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Parliamentary Debateの社会的価値
-ある社会人の観点から

2001年7月23日
 

●Parliamentary Debateをやることの意味

 「なぜParliamentary Debateをやるのか」−これは人によってそれぞれ理由が異なると思いますが、私
にとってはESS:English Speaking Society(英語会サークル)で見られるような他の活動よりも学ぶこと
の出来る(コミュニケーションの)要素が多く、また身に付けた能力が将来役に立つだろうというのが
その理由でした。当時はそれほど強い、確信めいたものはありませんでしたが今考えてみると良い選択
だったと思います。

 小、中、高、大と16年間でいろいろなことを勉強したものの、パブリックコミュニケーションに
ついて学び、訓練する機会を得たのはこのときだけでした。ESSでのParliamentary Debateは英語と密接
に関わっていますが、英語とは関係なくもっとコミュニケーション教育の機会が今の学校教育で(一部の
私立学校などだけでなく)全国的にあれば良いなと個人的に思います。

 曖昧でありながらも、私がESSに入ってからParliamentary Debateがいいかもしれないと感じて選んだ
理由は以下のことでした。

 ・体系付けられた「試合形式」のコミュニケーション形態であり、論理的な考え方を身に付けられる
 ・場合によっては自分の考えとは反対の立場で議論することで新しい物の見方が出来る
 ・短い時間で考えをまとめ、意見を発表する能力が身に付く
 

 「なぜParliamentary Debateをやるのか」−これは結果論であるかもしれませんが、動機やきっかけが
異なっていても以下の点は一人一人に共通するのではないかと思います。

 ・コミュニケーションの大切さを理解すること
 ・訓練を通じて効果的なコミュニケーションの考え方や方法を学ぶこと
 ・自身のコミュニケーション能力を高めること

 これらのことを考えるとParliamentary Debateのような活動は、経験しない人達にとっては意識される
ことがなくても一度経験すれば礼儀・作法と同じくらい社会生活の中での効果や重要性が分かってくる
と思います。
 

●ディベート経験の社会人になってからの評価

 ディベートによって論理的思考、コミュニケーション、英語の訓練を行った経験が実社会で果たして役
に立つのか?−答えはYESであり、同時にNoでもあります。実社会で何らかの形で役に立つことは 間違い
ありませんが、直結しているかといえばそうとは言えません。

 私が企業という組織に入ってからディベートが役に立っている、助けられているなと感じている点は
以下の二点です。

1 自分の考えを素早くまとめ、それらを分かりやすく伝えることが出来る

 いつでもどこでも、というわけではありませんが、ディベートのような論理的に話す訓練をすると何か
意見を言うとき(特に会議など大切な場面)には、まず自分の中で言いたいことをまとめてから話す習慣
が身に付くため、順序立てて分かりやすく説明することが出来ます。また考えをまとめる時間も一般の人
よりも短いはずです。

 仮に考えをまとめる時間がそれほど短くなかったとしても、頭に浮かんだまま意見や考えを言って
しまう人に比べれば、充分効率的/効果的に相手に意思を伝えられるはずです。
 

2 何か発表するときの方法が身に付いている

 これは就職してから気付いたことなのですが、「論題/現状の分析、定義」、「論点の構築」、
「分かりやすいスピーチ構成」など立論スピーチの要素を深く理解していると、仕事の中で何か発表する
ようなときでも「どんなことに注意・重点を置いて、どんな風に内容を展開していけば良いか」が浮かび
やすく、内容も考えやすくなり、大変役に立ちます。

 また状況や流れが多少違っていても、基本的な部分は共通するところが多いですから、学生時代に
ある程度のディベートの経験と訓練を積んでいれば、それらのノウハウは応用することが出来ます。

 一つ例外を挙げるとすれば当時よりも「聴衆の分析」が非常に大切になってくるということでしょうか。
ディベート大会では聴衆のほとんどが同じ大学生でしたからあまり意識する必要はありませんでしたが、
企業や大学の公開講座、地域のシンポジウムなど実社会に出れば様々な立場、異なる考え方を持つ
人々が集まり、そこで発表をすることが一般的になってくるからです。

 ちなみに「聴衆の分析」が上手く出来るようになると、聞き手に合わせた伝え方、教え方が出来るよう
になります。私は社内発表や研修の講師を行う際にこの要素を重視し、効果的に利用するようにして
います。

 私の場合は大学二年と三年のときに所属するESSにディベートを中心に活動するグループのまとめ役
を担当していました。当然、教える立場でもあったので「どうやったら新入生達に活動内容やディベート
について分かりやすく伝えられるか」といったことを考えていたように思います。もしかするとそれが
ディベートの能力を磨く上で相乗効果になっていたのかもしれません。
 

 その一方で多少の向上はあったとは思うものの十分ではない、ディベートをやったけれども自分に
足りないと感じている点は以下の通りです。

1 相手の話を聞く能力が不足している

 Parliamentary Debateを経験したおかげで、相手が話している内容の中心や重点が何であるかを考え
ながら聞くようになりましたが、個人的には効果的な聞き方が身に付いたとは感じていません。

 原因は分かりませんが、もしかするとParliamentary Debateが即興性の強いディベート形式である
ことが災いしているのか、ディベート自体が自分の置かれた立場や意見を守るために冷静に相手の話を
聞けなくしてしまう危険性や可能性をもっているかもしれません。相手の意見を理解しようとする意識
と内容に嘘や誤りがないか分析しようとする意識が同時に働いているためかもしれません。

 もちろん要点をおさえて相手の意見をきちんと理解できなければ効果的な反論も出来ないので、単に
私の技量不足だったのかもしれません。
 

2 英語力を磨く要素が不足している(かもしれない)
 

 これは賛否両論分かれるかもしれませんが、個人的な意見ではParliamentary Debateは集中的に英語
の表現や言葉を学ぶ機会が少ないように思います。NDTスタイル:National Debate Tournament(アメリカ
を中心に行われている証拠資料に重点を置いた論証プロセスを用いるディベート形式)に比べ、事前の
リサーチが少ないためです。

 もちろん一般常識の中でディベートすると言っても、Parliamentary Debateも新聞やニュース雑誌など
リサーチは必要になってきますし、きちんとした方法で練習を重ねていけば英語力を磨く機会は多くなる
と思います。しかしながら、実際の大半のディベーターはこの部分が不十分であるように感じられます。

 私が現役ディベーターであったころも、ディベートの練習以外に英語力向上のための機会を持つように
していたこと、試合ごとの準備時間が30分以下であることを考えればあながち否定できないことだと
思います。


●一度振り返ってみること

 Parliamentary Debateを学ぶ理由は人それぞれだと思いますが、盲目的に練習を繰り返せば思ったほど
の効果は望めないかもしれません。成長の度合いはどれだけの時間を費やし、どれだけの練習を効果的に
行ったかという個人個人の努力に依存しますから、Parliamentary Debateから得られるものもその大きさ
も異なります。

 日々の練習を効果のあるものにするためにもDebateの中の各要素(準備時間、各スピーチ、リサーチ
ほか)で行っていることの一つ一つを振り返りの意味も込めて、一度じっくりと考えてみることもときに
必要でしょう。もしかすると頭の中が整理され、今までとは違った何かが見えてくるかもしれません。
 

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