(2000.9)
「木曽のや〜なかのりさん、木曽の〜なんじゃらほい、夏でも寒いヨイヨイヨ♪」御嶽山に行くと決めたときから、心中で、この歌がこだまし続けた。
鳥居をくぐって、ひたすら登りながらも、このメロデイーは、私のなかで響きつづけた。登山道は、信仰の山だけあって、りっぱな道だが、楽そうに見えて、かなりキツイ登りだ。そんなときまた、「夏でも寒いヨイヨイヨ♪」が、聞こえてくる。(私にだけ)
昨夜は、田の原駐車場で寝た。夜中に、風がびゅうびゅう吹いて、車のなかも、寒くて目が覚めた。そのため、睡眠不足だ。「夏でも寒いんだからな〜」と、思い返しながら、ひたすら登る。9月末、紅葉の時期を狙って来たのだけれど、あいにく今年は遅いのだろうか、どこにも紅葉は見えない。天気もいま一つで、山頂が雲で隠れて行く。
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| 要所要所に信仰の山らしさが |
ひたすら登る |
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最初のピークの大滝頂上には、広い礼拝所がある。登るときは、平気だったが、下りは寒くて、この礼拝所が、いくらか風除けになった。しかし、ここで御飯を食べるのも、どうも気がひける・・・・・・礼拝所のなかには、当たり前だが、ベンチは無い。お社の寄進者名には「東京市板橋町・・・・・」などと、刻まれていた。
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王滝頂上 |
王滝頂上の、お社を通過すると、景色は一変する。硫黄の噴出し口が見えた。登山道脇には、ガスの測定器があった。硫黄で真っ黒になった仏さまの姿が、恐ろしげに見える。忽然と現れたお姿には、驚いた。初めて登ったときは、もっと天気が悪くて、視界が悪かった。突然、ガスの中から、仏さまが現れて、本当に怖かった。
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| 信仰は芸術 |
硫黄で真っ黒な仏さま |
仏さまを通りすぎると、いよいよ最後の登りだ。ここまで来ると、3000mの高さを感じる。北アルプスの槍ヶ岳や、一番近い、乗鞍岳の姿が確認できた。富士山らしき山も見えた。
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王滝山頂から上へ |
やっぱり、3000mの山だけあるなあ・・・・・と、ようやく感慨に浸っていると、ど、ど〜んと、巨大な階段が出現。これを登ると、山頂、剣ヶ峰だ。こんな所に、よくぞ、こんな立派な階段を。信仰の山ならでは、である。この階段を登っていると、近所の神社に初詣しているような錯覚を覚えた。奥多摩の御岳山も、こんなだったような?気がしてきた。
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| 剣ヶ峰は御嶽神社 |
山頂の神社 |
山頂の鳥居をくぐると、ここにも立派な仏像がおいでだった。再び、ここが3000mではないような気がしてくる。何かの柱(コンクリ)を、またいで、山頂を踏む。そこからは、乗鞍岳、北アルプスが待っていてくれた。すぐ、そこにあるように見える。
ここで、携帯を出すと、アンテナ3本。新潟に電話をかけた。
眼下には、池が見える。前回は、ガスで、ちらりとしかその姿は見られなかったが、今日は、すっかり見えてしまった。神秘的だと思った池が、水が少なく、枯れてしまいそうな状態だった。
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御嶽山山頂 |
山頂は、風が強くて寒すぎた。風をよけられる場所を求めて、下ることした。大滝頂上の山小屋は、既に閉まっている。その軒先は、先客でいっぱいだった。非難小屋は、薄暗く、臭いも漂い入る気がしない。しかたなく、さらに下り、7合目まで降りて、下界を眺めながらの昼食になった。改めて見渡すと、あまり紅葉が楽しめるような景色ではないような気がした。御嶽山ではなくて、高原の方がよいのかもしれない。
信仰の山は、趣味の登山者にとっては、不思議な空間だった。麓で、石碑がお行儀よく並んでいるのを何度か見かけた。すべて、御嶽山の方向を向いて並んでいるのだそうだ。昔の人々の御嶽山に対する思い感じる光景だった。
それにしても、今回も、本場では「木曽節」を聞くことは1度もなかった。「♪木曾のや〜なかのりさん」は私の心のなかだけ響き渡っていた。
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御嶽山名物といえば、「百草丸」。胃腸の薬だけ、と思っていたら、のど飴やら、目薬、湿布まであるバリエーションの豊かさには驚きました。
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