
昨日今日と、雨の日が続いている。明日も雨のようだ。
もうそろそろ雨の日でも大丈夫かなと思っていたが、今朝起きたら、また11時だった。
一日が終わろうとしているが、今日は活動がにぶっていてあんまり動けなかった。
この前の日記を書いてから、だいぶ日数が経ってしまった。
けっこういろいろな事があった。
でも、もうあまり細かくは覚えていない。
先生の言葉で、今、僕が「皮一枚残った感じ」を取り去ろうとするということ自体が、完璧をきそうとする想い...完璧主義の表れなんじゃないか、ということがあった。(前の日記に書いたかどうか覚えてないけど)
それで、はっと気がついた。
また、完璧主義の気質がではじめてるんじゃないか。
**こういうアドバイス・気づきが短時間でもらえたのは、やっぱり行ってよかったんじゃないかと思う。
でもみんな、軽く受け流さずに、いろいろアドバイスをくれた。
ありがたいことだと思った。
1ヶ月後にフリーマーケットをやるから、そのときにいろんな物を思い切ってだせ!といわれた。
六畳一間に引っ越すつもりでやれともいわれた。
そのときはエーっと思った。
物が捨てられない性格なのだ。
でも、だんだん「それもいいかな」とも思ってきた。
混乱した部屋を少しさっぱりさせるのだ。
友達にも言われたけど、部屋はその人の精神を表すのだ。
もういちど、森田療法の本を読んでみることにした。
母親が持っていった渡辺利夫という人の書いた「神経症の時代−わが内なる森田正馬」という本がようやく返ってきたので、読み始めた。
はじめに買ったのはずいぶん前だったような気がする。
そのころは、本を買うのだが、よく読めなかった。
読めないので安心するためにまた本を買ったりしていた。
森田療法をもういちどちゃんと認識したほうがいいと思ったのである。
そうしたら、すごく読み進んだ。
読んでいる間に、いろいろ気づかされた。
読んでいる間に、なんか癒されてくるみたいな気分にもなった。
それでいて、押し付けがましいところは感じられなかった。
船井総研系の本とはちょっとちがう感じだ。
しばらくして、その席に違う人がすわった。
その人にもおんなじようなことを聞いている。
かなりやばそうだ。
また僕に「その本なんですか?」とか聞いてきた。
タイトルを無言でみせてやった。
「神経症...はぁ...」とかなんとかいってひいていった。
この本を読みなさいというような親切なココロは生まれなかった。
いまを「こんなはずじゃなかった」と否定するのでなく、こうなったんだからそれを事実として受け入れるしかないんじゃないかという気持ちが、ちょっと出てきたような気がするのだ。
友達と飲んだときにも、そんなことをいわれた。
森田療法の本にも、同じようなことがかいてあった。
きっと、そういうことなんだろう。
普通の人にはできることなのかもしれないけど、なかなか僕には難しい。