてオウム裁判が出現してきたのである。95年10月刊行の概念集・別冊〈オウム情況論〉でも指摘したように、オウムを審理しうるのは日本国家ではなく、未出現の〈法廷〉であり、そのヴィジョンの具体化のためのいくつかの条件の中に東
京裁判(およびドイツに対するニュルンベルク裁判)の経過と限界の把握が不可欠であることに気付いた。
  量的な条件から詳細な展開はできないが、東京裁判の最低限の経過を項目として記すと
1ー占領軍最高司令官マッカーサー元帥がポツタム宣言第7条に基づいて46年1月に発布した極東国際軍事裁判所条例により裁判所が設置された。
2ー裁判官はアメリカ、イギリス、中華民国、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランドから一名ずつとされたが、後にインド、フィリピンからも一名ずつ補充した。裁判長はオーストラリアのウェッブ判事。
3ー検察官は前記の十一ヵ国から一名ずつ。首席はアメリカのキーナン検事。
4ー被告人は敗戦段階の日本の首相・東条英機を含む28名が46年4月に起訴された。罪名は「平和に対する罪」、「殺人」、「人道に対する罪」に大別される。
5ー弁護人は各被告人について日本人1名とアメリカ人1名。後に各被告人について補佐弁護人も認められた。弁護団長は鵜沢弁護人。
6ー審理期間は、46年5月3日から48年4月16日まで。
7ー判決(48年11月4〜12日)は、病死者2名、精神病と認定された1名を除く25名についていい渡され、全員を有罪とした。死刊は東条ら7名、終身刑16名、有期刑2名。
8ー死刑執行は、48年12月23日(絞首刑)。
 

 ニュルンベルク裁判(正式には、国際軍事裁判)の経過を東京裁判と対比して示すと
1ー45年8月に戦勝国がポツタム宣言に基づいて作成した戦争犯罪人の訴追と処罰に関する協定(極東国際軍事裁判所条例は、これを援用)によって裁判所が設置された。
2ー裁判官は、極東国際軍事裁判における11ヵ国に比べると、アメリカ、イギリス、中華民国、ソ連の4ヵ国からの各1名のみで、報復の意図と切迫感を示している。
3ー検察官も前記の四カ国から一名ずつ。首席はアメリカのジャクソン検事。
4ー被告人は日本の場合の28名より少ない24名であること、敗戦直前に自殺したヒットラーが(対ソ連のアメリカの戦略的意図から日本の天皇と共に)除外されていること、政治家でも軍人でもない哲学者のローゼンベルクが含まれていることが印象的である。罪名は極東国際軍事致判と同じ「平和に対する罪」、「殺人」、「人道に対する罪」。
5ー弁護人については、おそらく極東国際軍事裁判と同様に各被告人についてドイツ人1名と補充の弁護人が認められたのであろうが、詳細は未調査。
6ー審理期間は、45年11月20日から46年10月1日の判決まで1年以内で、極東軍事裁判の約2年半に比べて短い。これも報復の意図と切迫感を示している。
7ー判決は、病死者1名、自殺者1名を除く22名についていい渡され、死刑はリッペントロップ外相、ローゼンベルクら12名、終身刑は副総統へスら3名、有期刑4名。東京裁判の全員有罪に対して無罪が3名あるが、死刑の比率が大きい。
8ー処刑の日付は未調査であるが、日本におけるのと同様に判決直後の絞首刑であろう。

 二つの裁判に共通する問題点として最低限のべておきたいのは、
@第二次世界戦争の末期までは規定されていなかった「平和に対する罪」で裁かれた。二つの裁判のそれぞれの首席検察官が、これを「文明の名において」最も激しく糾弾していることは注目に値いする。この「文明」なるものの実態が欺瞞であることはいうまでもないが、これを指摘した裁判の当事者は、私の知るかぎり、インド代表の裁判官として判決に少数意見(全員無罪)を提出したパル判事だけである。法的には、行為の過程では存在しなかった「平和に対する罪」で裁かれることに問題があり、東京裁判では裁判官に対する忌避(これ自体は必要な提起であり、オウム裁判にも応用してほしい。)もなされたが、戦争自体の審理原則にまで提起が及んでいない。
A対応して共通する問題点は、敗戦国家の指導者だけでなく、勝敗を問わず戦争に参加した全員の罪の審理原則については、意識さえなされていないことである。ドイツでの反応は未調査であるが、少なくとも日本人の多くは、(被告人の関係者や、国外で抑留されていた兵士たちをひとまず除くとしても)戦争責任をめぐる裁判の被告人にならなかったのにホッとし、むしろ指導者の犠牲者であったと居直り、侵略した諸国の民衆への責任を忘却する傾向が一般化した。これは戦勝国側の裁判原則の決定的な限界のためでもあるが、それ以前に戦争参加者総体の限界として把握すべきであろう。
 

B二つの裁判に共通する問題点は、その他にいくつも指摘できるが、一審判決直後に処刑したことは、裁判の報復的な性格をあまりにも明確に示している。もちろん、戦場や個々の具体的に切迫した現場では、裁判なしの処刑は無数にあり、戦争行為自体が裁判なしの処刑行為であるが、その誤りや問題点を提起していくためにも軍事裁判の限界の指摘を媒介していく必要がある。

 前記の問題を現在の問題として考えてみると、
・ 旧ユーゴの内戦における戦争犯罪を裁く国際法廷が活動しており、その裁判官は非当事者国から国際司法裁判所を通じて選出され、一審でなく二審制度を採用し、判決から死刑を除外している。戦後50年を経て、やっとこれだけの進歩があったともいえるのであるが、これさえも無数の内戦の一部についてのみ、有効な介入力なしにおこなわれているのが現状であり、戦争の総体を阻止したり審理したりするにはほど遠い。
・ しかし、この国際法廷のささやかな進歩を突破口として、かつての国際軍事裁判が審理し得なかった問題(特に、戦勝国家や国民自身の戦争責任、性的加害についての女性の視点からの追求)や世界的問題(特に、核兵器製造と実験、科学技術の環境破壌など)を審理せよと要求していくことは可能であり、それを止揚していく真の審理の場を構想していくためにも必要である。
・ 現在のオウム裁判に交差させていうと、「かつてなかった、社会への挑戦と無事の人々の殺害」という、国家権力や大多数の人々のオウムへの非難は、50年前の二つの国際軍事裁判における検察官の「かつてなかった、文明への破壊と平和に暮らしていた人々の殺害」という糾弾を連想させる。かつての検察官の論理や裁判のあり方に根底的な限界と欺瞞があったように、現在のオウムへの非難や裁判のあり方に根底的な限界と欺瞞がありうる、といったんは想定すべきではないか。
・ 中流化したという大多数の日本人が、50年前の戦争責任を引き受ける裁判を自ら提起することなしにおこなっているオウム非難(や全ての「犯罪者」非難)は全く信じるに値いしない。50年前には生まれていなかったから責任がないという人は、そのような発想をすること自体が戦争責任に匹敵する〈罪〉である。
・ 戦争についての審理という規模とは関係ないように見える、私たちのまわりの至る所にある矛盾や苦痛は、勿論その場、その条件に応じて直ちに解決していかねばならないとして、至る所にある矛盾や苦痛の根源は世界規模の共通性を帯びており、従って世界規模の人々の対等な審理によって解決へ接近しうることはいうまでもない。そのような回路の設定はインターネットの転倒的応用によって既に技術的には可能なはずである。その設定を現在の技術パターンと国家群が阻止しているだけであり、そのような文明や国家社会はオウムの出現の有無に関わらず解体〜打倒されて当然である。かつて日本の敗北と解体が特にアジアの人々から歓呼された以上に、人類史的な歓呼と共に!

『概念集・別冊2 〜ラセン情況論〜』(〜1996・5〜)p13〜15

(野原による感想)




 
 

ナターシャさん母子の行方


 東南アジア、特にタイの女性が、仕事を求めて日本へ多数きているが、かなりの部分が
パスポートを奪われたまま売春機構に拘束され、抵抗すると身体的な暴行を受け、売春を
強要されている。日本社会はこの現実を構造的に作り出しているにもかかわらず放置して
いる。しかし、無数の虐待の過程からタイの女性による反撃の行動が生起しつつある。
のページ右に転載した記事は一例に過ぎないけれども、刑事事件になることを怖れない、
というよりも、そのような配慮を超える切迫した行動によって、はじめて問題の重要性を
私たちに広く認識させていくことになっている点を含めて、かの女らは意識している、い
ないにかかわらず、名づけがたい不可避の闘争の最前線の戦士たちであり、私たちは何ら
かの方法で支援〜共闘していく責任があるだろう。

 大阪地裁においても、ナターシャさんが同僚のホステスを刺し殺したとして審理がおこ
なわれており、私も94年2月4日の公判で検察官・裁判官の質問と被告人の応答を傍聴し
た。いま私が痛感している問題点を列記してみると、
@多くの他の例と同様に、この事件も、加害者・被害者の双方がタイの女性である。いわ
ば抑圧された女性同士の内ゲバであり、かの女らの怒りが真の敵に届かないままに味方
を死なせていることが残念である。かの女らの情況は、経済的な侵略戦争における従軍
慰安婦の位置である。本来ならば、かの女らにとってこそ反日闘争や(タイを含む)男
性主導社会への闘争が必然であるにもかかわらず、少なくとも事件までは意識されてき
ていない経過の中に、この問題の真の悲劇がある。それは同時に、東アジア反日武装戦
線の爆弾闘争の意味に共感しつつも、より存在的に複雑なこの問題へ引継ぎ応用してい
くことを直ちにはなしえていない私たちの悲劇でもある。
A言語の壁−ナターシャさんは、後半の一部の発言を日本語でおこない、次のぺージ右に
転載したような日本語の文章を書くことができるようになってはいるが、これは2年近
い獄中での学習の結果であり、取り調べや裁判や面会は日本語を強制されてきた。勿論
通訳はいるのだが、それぞれの機関に属するか嘱託されている人であり、被告人の立場
をくみとりつつ言語交通の媒介になるというわけにいかない。通訳の人員も研修も、法
廷での休憩時間も不充分であり、公判を傍聴していたタイ語の判る人は、閉廷後に、通
訳は要約・省略が多く、検察官の長すぎる文体の質問が、それを加重していた、と指摘
していた。この状態に対する批判の声を裁判官は強権的に無視している。
Bナターシャさんは日本人男性との間に二人の娘(現在4才と2才)が生まれたが、父親
に相当する男性の認知がないため無国籍のまま幼児院と養護施設で(年令区分により分
離されて)過ごしてきた。弁護人の努力でタイ国籍がとれるようになったものの今度は
不法滞在で強制送還されそうである。母親が(実質的にはせいぜい傷害致死、本質的に
は正当防衛であるが)殺人罪で裁かれ、長期の服役が予測されるので、今後ずっと出会
うこと、まして一緒に暮らすことは不可能である。日本人の場合よりも何重にも困難な
運命をしいられているにもかかわらず、これまでの東南アジアの人々への判決の先例は
日本人に対するよりも重く、これは日本の支配層の差別政策を象徴している。

 私は、この問題を機関誌(例えば前ぺージに記事を転載した「救援」)によって知るこ
とはできたが、実際に法廷まで出かける気にはなっていなかった。法廷まで出かけたのは
93年末に〈ふしぎな機縁で出会った人〉の中にナターシャさん母子を支援する女性がいた
からである。まことに、ふしぎな機縁であると思うが、そのようにして微かに関わり始め
ているに過ぎないことの自己批判をこめて、そう思うのである。私には私なりの関わり方
しか今はできないとしても、その偏差自体にこめられている意味を正確に把握し、深めつ
つ応用していくつもりである。
 私なりの関わり方という場合、必ずしも前記の三点に示されているようなテーマとの格
闘だけではない。より自由な視点、いや聴点を媒介していきたい。なぜ視点というよりも
〈聴点〉がふさわしいか…。今年2月4日の法廷で初めて出会ったナターシャさんの発語
の意味を私は全く理解できなかったが、発語や姿勢の総体からあふれてくる繊細な音楽性
が印象的であった。これは勿論かの女の資質や、獄中での内省による成長にも関連してい
るであろうが、言語としての特性によることも、閉廷後に読んだタイ語の本から判った。
私は語学のセンスは乏しいし、ましてタイ語に関しては幼児以下であるが、それを前提と
して、あえてタイ語の特性を記すと、
a−タイ語は韻および声調を基本としている。声域には(音楽の5線譜のように!)5段
階あり、同じ表記でも高低の変化によって全く異なる意味をもつ。例えば maaは、
高低なしに発音すれば「来る」、高い声域で発音すれば「馬」、低部から高部に移行す
る声域で発音すれば「犬」である。(日本語にも「ハシ」のように発音によって「橋・
箸・端」などに意味を分岐させる例はあり、関東と関西でアクセントが逆になるのも面
白いが、タイ語の場合は、より総体的な特性といえる。)
b−タイ語は西欧の文法体系から判断すると語形の変化がなく、性・数・格・人称・時制
を示す標識もなく、さらには品詞という概念さえない。(へブライ語の助詞には時制が
なく、完了形と未完了形しかないことを預言の実現度との関連で印象的に聞いたことが
あるが、タイ語はより徹底している。)aの韻および声調との関連における語順だけが
判断の手掛りになると聞いて驚くが、タイ語を話す人々が、こういう文法体系の判断を
越えて自由に意思を交通し合えていることに、もっと驚く。これは文法だけでなく文明
の突破方向にも示唆を与えてくれる。
C−タイは〈微笑みの国〉といわれているが、言葉より(存在的な声を聴きとりうる他者
への)微笑みの方が重視され、日本人のように無表情で形式的な美辞麗句をひけらかす
ことは失礼であるという。背筋が寒くなるような指摘である。
 これらのa〜b〜cを基軸とする特性から受ける衝撃を、ナターシャさん母子のテーマ
についてだけではなく、さまざまのテーマの追求に生かしたい。
 
 

註−ナターシャさん母子のテーマを普遍的に論じるとすれば、以上の提起で、とりあえず
はよいといえるかもしれないが、この提起によってナターシャさん母子が具体的に力づけ
られることは殆どないであろう。むしろ、支援グループの人々とスケジュールを組んで、
養護施設から子どもを連れていって面会したり、差し入れたり、タイの父親と連絡をと
ったり、判決が少しでも軽くなるように弁論を構想したりする方が、ずっとナターシャさ
ん母子にとって具体的なプラスになるであろうことや、その作業に関わる人々こそが重要
であり、不可欠であることは判っている。私も必要ならぱ、いつでもピンチヒッターにな
る用意はある。しかし、あくまで自分の不可避の闘いを展開する過程での空想上のピンチ
ヒッターでしかないことを自覚しつつ以上を記してきた。その上で次のことを記しておき
たい。
@〈タイ女性〉を媒介する刑事事件を把握する基本軸は多くの例について共通であるとし
て、個々の例は、より複雑な陰影をともなっているはずであり、とりわけナターシャさ
ん母子の場合にはそういえるという気がする。あえていえば、この事件に関心をもつ全
ての男性が自分をかの女と関係のある位置に置き、全ての女性がかの女の位置を生きて
いると仮定し、かの女らが日本で暮らした数年間に潜った条件や感覚の中で、どのよう
に振る舞うかを考え、事件と対置してみる作業が必要であると考える。それによって事
件を法的レベルで裁こうとする枠や、これまでの事件把握の傍観者性を突破しつつ、か
の女らへの本質的な提起をなしうるのではないか。
A前項は、本文でのべた反日武装戦線レベルの方法だけでは真の反撃は不可能ではないか
という内省にも関わる。東南アジアへの侵略企業は爆破される理由がある。しかし、買
売春に関わる男(女)をどのように〈爆破〉するか。このいい方がいくらか短絡してい
ると感じられるならば、原子力発電や家畜制度の粉砕の質の差を媒介させてみるのがよ
い。(*)これらは具体的な粉砕の現実的困難さだけでなく、自分の生活や存在が粉砕
すべき対象に依拠し、同質の構造に組み込まれているという、より深い困難さを開示し
ている。ナターシャさんたちの問題に限らず、各人が位相差はあるとしても日々無縁で
はありえない内在性の問題との対決の方法が、今後ますます問われていくであろう。
Bナターシャさんの娘の他に、事件で死亡した女性にも娘がある。今は幼いこれらの娘た
ちが次第に成長していく段階で、自分の母と自分を軸とする世界把握をしていく場合の
不安定さ〜絶望をいかに支えうるか、という視点を今から準備しておく必要があるだろ
う。かの女らこそが、今回の事件の最大の犠牲者であり、それ故に最も審判者の位置に
ふさわしい。かの女らの行方を見守り、共闘する人々がたくさん現われること、それら
の人々が、今回の事件を引き起こした全ての要因の爆破〜解体へ突き進んでいくことを
心から願う。

(*)武器〜弾薬の製造・使用への反対、自衛隊・機動隊粉砕と、
原発用燃料の輸送・使用への反対、授業・入試粉砕を比較してもよい。

参考:ナターシャさん自筆手紙(上)(下)
  「ナターシャさん母子を見守る会」通信第3号(93年4月)より

『概念集 10』(〜1994.3〜) p16〜18 より
(野原による感想)
 
 


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