Sienaを代表する夏に行なわれるお祭りPalioは通常7月2日(in onore della Madonna Santissima di Provenzano, "Palio di Provenzano")と8月16日(in onore di Maria Vergine Assunta, "Palio dedicato a Maria SS. Assunta in Ciero")に行なわれ、Sienaの中心地である貝殻のような形をした美しい広場Piazza del Campoの周りを、Sienaの旧市街(Centro)を構成する17のContradaの衣装を着て裸馬に乗った騎手が3周を最も早く回るのを競うお祭りで、7月2日のPalioはSanta Maria di Provenzano教会に、8月16日のPalioはDuomoに、Palioに勝ったContradaが勝利を伝えまた聖母Madonnnaに感謝の気持ちを伝えに行くことになっています。 このレースそのものはスタートしてからPiazza del Campoの周りを馬に乗った騎手が走るだけなので5分くらいで終わりますが、500年以上も前からこの形式でSienaのCentroの中の地区であるContradaの争いとして行なわれてきた歴史ある行事であるため、参加する各Contradaの人々も(現在は事故を防ぐためにSienaの17のContradaのうち10のContradaだけが参加できることになっています)Palioの前から自分の所属するContradaのスカーフなどを体に身に付け、近所の人々とPalioの話だけで盛り上がりながら自分の所属するContradaが勝ち、勝利のパレードをする日を夢見て真剣に応援しています。またいろいろな通りにContradaの旗が立てられ中世のレンガ色の町SienaがカラフルなContradaの旗で染まります。
通常は7月、8月の1年間に2回行なわれるPalioですが、何かを記念して年に3回行なわれることもあり、1685年のオーストリア皇帝のトルコとの勝利を記念した9月のPalio、1772年のBayernのViolante王女の訪問を記念した5月のPalio、1849年のSiena-Empoli間の鉄道開通を記念した10月のPalio、1896年のGiuseppe Garibaldiを記念した9月のPalio、1947年のSienaの守護神Santa Caterinaの生誕600周年を記念した5月のPalio、1969年の人類の最初の月面着陸を記念したPalio、Sienaのヨーロッパで最初の銀行の1つといわれるMonte Paschi di Sienaの創業500周年を記念した1972年のPalio、2000年のミレニウムを記念した9月のPalioなどで特別に年に3回のPalio(extraordinary)が行なわれたこともあるそうです。なおextraordinaryのPalioが行なわれる場合は全ての17のContradaの中から抽選によりPalioに参加することが出来る10のContradaが決定されるそうです。
逆に1798年7月のPalioはその年の5月にあった地震の影響で、1855年8月のPalioはコレラの突然の流行で、また第1次世界大戦中の1915年から1918年、第2次世界大戦中の1940年から1944年の間のPalioも中止となっています。
このPalioにはSienaの17のContradaのうち10のContradaのみが出場することができ、通常その前の年に出場しなかった7つのContradaと、Palioのおよそ1カ月前にPiazza del Campoで行なわれる抽選会で選ばれた3つのContradaが参加するそうです。
午前中に公開でPiazza del Campoで行なわれる馬の選抜試験("tratta")を見てPalioに参加するContradaの人々はすでにどの馬が強そうな馬であるかなどの予想を行っています(午前中に行われる馬の選抜試験ですが、この時に最も重要なことは事故を起こさずPalioを走りきれる馬を選ぶことであるそうで、2002年7月のPalioのために行なわれた選抜試験でもカーブで4件の落馬が発生し、そのうち2件は病院に送られたのではないかと言われています)。抽選でその中でもよい馬(cavallo bo'no)を当てたContradaの人々は抱擁しあいながら喜び、大声でContradaの歌を歌いながらContradaの領土に戻っていきます。逆にあまり期待のできそうもない馬(cavallo brenna)を当てたContradaは静かにその馬を連れていきます。いくつかのContradaには歴史的に対立しているContradaが存在し、そのようなContradaがあまりよくない馬を当てたときには彼らは喜んで笑っています。 2002年6月29日、Lupaはあまり前評判がよくない馬Asconを当て、それを聞いた長年のNemiciであるIstriceの人々からは喜びの声が聞こえました。また前評判が高い馬Algheroを当てたOcaの人々は長年のNemiciであるTorreがさらに前評判の高い馬Altopratoを当てたことを深く悲しんでいました。
同じ街に住みながらなぜそこまで相手の失敗を望むのかとは他の街に住んでいるひとなら誰でも思いそうなことですが、これに対してある、対立するContradaを持つContradaのリーダー格の人が"この対抗精神があってこそ今までこのPalioが昔のまま保存されてきた"とあるインタビューで話していました。これによれば、対立するContradaがあったほうが、例えば一方が勝ったらもう一方は何をしても次回勝とうとするように、よりContradaのメンバーの士気が上がるそうです。なぜ対立しているかにはいろいろ説がありますが、多くは1729年にSienaを現在の17のContradaに区切ったときに自分たちのContradaのエリアだと思っていた部分が隣のContradaに持っていってしまわれたりしたのに由来しているそうです(OcaとTorre以外は全て隣接しているContradaです)。また昔行なわれたPalioでMontoneが勝利の一歩手前であったときにNicchioに邪魔されて勝ちを逃したりというようなこともこの対立しているContrada間では発生しているそうです。
勝つためか、Contradaの士気を上げるためか騎手(Fantino)に対立するContradaの騎手をレース前にPiazza del Campo上で威嚇することに報酬を与えるContradaもあるらしく、テレビではそのような争いのビデオも流していました。
2002年7月のPalioはOca, Onda-Torre、Istrice-Lupa、Aquila-Panteraと出場する10のContradaのうち7つが対立しているContradaでしたが(このためか、Raiの全国中継のタイトルも" Palio; fratelli e rivali"となっていました)、8月のPalioはこの対立しているContradaがない組み合わせとなっています。ちなみに対立しているContradaを持つ人々はそのContradaと同じPalioには参加したくないと思うらしく、今回8月のPalioでTartucaが抽選によって選ばれ、その後対立するChiocciolaが参加しないほうに旗が揚げられたときには、Tartucaの参加が決まったときと同じくらいの歓声が上がっていました。
しかし結果として駄馬と言われていたOndaの馬Zilata Usaはその後の練習走行で有力馬に成長したといわれ、今回のPalioでもぎりぎりでIstriceに勝利を持ち去られてしまいました(皮肉にもIstriceの人々は昨年7月にもLeocornoに勝利を贈った馬Ugo Sancezが当たったときにあまり喜んでいなかったのですが)。優勝候補の1つとも言われたTorreの馬Altopratoは、経験の高い騎手Dario Colage'(il Bufera)と相性が合わず、直前にTorreにより騎手の更迭が行なわれました。また昨年8月に行なわれたPalioでも勝ったDragoの馬は決して前評判が良かったわけではなく、またその時の騎手も決して前評判が高かったわけでもなく、Dragoの関係者は勝利後にそれでも神はDragoに勝利を送ってくれたと話していました。実際枠順はレース直前にくじで決められるので馬と旗手だけではまだどこが勝ちそうなのかは予想が行なわれるだけです。それでも駄馬といわれ、そのまま駄馬のまま経験のある騎手を雇いながらも何の優勝予想にも入らなかったLupaの馬Asconのような例もありますが。ちなみに今回、2002年7月2日のPalioで勝ったIstriceとLupaとの関係も歴史的に悪く、Contrada della Lupaの通りに住む友人は"今までにない最悪の悲しい雰囲気が伝わってくる"と話していました。 またPalioに参加しないContradaに所属し、そのContradaにNemiciがある場合はただただ、そのNemiciのContradaが勝たないことだけを願っているそうです。今回参加しないNobil Contrada del Nicchioに所属するあるSeneseは結果としてNemiciであるMontoneが今回のPalioで負けたことに関して"ものすごく幸せであった"と語っていました。
2002年8月は、珍しく雨が多い夏であったためにPiazza del Campoに土を入れることが出来ず、本来Trattaが行なわれる日は馬場が湿りすぎていたためか中止となり、1日遅れで馬の抽選会が行なわれ(このために2回の練習走行が中止となったそうです)8月13日の午後に馬の抽選会が行なわれました。
唯一Palioで優勝経験のある馬Venus IIIを得たLupaの人々は大歓声とともに馬を連れて馬屋のあるvia di Vallerozziに向かい、くじ引きで最後の2Contradaと残りながら直前に2匹のうちのいいほうの馬、7月のPalioで惜しくも2位となった元駄馬Zilata UsaをPanteraに持っていかれたときにはPiazza del CampoでPanteraのひとの喜びの声とTartucaのひとのため息がこだましていました(これだけ期待されていなかった馬でしたがちゃんとこの回のPalioでは優勝しています)。 あまり勝つ見込みのなさそうな馬を当てたContradaは騎手への報酬を下げることを目的としてか若い騎手を取る傾向があり、Bruco、Selvaは経験の無い若者の騎手を用いることを抽選後発表したそうです(Brucoはよい馬を引いたならば7月同様、過去4年間で4連勝しているLuigi Bruschelliに騎手を依頼する予定だったそうですが、このためにBruschelliはTartucaの騎手を引き受けることとなったそうです。結果としてこの回はTartucaが勝ってしまったため、Brucoは友好関係があるContradaであるChiocciolaとの関係に問題が発生しCapitano同志の話し合いが行われたそうです)。またLupaは7月にはOcaの騎手を務めたベテラン騎手Giuseppe Pesを用いましたが、これはOcaがあまり期待できそうもない馬Varco IIを引き、そのために以前発表されていた(よい馬ならば騎手はPes、そうでなければ若手のAndrea Mari)ようにMariを用いることを発表した結果であるそうです。Mariはまだ優勝経験がない若手騎手で、7月のPalioでは同様に期待のうすい馬Venus VIIIを引いたAquilaの騎手を務めており、Aquilaの知人はこの時に"馬はたいした馬ではなく、また騎手も経験がないので勝つ可能性は低いであろうと思っていた"と話していました。
抽選後馬はContradaに連れていかれ、その後昔からPalioの日のために使われている馬屋でPalioの当日までの時を過ごします。毎日2回行なわれる練習走行では馬はこの馬屋からContradaの人々を従えてPiazza del Campoに向かいます。