| 鹿沼城(かぬま) 御殿山城 |
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| 所在地 | 栃木県 鹿沼市 今宮町 根小屋 | |||||||||||
| 現状 | 御殿山公園 鹿沼市役所 栃木県上都賀庁舎他 | |||||||||||
| 築城者 | 壬生綱房 | |||||||||||
| 主な城主 | 壬生氏 | |||||||||||
| 主な遺構 | 複数の郭跡 土塁 空堀 | |||||||||||
| 鹿沼を戦国時代に当初治めたのは鹿沼氏であるが、この鹿沼氏は現在の鹿沼市街を見下ろす坂田山(標高170m)に城(坂田山城)を築いた。その後、鹿沼氏は宇都宮氏によって滅ぼされたが、河原田合戦で宇都宮氏が壬生氏に敗れると、城も壬生氏のものとなった。その後、壬生綱房の代、天文元年(1532年)に坂田山の南側の山である御殿山(標高170m)に城を移した。これが鹿沼城の始めである。 壬生氏は一時期宇都宮に従ったが、戦国末期は皆川氏や結城氏と結び、小田原北条方についた。このため、小田原攻めにおいては城主である壬生義雄は小田原城に篭城、このすきに宇都宮国綱により鹿沼城は攻められ、落城したという。 城は円形すり鉢型の本丸を中心に深い堀に囲まれ南側に二の丸、三の丸が、北側に大夫殿曲輪がある。(大夫殿曲輪は日本城郭体系に掲載された鹿沼城要図(『押原推移録』が元)によると城の西側に記されており、もしかすると現在民家になっているところを指す呼称かもしれない) ここの城は昭和23年に市営総合運動場造営のために本丸は野球場、二の丸はテニスコートになっており、かなり破壊されてしまった。北側の大夫殿曲輪には、おきまりの鎮魂碑や忠魂碑のたぐいが立ち並んでいる。 遺構がかなり残っているのは本丸の西側で10mほどの深さのかなり深い堀がみごとに残っておりしかも折れ曲がりや小さな曲輪?が作られたりしており、見事な複雑な様相を見せている。また西北の道路は往時の堀底にあたるが、ここから見ると相当深い堀切を見ることができる。 |
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| 本丸が野球場になっていますが、ある意味では、見事な使い方ではあります。まさにこの本丸、野球場にしてくださいとでも言うような形の格好をしているので・・・ もちろん、城の破壊は許せませんが、願わくば、現在城の西側に残っているあの見事な堀や遺構を壊すことのないように。 |
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| 鹿沼城 | ||||||||||||
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| 資料 | 日本城郭体系 日本城郭総覧(秋田書店) 関東地方の中世城館1(略測図あり) 史跡めぐり栃木の城 |
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