Fog in adjudicating
2001年10月18日


例年同様、秋のKUELとESUJが成功のうちに終わりました。しかしながらこれらのイベントを通じて、長年パーラメンタリーディベートのジャッジに関わっていながらもここに来て、 私は自分自身に対する疑問が浮かんできました。

今回のコラムではジャッジ、特に「ディベートにおけるジャッジ間のコンセンサス」と「ディベートの教育効果」について書いてみたいと思います。


ディベートにおけるジャッジ間のコンセンサス

私たちは毎年続く悪循環の中に身を置いているのではないでしょうか。けれど誰もそういったことには触れようともしていないように思われます。例を挙げると、

・一方に対して極端に有利と思われるモーションについてジャッジは何も考慮しなくても良いのか?
・標準的なディベーターをどのように想定してジャッジをするべきか?
・ジャッジ間で評価基準やジャッジの考え方について共通の認識を持たなくて良いのか?

ジャッジの確保は大学四年生や社会人にほぼ依存しているため、忙しさなどから上記の事柄について確認する機会を持てずにいます。一般的に大会の初めにルールやジャッジングについて確認する時間がありますが、形式的であまり意味がありません。私はジャッジングにおいてジャッジ間の隔たりや混乱を避けたいと考えていますが、これは事実です。
以上の理由から、教育的観点から私たちが学生に対して充分な貢献が出来ていないように私には感じられるのです。

私の考えでは、いきなり学生達に異なるタイプの聴衆を想定し、相手に合わせてスピーチの伝え方やアプローチを調整するのは非常に荷が重いと思います。むしろ同じような聴衆という前提の下でスピーチの作り方や伝え方の訓練を重ねるべきだと思います。

私は優れた能力や十分な経験を持つジャッジを確保するために一定の条件を満たすジャッジリストが必要だと思いますし、それを各大会のスタッフに提供しながら常に情報を更新していくべきだと思います。KUELがそのようなリストを持っていると聞きますが前回の大会では更新されておらず役に立たなかったそうです。

そしてまたジャッジやジャッジを目指す人達だけのメーリングリストを設けることも良いと思います。それはまるでネット上のコミュニティ(ヴァーチャル・コミュニティー)であり、そうすればジャッジが持つ疑問やアイディアを共有できます。学生の間ではいくつかのメーリングリストがありますが、それならなぜジャッジ用のものがないのでしょう?


ディベートの 教育効果

・学生達の頭には明確な目的はあるのか?そして彼らはディベートの経験を通じて十分な改善のためのフィードバックをもらえているのか?
・ディベートは、もちろん「言葉遊び」のようになるべきではない。

学生達にとってディベートは学校における「クラブ活動の一つ」として見なされている。そしてその目的の一つに外国語とともにコミュニケーション能力を身につけることです。もしそれが本当のことであれば、私達はその利点を知り、自分のものにする必要があります。でもどうやればトーナメントでジャッジが学生に貢献できるのでしょう?おそらくバロットシートによってのみでしょう。だとしたらもしコメント欄が空白だったらどうでしょう?もし大会後に学生達とジャッジの間でやり取りがなかったらどうでしょう?もし後輩達に教えたりコメントしたりできる優れたディベーターがサークル内でいなかったらどうでしょう?学生達が充分なフィードバックや利益をディベート大会から得られるとは言いがたいのです。

アメリカのディベーティング・ソサイエティと異なり、大半の学生達やディベート団体にはコーチがいません。年次の高い学生達が教えているのです。それもまた彼らにとっては大変なことです。学校やの理解が得られていないことが原因かもしれませんが、学生達には充分な環境が整えられていません。今すぐに解決策は見つかりませんが、大会や練習で学生達を助けてあげられるようコミュニティに人材を留めておくべきです、たとえ卒業後であっても。

スピーチコンテストでは、ジャッジが席に座り参加者は一列に並びます。ジャッジは参加者に改善のためのアドバイスやコメントをします。ディベートのジャッジにとっては良いことではありませんが、学生達にとっては良いことなのです。ディベート大会において同じことをすべきだとは思いませんが(あるいは物理的に不可能)、大会において反省や振り返りの時間をもっと持つ必要があると私は考えます。


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