道のり
〜HISTORY OF PHANTOM〜
目次(リンクになってます)
・手のひらにあふれる魂 〜魂性を財布につめて〜
(1998〜2000)
・We are PHANTOM!!
(2001)
・MY WAY 〜果てない明日へ歩いてゆこう〜
(2002)
・Graduation from PHANTOM.
(2003)
時は20世紀終り。人々は何かに追われるように慌しく動いていた。ノストラダムスの予言が当たるとでも思っていたのであろうか?実際、そんな大王など降ってくるわけもなく、地球は滅びなかった。でも直接的には何かが降って地球を滅亡させてはいないが、何らかの形で彼の予言は当たっている。同時多発テロ、戦争など人々は互いに傷付けあい、血を流す。世界はそんな悲しいことばっかりなのに、ここ日本国に、ある一人のノンキな少年がいた。少年は歌が大好きだった。ノンキな彼のコトだから歌といえども平和を歌ってはいなかった。最初は「歌」というよりもむしろ、「叫び」であった。
少年の名はTOMO。のちにPHANTOMを作り上げる者である。彼が人前で、もちろん小学校の音楽会などは除いてだが、初めてライブという形で歌ったのは1998年7月のこと。彼が12歳のときだ。12歳という年齢からわかるように、小学校を卒業したばかりのオサルだったので、自分で曲を作るわけでもなく、プロの曲のカラオケバージョンに合わせて歌い踊っていた。(というか声だけのアカペラカラオケのときもあった。)…ライブとはいえ、学校で行ったキャンプファイヤーでメガホン片手に歌い踊っていたワケだから、それを見ていた友人や先生は彼のコトを「ただの変態」としかみなしていなかったようだ(当たり前だ)。歌うというより、ただの叫び:barking(吠えること)をして歌ったTOMOは、これをキッカケに歌うことそして音楽の世界へ入り込んでいった。(ちなみにそのキャンプファイヤーで歌っていたのはGLAYの「誘惑」)
その後もTOMOは何らかの形でシークレットデモをしたり、友人の部屋で強制的に歌わされたり、そして…全校の食事中に歌声が入っているテープを流したりした。だがしかしそれは彼本人や周りの人間にとってもうれしいコトではなく、逆に「ナルシスト」等のあだ名を付けられたりするという批判の対象になってしまった。そして彼は99年の11月頃(確か)、歌をやめることを決める。歌で自分を表現することは彼にとって苦痛であると感じたのか、その頃から個人的な趣味で小説を書き始めた。年が明けて00年3月までに3つの作品を書き上げている。このまま小説家に化してしまうのか?沈黙の作家カナ?でももしそうなってたら今頃どうなっていたんだろう?
実は2000年という年は、TOMOにとって大転機を迎えた年だった。2月頃、頭の中に「うたいて〜!」いう欲望が張り巡らされていた。そしてこっそりとマイクを手にし、小声ながらも歌っていた彼。4月、彼がいつものように毎日を過ごしていると、ある友人のバンドから「一日ボーカル」に誘われた。そして某スタジオで友人たちとセッションをし、「歌の楽しさ」を思い出したという。これが、大きな転機、すなわちPHANTOMを生み出すもとの活動開始のキッカケになる。9月、突然に「デモテープを作ろう!」と思い始めた彼。普通インディーズアーティストのデモテープといえばオリジナル曲も含まれているのであるが、彼には表現力が十分備わっておらずすべてプロ・アーティストのコピーで構成されることになった。そして10月、正式にファーストデモテープが完成、すなわちTOMO活動開始。その後も次々をデモテープを出していき、1ヶ月の間に四作も出してしまった。だが、TOMOの心の中では何かが変わり始めていた。「コピーだけをすることが自分の本当にやりたかったことなのか?」ということであった。11月、彼は活動停止を宣言する。しかしこの停止はコピー活動の停止を意味し、彼は新しいことをしようとしていた。それが、オリジナルナンバー作成である。十分な楽譜知識があったわけではなかったが、12月下旬、TOMO・Mの名でシングル「手のひらにあふれるたましい 〜single ver.〜」を発表。そのサビの歌詞に「手のひらに たましいが 溢れて 燃えている でも 目には見えない」とあるのだが、彼はこの「目には見えない」に深い意味を込めた。「目には見えない」、そう、「幻」を。「幻」を音楽で表現したいと思ったのだ。それが、この翌年に結成される"PHANTOM"の真義である。
年が明けたその日、PHANTOMは結成された。TOMOは弟のRYOをメンバーに加え、ユニットを誕生させたのだった。だが、彼にはやり残したことがあったのだ。それは、ソロでオリジナルアルバムを発表することだった。なぜそんなことを?と思われる方もいらっしゃるかもしれない。それは単に、ソロで一回オリジナルシングルを出してしまった以上、アルバムも出さなければけじめがつかないというTOMOの信念があったためだ。そんな勝手な性格があるところはお許し下さい。さて、年が明けたその日から、アルバム&PHANTOM楽曲制作が始まった。昨年までとは異なり、曲を作ったり詞を書いたりレコーディングをしたりといった作業は思った以上に大変なものであった。しかしTOMOは自らの夢を叶えるため、家へ帰ったら即、活動に取り掛かっていた。
そして、2001年2月21日、PHANTOMとして記念すべき第一弾となるシングル「NEVER CRY AGAIN」を発表。この曲はTOMO曰く『「PHANTOM」というグループ名にちなんで、歌詞にも曲にも幻想的な部分を持たせた曲』である。やはりコンセプトとして、そういう部分は必要不可欠だったのだ。また、この曲の別歌詞バージョンをリスナーの方々から募集するという「another words企画」も組み込まれた。その3週間後に、TOMOのソロアルバム「My Dears」は発表された。それまでのTOMOのアルバムといえば、すべてカバー曲(ときたまオリジナルも有ったが、非公式)で占められていたのだが、これの収録曲全10曲は全てオリジナル曲であった。それはTOMOにとって新たな試みであったと思う。そして、3月末日のライブ「My Dears Forever & Evolution」ではニューアルバムの曲全てとPHANTOMの一曲、その他カヴァーナンバーを歌い、ソロ活動の幕を閉じてPHANTOMの活動一本になったのだった。
その後もPHANTOMはコンスタントに作品を発表していた。6月、それまでの自己レーベルからMMMカンパニーに移籍し、CD化の契約をした。これはそれまでテープでのみに限られていたPHANTOMの音域が広がることを意味したのだ。もちろん、TOMO、RYO共に喜ばずにはいられなかった。7月初め、PHANTOMとしてのファースト・アルバム「裸のprincess」が発表。この作品はそれまでのPHANTOMやTOMOのリスナーの枠を越え、いつのまにか学年(TOMO当時高1)を越えて聴いてもらえた、祝・記念作である。ちなみにその収録曲は「My Dears」収録曲をPHANTOMバージョンとしてリメイクしたものを中心に構成されていた。そしてその月下旬、文化祭の後夜祭ステージに出演することができたのである。ますます好調なPHANTOMであった。
しかし、暗い影がそこにはかかり始めていた。8月のライブにおいて、PHANTOMの一時活動停止が発表。好調な活動最中の停止は厳しいものがあった。が、TOMOは考えていたという。それは、新しい音楽性の研究をするということである。「今のままで続けようと考えていったら、行き詰まる点が出てきてしまう。自分らしさの出せる音楽をもっと作りたい。」実は、TOMOはこの頃もっとメロディアスさを追及に追求していた。そのメロディアスさがそれまで以上に現れ出てきたのが、活動停止直前に発表されたセカンド・(ミニ)アルバム「AMA-NO-JAKE」においてであった。彼が重視したのはメロディアス以外に、歌詞における季節感や喜び、悲しみである。この後から翌年明けまでPHANTOMとしての活動は停止されるのだが、それには「新たな始まり」を予告するものがあったのだった。つまり、「終わり」であり「始まり」でもあった。
PHANTOMの活動停止中、TOMOはソロ活動をしながら新曲を制作していた。恋愛、そして世の中の出来事を背景にしながら作曲していた彼は、ソロで2枚のシングル(しかも両方ともバラード)を出した。作る曲にバラードが増えてきたというのも、またひとつの変化であると思う。そして12月末日、グループとしての活動は停止中ではあるがオフィシャルホームページも開設。それまでの活動からさらにその幅が広がることを示し、2001年は幕を閉じたのである。
2002年になり、誰もが、世界が平和になりますようにと願っていただろう。なにしろ、2001年のイメージは「戦」であったためだ。特に米国の同時多発テロで世界は闇に包まれた。そんな気まずいムードを吹き飛ばす(自称)かのように、PHANTOMは活動を再開した。新曲「DYNAMITE」は今までとレコーディング機材は同じでも、よりメロディアスにそして激しい楽曲に仕上がった。歌詞に「切なく悲しい時代に 火をつけて灰にしてしまおう」とあるように、やはり前年の出来事を背景にしていた。そして3月にはサード・アルバム「DYNAMIC REFUTATION」を発表。今まで以上にパワーアップしたPHANTOMを伝えているアルバムだと思う。というのは、収録曲数・時間がそこまでのアルバム3枚の中で一番長く、またコラボレーションをしたり、RYOのインストルメンタル作品が収録されたからだ。またアルバム全体としてもロック度を増し、活動当時の幻想的ユニットから、超ロック・ユニットへと変化を遂げていた。
完全復活をしたPHANTOMは少々激しすぎるところを抑えて調和の取れたポップス・ユニットに落ち着いた。それは、PHANTOM停止直前に目指していたTOMOの目標が叶ったということである。4th・アルバム「MY WAY 〜果てしない未来へと〜」は7月に発表されたのだが、収録曲は今までの中で一番季節感がこもったものばかり、とTOMOは言う。翌月、アルバムをタイトルにしたライブ「Our Way」は夏らしく、初の野外会場で行われた。PHANTOMというユニットとしても、そのライブが唯一、2人そろっての出場となった。「え?どういうこと?」って? それは、メンバーのRYOはレコーディングの作曲中心のメンバーなので、ライブのときに表には出たがらなかったのだが、「せめて初野外記念の今回だけは」ということで出てきたのだった。そうあったおかげか、過去最高の盛り上がりを見せ、シリトリ大会まで行われたこのライブの音源は、ライブアルバムとして後日発表された。TOMOが『「MY WAY」と「Our Way」をまとめて一つにして考えると、自分の思っている通りの世界を伝えられると思う。このアルバムは、自分の正直な思いを一つにまとめたものだ。そして最高のライブをすることができて本当にうれしかった!』と述べたように、この流れ(flow)はPHANTOMにとって重要であったといえる。
その後もライブアルバムやバラードコレクションを発表したPHANTOMであった。しかし、夏の「Our Way」を区切りに沈黙が目立つようになる。というのも、そういった企画版のみの発表に偏っていたため、オリジナル新曲が以前のようにコンスタントに発表されなくなっていたのだ。両A面シングル「Pure Memory/tone」を出したのもアルバム「MY WAY」が発表されてから約半年経ってからであり、次第に活動は沈黙に入っていった。だが、地下活動として、翌年明けに発表のニューアルバムを作っていたのだ。その中からの新曲を、この年最後の活動となるライブ「Winter Illusion 〜eternal heart with tenderness〜」にて発表するなどして、沈黙の中にいながらも自分たちの存在をアピールしていた。
新年早々、PHANTOMに嬉しい知らせが入った。イベントライブ「Winter Live Party」出演に誘われたのであった。それは今までのライブとは違い、地元のバー会場でのパーティーライブだった。PHANTOMはライブのトップバッターを切り、計3曲を披露した。それ以外公にはあまり姿を見せず、ニューアルバムのレコーディングは続いていた。3月、5th・アルバム「Eternal Heart」が完成。TOMOはこのアルバムを「MY WAY」の先にあるもの、と言ったが、このアルバムは沈黙が表す通り暗いイメージである。「どうしたの?」という感じ。と言うのは、収録曲のうち殆どがバラードで占められており、詞の殆どは自分達の存在理由とか意味とかを問いかけているからだ。しかもその詞・曲はほぼTOMOが制作。ユニットの中で何があったのだろうか?
実は、「Eternal Heart」は、その制作に約半年(曲によっては1年)、レコーディングに約4ヶ月もかかっているという苦労作。その制作において、ユニットの中ではぎこちないムードが流れてしまっていた。詞曲制作者がほぼ一人においてなされているという単一性、TOMOの個性重視の過剰、ということで、ユニットが二極分化してしまったという。
結局、アルバム発表の2ヵ月後、音楽・方向性の違いによりRYOがPHANTOMを脱退。PHANTOMは存続危機を迎えた。TOMOは考え悩んだ末、PHANTOMの無期限活動停止(事実上の解散)を決定した。その時点で、手元には未発表の新曲「愛のない優しさはもう二度と欲しくない」や、2003リアレンジ用楽曲が数曲残されていたため、それらのレコーディングを(時にはRYOの協力も得て)済ませ、後に発表のベストアルバムに収録した。そして、PHANTOMとしての最後のライブは、6月27日、文化祭の前夜祭出演ということでありながら施行され、それまでの文化祭3回の中で、また、PHANTOMのライブの中で最高の盛り上がりを見せた。そこに、TOMOソロ開始からPHANTOM解散までの、約3年間の活動に幕が下ろされたのであった。
PHANTOM正式開始年月は、2001年1月1日であるが、その前の年2000年の10月からもう始まっていたと言っても過言ではない。なぜならTOMOはその時からそのための準備をしていたのだから。
PHANTOMの姿はもうない。でも、だからこそPHANTOMだったのではないか。幻想が現実に在住して現実化してしまうよりも、幻に還るほうがその真義に合っているのではないだろうか。その『幻』が生み出した音楽は、アルバム5枚(ベストアルバムは除く)、シングル16枚の中に込められている。ただ、その『幻』を、本当の『マボロシ』で終わらせないでいただきたい。それらは、PHANTOMと共に時を過ごした方々にとって、胸の中にだけ生きている『想い出』なのだから。
"「さよなら…愛した人」 どんなに離れてても
行く先々の旅路の中で 想い出は生きている…。"
(by 「Graduation」)
編集後記:この記事は私たちの高校の卒業式の日にTOMO氏によってプレゼントされた(ファミブの袋に入ってた笑)冊子に書かれていた文章を、ほとんどそのままにhtmlテキストとして書き起こしたものです。G-PHANTOM結成直後のいまだからこそ、もう一度あの頃のPHANTOMの軌跡を思い出してみては。