
機能は友だちと釣りに行った。
一昨日、実家にかえっている時に、突然電話がかかってきたのだ。
朝、5時に起きて行った。
ここのところ、早く起きられないのに、よく起きられたと思う。
天気が良くて気持ちが良かった。
どこかに遠出するのは数カ月振りだと思う。
そういうことができるようになっただけ、嬉しい。
魚はつれなかったし、ルアーも2個なくした。
帰りの車の中で、ちょっとその友だちと話していて、おかしな感じになりそうになった。
でも、全体的には、なんか、良い感じだったと思う。
「老醜」という言葉がある。
本当の意味は、辞書をひくのを怠っているのでよくわからないが、僕なりにふと考えた。
うちの祖母がなくなった頃に、たしか、母か誰かがいっていたのだ。
人間というのは、歳をとってくると、昔から隠してきたことや、こういうふうになりたいと思っていた心の奥底の欲望みたいな物がでてきてしまうのだと。
自制心とかそういうものを、押さえるだけのパワーがなくなってくるんだろうか。
祖母は若いころに、歳をとったら、何もしないで家族の世話になって過ごしたいといっていたそうだ。
歳をとったら、脊椎だか股関節だかをわずらって動けなくなり、そのままベッドの上ぼけていってしまった。そして、自分では何もしないで家族の世話になり続けることになった。
祖父は、入院なんか絶対にしない!とずっといい続けたそうだ。
心筋梗塞だか卒中だかでたおれたときに、救急車の中で、家族か救護の人に「これから病院にいきますからね。」と告げられると、「え!病院!」と叫んで、顔色を変えたそうだ。
救急車が病院につく前に、亡くなったそうだ。
最近僕は、わがままになってきたと思う。
もともとわがままだったのを、もうそれで失敗しないように、かなり押さえ付けてきた留め金が緩くなってきた感じがする。
わがままがというか、人にないがしろにされたくないという欲求が、押さえられなくなって、行動に出てしまう感じがする。
ハッと気がつくと、口や行動が自分のコントロールを離れて、わがままなことを言っていることがある。
それを、後ですごく醜いなぁと思う時が良くある。
歳をへるにつれて、その感じが強くなってくる。
「老醜」をさらしはじめている感じがする。
カウンセリングなどにいくと、「わがまま」だと思っていたことが、「それは人間の感情の『あたりまえな反応』なんだよ」と言われることもある。
わがままなのと、人間の感情の「あたりまえな反応」との違いが自分の中で整理できなくて、混乱するときがある。
自分のことを大事に思うことが、けっこう大切な事らしい。
その道の言葉では「自負心」ともいうらしい。
自尊心だと「プライド」になってしまうが、それとはちがう。
もうちょっと、優しい言葉のようだ。
「わがまま」のどこまでを「自負心」として、自分的に許してあげて良いのか、未だ良く解らない。
たとえば、最近ぼくはよく彼女(?)にたいしての不安とか愚痴を考えてしまう。
でも、それは、はたしてわがままなんだろうか。
彼女は「忙しいから」という。
もう、いちいち気にしてられないのも解るし、僕といると疲れてしまうのだろうなあとも思う。
これは『あたりまえな反応』。
病人相手じゃ疲れるだろう。
それに、どこからがビョーキの状態で、どこからが薬の副作用みたいな状態で、どこからがマトモな状態なのかなんて、本人しか解らない。
しかし、いきなりあちらからの音信を断って、1ヶ月以上、放っておかれれば、不安とかさい疑心がでてきてもおかしくない。
これもたぶん『あたりまえな反応』。
彼女にしてみればそれは、拒絶の遠回しな現れなんだから、気付けよ、という声も聞こえてきそうだ。
そう言う時は、一般社会の「男」は、相手の心をおもんばかってだかなんだかしらないが、自分から身を引くとかするらしい。
僕は一般社会の「男らしさ」みたいな物が嫌いだ。
男らしさみたいなものは、子供の時から敵だった。
やろうとしてできない自分とのジレンマもあったし、男らしくないことでさらしものみたいになったこともあった。
彼女が「あたりまえ」と思っていることだって、おかしなところがいっぱいあるんだ。