
パーティに出てこそ・・・
パーティの様子
「パーティ」とは「フォークダンスパーティ」のこと。あるいは大学の民舞サークルの場合「創立記念パーティ」というのもあり、「パーティシーズン」などというのはこの「創パ」のシーズンの事を指す。そのサークルの創立記念のパーティらしいが、何故どこも同じ時期にするのかはわからない。(T女・K大は創パはなく、代わりになるものとして浅草フォークダンスフェスティバルを開催している。)
パーティは大体7,8部(パートという)プラスオープニング、エンディングに分かれており、1パートで約5〜8曲踊る。その間に主催校によるデモがある。大まかには以下のようなプログラムが組まれる。
服装について。各大学で製作した民族衣装、あるいはフォークダンス用コスチューム(機能的且つヨーロッパ風コス)を着るのが普通である。うちの大学のようにTシャツに練習用スカートや練習用黒ズボンでパーティに来てはいけない。
パーティの楽しみ方は人それぞれだが、私の場合、様々な大学の、様々な民族衣装を着た人々が、様々な国の踊りを踊るという光景、初めて会う人と手を取り合い、カップルを組んで踊る光景、それが時々眩しく感じられるほど好きだ。
内容は、要するにフォークダンスの舞踏会である。私が知っているのは学生サークルだけなので、以下これを中心に話を進める。
Opening 簡単なシングル曲(カップル曲ではないもの。オープニングではベルトを使わず、
手をつないで踊るものが多い。足慣らし)。全員参加。
Part1 簡単なシングル曲
Part2 簡単なカップル曲
Part3 シングル曲
Part4 カップル曲
リクエストタイム
Part5 男性曲、女性曲特集
デモンストレーション
Part6
リクエストタイム
Part7 チェーン人気大曲
Part8 カップル人気大曲・・・締めは"ラストワルツ"
Ending 簡単なシングル曲。整理体操。"ハーモニカ""アリパシャ"など。全員参加。
OpeningとEnding以外は自由に踊りたい曲を踊る。
これが基本的な形だが、もちろん大学や場合によって様々である。ロシア特集やハンガリー特集など、1パート全部が同じ国の曲であることもある。
もちろん来たい時来て、帰りたい時帰ってよい。大学の体育館で行うので、場所代は無料。学生のパーティでは普通参加費は取らない。主催校が準備にかかる費用は、パーティ終了後の「飲み会」で取り戻せる。(値切った事がある・・・。申し訳有りませんでした。)この飲み会がメインだと思っている民舞人も大勢いる。(大多数ともいう。)禁止のところ以外は飲食しながら踊り、昼休みなどはない事が多い。
プログラムは「大プロ」と「ミニプロ」とあり、大プロは模造紙に大きく書き、壁に貼る。ミニプロは5×5cm大の小冊子に、リボンをつけ、安全ピンで衣服に付けておけるようになっている。(写真)
踊りの合間に次の曲を確認できる。もちろんただで全員もらえるので、パーティに参加する毎に溜まっていく。思い出になると思って私も全部とって置いているが、未だに見返して偲んだりしたことはない。厚紙に可愛い布を貼ったりして表紙を作り、実は作るのに手間がかかっている。冊子の下部にリボンでループを作ってぶら下げるので、逆さに下がる事になるのだが、付けている本人からは見やすいようにしてある。
そもそもうちのように、普段練習着としてフォークダンスコスチュームを着ないのは珍しいのではないだろうか。うちの大学は衣装の種類が豊富と言われるが、それはステージ用の衣装であって、作ったものは全て部の物として接収されるので、個人の持ち物にはならない。衣装を借りる手続きも面倒である。また練習用コスを製作したりもしないので、結局パーティではTシャツ以外着るものが無かったりする。とはいえできるだけパーティでは衣装を着るように推奨されてきてはいるのだが。
要するに、以上のようなものを「パーティ」・・・と言う。
パーティのよいところは、とにかく色々な所から色々な民舞人が来るということだ。同じ曲でもサークルによって多少違う風に踊っているものだ。おそらく原形が同じだったものが、違う団体内で代々伝わっていく内に変化してしまったのだと思う。こういう場合どれが正しいとは言えない。普段狭い世界で活動している分、他の解釈も有るということを知るのは意義の有ることだし、いい影響を与え合うことも出来る。他の大学と交流を深めることも出来る。
他の大学の人やそのOB、OGの踊りを見るとまた勉強になる。知らない曲を仕入れることも出来る。
ただ、新入生や民舞人以外の人には踊れる曲が少なすぎる為、退屈してしまうかもしれないのが問題である。それはどのようなサークルの集まりでも同じとも言えるが、ある程度閉鎖的であることも、その中で団結心を持つことのできる要素なのかもしれない。民舞人というアイデンティティによって。しかし、民舞人になろうとする人に対しては、どこかしら門が開かれている。