| 旅のページ |
|
旅の履歴書 |
|
時期 |
場所 |
コメント |
|
1980.秋 |
ヨーロッパ周遊 |
私にとって、初めての海外旅行。JTBのLOOKというツアーで、当時50万以上もしました。ホテルは三ツ星半、飛行機はエコノミーなのにこの値段。プラザ合意前ということで1ドル200円だったからか、それともエアラインの自由競争が無かったからか。今なら25万程度の内容でした。殆どの食事が付いていたため、偏食の夫は満足に食事が出来ず、地元のスーパーや市場で買ったものを、ホテルの部屋で食べるという形を取りました。怪我の功名というべきか、このスタイルはそれからの個人旅行を支えることとなりました。先ず安くついて美味しい。その上、街の素顔が覗けて、地元の人と触れ合うことができる。これは海外旅行をする上で、とても重要なポイントです。 旅行社が連れていってくれるレストランやお土産物屋さんは、こちらにとって決して良いものではありません。メニューは画一的、品物は割高といった具合です。食事は仕方ないにしても、お買い物は自分の目で見て足を使って、より良いものを選びたいですね。 パリでは1日ツアーを降りて、印象派美術館(現オルセー)を鑑賞。お土産に絵葉書やポスターを山程買って、私は大満足でした。昼食はチュルリー公園の露店で、カスクード(細長バケットにハムやチーズを挟んだもの)を食べて、パリを満喫。お買い物は、日本人など殆ど見当たらない地元デパートへ。二人共フランス語を選択したはずなんですが、結局ボディーランゲッジで押し通し、ノーブランドのカシミアマフラーをお土産にしました。ほかのメンバーが呆れるほど、余計なものを買いませんでしたよ。当時ヨーロッパへは、アンカレッジを経由するため、大阪からは20時間もかかり、大変さが先に立ったものです。本当に、大仕事と言う感じでしたね。 |
| 1986.秋 | 香港 | 友人夫婦と行く予定でしたが、アクシデントがあって私達だけがフリーツアー(半日観光と1昼食、3朝食付き)に参加しました。この半日観光が曲者です。最後にお土産物屋に連れて行かれ、買い物するまで出して貰えないんです。鍵が掛かってたのには、びっくり。余程強い意思を持たないと、エライものを買わされてしまうというか(ヒスイの指輪や高価な壷を買ってる人もいました) 香港はごちゃごちゃしたところと、信じられない位近代的な面が同居する街です。1粒で2度オイシイ、マーブルキャンディーのよう。英国資本のホテル(例えばマンダリン)に行けば、イギリスの本格的ティーが味わえ、ワンチャイの食堂に行けばウソのように安いお粥や麺が食べられる。ただ地元民の行くお店には、英語のメニューがないので、周囲の人が食べているものを見て、指差すのが一番確実。漢字メニューにチャレンジすると、ロシアン・ルーレットのような緊張感は味わえますが・・・(笑) 中の1日、香港に駐在する友人夫婦に案内してもらい、「北京楼」という名店でフカヒレスープと北京ダックをご馳走になりました。フカヒレなんて塊で入っていたもので、それがフカヒレって気づかなかったほど。(いつも、春雨みたいなフカヒレスープしか飲まないから) 夫は北京ダックを食べ過ぎて、夜通しトイレに入ってました。やっぱり食べ慣れないものは、要注意ですね。 友人の勧めで、翌日スタンレーへ。中心地からタクシーで40分、料金にして800円程度でした。フランス移民が暮らす海岸沿いのこの土地は、南仏のイメージ。その一方で多くのマーケットが立ち並び、安くて香港らしい品物が山と積まれています。自分へのお土産は「ここ」って感じで、スワトーのテーブルクロスやハンカチを買いました。ただ問題はトイレですね。マーケットの中のトイレはオープンな中国式なので、ホテルなどで済ましておかれることをお勧めします。(現在は分かりませんが) |
| 1988.春 | オーストラリア・ニュージーランド | これは建築・土木の有料視察旅行で、JTBが全ての時間管理をしていた旅。年配のご夫婦が多かったので仕方ない面もありますが、この後ツアーアレルギーを起こしてしまいました。国内線の搭乗のため、2時間も前に空港入りするのは、どう考えても時間のロス。ただ訪問地は治安が良く、人も親切で街並みも美しい国。ニュージーランドの「マウント・クック」に憧れていた自分にとっては、満足のいく旅でした。 オーストラリアはマリンスポーツのメッカ。もし自由時間があっても私には関係無かったかも。どちらかと言えば、イギリスのコピーのようなニュージーランドの方に興味を持ち、クライスト・チャーチの住宅街で写真を撮りまくってました。 食事はシーフードが美味しくて安いのですが、量が多い。デザートも半端じゃない。こんなの食べてたら太りそう、と真剣に思いました。 |
| 1990.冬 | ヨーロッパ横断 | 宮本輝さんの「ドナウの旅人」「異国の窓から」を読んで、このルートを辿れたらと考えました。結婚十周年の旅は、パリに入ってドイツ・オーストリア経由ハンガリーまでの鉄道旅行。初めての個人旅行にして17日間の真冬の長旅。トーマス・クック(ヨーロッパの有名な旅行社)の時刻表を買い、半年前から計画を立てました。パリ4泊付きエアーチケット(JAL)を予約し、他のホテルは「地球の歩き方」や取り寄せた世界のホテルディレクトリーから、場所や値段を吟味して、直接予約。当時FAXが無くエアメールでのやり取りだったので、随分時間もかかってしまいました。(そのお蔭か印象に残ったようで、色々親切でしたが) 鉄道はヨーロッパ以外の人に発行される、ユーレールパス(当時、冬の15日間一等車乗り放題で3万5千円)を購入。このパスは水戸黄門の印籠のようなもので、本当にスムーズな旅が出来ました。案外切符を見知らぬ土地で買うというのは、むつかしい作業なんですよね。大半の一等車は3人3人が対面する個室(コンパートメント)になっていて、閑散期には広い個室に二人だけということも。座席は前に引き出せるので、夜はベッドに早代わり。本当に合理的というか。 パリに着いた翌日の夜、パリ東駅へ。怖かったという表現がぴったりなほど、異様な雰囲気。パスにスタンプを押してもらわなければ列車に乗れないのに、その場所が分からない。何とか身振り手振りで窓口を教えてもらって、無事出発となりました。 「オリエント・エクスプレス号」は、ルーマニアを終点とする長距離列車。私達は最初の目的地ドイツのレーゲンス・ブルクに向うため、ミュンヘンで別の列車に乗り換えました。スーツケースを2つ持って、大きな駅を縦断するというのは本当に大変なことです。必死に走って何とかセーフ。それに乗り遅れると、次は2時間後。本当に危機一髪でした。 レーゲンス・ブルクはドイツの古都。「雨の砦」と云う意味を持ち、ローマ時代の城砦として生まれました。ドナウ河を渡った向こうには、ローマ帝国時代からの歴史ある教会。実はこの教会こそが、母校(高校)の修道女会の発祥の地であったと、後々同窓会で知りました。クリスマス・イブということもあって、帰途に着く人々の手にはプレゼントやツリーの品々が。日本とは違って、誰もが家庭でのクリスマスを静かに楽しむのだそうです。駅に着いた時、両替場所を駅員さんに尋ねたら、わざわざ郵便局まで連れていってくれました。ドイツ語の分からない私を気遣って、通訳もしてくれて。ドイツ人の親切に、感謝の念を持ちました。 次の目的地はウイーン。ドナウ河に沿うように「ヨハン・シュトラウス号」は進んで行きます。途中、パッサウの巨大修道院を車窓から眺め、ついにオーストリア入り。景色が少しずつ変わって行くのがわかりました。 ウイーン駅に着いた頃には日も暮れて、寒さがひときわ身に沁みました。駅構内には、東欧からの難民らしき人々が溢れ、パリ東駅以上の雰囲気。早速ホテルへ。前後4日間お世話になるホテルは「ペンション」と呼んでもいいような家族経営で、とてもフレンドリー。夕食は無いので、本で調べたお店へ出かけました。地下鉄乗り場でチケットを買おうとしたら、お札の両替機がない。たまたま通りかかった人に両替をお願いしたら、回数券をくれて、英語で「どこに行くの?」と聞いてくれたんです。地図を見せてここだと指し示すと、こっちにいらっしゃいと、手招きしてくれて乗り場を教えてくれました。そのお蔭で目的のお店に着けたのですが、残念ながらクリスマスでお休み。周囲を見渡しても真っ暗だったので、すごすごとホテルに戻りました。その話をご主人にして空腹のまま部屋に戻ると、奥さんがケーキと果物を運んできてくれました。 「こんなものしか出来ないけれど、良いクリスマスを」 その時の気持ちは言葉では言い表せません。個人旅行にはハプニングもある変わりに、こんな感動もあるのだということを実感した一日でした。翌日、憧れのウイーン美術史美術館へ。ハプスブルグ家の財宝や所蔵物は想像を絶するものでした。特に銀器や陶磁器は素晴らしい特注品で、かつての栄華を彷彿とさせます。 オーストリアと共にハプスブルグ家の一翼を担ったハンガリー。次の目的地は、その首都ブダペストです。 ウイーンから列車で僅か3時間。しかし東欧への入国は厳しくチェックされ、ビザを持っていない日本人が途中強制送還されるという状況を目の当たりにしました。駅に降り立つと、シロタクの運転手が群がって来ます。1人の運転手が勝手にスーツケースをに手をかけて、「レッツ・ゴー」。もう覚悟を決めて車に乗り込むと、「ドルとフォリント(ハンガリーの通貨)を交換してくれないか」です。さっき、駅で替えてしまったと言うと、残念そうな顔。ちゃんとホテルまで連れて行ってくれるのかどうか心配でしたが、大丈夫でした。「ホテル・ゲレルト」の看板を目にした時の喜び、日本ではなかなか味わえないものです。 このホテルはアール・ヌーボー様式のプールと温泉が売り物。石造りの重厚な建物はドナウ河に面していて、眺望は抜群です。ハンガリーは日本と同じ火山帯を持つ国なので、あちこちに温泉が沸いています。このホテル・ゲレルトはゲレルト温泉として、入浴のみも可能。ただ日本と違う点は、混浴なので要水着着用、そしてキャップ(シャワーキャップでも良し)が無ければ入れて貰えません。陸続きで物価が安く、いい温泉ということで、西ヨーロッパの人々には格好の湯治場になっているようです。 その夜、ホテルのレストランで夕食をとりました。遠来の客に5名のヴァイオリニストが生演奏のサービス。「ハンガリアン狂詩曲」って、ご存知ですか。いくら好い曲でも耳元で演奏されると、食欲がなくなるんですね。それに食事の量が半端じゃないですから。翌日、中央市場に行って仰天しました。直径80CMぐらいのパンを鋸で切ってるは、豚は丸ごとだし、真っ赤なパプリカは山積み状態。日本とはあまりに違い過ぎます。何故かパプリカ屋さんに、フォード元大統領や海部元首相の写真が飾ってあったのが印象に残りました。 ブダペストはドナウを挟んで、王宮のあるブダ地区と庶民の街ペスト地区に分かれています。夜になると、ドナウ河に王宮の灯りが美しく映る。ブダペストが「ドナウの真珠」と呼ばれる所以はそこにあります。民主化間も無いハンガリーには、両替詐欺も横行していました。外人とみると、どこからともなく人が群がってくる。戦後すぐの日本もこうだったのかなあ、なんて思ったり。ハンガリーからウイーンへ戻る列車でも事件がありました。出発前、警察と軍隊が物凄い銃を持って検閲しているんです。ルーマニアからの違法難民が列車に隠れているという垂れ込みがあったそうで、天井板までめくって大騒ぎ。結局3名の難民が逮捕連行されました。平和な日本の国民としては、まるで映画のワンシーンかのよう。ちょっとショックを受けました。 ウイーンから20KMのバーデン。完全な保養地の中のリゾートホテル。メールを何度も送ったお蔭で、覚えていてくれたようで、びっくりする程広くてりっぱなお部屋(シーズン・オフなので安かったんですよ)に案内してくれました。泊まっている人達は長期滞在者が多いのか、夜にはタキシードやドレスに着替えて夕食です。私達はフォーマルな衣装でないことを伝えた上でレストランへ。ディレクトールがとても親切だったので 恥じをかくことなく、楽しく食事ができました。それにしても美味しさといい、安さといい、信じられません。偏食の夫が、何も残さず食べきったのも画期的な出来事でした。この夜、サウナに行った夫は混浴サウナに驚いたとのこと。やっぱりヨーロッパはオープンなんですね。 この後、ミュンヘンで三日(その内の一日は、オーストリア人の知り合いに会うためインスブルックへ)その後列車でパリに戻りました。この列車では、コンパートメントにフランス人カップルと雑魚寝状態。2畳ほどのスペースに見知らぬ二組が折り重なって眠る、なーんて経験はなかなか出来るものではありません。 |