『創』2002年1・2月号掲載・坂上香「私が見たNHK番組「改編」と過剰な自主規制」(上)抄録
(外部リンク・空耳16) 改編が問題となったETV2001「シリーズ戦争をどう裁くか」の担当ディレクターだった筆者が、当事者として見聞きした事件の詳細な経緯を、退社後のいま、初めて明らかにする。他に『創』2002年3月号に(下)掲載。『放送レポート』2002年1・2月号にも手記あり。
吉見俊哉氏作成資料レジュメ・「「法廷」とナショナル・メディアの沈黙──NHK・ETV2001問題の背後にあるものを考える」
2002/1/30VAWW-NETジャパン主催集会改ざん番組放映一周年集会でのスピーチの資料より。
『世界』2001年5月号・高橋哲哉「何が直前に消されたか」より改ざん箇所の指摘
番組のコメンテーターを務めた同氏による改ざん箇所の指摘。
『世界』2001年7月号・米山リサ「メディアの公共性と表象の暴力」より改ざん箇所の指摘
番組のコメンテーターを務めた同氏による改ざん箇所の指摘。
「昭和天皇の戦争責任」に言及する海外メディアの報道の例
(VAWW-NETジャパン仮訳・この「世界と日本の報道から」資料集は700円で集会で販売してました。たぶんVAWW-NETジャパンに頼めば売ってくれると思います。もっと多数の記事が収録されてます)
- ワシントンポスト2001/12/09「「従軍慰安婦」虐待を証言」
- AP通信2001/12/12「第2次世界大戦中の天皇、性奴隷制で裁かれる」
- BBC2001/12/12「性奴隷制で裕仁「有罪」」
- フランクフルター・ルントシャウ12001/12/13「論評天皇の罪責」
- ル・モンド2002/1/11「裕仁と記憶喪失の日本人」
米山リサ氏のメッセージ(2002.1.30VAWW-NETジャパン主催集会での資料より
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2002年1月30日 江戸東京博物館NHK「女性国際戦犯法廷」改ざん番組放映一周年記念集会に寄せるメッセージ 米山リサ NHKによる「ETV2001」四夜連続シリーズ「戦争をどう裁くか」の第二夜は、「女性国際戦犯法廷」の世界史的・思想的意義を考える番組として放送されるはずでした。女性法廷は、日本軍の性奴隷制度を「人道にたいする罪」としてはじめて裁いた、画期的な取り組みでした。しかし、一年前の今日、実際にテレビで映し出されたのは、「問われる戦時・性暴力」と題する改ざん番組でした。「NHK裁判」の第三回口頭弁論が、その発端となった番組の放映からちょうど一年にあたる日に行われたという因縁に、不思議な力が湧きあがってくるのを感じています。 一年前、番組を見て、何かとんでもないことが起きたにちがいない、と真っ先に異変を察知し、即座にSOSメールを私のもとに送ってくださったのは、鈴木香織さんでした。鈴木さんとは、「反ひのきみ」のMLでご一緒していました。その直後、まったく偶然にロスアンゼルスに立ち寄られることになっていた松井やよりさんと、共通の友人のアパートではじめてお会いすることになり、問題の放送の録画を見たのでした。 そこで私が目にしたのは、NHKとの合意のもとに制作に関わったものとはまったく異なる内容の番組でした。スタジオ収録のさいに受け取った台本やVTR内容や、二度にわたる長時間の打ち合わせなどにもとづいて作られた番組とは、まったく違っていたのです。延々とつづく散漫で無意味なVTR、不自然なカット、意味を成さないスタジオのコメントなど、番組として成り立っていない支離滅裂な内容に、検閲や改さんの痕を見て取った視聴者は、はたして大勢おられたのでしょうか。 私は番組が「女性法廷」を中心に扱う番組であるという合意のもとに、スタジオ収録に応じました。スタジオ収録のさい、私はいくつもの論評をしました。法廷は国境を超えた連帯が生んだエンパワメントの場であったこと。生存者の女性の証言をどのような態度で受けとめることが大切なのか。法廷の主催者が「責任者処罰がなくては和解はありえない」というスタンスを明確にしていることの意義。昭和天皇の有罪判決と社会変革の可能性について。法廷は、加害・被害、植民地化される側・する側といった、歴史のなかで生まれてきた差異を踏まえることで、どのような新しい連帯を築きうるかを示した重要な例であること。しかし、今にして思えば、「法廷」そのものが番組から消されてしまっていたのですから、私のコメントもまた、残されるはずはなかったのです。坂上香さんが明らかにされたところによれば、吉岡民夫NHK教養部長が大幅に改編を迫った後、私を番組から完全に消してしまうことも提案されていたのだそうです。にもかかわらず、発言を細切れに切断したり継接ぎにしたりして、誤解を生むようなかたちで残したのでした。それは私の研究者としての心構えを踏みにじるものでした。 しかし、改ざん番組の問題点は、「法廷」の意義や内容を隠してしまったことだけにとどまりません。「法廷」そして従軍慰安婦制度について、誤った真実をつくりだし、伝えてしまったことが、何よりも重大な問題です。法廷で証言をした女性たちが、まるで誘拐や強制連行の事実を偽っているかのような、侮辱的で誤った知識を与えてしまった女性アナウンサーのナレーション。そして私が合意した当初の番組内容にはなかったはずの、秦郁彦氏の長々としたインタヴュー。それらは悪意に満ち、「法廷」を歪曲し、法延に関わる人々を貶めるものでした。今もなお断じて許せないのは、「法廷」を信じて証言を行った生存者の女性たちの姿や声を、このような誤った真実を伝える改ざん番組によって用いられてしまったことです。証言者たちの人格権、肖像権が侵害されたのです。これは映像と言葉による暴力にほかなりません。 このような意味で、VAWW-NETによるNHKの提訴は、問題の根本を突くものであると、私は今も確信しています。ETV間題を黙認し放置することは、日本軍の暴力の犠牲者にたいする抑圧と暴力に、私たち自身が再び手を貸してしまうことを意味しています。VAWW-NETによる「NHK裁判」は、それをしないぞ、という意思表明でもあるのです。 そもそも、VAWW-NETがNHKを信頼し、その番組企画に合意していなければ、NHKは、被害者の女性たちの証言や肖像を番組に利用することはできませんでした。NHKは、証言者の映像や声を提供者の意図に反するようなズ)、たちで用い、しかもそれを辱めるような内容の番組として放送してしまったのです。番組協力者であり、証言者との仲介にあったVAWW-NETに対して、説明責任を果たし、きちんとした謝罪をする義務をNHKは負っているのです。しかし、NHKは頑なにそれを拒否しつづけてきました。法の行使に訴えるということは、巨大な企業組織の圧倒的な力に立ち向かわなければならないとき、最低限、自らの存在を確保するためのなくてはならない必要な手段です。 NHKが「法廷隠し」の番組改ざんを行った背後には、右翼による圧力があったとうわさされてきました。ETV問題は、一部の排外的で差別的なナショナリズムによって、ジャーナリズムやメディアが歪曲されるという問題でもあります。VAWW-NETの法廷闘争は、9・11以降いっそう閉塞してゆく日本のメディアに対して、警鐘を打ち鳴らしつづけるものとなるでしょう。いっぽう、番組は、三つのタブー(天皇批判、従軍慰安婦制度問題、フェミニズム批評)に触れたために改ざんされたともいわれました。しかし、事態をこのように説明し、納得し理解しただけでは、タブーの存続をゆるしてしまうことになります。タブーとは私たち自身がつくるものです。私たち一人一人が、タブーなんて元々ないんだ、と自らに言い聞かせ、そのような理解と真実を共有してゆくことで、それを有効に打ち砕いてゆくことができるはずです。 改ざん番組放送から一年を経た今日、ここにお集まりの皆様と、怒りを新たに共有し、私なりに「法廷」の意義、「NHK裁判」の意義を考え、広く訴えてゆく努力を今後もつづけてゆきたいと思います。さいごにこの決意をお伝えして、私のメッセージを終わります |