

1748年、マリー.オーロール誕生。母はパリの中産階級の娘であったが、父親はポーランド王オーギュスト二世の私生児でフランスの将軍サックス元帥であった。マリー.オーロールはサン.シール修道院で優れた教育を受け、18歳の時、44歳の歩兵大尉アントワーヌ.ド.オルヌと結婚するが、夫はすぐに亡くなってしまう。マリー.オーロールは母親のいるショセ.ダンダンに身を寄せるが、ここでデュパン.ド.フランクイユと出会う。フランクイユ氏はマリー.オーロールの才能と知性に魅了されていく。マリー.オーロールもフランクイユ氏といると幸せを感じた。1778年にふたりは結婚した。マリー.オーロール30歳、フランクイユ氏は62歳であった。1788年フランクイユ氏が亡くなるまでの十年間の幸福をマリー.オーロールは後に孫娘サンドに次のように話している。
「わたしの孫娘よ。あなたのおじい様は、美男子で上品で、身だしなみがよく、スマートでよい香りをただよわせ、明るく愛想よく、情愛の深いお方で、死ぬときまで気分本位に動くようなことはしない人でした。彼の頭は思想と知識と才能の百科事典で私にとってはいくら使っても使い尽されることのない宝庫でした。彼は私のためと同様に他人のため、常に気持よく働くことのできる天賦の才を持ち合わせていました。
若い頃はあまりにも愛想がよすぎたので今ほど静かな生活は送れなかったでしょうし、その頃彼といっしょに暮していたら多分今ほど幸福ではなかったでしょう。彼のことで私と争う者がしばしば現れたことでしょうから。彼の生涯のなかで一番すばらしい年齢のときに、私は彼と一緒になったと確信していますし、どんな若者でも若い自分の妻を今の私ほど幸福にすることは決してなかったろうと信じて疑いません。」
サンドの祖母マリー.オーロールの育った時代は、風紀が乱れ腐敗した社会であったが、彼女はそんな雰囲気に染まることもなく、スキャンダルの種になるような事は決してなかった。サンドは祖母について述べている。
「彼女はしっかりした心、鋭い洞察力を持ち合わせた人でプライドと自尊心をもってある理想を追求してやまぬ女性でした。彼女は品をつくることを知りませんでした。十分天分に恵まれていたのでその必要はなかったのです。それに、そのようなやり方で男性の心を挑発するなどということは彼女の高貴な考えを損なうものでしたし、彼女の日頃の立派な生活ぶりに合わなかったのです。」