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2005城島健司後援会新年会レポ
今年から会場を佐世保駅近くの結婚式場アイトワに変更され、参加希望者があまりに多く、今回は人数に制限もありましたが、それでも会場には入れきれない程のファンが来られて大盛況。
私たちも大勢の仲間と一緒に早くから会場に着いて、開始時間を待ちました。
今季からソフトバンクホークスに変わるため、会場では福岡ダイエー時代のグッズや写真パネルが販売されて、飛ぶような売れ行きでした。

この日は佐世保市長も開始時間に来られて、壇上には1月7日に城島捕手が表彰を受けた『佐世保市民栄誉賞』の賞状や楯が飾られていました。いよいよ城島捕手の入場で、会場の盛り上がりは最高潮でした。
                        
                       先ずは中村会長のご挨拶

皆さん明けましておめでとうございます。今年もご遠方からも含む大勢の方にお集まり戴きまして、感謝
申し上げます。
さて我らが城島選手は、昨年激動の一年だったと思います。惜しくも銅メダルでしたがアテネオリンピック
での攻守に渡る活躍。大変なプレッシャーの中、怪我せず無事に帰って来られた事を大変嬉しく思います。またシーズンではプロ野球始まって以来のストやプレーオフと云ったことの中、HR36本打点91打率.388の素晴らしい成績を残されました。やはりこれも怪我が無かったと云うことが一番だったのでは無いか
と思います。今年初めて創設された佐世保市民栄誉賞を城島選手が受賞されました。今年も去年以上と
思われることは、本人には大変厳しいことでしょうが、怪我無くホークスのキャッチャーとして活躍され、また来年この場で皆さんとお祝い致しましょう。

                                         佐世保市長のご挨拶

城島健司後援会の皆様、明けましておめでとうございます。今年は城島選手にとっても私にとりましても、大変嬉しいことがございました。先ほど会長からもご紹介がありましたが、佐世保市第一号の市民栄誉賞を私の在任中に城島選手にお渡しできたことを、心から嬉しく思って居ります。城島選手は佐世保市民の期待を一心に受けて、これからも我々の誇りとして頑張って戴きたいと思って居ります。今年はFAもありますが、そのことは城島選手の胸の中にありますので、私たちは静かにそれを見守って行きたいと思います。ただ言えることは、日本球界を代表する佐世保の城島選手で居て欲しいと云う気持ちとメジャーに行って
日本の城島選手として活躍する姿も観てみたいと云う気持ちの狭間で揺れ動いています。
とにかく今年一年城島選手を心から応援して参りたいと思います。
光武佐世保市長から市民栄誉賞授与の報告があり、その後ジョーからは佐世保市の福祉・スポーツ振興へと多額の寄付が贈呈されました。 1月7日佐世保市から贈られた市民栄誉賞の表彰状です。

                                         城島捕手の挨拶

皆さん、明けましておめでとうございます。先ほどご紹介がありましたが、野球しか出来ない自分が市民栄誉賞と云う素晴らしい名誉な賞を戴き、感激と共に今年一年縁起がいいなと思っています。今年一年の自分の成績に、今までに無かった素晴らしいものが何か加わるのでは無いかと、自分に対しての期待感に胸が膨らんでいるところです。自分の公式の後援会と云うのはこれだけですが、こうやって毎年一回皆さんと顔を合わせて、自分が鼻水垂らしていたような小さかったときに声を掛けて貰った方たちと、近くでお会い出来るのもここならではです。この新年会で勇気と元気を貰いたいと思います。短い間ではありますが、一緒に楽しみましょう。

それといつもはここで家族を紹介しているのですが、残念ながら子供が高熱を出してしまい、妻もここに来れない状況になってしまいました。妻からは皆さんにお詫びして欲しいと言付かってきましたので、今回は申し訳ありませんが宜しくお願い致します。

昨年から新年会に来られている別府大付属時代の糸永監督が、乾杯のご発声と祝辞を述べられました。ジョーの高校入学時、そして野球部時代のエピソードを面白く語って下さってとても良かったです。 今回は甥っ子さん姪っ子さん方の代わりに、会場のファンの子供さんが花束を贈呈。優太くん美羽ちゃんが風邪のための高熱で真紀夫人共々欠席され、少し淋しかったです。

    城島選手の別府大付属高校野球部時代の糸永監督(現在は別府大野球部監督)

乾杯の前に少し感じたことを話させて戴きます。城島選手の活躍、芯の強さまたある意味の激しさ、こう云うことについて話したいと思います。

城島くんから聞いた話ですが、まだ健司くんがお母さんのお腹の中に居る時に、お母さんは大きなお腹を抱えて、子供の健康祈願のために愛宕山に登ったそうです。
城島選手の芯の強さ、激しさはそこにあるんじゃないかと、僕は思います。
それからこの強靭な肉体を作ったのは親父の愛情です。親父は健司君が小さい時から甘いものを食べさせず、ましてや炭酸飲料など飲ませなかった。
(城島捕手が小さい声で「僕コカコーラの会社の
CM(アクエリアス)に出てたんで」と答えて、会場爆笑!)
しかし牛乳といりこはどんどん与えた。健司くんがうちの高校に来たときには、ケーキとかそんなものは
食いませんでした。1リットル瓶の牛乳をぐーっと飲むんで、下痢せんかなと思ったぐらいです。
それを3年間飲んで居りました。そういうお父さんの教えから、この頑強な体が出来たんです。

それから彼がうちの学校に来るきっかけとなったことをお話します。
彼ぐらいの素材ですから、当時から引く手あまたですよ。来て欲しいと思ったがなかなか返事が戴けず、お父さんが何月何日には絶対返事をしますと言ってくれた日に、家族の間では「健司断るんよ」と云った雰囲気の中で、電話をかける健司くんの後ろからお姉さんが「健司それでいいんね?」と言ったらしいです。
すると健司君は思わず「監督さんお世話になります」と返事しました。
ご両親はビックリされたでしょうが、城島家みんなの愛情がこういう人間を育てた。そして彼自身が荒波を恐れぬ勇気を持っていたからこそ、日本球界を背負って立つような人間になったのだと思います。

皆さんもこれからの日本を支えて立つような人間を育てて下さい。

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