ヴァジラヤーナ・サッチャ第8号

(1995年3月25日付け:販売は1995年2月末から)よりP165〜173

「超裏読み・超過激ラディカル・トーク
『マルコポーロ』はなぜ潰されたのか?」

『マルコポーロ』はこうして消えた

一月三十日、文藝春秋社の月刊誌『マルコポーロ』の廃刊が報じられた。この突然の出来事に出版業界は騒然とした。
この「廃刊劇」の中心となったのは、『マルコポーロ』2月号に戦後世界史最大のタブーとして掲載された「ナチ『ガス室』はソ連の捏造だった」という記事である。この記事はある国立病院の医師である西岡昌紀氏が書いたもので、その内容はタイトルにもあるとおり、第二次世界大戦当時ナチが強制収容所で使用したといわれるガス室が捏造であるというものだ。
それに対しロサンゼルスにある、ユダヤ人人権擁護団体サイモン・ウィーゼンタール・センタ](以下SWC)およびイスラエル大使館から厳しい抗議が入った。その後の簡単な経緯は下欄に述べるとおりだが、文春側はその抗議に対し、筆者の西岡氏にも何の相談もなく、記事の誤りを認め『マルコポーロ』の廃刊を決定した。

問題の西岡氏の記事には

などが、取り上げられており、ホロコースト(ユダヤ人虐殺)を信じる人にとってはまるで青天の霹靂のような印象を受けさせるに十分な記事となっている。もちろん、その記事に使われている諸々の要素は欧米の研究者が発表したものによるところが多い。つまり自身の取材によってこの記事を書いたというわけではない。しかし、その一つ一つを検証するならば、ほぼ信頼できる記事内容であるといえるだろう。
ともかく、SWC等からの抗議が明らかになってからのマスコミに注目するならば、その動きには目を見張るものがあった。新聞ではこの問題を一面のトップとして報じるところもあり、各週刊誌もこぞって取り上げた。問題は出版業界を含めて大きな騒きとなり、日本人の人権感覚に国際的な非難が集中した。文春側は『マルコポーロ』廃刊と同時に編集長の花田紀凱氏の解任を決定し、後、文春・SWC共同の記者会見を開き、やっと収束をみる。
以上が、この『マルコポーロ』問題の概要である。しかしこの事件には、ただの月刊雑誌廃刊劇とは片付けられないさまざまな問題が隠されている。事件の裏に何があったのか考えてみる必要がある。


何が「タブー」なのか

この廃刊劇に関して、各マスコミ、特に新聞が取った論調は「タブー」である。ナチ「ガス室」は捏造だった──これが「タブー」だというのだ。
読者はどう感じただろうか。まず、いつも報道を単なる受け身の姿勢で取り入れている人はどうだろう。何も考えず、そのタブーの何たるかを知らないまま受け入れてしまったのではないだろうか。ほんの少し頭を働かせた人は、なぜ、この問題がタブーなのかを不思議に思っただろう。つまり、ガス室の問題を取り上げて見直しすることがなぜタブーなのかと。また、マスコミの信奉者は「だから日本はダメなんだ」などと単純に思ったかもしれない。
まず、マスコミの報道の基本は、ガス室ーホロコーストの見直しをすること自体がタブーであると書いてある。いや、反ユダヤがダメなのだと書いているところも多い。国際社会の中でその問題はきわめて基本的な問題で、日本にはそういった問題を見たときの認識が低すぎるとも述べてある。

これは、いったいどういうことなのだろうか。
歴史的にみて、ユダヤ人は迫害をされてきた人種(実際はユダヤ教徒=ユダヤ人なので人種とは呼べないが)である。ナチスドイツ時代、強制収容所に送られて多くのユダヤ人が死んだのは事実だろう。しかし、その詳細に関してはかなり怪しいものが多い。例えば、六〇〇万人のユダヤ人がホロコーストで亡くなったとされてきたが、今やその数字は何の信憑性のないもので、意味のないものだということが明らかにされている。これはかのSWCもが認めるところである。このほかにも西岡氏の記事のように問題はたくさん挙げられている。このような状況なのに、ホロコーストを見直そうとすることは頭から「タブー」と決めつけられているのだ。今回にしても根本的にその問題が正しいのか誤っているのかを論議することは皆無であった。
もうおわかりだろう。つまり、これは「マスコミによって作られたタブー」なのだ。日本において反ユダヤ的な記事は特に新聞、そして大きな出版社では書くことができない。書いたとしても当たり障りのないところに終始する。これは彼らに対して逆らえないからだ。

今回西岡氏に共鳴し、『マルコポーロ』の一方的な謝罪や廃刊に対して抗議するために日本を訪れたアメリカの若い研究者、デイビッド・コール氏がいる。彼は自分自身ユダヤ人であり、ホロコースト見直し論者の映像作家である。彼が語るには、彼がアメリカで自分の研究を発表するための集会を開くと、殴る・蹴るの暴行を受けることがあるという。受けることがあるではなく、実際はいつもそうなのだろう。彼は記者会見で「日本ではそういったことがなくていいですね」と笑っていた。

また、つい最近こんな話を聞いた。これは日本でのことだ。あるジャーナリストが、ユダヤ問題に手を出し、研究を始めた。するといつからか何者かに尾行されるようになり、公安の人間が近づいてくるようにもなった。公安には「ユダヤ問題に関わるのはやめろ」と言われたという。さらには、差出人不明の不審なビデオテープが送られてくることもあった。それは彼が使っていた(あまり一般には使われていない)β形式のテープで送られてきたのだ。彼は戦懐を感じ、家族や自分の身の安全を考えてユダヤ問題に関係することはやめたという。
明らかに、ユダヤ問題は「タブー」のようである。しかも力ずくの「タブー」。触れることさえ許されない。

サンケイスポーツの報道では、見出しに「〃結果〃予測できたハズ」と書かれていた。スポーツ紙といえど「産経」の新聞である。口が滑ったのかもしれないが、これはまさに、「こういった記事を掲載したら結果はわかっていたはずだ」との主旨で書いてある。少なくともこの記事を書いた記者はユダヤの力を知っていたのであろう。もちろん整理部のデスクも納得していたからこの見出しのままで記事を通したのである。つまり、新聞業界は知っているのだ。ユダヤがどれほどの力を持っているのかを。
ここで読者は考えてほしい。ここまでタブーにするのはなぜか。それが真実だからか?それとも嘘だからなのか?
答えはおのずと出てくるのではないだろうか。


日本のジャーナリズムはどうなるのか

今、世界では異様な動きが始まっている。
「ユダヤ人の大量虐殺はなかった」と唱えたものは罰せられるという国が増えているのだ。「本家」ともいえるドイツでは、この問題は「言論の自由」から除外され、口にした者には最高で禁固五年の実刑が科せられる。最近ではベルギーでもその動きがあり、下院では採択され上院を通れば施行されるという話がある。
今回のこの事件のおかげで、これらの国同様「何も言えない国」に日本は成り下がってしまうだろう。新聞はもとより、大きな出版社の雑誌もこの問題は避けざるをえない。 『マルコポーロ』の編集部員のコメントが紹介されていた。
「これはメディアの自殺……文春ジャーナリズムはもう立ち上がれないのではないか、と不安でいっぱいですよ」
この発言はまさに真をついている。しかし、ことは文春だけには終わらない。ほかのジャーナリズムにとってさえも何も言えない環境が作り出されてしまったのだ。いわば、許されざる前例を作り上げてしまったのである。これでは心あるミニコミしかこういった情報には意見を出せなくなってしまう。──日本のジャーナリズムは地に堕ちた。いや、そうではなく、これは当然の帰結だったのかもしれない。なぜならば、雑誌自体は広告収入がなければ成り立たないからだ。これはもともと外的圧力が入りやすいことを表わしている。「それを書いたら、広告を止めるよ」といってくるのが一社や二社ではなくなったら、いかなる大出版社でももうお手上げだろう。こんな状態で日本のジャーナリズムが「真のジャーナリズム」たりうるわけがないのだ。もちろん広告を差し止めるという強硬手段をとる企業も企業である。卑劣としかいいようがない。なぜ、真実を究明させよと一言いわないのだ。やはり彼らの手の内にあるということなのだろうか。

ところで、今回のマルコポーロ』事件の状況に反して面白い事件がアメリカでも起きている。戦後五十周年を記念した原爆展の中止である。
このイベントはスミソニアン航空宇宙博物館が行なおうとしたのだが「日本が一方的な被害者であるような印象を受ける」として議会・在郷軍人余などの反発に遭い、結果的に闇へと葬り去られた。
広島・長崎への原爆投下はだれもが知っている。これこそ大量虐殺事件というにふさわしいが、ホロコーストに比べると世界的な認識はまったく違ってくる。すなわち、ホロコーストは純粋なユダヤ人迫害で大量の人間が殺された。それに対し、日本への原爆投下は第二次世界大戦を終了させるためにどうしても必要であった。つまり、侵略国日本の横暴を止めるための必要悪だったというのである。
これらの認識は一般的に正当化されている。ところがそれに惑わされず、自分自身で真偽を確かめるなら、そこに納得のいかないいくつかの問題があることがわかる。
本誌No.6でも紹介したとおり、当時日本の兵器産業は壊滅的であり、もう戦闘能力はなかった。時のアメリカ大統領トルーマンもその情報は知っていた。日本が日露友好条約を頼ってスターリンにアメリカとの仲介を要請したからだ。しかし、それに対しトルーマンは、スターリンに日本との早期和平にソ連が荷担しないよう指示している。つまり、戦争を終わらせるために原爆を落としたとされる国が、戦争を終わらせないように工作しているのである。そうして落とした原爆。広島にはウラニウム型、長崎にはプルトニウム型というタイプの違った原爆を落とした意図には「実験」という恐ろしい計画が隠されていたのだ。この「実験」を証明する事実が最近続々と証明されてきている。この計画はマンハッタン計画と呼ばれているのだが、アメリカではこの計画が、自国民をも人体実験に使ったという事実が明らかにされているのだ。
日本国民はこういった真実を知らない。戦後進駐軍が中心となって作り上げた情報によって原爆が見事に正当化されているのだ。そして今回も、原爆に関しては犠牲者であるはずの日本が「原爆展」の中止に関して抗議さえもできない状況になっている。
東京スポーツ紙でタレントのデーブ・スペクター氏が「ホロコーストがなかったと言うことは、原爆投下がなかったと言うことと等しい」などとのたまっているが、根本的に問題が違うのである。

それはともかく、あるジャーナリストは今回のマルコポーロ」廃刊問題に関してこう言った。
「記事はなかなか面白いものだった。既成の専門書などからの引用ばかりで若干説得力に欠けるが、それでもホロコーストに疑問を持つには十分である。ああいった見方があってもおかしくはない。結局ユダヤ側はこの記事に関して反論を明確にせず、圧力だけで攻撃した。最終的に雑誌一冊潰してしまったのだから、やはりユダヤは恐ろしい」
彼自身も、ホロコーストに反論する記事を有名誌が取り上げることは、もうないだろうと感想をもらしていた。


本当に『マルコポーロ』は潰されたのか?

ここで一つ『マルコポーロ』廃刊について、かなり強引な見方を紹介しよう。これは全くの想像であるが、こう考えれば一応事件に説明がつく。
まず、今回の廃刊問題に関する疑問点を挙げてみよう。 0.ほかの出版社が、見ただけで「使えない」と感じた企画に文春だけが応じた。 1.「アンネの日記』をも刊行している文藝春秋社が反ホロコーストの記事を載せた。 2.著者の西岡氏は九月の時点で論文を「マルコポーロ」側に渡していたのだが、わざわざホロコースト五〇周年という記念的な年の、しかも年頭に掲載された。 3.発行部数二〇から二五万部といわれる『マルコポーロ』だが、実売は一〇万部程度で、社内ではいつ廃刊にしようかと廃刊の時期をうかがっていた。 4.あまりにも簡単に廃刊した。 5.編集長の解任。社長の辞任があったが、社長自身は会長に〃昇進〃している。 これら諸々の問題点をあわせて考えると一つの仮説が浮かび上がってくる。つまり、文萎春秋社とSWC及びイスラエル(ユダヤ)の指導的な立場にある組織が手を組んでいるのではないかということだ。
読者も見ておわかりのとおり、文春側とユダヤ側の利害が非常に一致している。 文春側はお荷物ともいえる雑誌の廃刊の名目を作ることができる。社としての名誉に関しては問題があるが、今やこの問題はどの報道機関も取り上げていない。その影響はそれほど甚大なものではないだろう。しかも、こういった話を動かすのは上層部だけだろうから下の人間がどう思おうと関係ない。社長が辞任したとき、これは引責ではないと言ったが、それは本当だろう。つまり、会長職は彼らからのご褒美の〃昇進〃ということだ。
ユダヤ側はどうだろうか。日本に反ユダヤ勢力といえるような思想が台頭していることはユダヤにとって悩みの種だった。もちろん反ユダヤといっても一般的なものではないが、それでも一部の研究者によって、彼らにとって不都合な情報が確実に流されてきたことは事実である。そこで今回この事件をでっち上げることにより、反ユダヤはタブーであることをジャーナリズム、研究者、さらには一般の人間にも強烈に印象づける計画を実行した。これによって、まず文春系列から出版されている反ユダヤ的な書籍を回収させ、出版業界に圧力をかけ、その他の社から出ている関係書籍もゆくゆくは根絶やしにする。
──いかがだろうか。あなたはこれを荒唐無稽と一笑に付すだろうか?


だれが得をし、だれが損をしたのか?

事件の真相を追求するとき、非常に単純にその答えを得ようと思ったなら「一体だれがこの事件で得をして、だれが損をしたのか」を考えるのが一番だ。
今回の事件が起きて一番得をしたのはだれだろうか。──事件を深く追求した報道機関は一つもなく、記事の真偽は確かめられなかった。文春側はそれにもかかわらず、掲載した記事の誤りを認め「ガス室はあった」「ホロコーストはあった」と謝罪している。よって少なくともユダヤ側は損をしていない。いやそれよりも日本のジャーナリズムにクギを差すことができ、彼らにとってはむしろ喜ばしいことだった。
では文春側はどうだろう。社長については先に述べたとおり。花田編集長は解任の憂き目にあったわけだが、『マルコポーロ』そのものが売れていなかったのだからいずれは同じことになった可能性が強い。投資した資金の回収も難しい『マルコポーロ』の責任を取らされたと考えても問題はないだろう。また、社としては信頼という点で傷をつくることとなったが、それに関する報道などは長期化せずむしろ軽傷にとどまったと見ることができる。
ということはどちらも損はしていない。むしろ良かったと思えるようなところさえある。これはおかしい……。
ここで忘れてならないのが、それ以外に損をした人がいるのかということだ。 まずこの事件で一番の問題は、「ホロコースト」問題に疑問を提示した記事に対する抗議のはずなのに、その記事のどこが誤りなのかがまったく究明がなされていない。肝心の問題の焦点が巧みにすり替えられているということだ。
そして有無を言わざず、きわめて暴力的な方法で言論に対する自由を奪ってしまった。これはその後の新聞や雑誌の論調を見れば、よくわかる。もう書きたくても書けないのだ。これでは損をしたのはその他のジャーナリズム、そして一般市民ということになる。
これが彼らの芝居なら何と悪辣で巧みな情報操作ではないか。


ここで「ホロコースト」問題の真偽を議論するには誌面が短すぎる。しかし、先に挙げた疑問点を読者自身に一つ一つ確認してもらえるならば、それに勝るものはない。必要ならば、ある程度の資料を提供することはできる。読者が「権威ある新聞報道」などに惑わされず、ことの真偽をつかんでくれることを祈りたい。

この事件に際し、あなたは一つ選択をしなければならない。それはあなた自身が何を本物とし、何をニセモノとするかの判断の基準をどこに置くかである。



サイモン・ウィーゼンタール・センター
これはアメリカ最大ともいわれる、ユダヤの人権擁護団体である。ナチハンターと呼ばれるサイモン・ウィーゼンタール氏の名前を冠したもので、アメリカでも反ユダヤには強大な力を使い、その言動を封じ込めている。
当のサイモン・ウィーゼンタール氏であるが、彼は研究者から、実はゲシュタポの手先だったとか、彼が公表した自身の経歴が二転三転しているなどということを指摘され、「いかさまナチハンター」などと呼ばれることもある。
今回のこの事件は、このセンターに、わざわざ日本の出版物をチェックしている日本ユダヤ・コミュニティーセンター東京事務所から記事が送られ、抗議が始まった。

マルコポーロ廃刊まで


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