2000-03-09

 

カウンセリングで色々話した事がどうしてもよく思い出せない。
なんとか思い出した事から書いてみよう。


センサーの話。自分は色々な事に対してのセンサーが強い。

若い頃は、色々な事をとてもセンシティブに感じていた。以前カウンセリングで、先生が指摘した通り、「良く言えば繊細、悪く言えば神経質」なのである。
自分がしっかりしている時には、例えば自然の微妙な変化などをとても敏感に感じ取る事ができたり、感情の微妙な変化を、例えば音楽の作品などに昇華する事ができた。
一つのことを深く、微細な所まで感じ取ろうとする傾向があった。

ただ、あまりにも傷付き易かった。ちょっとしたことで、すぐに傷付き、悩み苦しんだ。
完璧主義/芸術至上主義の父親に育てられてきたこともあり、自分もそういう傾向が強い。ゆえにそういう傷付き易い自分を「なんとかしなければ」と、常に思っていた感じがある。

そこで、そういう内面的な繊細さを、社会にでてからどんどん鉄壁の守りでカバーしてきた。
弱い自分は奥の方に押し込めておき、とにかく攻撃を最大の防御にして、乗り切ってきた。
仕事柄、「はったりをかます」と言う事も覚えた。
自分はどうせ、一匹狼だからという意識でやっていた。

一つの事に深入りするのはやめようと思った。

仕事がコンピューター関係という事もあり、とにかく色々な情報を浅く広く、深入りしないように取り入れる必要もあった。
そして、センサーの使い方を、とにかく「情報をあつめる」という方向に向けて行った。外に外に向けるように心掛けた。
今までの一点に集中した使い方から、拡散的な使い方に変えて行った。

しかし、自分の本質的な部分は奥の方に残ったままである。
ここで、葛藤が起こったのかも知れない。

センサーを過剰に外側で使い過ぎたのが、パニックの症状にも結びついていったのかも知れない。
センサー自体は今でも常に情報を取り込もうとする。しかし、情報が入ってくる事に対して、自分自身のコアになっている部分が「もう処理できません」と、悲鳴をあげた感じである。
パニックの症状が、情報や刺激がPulsiveに入ってくる状況になると起こるのである。
例えば、人込みで人とすれ違って行く状態が続いてくると、だんだん通過する人に斜線が入るような感じになってくる。そのまま放っておくと、心臓がドキドキしてくる。
同じような感じが、テレビ画面で一定感覚でのちらつきが続いたり、コンピューターでスクロールをし続けながら情報を読み取ったりすると起こる。


先生にアドバイスをもらったような気がするのであるが、ちゃんと思い出せない。他にも色々話したように思うのだがそれも思い出せない。

 

戻る


[PR]愛知工業大学情報電子専門学校:モノづくりのメッカ豊田市で夢を叶えよう