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 第136号 2003年9月16日 発行

 
全国夏合宿 in 蒲郡 (2003年8月23・24日) の感想集 
 
「浜松からも大勢参加!」   Tさん ( 浜松市 ) 

                                     幕開けの子ども・若者シンポジウムでは、奥地圭子さんがおっしゃったことば通り、「子ども(当事者)のことは子ども(当事者)に聞くのが一番」と実感。受けとめられることで前に進める・・・近藤さん。学校へ行っているとそれだけで忙しく、エネルギーがなくなっていた。ひきこもっていた時、人間って何だろうと考えていたが、アルバイトを始めたらそんなことを考える時間がない・・・松島さん。こもることで、子ども時代の自分に出会えた。したくない事は止めようーそうしたらしたい事がわかるだろう・・・横澤さん。それぞれその人らしい発言が続き、とつとつと語られた彼らのことばはスーッと私の心に届いた。

 カウンセラーが流行している昨今の状況を、小沢牧子さんは、冷静に見つめておられる。競争、能率がはびこる社会、個人を競わせる社会が、心の専門家を作っていると指摘。個人主義あるいは自己ということばが氾濫している現状は、人と人とのつながりを大切にする社会がなくなっていく状況にほかならないと警告された。個人が自分を励ますのはきつい。一人ひとりに「がんばれ」という代わりに「人はそんなに違わないよ」と支え合う社会を。( うーん、納得。) ・・・中略 
 
 同日午後の高岡健さんのお話は、大変わかりやすく、もやもやしていた頭の中がすっきりしたような、あるいは、消化不良が解消したような爽快感を覚えた。当日買った著書「ひきこもりを恐れず」は、話とほぼ同じ内容になっている。透徹した人間観に基づき、論旨の展開が明瞭で共感を新たにした。学校自体が社会の変容に沿っていないのだから、変わるべきは子どもではなく学校であると、私たちが漠然と感じていたことを、精神医学の立場から提言してくださっている。社会の価値観との隔絶感にさらされている私たちにとって、この提言は、今後、大きな力になるにちがいない。 
        
 夏合宿参加は、連続3回目。今回も、開催地のスタッフのご尽力に対し、感謝の気持ちでいっぱいです。私たちを乗せて浜松―蒲郡間を自家用車で往復してくださったSさん、本当にありがとうございました。夜遅くまでおしゃべりした皆さん、帰ってからお疲れがでませんでしたか?私は、翌日、ぐったりでした。でも、私にとって「親の会」は大きな支え。これからも、よろしくお願いいたします。  



「夏合宿に参加して」     S さん (浜松市)

 夏の全国合宿、お疲れ様でした。毎年行われている夏の全国合宿に初めて参加しました。「夏合宿は楽しいよ」と聞いていましたが、自分が思っていた以上の楽しさと有意義な二日間でした。また想像以上の大規模な合宿でした。

 今回、合宿に参加した理由の一つに「たとえ一人でもいいから交流を始めれたらいいな」というのがありました。わずかな人数ですが顔と名前を覚え、交流のきっかけを作る事が出来て、参加して良かったなと自己満足をしています。早くも来年の合宿で再会出来たらいいなと思っています。(来年まで相手の方が覚えていてくれればの話しですが・・・)

 また親の会の例会等で顔を合わせている人達との距離も一歩近づいたかなと感じています。それだけでも参加した価値があったのでは・・・。それから、居場所・フリースクール等の運営をして行くのは大変だなぁ、簡単に作れるものでもないなぁと思いました。スタッフ・財政・責任など色々の問題があるんだと感じました。(代表の方、スタッフの方に頭がさがります) 講演会で名前の知られた方の話しを聞くのもいいですが、親の会や夏合宿で隣の人が一番の講師なのでは・・・とも思いました。話しがまとまってなくてすみません。

 簡単に一言で言えば 「参加して良かった。来年も参加するぞ〜!」です。最後に、実行委員及び手伝いをされた方ありがとうございました。



「夏合宿に初めて参加して」   K さん (浜松市)

 浜松の会に入って、9年になりますが、初めて合宿に参加しました。受付のお手伝いをし、続々と全国から集まる人たちに驚き、会場の熱気・子どもたちのパワーとエネルギーのすごさに圧倒されました。

 「この人と語ろう」では、鳥取の森さんと、浜松にも以前お呼びした加藤美紀さんとの、テンポの良いトークショーのようなお話、その後の懇親会では青木さんが司会で、仮装した子どもたちも加わり、会場は笑いの渦でした。次の日は朝から分科会と、高岡健さんのお話、親のシンポと忙しく、分科会で福井の中嶋さんのお話は、笑いを交えながらも真剣に息子さんと向き合う姿が印象的でした。

 もっと話を聞きたかった、もっと話したかった・・・貴重な体験でした。青木さんの「夏合宿に行って、元気をもらってくるのよ!」の言葉どうり、私元気になっちゃった。ストレスどこかにいっちゃった。登校拒否、バンザイ! ひきこもり バンザイ!



「チャンスがきたら学べばいい!
夏合宿分科会(〜小学生の部)に参加して・・・  N さん (引佐郡)

 夏合宿二日目、私は日帰りでの参加でした。二ヶ月前、8才と6才の息子たちを夏合宿に誘ってみましたが、返事は「NO!お母さんのお泊りもダメ!」ということで、やむなく日帰り参加となりました。

 少し緊張気味の空気の中、(初めての例会ほどではありませんが!)、とりあえず自己紹介。過去にご自分のお子さんの不登校を経験された小学校の先生、スクールカウンセラー、補助教員、絵画教室の先生と・・・当事者の親だけでなく様々な立場の方々が、現場での理不尽な思いを抱え、子どもたちのことを真剣に考えようとしている様子が窺えました。小学校の先生は「教師同士の横のつながりが薄く、勇気もないため、他の教師にも教え子にも“休んでいいのよ”という言葉がなかなか言えない」とおっしゃっていました。スクールカウンセラーの方は「学校側からの要求と自分自身の考えが噛み合わず、理不尽な思いでこの仕事をしている。やはりスクールカウンセラーは、最終的に学校復帰をさせることで評価される。しかしそれはおかしいと思う」と。

 また、小4のお子さんと奥様と3人で参加された父親からは、「子どもが不登校になるまでは、自分と考えの違う人や子どもには、とにかく自分の考えに従わせる、従わないと怒るという方法しか知らなかったが、子どもが学校に行かないことに関しては、まったくこの方法が通用しなかった。今は子どものおかげで自分が変わることができた」と穏やかに話されました。
 そして、やはり気になるのは学力の問題。ある母親から「まったく勉強をしていないので、一度学校に戻った時、授業についていけなくてまた行かなくなってしまった」という話が出た。
 それに対して、小2から小6まで不登校したが、中学からは自分の意思で行ってるという子どもの母親が、「子どもが本当に勉強したいと思った時からやればいい。うちは勉強面ではあまり困らなかった。ただ対人面では確かに困ったようだけど。子どもが動き出して何か問題が出てきたら、今それを習得するチャンスが来たと思えばいい。親は見守るだけで、子ども自身が何とかしていくことだろう」と話されました。学力のことにしろ、対人関係にしろ、親があまり心配の先取りをしすぎないで、チャンスが来た時、子ども自身が学べば良いということでしょうか。このお話はとても私の心に残りました。

 分科会中、何人かの小学生年令の子どもたちが、目をキラキラさせて、母親のもとへ報告に来たり、次の行動を知らせに来たり。隣に座った方に聞くと「ここに来たらもう楽しくて、昨日からこの調子。普段と違うんです。一緒に来てよかった」とおっしゃっていました。

 一日、心の通じ合える方々と過ごし、安堵の思いで家に帰ると、なんだか子どもたちの顔が、いっそういとおしく見えたりして。一緒に入るお風呂の中で、“子ども合宿”の様子を話してみると「え〜!どうして連れてってくれなかったの〜?」・・・まったく子どもとは???です。

 来年の夏、子どもの行動はまた子どもに任せるとして、私はきっとまた夏合宿に出かけていくことでしょう。たぶん・・



「夏合宿の感想」      S さん (浜松市)

 子どもたちと3人で、夏合宿に初めて参加しました。とはいっても、初日だけの日帰り参加です。「いろいろな方と知り合いになれるわよ」と聞いてきたので、ドキドキ・ワクワクしながら、早めの到着。勢いをつけていったのですが、コンビニでお弁当を買って、人気のない近くの神社で時間を過ごして、ホテル入り。どうやら、出鼻をくじいて(?)しまった感がありました。

 「結局、まる一日、密やかに終わってしまうのかなぁ」なんて思っていたら、最後の最後で、一人でいらしていた女性と住所交換をする事ができました。一方、「絶対に誰かと友達になるぞ!」と張り切っていた子どもたちは、アドレス交換ができずに撃沈でした。「初めての参加」というのはこんなもので、この次には、もっと積極的になれると思います。

 小沢先生の講演会の内容では、静かな語りとゆっくりとした話の進展に、ウトウトしてしまった瞬間もありました。また「それは、どうなんだろうなぁ?」と首をかしげた部分もありました。しかし、“この人と語ろう”で、さらに小沢さんのお話を伺い「もっと知りたい!」という思いがつのりました。これまで講演会などで、それ以上の興味を持つことはありませんでしたので、「おおきなめっけもの」をした気分です。お手紙を書きたいとも思いました。

 会場の雰囲気は、皆さん一様に期待感あふれ、熱気に満ちていました。なんだか不況の世の中から離脱したような一日でした。
 夏合宿に誘って下さってありがとうございました。これで初心者ではなくなりました。
 
 

『引きこもりを恐れず』・・・私の宝物になりそうな本です  M さん (袋井市)

 今年、私は初めて夏合宿に参加しました。小3だった長男が、今春中学校を卒業し、私が外泊可能になった事と、親の会の通信の発送でお知り合いができた事や、近場であるという事で参加しました。                                             
 現在、次男が中学3年に籍があるので、不登校(中学生)の分科会を選びました。司会者は山口由美子さんでした。彼女が自己紹介をされた時、思わずハッとしてしまいました。「この人が語る不登校」の本に書かれた中のお一人で、西鉄バスジャック事件に巻き込まれた経験をされた方だ・・・。

 そして、お顔の傷に気づいた時、切ない気持ちになりました。 何故なら、本の中で彼女は、「斬りつけられた痛みは、少年の痛みだと思った」と書いていますが、私も最初不登校を否定し、子どもを追い詰めてしまったからだと思います。 この分科会には、当事者以外の参加者で、「適応指導教室、青少年健全育成、PTA役員の方」がおられた。「当事者ではない負い目を感じるが、話をしたくて参加した」という発言に、理解しようとして悩んでいる方たちも居るのだと思いました。                          
  最後のプログラムであった、高岡健さんのお話は、聞き終えた時に、頭の中のもやもやが消え去り、不安に思っていた事などから開放されるような、暖かくて有り難い内容でした。会場で購入した、高岡健さんの著書、「引きこもりを恐れず」は、私の宝物になりそうです。

 彼の印象深い言葉として「引きこもりというのは、人間の生活や人生にとって必要な事だ」「不登校は小さな引きこもりの一種として肯定的にとらえればいい」「不登校が引きこもりやいじめ、そして殺人事件を生み出すのではない。反対に、不登校を社会なり親が保証できれば、引きこもり、特に大きな引きこもりはなくなっていくし、いじめや殺人の成立基盤も失われる」など。 

 最後のエンディングの時、北海道から参加された方が、「近くに親の会もなく、遠方から一人で参加したけれど、本当に来て良かったです!」という感想を聞いた時は、胸がいっぱいになりました。そして、この夏合宿を企画、準備、運営してくださった方々に感謝したいと思います。ありがとうございました。



「子ども若者シンポジウム」の言葉から・・・

『お母さん、不登校させてくれてありがとう』
『目の前の私だけを見ないでほしい。受け止めて。受け止められることで前に進める』
『心も命もそまつにしないで生きていきたい』
『つらい子ども時代だったけど、ひきこもることがあってよかった。生きる根っこがそこにあった。今生きていてよかったと思う』
『親が幸せで満足していることが子どもにとっても大事。親自身が幸せなのかどうか考えてほしい』

教育委員会との話し合いの報告 (9月2日、教育委員会6階の部屋にて)

 急のことで口コミで呼びかけたのに、8名の方が暑い日差しの中、集まってくださいました。直前の打ち合わせには、大山さん(来春フリースクール立ち上げ)も加わって、みんなで知恵を出し合って、教育委員会の3人の方と話し合う場を持つことができました。当事者である子ども自身の声も届けることができ、とてもよかったです。父親の参加も1名あり、いろいろ親の気持ちや、現在や過去の学校での対応の現実や疑問点を突きつけることができたと思います。まさに涙あり、笑いあり、怒りあり・・・相手はどういうふうに感じたかわかりませんが、お互いに率直な意見が飛び交いました。皆さんの心からの思いが少しでも伝わったかと思います。参加してくださった方、ありがとうございました。 こういう話し合いを、今後もいい形で続けていけたらいいですね。(後略)

7 月 の 例 会 よ り

★中1の子どもが、小学3〜5年までいじめで不登校。校長、児童相談員に「いじめられても学校に来ている子はいるわけで、いじめは単なる風邪のようなものだから、克服できる。他にもっと深層心理に原因がある」と言われた。先生からは「強くなりなさい」という言葉もよく言われた。

 学校を変えてもらい、今は、毎日、通っているが、子どもの話によると中学校でもいろいろ起こっているようだ。授業中、目が悪くて(メガネをかけず)目を細めて見ていた女の子に対して「その目つきは何だ!」と、突然怒鳴りだす教師に、その女の子は泣くばかりだったとか。それを見た他の生徒も教師に対して恐怖を覚えたという。

 三者面談ではこんなやり取りをした。「太っている子がいじめられていた小学校の経験から、毎日、体重計にのってあまり食べないようにしている」と娘のことを話した後、教師から「やせていると体力がないので、体力をつけなくてはね」と、指導的な一言が返って来た。でも最近、娘は強くなっている。学校で、男の子に「やめなよ!」と言えたようだ。親が学校に行かなくてもよいと思えるようになったことで、娘自身も「学校に行かなくてもよいのだ」と思うようになったことが大きい。親もそういう情報を知ったことが支えになった。

★4人の子どもの一番下16才の息子が、中2の7月から不登校。中学の卒業式も出ず、上の子から「学校に行かんのなら働け」と言われたこともある。義務教育が終わって1年半、家でゴロゴロしている。子どもが不登校になってから、豊田の「親の会」と地元の「グループミーティング」に参加。グループミーティングの方は、スクールカウンセラーが話を聞いてくれる。どちらも親同士でしゃべりあってためになる。その時はよくわかるのだけれど、家に帰ると、つい、いろいろ言ってしまったり。

★小3から不登校。現在は、中学1年に籍だけ置いている。他人と違うと、とかく不安だと思うが、父親である私自身は不安に思わない。先月の「親の会通信」で、大検を目指して・・・という話を読んだが、私の子どももそうなるのかなと思っている。中学の校長が私と年齢が近いため、話が通じた部分もある。担任は1回だけ家に来た。こちらが「来なくてよいです」と言えば学校の方は安心すると思う。「どうしたらいいでしょうか?」と親が言えば、学校は指導したがる。

 小学校卒業の頃、卒業旅行として家族で長野の温泉へ行ってから、昼夜逆転もなく、朝早く起きるようになった。娘が家にいることが「自然な風景」になっている。6時頃に起床し、新聞を読み、私より社会の情勢をよく知っている。

不登校してすぐは原因がよくわからなかったが、1年半経ったころから、「男の先生が怒ることが嫌だった」と、母親に話し始めた。ホームシューレの合宿には親だけ参加したことがある。「何でお姉ちゃんは学校に行かないの?」と言っていた弟も、最近は言わなくなった。最近、娘は昼間、ゲームをやりたいと言い出した。今までは、昼間は、ゲームをしてはいけないと思っていたようだ。「学校の話は嫌だ」と言ったことがあるので学校の話はしていない。夏合宿は、母親と子どもたち3人で参加する予定。

★この会にかかわって9年。中3の初め、部活でがんばりすぎて疲れがたまり、朝起きなくなる。周囲の助言に振り回されて、さらに子どもを追いつめてしまい、10月からは、拒食、家庭内暴力といろいろな症状を経験した。翌年、高校には受かったが、学校が合わず、1年ぐらい閉じこもった。次の年、学校に1日行ったが、退学。その後、本人の希望で通信制高校へ行くようになった。4年で卒業して、在学中に始めたアルバイトが縁で就職が決まった。
 
今は、家から出てひとり暮らしをしている。「大学を出ていなくても認めてもらえる」と仕事にはりきっている(ドコモショップの副店長)。学校に行けなくなった中学の時、先生から「高校は出ないと・・・」と言われたのがつらかったと。真面目な子なので、仕事がきつくなるとアトピーが出るらしく、私が「つらかったら会社辞めたら」と言うと、「それは、おれが決める」と言ってる。会社では周りの人たちから支えてもらっているようだ。不登校があったから今の自分があると、本人も不登校を隠さずプラスに思っている。

★今から十数年前、前住んでいた所で、下の子が小4のとき不登校が始まる。その頃は、講演会を初め、あっちこっちへ行って自分がバタバタしたのを思い出す。当時、不登校は、小学校に二人しかいなかったが、ある時、「そんなに嫌なら行かなくてよい」と言ったら、子どもの顔がぱっと明るくなったことを覚えている。浜松へ来て、中学では上の子も不登校になった。一時期、子ども2人が不登校。その後2人ともそれぞれ進学したりして、今は、家を離れてそれなりに暮らしている。

★高校入学直後に不登校になる。1年後に通信高校へ変更したものの2年ほどひきこもり状態で、床屋にも行けず家で頭を散髪してやるほど。その後、少しずつ明るい表情を取り戻し、この春、姉と一緒に自動車学校へ通い免許を取った。いつになったら高校卒業となるのやら・・・と思いつつ、不安もあるけど見守っているところ。姉がよき理解者でもある。父親がシューレ大のソーラーカーの技術プルジェクトとしてかかわった。

★福祉の仕事をし、最近カウンセリングを受ける機会もあった。不登校とかかわりはないが、木曜のNHKラジオ「子ども教育相談」で内田良子さんの放送を何年か聞いていて共感を覚えていた。また、NHKテレビ「心の時代」で見た内田さんの主宰する「モモの部屋」の映像の中で、「子どもは親を嫌っていても、親には嫌われたくないのです」と語った言葉に惹かれた。弱ってる人へ近づいていこう理解しようとする人の話は、共通するものがあると発見した。6月の講演会がきっかけで「親の会」を知り、今日、例会に参加した。

 不登校・ひきこもりの問題は、子どもから老人まですべて関わってる心のあり方、日本社会の心の問題を表していると思う。指導や押し付けばかりで、悩んでいる人の心に寄り添っていない。縦社会。経済面で効率をあげるのが目的の社会。先生は生徒を指導し、医者は患者を指導しているだけで相手の気持ちに添っていない。自分自身、母親の介護もしているが、相手の気持ちに添っている時は疲れないが、指導しようとするとストレスになる。「ここで失禁してもよい」と思うと、介護が楽になる。講演会で内田さんがおっしゃたように「学校に行かなくてもよい」と言うと子どもが楽になるのと同じだ。また、学校のいじめと同じようないじめが会社にもある。いじめられる人が、いつも決まってしまう構図が見られる。
 子どもだけの問題でないと感じている。(本当にそうですね!と共感の声)

★上の子が小学5年から不登校。中学卒業後は家で内職をしていたが、社会状況から仕事がない。次の仕事を探しているところ。(その後、就職先が大手スーパーに決まったとのこと。よかったですね!何から何まで自分で決め元気に過ごしている)中学を卒業してからは、本人から進んで家事も手伝うようになり、親も気持ちが楽になった。当時は、高校へ行かなくてはと思っていたが、今、振り返ると悩むことはなかったなあ〜と思える。

★高3男子。新聞で読んでこの会を知っていたが、今回、初めて参加した。息子は中学のころから「どうして学校へ行かなくてはいけないのか」と悩んでいたが、美術が好きなのでそちらの高校へ進学した。でも、入学直後から遅刻をしたり、授業をさぼったりだった。そのため、学校から電話がよくかかってきた。1年の美術の教師と合わなかったこともあるようだ。2年の時も「どうしたら学校を辞めさせてもらえるか」と言っていたが、何とか進級した。3年になると厳しい担任になり、プツンと糸が切れた感じで、自分の部屋にあった好きな絵をビリビリに破ってしまった。学校の試験中でも行ったり行かなかったりという状態。夏休みに、1ヶ月間、父親が赴任している海外へ行かせようかと思っている。
 高校卒業まで、後6ヶ月だと思うと・・・。

★自分は、数十年前、不登校。親は何も言わなかった。その後、通信制高校を卒業し、東京の大学へ行った。今、また、通信制の大学院で勉強をしている。不登校は、本当にケースバイケースでこうしたら良いという答えを見つけるのは難しいと思うが・・・。
 振り返って自分は不登校したこともあったが、今、こうして自立している。

★(子どもの側からの発言)小2から不登校。高校へは行き今3年生。専門学校で学びたいことがあるから、高校の資格が必要だった。進級ぎりぎりでやってきた。不登校しても、もっと堂々としていたいと思う。自分自身がひけ目に感じている間はダメだと思う。不登校を気にしているような他人(ひと)には、そういう人間なんだと、自分が思えばいい。高校では、不登校してたことを言っても、友達は「そうなんだ」と受け止め、気にしてない。

★不登校という生き方を選択した子ども達に親が出来ることは少ない。学校にしろ、働くということにしろ、家でひきこもるにしろ、子どもが選んだ道をどうこういったって結局認めていかざるを得ない。そうしていいと思ってまかせたら、動き出すことも多い。

★自分の父親も、戦後思うようにできなかった自分の生き方・不満だった思いを、子どもである自分達にたくしている部分をすごく感じて育ってきた。何でも言いあえる大人の居場所も必要と感じる。大人が癒されないと子どもも癒されない。

ス イ ス を 旅 し て ・・・ そ の 1  よ う こ

 冷夏だった今年の日本。8月初旬、私は初めてのヨーロッパ・スイスへ、ワクワクしながら夫と2人の旅に出発した。夫が定年になるまでにはまだちょっと間がある。まだ身体が元気なうちになるべく旅行したい、いろいろな諸事情で行ける時に行かないと、後悔する…という思いで、夫を誘い、決断した。

 名古屋空港からの小さなツアーは私たち中年夫婦と、ハネムーンカップル(後で聞いたが旅行のあとで式を挙げる予定とか。まあいろいろ都合もあるんでしょう)の二組のみ。満員のルフトハンザ航空はドイツのフランクフルト空港で乗り換えて、スイスのチューリッヒへ到着。12時間の旅は、ヨーロッパはやはり日本から遠い!ということを実感させる。でもニューヨークだって直行便でも14時間かかる。ああ、腰がいたいよ〜。(死ぬまでにいっぺんくらいファーストとかビジネスクラスに乗ってみたい!)

 出迎えていたのは私と同世代か?日本女性のガイド真弓さんはテキパキとドイツ語で。そう、ここはドイツ語圏なのだ。もう夕方なので、明日のベルン観光を打ち合わせ、ホテルまでそれぞれ送ってもらう。私たちはBグレードのホテルで、新婚さんはAグレード。(差をつけられる)。新婚さんといってもぜんぜんイチャイチャしてなく、友達っぽい関係がさわやか。

 到着した8月1日はスイスの建国記念日で、パレードがあったり花火があるとか。2年に1回は国で記念行事としてあるが、今年はその年にあたってないけど、個人的に若者達が花火をしたりチューリッヒ湖のまわりなど、にぎわっているという。翌朝待ち合わせするチューリッヒ駅の大時計の位置を確認し、その辺をうろつく。スイスは時計の国だけあって、時計台とかオメガの宣伝とか・・やたらある。そして、サマータイムで1時間早いこともあるけど、なかなか日が暮れず、いつまでもワイワイ歓声と花火の音などうるさくて夜眠れなかった。時差の関係もあるのか、ふと夜中に目がさめると、時計台からの鐘の音が15分ごとに聞こえてくるではないか。夜中の3時ならゴーン、ゴーン、ゴーン。3時15分にゴーン。3時半にゴーン。3時45分にゴーン。4時にゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン。なかなか良い音色なのだが・・・慣れるのにちょっと時間がかかった。

 それに今年は何よりスイスは200年ぶりの猛暑。フランスなど死者が何人も出たようだけど、その時には、ヨーロッパがそんな状況・猛暑と知る由もない。北海道並の涼しい夏を満喫できると思っていたのに・・・。ああ、ホテルは冷房がなく、ちいさな扇風機でスイスでの第一夜は過ぎていったのでした。(つづく・・・)