
2001年6月24日
●ディベートの欠点
川村渇真の「知性の泉」(http://www.st.rim.or.jp/~k-kazuma/index.html)
−議論手法
−ディベートは建設的な議論につながらない
(http://www.st.rim.or.jp/~k-kazuma/DM/DM061.html)
先日、面白いサイトを見つけました。私はディベートは「コミュニケーションの訓練」という観点で
とても役立つと考えていますが、このコラムでは「議論」という観点でディベートは勝ち負け、議論の
プロセスなどが重視され、結論の質が重視されていないために建設的な議論につながらないと結論づけ
られています。
誰しも自分が良いと考えているものを否定されるのはいい気持ちがしないものですが、感心させられる
ことがたくさん書かれていました。
パーラメンタリーディベートについて考えたとき、形式上短い時間の中で議論の準備をしますから当然
欠点や議論の限界もあります。例えば、
・嘘をつこうと思えばつけてしまう。 例 In my experience...
・ディベーターの持っている知識に依存するため、情報量が限られてくる。
・議論が浅くなりやすい。
・議論がぶつからなかったり、水掛け論になることがある。
例 Government、Oppositionで別々のCaseが出る
もしかすると上記のウェブサイトのコラムでも書かれているようにパーラメンタリーディベートも
結論の質はあまり重視されていないのかもしれません。
学生の頃、ある後輩が私に「しょせんパーラもゲームじゃないですか」と言いました。
当時、パーラ
メンタリーディベートに熱中していた私は「そんなことはない、ディベートは真理の追求も目的の一つ
だから単なるゲームではない」などと言っていました(今考えれば自分がディベートに盲目的になって
いたことが恥ずかしいですが)。
確かに学生がやっているディベートはゲームです。課外活動(ESS: English
Speaking Societyや
Debating Societyなど)として行っているディベート(ポリシーディベート*、パーラメンタリー
ディベート共に)は教育的ディベートですから何か具体的な決定、活動につながるわけではありません。
*ここで言う「ポリシーディベート」とはアメリカで行われているNDT(National
Debate Tournament)スタイルと同じ、証拠資料
による証明のプロセスを中心とするディベートを指します。ちなみに国内では俗に「アカデミックディベート」と呼ばれています。
("academic"という単語は"大学の、学問の;学究的な"という意味なのでパーラメンタリ−ディベートも「アカデミックディベート」
であるのでNDTスタイルだけをそう呼ぶのは本来おかしいそうです。)
●なぜパーラメンタリーディベートをやるのか?
私は初めのところで『ディベートは「コミュニケーションの訓練」という観点でとても役立つと
考えている』と書きましたが、大学生がディベートをやることに関してはおそらくこれが最も大きい意味
を持っているのだと思います。つまり、「結論の質」という部分を考えると充分ではないかもしれないが
「コミュニケーションの訓練」という部分を考えると間違いなく効果があるアプローチだということです。
そういった意味では「相手の意見を潰す」「ONかOFFのように反論した、しない」という考え方で
パーラメンタリーディベートをやるということはあまり意味のないことに思われます。なぜなら自分達の
意見をまとめ、分かりやすく伝えることと同じように、相手の意見を注意深く聞き、それらを理解して
それを踏まえながら発言(反論)するということも大切であるからです。
意見を否定されたからといって、やみくもに反論しないということは違いを受け入れる、他人の意見
も尊重するということにつながると思います。物事には色々な見方があるわけで、どこからそれを見る
かによって感じ方や考え方も当然変わってくるはずです。ディベートを行う上でこの捉え方はけっこう
重要になってくると思います。
よく準備時間中にアイデアが浮かばないというのは知識が充分でないということも考えられますが、
自身の物の見方が固定されてしまっていて立場が変わった時にその立場で物事を考えることができない
のではないでしょうか。
えてして自分の考えが常に正しいと考えることが多いものですが、様々な視点で物事を考える能力、
相手(聴衆とも言えます)の立場に立って説明する能力を身に付けられるというのがディベートの良さ
だと思います。