
シエナは白と黒の "Balzana"(2色縞模様)と、ローマのシンボルである双子の兄弟に授乳する雌狼をシンボルとするイタリアの、そしてEUの守護聖人である聖女カテリーナ(Santa Caterina)の故郷です。街は中世の足跡が残る街古い赤煉瓦の壁(mura)によって囲まれており、この壁によって囲まれている地域が歴史的地区("centro storico")とよばれています。この"centro"のなかは保護されており、許可のない車は入ることはできません。
Sienaの街は伝説によると、この双子の兄弟の片方、Remo(レムス)の息子Senio(セニウス)とAschio(アスキウス)がローマの街を去る時にTempio di Apollo(アポロンの神殿)から双子の兄弟に授乳する雌狼の像("la Lupa")を盗みトスカーナに辿りついたそうですが、この時Senioが白い馬に、Aschioが黒い馬に乗っていたと言われていることから、この2色が街を象徴する色として選ばれたといわれています。
紀元前7〜5世紀のepoca etrusca(エトルリア時代)から先住民があったと考えられるSienaの街が正式に記録上に現れるのは、"Saena Julia"の名前で、Ottaviano Augusto(アウグストゥス帝、27BC-14DC)の時代のことでした。
via Francigena(フランチジェーナ街道)の中心に位置することになった後勢力を伸ばしたSienaの街は、他のイタリアの街と同様に10世紀の初めにはComuneと言う形態を持つようになりました。領土を広げようとするSienaは隣国Firenzeと戦争を繰り返し、Sienaは1260年にMonteapertiの戦いで勝利を遂げました(このことは、いまでもFirenzeと張り合うことで団結しているシエナ市民(Senese)の大きな誇りとなっています)。
この頃、シエナの大聖堂(Duomo)にも作品を残すシエナ派の画家Duccio di Boninsegna(1255 - 1319?)、Simone Martini(1284 - 1344)、Ambrogio Lorenzetti(1319 - 1348?)が台頭しました。
Banchi di Sopra, Banchi di Sotto, via di Cittàの3つの通りとPiazza del Campoが街の基本的な骨組みを作り、ここから延びた道が壁の外に出るPorta(門)へとつながっています。この3つの道はそのままSienaの街を構成する3つの丘の形に沿ってもいます。ほとんど全ての通りの番地は、この3つの道がぶつかる点を中心に、この点から離れるほど番号が大きくなるようになっています。なお、通りの番地の始まるところを基点に、右側が偶数、左側が奇数番地となっています。
壁には何か所かの門があり、首都Romaに通じる門はPorta Romana、Siena最古の泉Fontebrandaの外側にある小さな門はPorta Fontebranda、Firenze方面に通じるPorta Camollia、その他Porta Pispini、Porta Ovile、Porta San Marco、そしてお墓に通じる小さな門Porta Laterinoがあります。
中世の趣を残す街Sienaには、よくガイドブックに記載されているPiazza del Campo(カンポ広場)、Duomo(大聖堂)以外にも決して見逃せない見どころがたくさんあります。ここでは写真を使ってそれらを紹介したいと思います。
(go to "Sienaまでの列車案内" "Sienaまで、およびSiena市内のバス案内")