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オウム=サリン事件未解決問題再検証第2ページ

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[『麻原を死刑にして、それで済むのか?』表紙」

麻原弁護団長,8年目にして告白。孤高の叫び(苦笑)聞いてやってください
 あの事件のあと、「子供が学校に行けなくなった」「近所の人から白い目で見られるようになった」「仕事が激減した」という人たちがいます。
 「オウムなんだから、同罪。そうなって当たり前だろう」
彼らはオウムではありません。麻原彰晃被告の弁護を引き受けた弁護士たちです。被告人の正当な権利を守ろうとすることさえ、非難の対象になってしまう。明らかに異常事態です。そしてこの異常事態が8年もの間続いているのが麻原裁判なのです。
異常事態が8年も続くと、異常なもののほうがが正常になってしまうようです。
「麻原は死刑になって当たり前」「オウム教団自体が凶悪な人殺し集団だった」「裁判など一刻も早く終わらせるべき」「早く執行を」……。
これらの意見が本当に正常なものか、あるいは異常なのか、考えるための材料を用意しました。
けっして新聞やテレビが伝えない(あるいは伝えられない、あるいは伝えたくない)事実がここにあります。 (出版社ホームページ2004/2/27より)


基礎資料室

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謎の『オウム真理教現象の社会学』補完計画公開終了
謎の『オウム真理教現象の社会学』補完計画(^_^? まもなく刊行芦田徹郎編『オウム真理教現象の社会学』所収の村上淑恵氏論文「反社会性と非社会性─テレビの中のオウム真理教事件」を補完する資料集。すみませんが公開終了です。本が出るのを待ちましょう。

Internet Archive 朝日松本被告の公判一覧(現在は消滅につきInternet Archive,早めに保存しとくべし)

読売ニュース特集オウム松本被告求刑

松本サリン事件の検察側冒頭陳述要旨(1996/1/23 中川智正被告法廷)
地下鉄サリン事件の検察側冒頭陳述要旨(1995/10/24 中川智正被告法廷)
サリン量産プラント殺人予備事件の検察側冒頭陳述要旨

麻原彰晃意見陳述・某オウマーサイト借用版
これは,いまは閉鎖された某オウマーの方のサイトに収録されていた1997年4月24日の麻原彰晃の意見陳述を再現したページを復活させたものです。元ページの作者によれば「あるマスコミ関係者から入手した」と述べていましたが,私自身は入手元がわかりません。朝日文庫等の他資料と比較参照して,非常に信頼性が高いと判断してよいと思います。かつ他資料には省かれている英語部分や陳述後の弁護士とのやり取りまで細かく拾っているようですので,独自の資料価値を持つものと判断し,ここに再現させていただきました。

麻原弁護団の意見1997年4月24日公判・某オウマーサイト借用版
これは,いまは閉鎖された某オウマーの方のサイトに収録されていた,1997年4月24日の麻原彰晃の意見陳述のあと行われた弁護団の意見書読み上げを再現したページを復活させたものです。元ページの作者によれば「あるマスコミ関係者から入手した」と述べていましたが,私自身は入手元がわかりません。朝日文庫等の他資料と比較参照して,非常に信頼性が高いと判断してよいと思いますので,麻原意見陳述と合わせ収録しました。
麻原弁護団の主張は一般マスコミでは非常に小さな扱いでしか報じられるず,ために「裁判長期化狙い」との批判ばかりがかまびすしく飛び交っています。が,この「基本姿勢」をご覧になっていただくと,同弁護団はきちんと「事件の事実関係」について疑義を提出し,検察側立証の不備を指摘しようとしていることがわかると思います。貴重な資料であると思います。


オウム事件年表・某オウマーサイト借用版
これは,いまは閉鎖された某オウマーの方のサイトに収録されていたオウム事件についての年表を一部改定して収録したものです。基礎資料としてよく作られていると思います。常に改訂中ですので,間違い等の指摘がありましたらメールにて御一報ください。(2000/11/13 1993年まで公開)

未解決問題検証編

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地下鉄サリン事件の聖路加病院の対応 特にPAMの供給問題 2003/12/31up
2003/10/03放送フジ「実録!あの歴史的重大事件と闘った医師たち」という番組で放送された地下鉄サリン事件当時の聖路加国際病院の様子,及び『月刊薬事』2002年4月号井上忠夫「災害医療にかかわって 地下鉄サリン事件 サリン中毒と薬剤部の反応」より。
テレビと論文にあるところを信じるならば,「10時30分」に卸業者にPAMを発注し,「大阪から飛行機で運んで」もらったということになるのですが,さてそれで,飛行機から羽田空港〜聖路加病院と運ばれて,到着したのは何時でしょうか。はたしてこれで大量に押し寄せる急患への対処に間に合ったのでしょうか。PAMの投与は一刻を争います。吸引後数時間が勝負です。
しかしながら,当日,聖路加病院でも他の病院でもPAMの供給に不足した,という話を聞きません。いずれも迅速なPAMの供給がなされた,という話ばかりです。
この話,信じられるでしょうか。どうもこれは,当日都内に大量のPAMの在庫があり,そこから供給されたと考えないと時間的に間に合いそうもありません。では,どこにあったのか。またなぜその情報は伝わってこないのか。聖路加病院が嘘をついていないとするならば,どうやらこう考えるより他ないでしょう。……

渡辺脩著『麻原を死刑にして、それで済むのか?』キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! ちら見せ2004/2/27NEW
おお,渡辺弁護団長渾身の一撃をやってくれちゃってたんですね。巻末の上出弁護士との対談で,「麻原さんは修行者としてはなかなか…」というおっとっと(^^;という発言があって,あとあまりに極端に「弟子の暴走」に走りすぎてるという問題はありますが,事実関係の疑問点について注目すべきものがあります。ああ,ちゃんと疑問出してたんだなあということがわかる。いままで我々が議論してた以上にやってくださってます。ちらと本文見せ。

麻生幾著『極秘捜査』ハードカバー版文庫版の書きかえ問題
文藝春秋刊麻生幾著『極秘捜査』のハードカバー版文庫版で記述が変わっている問題箇所をピックアップ。文庫版はほぼ全編に渡って加筆されているが,この書き換えは単なる加筆訂正といって済ませられない重大な内容上の変更を含んでいる。
ご覧いただけるように「アセトニトリル」が最初に検出,という記述が書き替えられている。この問題については詳しくは三浦英明氏の「消えたアセトニトリル検出」を参考のこと。
あと,これはオリーブの栄光氏の発見ですが,「築地駅で発見された押収物」が「手の拳ほどの三つのナイロン袋」になってる,文庫版でもなおってない(赤強調)。ぼろを出しましたかね,これは(^_^?。「ポリ袋2つ」のはずなんだよね。

被害者家族は納得していない──『都子 聞こえますか』より
坂本弁護士一家殺害事件の遺族,大山友之氏の著作『都子 聞こえますか』(新潮社)より。この著書の中で大山氏は,岡崎一明を始めとする一連の裁判で「犯行当夜,坂本氏の自宅の鍵は開いていた」とされて結審してしまっている事に強い疑義を表明されています。「真相究明系」オウマーたちのあいだではすでに知られたこの疑問点ですが,すでにご承知のように「フォーマルな」ジャーナリズムの間ではこの疑問点を前面に押し出す事は半ばタブー扱い。わずかに一橋文哉のような正体不明の匿名ライターのみがおおっぴらに書けるのみです。それだけに,遺族の方がこれだけはっきりと疑問点として提出なさった事は大変画期的であったわけですが,江川紹子,有田芳生両氏はじめとする「主流派」オウムウオッチャーらは,本書の書評をやったときにこの「疑義提出」に全く触れようとしませんでした。これでは困る,ということで,ここで「問題箇所」を長めに引用させていただく事にします。

94年11月にオウムが購入していたサリン合成装置 〜1995年5月15日TBS『ニュース23』より
1995年5月15日(麻原逮捕直前)TBS『ニュース23』より。この特集を見るかぎり『ニュース23』ではこの装置を非常に重視している様子がうかがわれますが,にもかかわらず同番組ではこの後この装置のことを追及していません。現在のオウム裁判の検察側ストーリーではこの装置は登場しないことになっています。
1994年11月というのは非常に微妙な時期で,オウム内で「11月危機」と呼ばれた,強制捜査が入るという情報が流れた時期に当たっています。その時期にこれを購入,据え付けているというのはかなり異様な事のように思えます。
注目すべきは,この装置でサリン以外の神経ガスもいろいろ合成可能だということです。この装置を稼働させて,いろいろなガスを試さなかったのかそうか。また,それらのガスを保管しなかったのかどうか。このあたり,さきごろの土谷容疑者の「私のサリンではない」証言,また,サリン以外にもタブンがあったのではないかという地下鉄事件の当初報道との関連でも注目されるところです。

土谷被告の「私のサリンではない」証言
朝日新聞「オウム法廷」2002/03/07より。一年あまり法廷から遠ざかっていた土谷被告が,3月6日の法廷で長時間にわたり意見陳述,松本・地下鉄両サリン事件に使われたサリンは自分が作ったものとは違う,という目を見張る意見を述べたと伝えたもの。
残念ながらいつもの「オウム法廷」の報道スタンス通り,これを懲りない妄言とかたづけるような書き方ですが,本来検討しなければならない重大な問題のはずです。オウム裁判対策協議会の三浦さんが鋭い問題提起を行っています。この注目すべき意見陳述には報道関係者,麻原法廷関係者とももっともっと注目してもらいたいとおもいます。しかしもっと詳しい報道がほしいなあ。

磯貝陽悟著『推定有罪』より「不問でいいのか」
*現場では午後7時過ぎより被害が出始めていた。事件記者の問題提起。

野田敬生氏の立花隆批判をめぐって〜立花隆オウム怪文書論をトンデモで片づけてしまってよいか
現在途中までです遅れていてすみません。2003年5月ごろ完成予定。・別冊宝島Real027『立花隆嘘八百の研究』は楽しい本です。矢田和一郎氏や佐藤進氏の批判本の出版以降,この「知の巨人」の仕事への批判が急速に盛り上がってきたのを受けて,若手論客を総動員しての徹底批判特集です。特に粥川順二氏や塚原東吾氏の批判は鋭く,この大ジャーナリストの近年の権力迎合ぶりを衝いていてお薦めできます。
しかしながら,中にはあまり感心しない批判もあります。特に私が気になったのは野田敬生氏の論考「ザ・公安妄想──新左翼・日本共産党・オウムを結ぶもの」の特にオウム関連でした。この立花批判とは例の「一考察怪文書」をめぐっての立花氏の論考への批判ですが,この怪文書論についてはオウム「真相究明系」論者にとって重要なポイントを含んでいますので,すこしスペースを取ってどの辺が問題か取り上げます。なお野田氏以外の関連資料も自由に参照します。

「三月十五日問題」と教祖の謀議責任
松本智津夫被告法廷第90回法廷(1998年9月17日)
1998年9月17日の松本智津夫被告法廷第90回法廷において弁護団は,「検察側の冒頭陳述と立証との間に生じた食い違いが深刻化している」と冒頭陳述の修正を求める意見陳述を行いました。注目されるのは,この「審理の進行に関する意見書」において,麻原弁護団が示した地下鉄サリン事件の検察側「ストーリー」に対する異議です。同弁護団は「地下鉄サリン事件はその五日前、一九九五年三月十五日に敢行して失敗した地下鉄アタッシェケース事件の『補完物・焼き直し』であり、だとすれば『松本被告の指示』とする検察側主張には重大な疑義がある」とする大胆な仮説を提示,「リムジン謀議」についての井上嘉浩被告の証言に強く依存している検察側の「教祖の謀議責任」立証の問題をついている点です。 この意見陳述は,新聞報道ではリアルタイムには詳細が報じられず,今一つ一般に知られていませんでした。先に刊行された朝日文庫『オウム法廷7女帝石井久子』においてようやくその概要が報じられましたので,該当部分を引用します。

「地下鉄サリン自衛隊除染作業と“箱状の容器”??回収シーン」(.ramファイル1200kb;1995年3月20日TBS『ニュース23』中抜粋:山下再編集)
1995年3月20日の地下鉄サリン事件発生当日の『ニュース23』の特集中で放送されたワンシーンから,自衛隊化学防護部隊が地下鉄丸ノ内線後楽園駅,日比谷線築地駅で除染作業を行っているところ(映像提供自衛隊)と,中野区の車庫らしきところ(東京都中野区弥生町の地下鉄車庫か)で何かの部隊が“箱状の容器”??らしき遺留品を回収するシーンをカメラマンがとらえていたところ。地下鉄サリン事件での箱状の不審物問題については三浦英明氏の「サリン事件への問題提起」を参照のこと。
この回収シーンの静止画像ページと,問題シーンの拡大MPEG1ムービー版その1その2も用意したので,目を皿にしてご覧ください。特にその2の最後のところで左端に外人?が写ってますが,これはどこから来たどういう立場の人なのでしょう。さてさてこれは「世紀の大スクープ映像」なのか,それとも「UFO墜落/回収」ばりのトンデモか?(苦笑)この放送のなかではやはり不審物は「弁当箱状の容器6個」といってますね。
(2000/12/5追記)この「回収」シーンに写っているのは,自衛隊でなく機動隊の爆発物処理班で,竿様の長い棒は爆発物をピックアップして液体窒素容器等に入れるための道具,茶色の丸い桶は液体窒素容器であるとの御指摘をいただきました。もちろんそんな爆発物処理班が出動していたなどという記録はどこにもありません。またここに写っている地下鉄丸ノ内線の列車に関しては,事件当日サリンがまかれた2両の列車はいずれも駅員が早い段階でサリンの袋を回収しています。「危険物除去は終わっている」訳であり,ここに写っているような「爆発物処理班」によるものものしい回収劇がおこなわれる必要があったのかどうか疑問です。とするとこの映像は何か。またなぜTBSはこれを撮影できたか。どうも地下鉄事件当日の様子の報道に出てこない複雑さをかいま見させる証拠の映像のように思われます。 (2002/5/24追記)この竿様の長い棒「回収」シーンの「機動隊爆発物処理班」の写真は,上述の通り以前はこちらの「大阪府警・府警の仕組み・活躍する機動隊」のサイトにあったのですが,最近なくなったようです。以前保存してあったものから写真だけお見せしときます。こちらの「特殊防護衣」と「棒」です。

「期日不明テレビ朝日番組より地下鉄日比谷線除染作業・新聞紙回収シーン」(MPEG1ムービー995KB:山下再編集)
ちょっと期日と番組名はわからないのですが,テレ朝の番組で放送された1シーン。地下鉄日比谷線の除染作業の様子が映ってますが,白い防護服の恐らく警察と思われる人物が,新聞紙をビニール袋にいれて無造作に運びだすシーンが映ってます。もちろんこれがサリンを包んだ新聞紙であるかどうか分からないのですが,上の箱形容器?回収シーンのものものしさと比較されたし。被害甚大な日比谷線でこのぞんざいさ,そして被害軽微な(はずの)丸ノ内線でのこのものものしい回収シーン。あやしいでしょ。

「国松長官狙撃」K元巡査長自白の疑問点
1997年2月19日放送の「K元巡査長の国松狙撃自白」に関する疑問。江戸川と荒川を取り違えた「河川敷試射」?

「国松長官狙撃」K元巡査長自白の疑問点2・暫定版〜国松氏はどちらに歩いていった?
上に引き継き国松狙撃自白への疑義。アベル氏の掲示板でオリーブ氏と討議中の論点を暫定アップ。情報ある方はアベル氏の掲示板に御参加ください。

国松長官狙撃時の住民の証言
『消されかけたファイル』および『警察が狙撃された日』より国松狙撃時の住民の目撃情報をピックアップ。

麻生幾著『消されかけたファイル』の書きかえ問題
新潮社刊麻生幾著『消されかけたファイル』の国松狙撃事件記事が雑誌『週刊新潮』連載時と単行本収録時で書きかえられている問題。肝心のせりふを消した,臆病だね。消されかけたファイルをてめえで消してちゃしょうがない(笑)。

麻生幾著『極秘捜査』ハードカバー版文庫版の書きかえ問題
文藝春秋刊麻生幾著『極秘捜査』のハードカバー版文庫版で記述が変わっている問題箇所をピックアップ。文庫版はほぼ全編に渡って加筆されているが,この書き換えは単なる加筆訂正といって済ませられない重大な内容上の変更を含んでいる。
ご覧いただけるように「アセトニトリル」が最初に検出,という記述が書き替えられている。この問題については詳しくは三浦英明氏の「消えたアセトニトリル検出」を参考のこと。
あと,これはオリーブの栄光氏の発見ですが,「築地駅で発見された押収物」が「手の拳ほどの三つのナイロン袋」になってる,文庫版でもなおってない(赤強調)。ぼろを出しましたかね,これは(^_^?。「ポリ袋2つ」のはずなんだよね。

『サイゾー』2001年2月号記事への抗議
雑誌『サイゾー』編集部に,同誌2001年2月号「河上イチロー・オウムサイバー教団化」記事へ抗議のメールを送ったものを公開させていただきます。

オウムは『マルコポーロ』事件をどう伝えていたか
〜オウム雑誌『ヴァジラヤーナ・サッチャ』にみる反ユダヤ主義と歴史修正主義
オウム雑誌『ヴァジラヤーナ・サッチャ』にみる反ユダヤ主義と歴史修正主義。同誌がもっtもすっ飛んでいた時代,同誌6号と8号から一番問題の「ホロコースト否定」言説部分を特別公開。くれぐれも取扱注意品につき,説明をよく読んで閲覧のこと^_^;
本来ならば「オウムの危険性」が論じられるときには,真っ先に参照しなければならない資料。


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岩波ブックレット636『報道は何を学んだのか』より磯貝発言松本サリン時刻問題2004/12/31up
岩波ブックレット636『報道は何を学んだのか』は,松本サリン事件10年の企画で,河野さんと,磯貝陽悟・下村健一・森達也・林直哉のメンバーで話し合われた座談会。ここで磯貝陽悟氏が『推定有罪〜あいつは…クロ』以来提起してきた,松本サリン事件時刻問題について言及しています。河野氏がこれに肯定的に相づちを打っていることから,すくなくとも河野氏はこの問題の所在は認識されているようです。にもかかわらず,この座談会全体としてはなぜかこの事実関連の疑問はクローズアップされていません。非常に不満が残ります。

『麻原を死刑にして、それで済むのか?』より松本サリン事件疑問・ガス発生時刻2004/12/31up
『麻原を死刑にして、それで済むのか?』は,第1審において麻原弁護団が事実関係について数々の疑問を突きつけていたことをあらためて印象づけてくれましたが,この松本事件のガス発生時刻問題についても,「松本市有毒ガス調査報告書」を資料として提出して,しっかり訊いていました。

松本サリン事件に対する94年9月段階での科学者の推定(サンデー毎日より)2004/05/09up
『サンデー毎日』94/9/25より。この時点での科学者の推定。常石さんや石倉さんなどそうそうたる顔触れが,おやおやという事書いてますね。こういうのは事件後ご当人の口からは出ないんで,こうやってさらしてみると今さらながら驚きます。と同時に,事件のすべての細部にわたるまでを正確に推定することが以下に難しいかを思い知らされます。なお,この松本事件といま話題のイラク人質事件は様々な点で比較できると思いますんで,その点も注意して読んでください。

地下鉄サリン「サリン初測定」記事?毎日新聞「オウム大捜査」より
地下鉄サリン事件のとき,警察側でサリンを最初に測定したのはいつ何時か,という問題があります(午前十一時からの記者会見でサリンの名前が出た)。この記事は,どうやらその初測定のシーンを記していると思われる記事。警視庁科学捜査研究所のガスクロだという記述は麻生幾の『極秘捜査』と一致。しかし,測定した遺留品は『極秘捜査』では霞が関と築地のナイロン袋となってますが,この記事では「築地駅で車輌の床をふいたモップ」になっちゃってます。このへんもちょっと怪しいところです。

オウム真理教亀戸道場の炭疽菌噴霧事件関連画像
〜テロ事件緊急特集!?上祐炭疽菌「に似たもの」ばらまき(日本テレビ『きょうの出来事』1999/12放映のものより)

旧オウムページ勝手に復刻版:「検証・地下鉄サリン事件──事件現場への回帰1」 (1998年5月26日版)
現在はなくなった旧オウムホームページaum-internet.orgにあった,荒木広報部長執筆の「地下鉄サリン事件疑問提出」ページより,1998年5月26日アップの「検証・地下鉄サリン事件──事件現場への回帰1」を失礼ながら勝手に復刻させていただきました。
この地下鉄サリン疑義ページは三浦英明氏の『サリン事件の詳細な実態,及び事件の謎』の内容を剽窃して,オウムに都合のいいようにパクったものですが,一番最初は「錯綜する不審物」という題名で1998年3月20日にアップされ,雑誌『FOCUS』が「オウムが冤罪説をとなえた」としてメールで荒木氏に質問状を出しました。その後何回か修正されながら書き継がれていき,1999年9月29日のオウム「休眠」宣言で旧オウムページのほとんどのコンテンツが消滅するまでずっとアップされていました。内容的にはここに復刻したページでほぼ概要は伝わるかと思います。
現在の「アレフ」は一連の事件について「謝罪文」を出していますので,地下鉄事件についても「オウムがやった」こと自体は認めていると思いますが,ここに掲げてあった「事件への疑惑」自体も撤回したかどうかははっきりと語っていませんので不明です。

realビデオ1660kb:「元信者が語る第7サティアンサリンプラント」(1998年10月下旬放送日本テレビ『きょうの出来事』抜粋:山下再編集)
現在は解体された第7サティアンサリンプラントの様子を破産管財人が撮影したものと,元信者が語るサリン製造の実態。村井秀夫が「宇宙服のような防護服」を使用していたとの証言あり。またサリン第1〜3工程はフル稼働,最終工程も使用の形跡があるとの証言。

オウム捜査にまだ残る五つの「重大疑問」(週刊現代1996年12月21日号)
週刊現代1996年12月21日号より。現在では少し古くなってる疑問もありますが,他の記事とのかねあいでなかなか面白いことを書いてるところもありますので。

磯貝陽悟著『推定有罪』より「不問でいいのか」
*現場では午後7時過ぎより被害が出始めていた。事件記者の問題提起。

松本サリン事件:「四時間前から白い霧」(読売新聞1994年7月1日)

松本サリン事件:「発生は9時台から?」(読売新聞1995年6月25日)
*現場で被害が出始めていた時刻の問題で,「松本市地域包括医療協議会」が95年に出した報告書について大新聞では唯一触れたもの。

下里正樹『オウムの黒い霧』より松本サリン事件疑惑関連部分
*現場で被害が出始めていた時刻の問題で,95年10月の段階で刊行された同書で問題提起。その後同氏はメディアから干され(苦笑),せっかくの問題提起もこんにち追究するものなし。

『松本サリン事件に関する一考察』(『宝島30』1995年6月号掲載バージョン)

読売新聞95年1月1日スクープ:「サリン残留物を検出 山梨の山ろく」(読売新聞1995年1月1日)

松本サリン事件:「宇宙服のような防護服」(朝日新聞1995年3月24日)

芝田進午:オウムと予研(『エコノミスト』1995.6.13)
感染研裁判原告の筆者が語る,オウム事件から見える予研(感染研)の問題点。95年ごろにはこういう指摘もあったんです。

中島真一郎:「オウム真理教が問いかけるもの」(『インパクション』No.68 1991年2月号)
1990年,熊本県波野村でオウム排斥運動が高まったとき,「人権尊重を求める市民の会」を組織して敢然とオウム排斥に立ち向かった中島真一郎の論考。今日の住民対オウムの問題を先取りした重要な問題提起。今日入手困難を極めますので,勝手ながらここに再現させていただきました。

久山信:「ウーピー麻原彰晃の対ファシスト加入戦術」(『インパクション』No.68 1991年2月号)
同じ『インパクション』に掲載された久山氏の論考。オウムと八幡書店=武田崇元の関係を最も早く指摘した論考。

土谷容疑者:サリン事件直前,深夜の爆走(毎日新聞1995年5月12日)
*この土谷容疑者の行動は何だったのか?

ニュース23:「スクープ・極秘会議で村井氏を処分」報道抜粋。(TBS『ニュース23』1995年5月17日放送)

『戦後の思想空間』より「二つの六十年間」説の紹介と,オウム雑誌の該当部分?(ヴァジラヤーナ・サッチャ9号より,PDF)

別冊宝島495『『生物災害の悪夢』より
田嶋信『オウムがばら撒いた「炭疽菌」「ボツリヌス菌」の菌株入手ルートを追う!』
*陰謀論系ですが…未解明の重要な疑惑が指摘されていますので。


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