Terzo di Città (1)
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シンボル; 緑の葉のあるオークの木と1頭のサイ; 緑とオレンジに白のアクセント | ![]() |
このContradaの祈祷所のある教会San Sebastianoは15世紀に作られました。San Sebastiano教会が位置するPiazza della Selvaには、1965年にVinicio Guastatoriによって作られたContradaの洗礼用の泉があり、その中にはこのContradaのシンボルでもあるサイが中心に置かれています。なお"Selva"とは”森、森林”と言う意味で、サイは"Rinoceronte"です。
今のところSienaで、唯一の対立関係を意味する"Nemici"のContradaを持たない平和なContradaです。
2002年8月のPalioではスタート直前に馬の調子が悪くなったため出場を辞退しましたが、2003年7月のPalioでは2000年9月のミレニウム記念のPalioに引き続いて勝利しました。Contradaとしての規模は決して大きくありませんが、第2次世界大戦後はSienaの17のContradaの中で最も多いPalioでの勝利数を誇っています。このContradaのPalioの直前のお食事会はDuomoの洗礼堂の前で行われ、とても綺麗な雰囲気です。
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シンボル; 波の中のイルカと王冠; 白と水色 |
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via Giovanni Duprèの名はこの通りに生まれたSiena出身の彫刻家Giovanni Duprèの名にちなんでおり、通りにはDuprèの生家を示す表示のある家があります。当然のごとくDuprèはOndaiolo(Ondaの人)でありましたのでContradaの教会内、および美術館にはたくさんのDuprèの作品が納められています(Palazzo Pubblico内の美術館Museo Civicoの、2番めの間に見られる眠っている女の子の大理石像はDuprèの名作の1つです)。
以前Contrada dell'Ondaの人々が、Comuneの建物の見張りの仕事を受けていたことから"Contrada Capitana"と自らを称するようになりました。
隣接するContradaであるTorreとの深い対立関係もよく知られていて、2002年にもPalioにOndaとTorre(とOca)が参加したため、via Giovanni DuprèでTorreの若者とOndaの若者のグループが夜に出会い、お互いをけなす歌を声高らかに歌い合ったときには、警察がその2つのグループを引き離したと新聞に書いてありました。文献によると長年Torreと対立して来たのはSienaで最も誇り高いContradaであるOcaで、すべての力をもってOcaと敵対しているため、隣の(小さいContradaとみなしている)Ondaからの敵対心は無視していると書かれています。理由はどうにあれ、過去のPalioのテレビ放送を見ていてもOndaはTorreが勝てないことに大きな喜びをもち、常にPalioでTorreを勝たせないように妨害し続けています。OndaとTorreはPalazzo Pubblicoの裏の広場Piazza del Mercatoを半分に区切り、そこに目に見えない境界線を引いていますが、1995年7月のPalioでOndaが、抽選で駄馬を与えられながらも奇跡的に勝った時には、Piazza del Mercatoの片側のみを占拠し、Torreに見せつけるような盛大なお祭りが連夜繰り広げられました。そのPalioではPiazza del Campoを3周回るレースの中で、最後のカーブ直前まで本命と言われる馬を持っていたTartuca、Giraffa、Lupaが先行していたのですが、ゴール直前にいた1周遅れのPanteraの馬と衝突事故を起こし、テレビのアナウンサーが”奇跡が起きてしまいました。全く信じられません。誰もこの馬がPalioに勝つとは考えていませんでした。”と大声で叫ぶ中を勝ってしまいました。よく言われることですが、Palioに勝つのに最も大切なことは運です。そしてこの回のPalioはまさにその運の女神がOndaに振り向いた、見ていても楽しいPalioの一幕でした。
Piazza del Mercatoの先にある広い土地はMarborgettoとも呼ばれ、この土地がOndaの領土の一つであることからOndaのことは別名Contrada di Marborgettoとも表わされます。
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