
「よう」
天然の洞窟の中で入口に立った人影を見て、キリトは口の端を上げた。
「よく見つけたな。って言いたいけど、簡単だったろ」
夕暮れで、既に洞窟内は暗くなっており、沈み掛けている太陽を背にした男の姿も、逆光ですっかり陰になっていた。それでもキリトには、男が誰であるか、確信があった。
「残念だった? いっそこのままいなくなれば、あの会社はあんたのものになったのにな」
「・・・何を言ってるんですか。まだ、社長の葬儀の途中ですよ。戻らないと、皆待ってます」
「関係ない。あの人がどうなったところで、俺の生活には変わりないはずなんだから」
キリトは、立ち上がって埃を払った。次いで、床に置いていたカバンを拾い上げる。
「会社も遺産も、あんたが受け取ればいい。それだけのことはしてきたんだ」
「キリトさん!」
「弁護士に手続きは頼んである。要らないなら、寄付でもなんでもすればいい。会社の方は、会議見てる限りじゃ、役員の眼と頭が腐ってない限り、放っといてもあんたで決まりだろ」
一応、おれの意思は伝えといたけどね。言う必要もないと思って、それには触れなかった。
近付いてきた男の手を払いのけて、微笑する。
「おれ、あんたのことは結構好きだったぜ?」
足払いをかけて、洞窟の奥へ走っていく。何か、叫ぶのが聞こえた。
暗闇をずっと走っていけば、山を越えた向こう側に出る。ひたすら走って、光を見たキリトは、歓声を上げた。
どこか遠くで、誰かの声が聞こえる。子供のような、そんな声。なんだろう、どこかで――その思考は、直接的な痛みに遮られた。
「ちょっとキリト、いい加減にしなさいよねっ! なんでわたし一人、働かなきゃならないのよ、わたしはあんたの手下でも下僕でもないんだからねっ」
「・・って―」
「そりゃあ痛いでしょうよ、つねったんだもの。痛くなかったら、よっぽど面の皮が厚いのね!」
キリトは、低めの丸椅子の上で腰に両手を当てて文句を言う人形に目をやった。身長二十センチかそれ以上の、大きいとも言えない人形だ。ウェーブがかった金の毛糸の髪と、茶色いビーズの瞳。丸い顔に、かわいいワンピースとエプロン。どう見ても、人形だ。
この喋る人形とキリトが出会ったのは、洞窟を抜けたすぐ後のことだった。地面に落ちて汚れた人形を、自分に重ねて拾い上げた、ただそれだけだったのに。
「ほら、立つ! 呼び込みをやる!」
「・・・眠らせてくれよ―。昨日徹夜仕事だったんだぜ、おれ」
自らの手で汚れを落とした人形はリジーと名乗り、キリトと共に行動し、自分の食い扶持(と言っても、糸がほつれたときや破れたときにかかる補修費ぐらいだった)くらいは稼ぐと言って、知り合いの食堂の片隅で占いをやっている。それは構わない。稼ぎは使って良いとの言葉に甘え、いくらかは助かっているのも事実だ。何しろ、最小限で飛び出したのだから。
だが。歩くと遠いからといって、仕事のせいで例え寝たのが明朝だろうと徹夜だろうと連れて行かせ、仕事が入っていても少しだけでも帰ってきなさい、と言われてはたまらない。
「もう、情けないわねっ」
「おれは普通なの、お前の感覚がおかしいんだって、絶対」
「若い子が一晩の徹夜くらいでがたがた言うんじゃないわよ」
「あのなあ」
だがここで言いすぎると、へそを曲げてご飯を作ってくれなくなる。何故かリジーは、食べもしないのに料理の腕は一品だった。
「あたしがやるよ、奥で親父さんに言って寝てな?」
「ヒカミ! いい女だな、お前」
「ハイハイ、早く行きなって」
赤髪のウェイトレスはそう言って、犬にやるように手を振った。キリトはそれでも、機嫌よく店の奥に消えていく。
おじさん、奥借りるよ―、昼になったら起こしてくれる?
おう、任せとけ。昼飯の用意もしといてやらア。
男二人のやり取りを背に、女二人は肩を竦めた。店の席は半分ほどは埋まっているが、ほとんど顔見知りで、料理も全て出し終えている。ヒカミ・セナは、手近な椅子を引き寄せると、そこに座った。
「毎回見てて飽きないよ、二人とも」
「それはどうも。でも、その言葉はほぼ全面的にキリトに言うべきよ」
「いやあ、それもどうかな」
笑って、セナは心持ち声の大きさを落とした。
「そろそろ限界。明日の・・・昼までもつかどうか」
「そう」
リジーは、少し淋しそうに、だがはっきりと笑った。人形の小さな手が、白いエプロンドレスの前で組み合わされる。
「あとはこれで、あなたがあの子のお嫁さんにでもなってくれたら嬉しいんだけど?」
「冗談」
「本気よ? あなたがいい人だって、わたし知ってるもの」
セナは肩を竦めた。どう考えても、自分は家にこもるよりも外に出ていくタイプだと知っている。それは、一族の保証付だった。
客の一人が食べ終わって呼ぼうとするのを視界の端で見つけて、セナは最後にリジーのビーズの目を見つめた。
「で、あいつはどうする? それをあんたは決めなきゃならないんだよ」
「ヒカミ」
「はい、ありがとうございます!」
翌朝、キリトとヒカミはキリトの借りている家の前で顔を合わせた。ヒカミは、赤毛をまとめて帽子におしやり、動きやすいズボンをはいていた。
「おはよう」
「・・・おう」
「仕事は?」
「午後から。お前こそ、食堂もう始まってるだろ」
「辞めた。お金も貯まったし、ここでのあたしの契約は終ったんだ」
キリトが、真っ直ぐに見つめるヒカミを睨みつけた。ヒカミが、それに対して苦笑する。
「聞いたんだろ? あたしの依頼主はレジェン、あんたの母親だ」
改めて、二人を思い出す。早くに亡くなった母と、母を愛しすぎていた父。母が亡くなってから仕事だけに逃げたほどに、母のいない家に帰って来ることも出来なかったほどに、愛していた父。
キリトには、母の記憶がほとんどなかった。もの心つく前に亡くなったのだから、当然といえば当然だった。
「ああ、これも聞いた? 昨日、リジーがあんたの秘書・・・なんてったっけ、カイバラ?に電話してたけど」
のどの奥でげ、と呟き、キリトは額に手をやってしゃがみ込んだ。前の道を行く暦屋が、何事かと眼を丸くしていた。対してヒカミが、壁に突っ伏して笑っていた。
「聞いてなかったのか。向こうで跳びあがってたぜ、絶対。すっごい声出してたもん」
「なんでよりによってカイバラだよ・・・。あいつの性格からして、来るぞ。他の奴だったら、半年も失踪してたガキなんて無視するってのに」
「だからだろ。一回、ちゃんと話してやれよ。お前がどんな気持ちで家出たにしろ、あっちはどう思ってるかわかったもんじゃないだろ。安心くらい、させてやれば?」
キリトは、俯いた。
「・・・関係ないだろ」
「なくない。あたしの依頼相手はジニーだ。言うことを聞いてやる相手は、ジニーだけ。・・・でもさ、本当は、ぎりぎりまで粘ると思ってた」
「何?」
「ジニーにはまだ少しだけど、時間が残されてた。だからあたしは、そのぎりぎりまで、お前と一緒にいると思ったんだ。昨日どんなやり取りが合ったか知らないけど、満足したんだな」
呆気に取られて、ついで破顔した。
この半年、疫病神だと思っていた人形。昨日になって判った、母の存在。リジーは、愛称なのだと言っていた。
きっとこの半年、あの人形のおかげでどうにかなった。
「さて」
そう言って、ヒカミは背伸びをした。
「元気でやれよ」
「そっちこそ」
道の向こうからカイバラが走ってくるのを視界の端で知りながら、キリトは笑った。そしてふと、思い立ってヒカミの背に声をかける。どうやって、母さんが人形に入ってたんだ?
「依頼料も貰うけど、依頼人の思いの強さ。あたしはそれを手伝ってるだけ。ってのが、今のとこの仮説」
「仮説?」
「ああ。なんでか知らないけど、こういうことができるからさ」
「知らないって・・・怖くならないのか?」
「使える物は屑でも使え、ってのがうちの一族の鉄則。じゃな!」
ヒカミが去って、背後からは半年前に聞いたのと同じ、カイバラの呼ぶ声が聞こえた。
一晩で来るか、普通? 半年も前に飛び出した文無しのガキのところに?
キリトは、笑っている自分に気付いていた。随分と、めぐまれている。こんな人がいて、半年も余分に、母と居られて。どうだ、悔しいか、親父。そんなことさえ、考えられた。
「キリトさん!」
――ああ。今日からは、自分で料理しないとな。
――困ったわ。
花嫁は、眉をひそめていた。
折角のウェディング・ドレスだというのに、サイズが合わない。着れないほどではなく、現に今、ちゃんと着ているのだが、いささか・・・というかかなりというか、腹の辺りがきつい。
多少見栄を張ってしまったせいか、昨日、最後だからと豪勢だった実家の夕食を食べすぎてしまったせいなのか。みっともなくて、誰にも言えやしない。
式は、まだ始まってもいないというのに、既に苦しい。あとは、根性で我慢するしかなかった。生地も根性を見せて、無様に敗れたりしないよう祈るのみだ。
とんとん拍子に話が進み、何か落とし穴くらいあるかもしれないとは思ったものの、まさかこんな情けなくかつ小規模な落とし穴があろうとは、考えもしなかった。
――弱ったなあ。
花婿は、頭を抱えていた。
もう式が始まるという今になって、まずい失敗に気付いてしまった。本物以上に犬猿の仲の上司同士を、隣り合わせの席にしてしまっていたのだ。今まで気付かずにいた自分に、いっそ驚きを覚える。
これはまずい。後で皮肉や嫌味を言われる程度で済めばいいが、子供じみた嫌がらせでもされたら・・・。
控え室でそのことに気付き、こうして大慌てで係の者を探しているのだった。誰に言えばいいのか、言って今から変えられるものなのかも判らないが、そのまま放っておくわけにもいかない。
家族でもいれば頼めたのだが、もう時間も近いからと、早々に控え室を出て行ったのが裏目に出た。まったく、今日は晴れの舞台ではなかったのか。
溜息をつく閑すら、ないような気がした。
――まずいぞ。
料理長は、声に出さずに呻いていた。
食材が足りない。しかも、誰の不手際というわけでもなく、強いていえば猫を街中で逃がしてしまった飼い主、ということになるだろうか。しかし、病院に行く途中で脱走した猫が、ホテルに入り込むなどと、しかもそこで食材を漁るなどと、誰が想像し得ただろう。
文句を言う相手がいないというのも、辛いところだった。
弁償その他の話は、支配人と飼い主の間で決着がついたらしいが、今問題となるのはそんなことではない。大急ぎで食材確保の手配をしたが、到着するにはもう少し時間がかかる。
全てが無駄になったわけではないとはいえ、全てを賄うには足りない。とりあえず通常通りに料理をしているが、このままではいけないのだ。
他の料理人の密かな視線を浴びながら、この場での最高責任者は、心の中でだけ頭を抱えるのだった。
――いやだ、どうしよう。
新郎の従兄妹は、顔を赤くした。
こんな場で熟睡できるというのは、逆に凄いのかもしれない。しかし、その理由がゲームのしすぎというのも問題だ。そんなことを考えながら、こっそりと控え目に、弟のわき腹をつつく。
しかし、例えうたた寝でもなかなか目を覚まさないのが我が弟だ。それに、中途半端に目を覚まして、寝ぼけて妙な行動をとられても困る。
一人焦りながら、周囲に座る親戚を見まわす。しかし、気付いていないのかわざとか、助けてくれそうな人は誰もいない。せめて両親がいればと思うが、仕事での不参加なのだから仕方ない。助けを求めて見回して、たまたま目の合った違うテーブルの幼い少女に引きつり気味の笑顔を返しながら、弟の頭をはたきたい衝動に駆られていた。
――参ったな・・・。
新郎と新婦の共通の友人は、溜息をついていた。
突然に跳び込んできて、咄嗟に受け止めてしまった。あそこで、跳ね除けるなりトスを上げるなり、他の対応をとれば良かったのだ。しかし現実として、反射的に受け止めていた。
花嫁のブーケをもらうと結婚できるなどと、誰が始めに言い出したのだろう。そのせいで今、知り合いも見知らぬ者も含めた女性陣から、睨みつけられる羽目になっている。そもそも自分は、既に結婚しているのだが。
周囲の視線が痛く、本日の主役である新郎は、にやりと笑っているようですらあった。
そこで咄嗟に、目に入ったまだ幼い愛娘に、ブーケを渡してしまった。周囲の視線は和らぎ、娘も純粋に喜んだが、若い父親が、しまった、と後悔するまでにそう時間はかからなかった。
娘の結婚はまだ先でいいと思う、やや先走りした父であった。
――その日、親しい者だけ残った三次会で、酔っ払った誰かがありきたりの言葉を述べるのだった。曰く、「結婚は人生の墓場だ。なんだって、好き好んで自分から入るんだ」と。
それでも人々は結婚をし、儀式としての結婚式を行うのだった。様々なドラマを秘めた、結婚式を。
久しぶりに実家に帰ると、途中の公園で子供が遊んでいた。
最近の少子化のせいなのか外で遊ばないだけなのか、こんな都市とは言えないところでも、その数は少なかった。ほんの、二、三人だけ。こんなだったかなあ、と、佑子は小さく見える公園の、少ない子供たちを、見るともなしに見ていた。
旅行カバンがずしりと重いのは、ただ思いからだけでは無くて。教師になるかならないかで母と揉めているからでもあった。大学に入ってから周りに合わせて買った大人びたコートとロングブーツも、少し窮屈だった。
不意に、子供たちが佑子を見た。その顔は三つ子かと思うほどに似ていたが、男の子が一人と女の子が二人なのは判った。
怪しまれたかな、と苦笑して、佑子は踵を返した。その途端に、コートから出ているスカートの裾を引っ張られる感じがした。
「え?」
いやな予感を感じながら振り向くと、三人の子供がそれぞれ、そう長くもない佑子のスカートを掴んでいた。
「あそぼ」
無邪気なのか何なのか。不審者扱いとどっちがましだろうと、少し考える。
「あ・・・あのね、お姉ちゃん、これから行くところがあるの。ね? だから、離してくれる?」
「あそぼ」
「いや、だからね・・・わかったわよ」
元々、子供は嫌いではない。そうであれば、今、こんなにも悩んで、母に口を挟まれたことで苛立つこともなかった。
早々に白旗を上げた佑子は、カバンを近くのベンチに置いた。
それから、高オニ、だるまさんがころんだ、影踏みと、懐かしい遊びが繰り広げられた。今でもやってるんだと、意外に思う。久々の単純な遊びは新鮮で、そのうちに、コートを脱ぐくらいに熱中していた。無軌道に動き回る子供たちには、目を見張るものがあった。
長い一日にようやく訪れた夕暮れに、締めくくりだと言って子供たちは、ブランコに乗った。二つしかないので、佑子は女の子のうちの一人と一緒に順番を待った。ブランコの天辺にも、軽く手が届くくらいになっていた。
男の子と女の子は、どんどんブランコを加速させていく。そして、つい危ないと言いそうになるほどに高く上がったところで、片方の靴を脱ぎ捨てる。高く、高く、前に。
その一瞬は、驚くほどに鮮明に、記憶に焼きついた。夕日に、影を負って上がる小さな靴。まるで、印象的な映画のワンシーンかのように。
「どれだけ遠くまでとばせるかをくらべるんだよ。やろう、ゆうちゃん」
女の子に呼ばれて、夢見るように一歩踏み出した佑子は、そのまま足を止めてしまった。六つの瞳が、それに気付いて不思議そうに見つめる。
「ごめん。無理」
「どうして?」
「ブーツだもん。できないよ」
踵に重みのある、ロングブーツ。当たり前だが、靴飛ばしを想定して作られてはいない。そもそも、脱ぎにくいと評判の一品だ。
「貸そうか?」という片足立ちの男の子の申し出を断って、佑子はカバンとコートを取りにその場を離れた。
――いいトシして何してたんだろう、アタシ。
自嘲めいた笑みを口の端に浮かべながら、佑子は三人を振り返った。最後に謝って、楽しかったと、ありがとうと言うつもりだった。ところが振り向くと、二人は飛ばした靴を拾いに行き、残った一人がすぐ近くに立っていた。
「明日は、大丈夫な靴はいてきてね」
「え?」
「バイバイ、明日」
「ばいばーいっ」
「じゃーね」
小走りに、走っていく子供たち。もう、三人の顔が似ているとは思わなかった。
顔を上げると、足音を立てて佑子は、帰途についた。
暗い夜道。
もっとも、暗いと言っても街灯がある。軒並み営業時間外の商店街とはいえ、完全に真っ暗になるはずがなかった。
そこを、一人の少女が歩いていた。片方の耳に携帯電話をあてている。背負った白とオレンジの鞄と二つにくくった長い髪が、一歩進むごとに仲良く揺れる。ロボットのような、ぎくしゃくした動きのせいだった。
『――で、見てみると、びっしりと小さな手が生えていて・・・』
「わーっ」
人気のない通りに、切羽詰った、だがどこか情けない声が響く。
居間でテレビを見ていた金物屋の主人が、一瞬怪訝そうに窓を見やったが、何をするでもなく、再び目線を戻した。
そんなことが、少女に判るわけがなかった。だが、自分の声に身を竦め、両手で強く、携帯電話を握り締める。
「誰がそんな話しろって言ったよ、バカっ。チカン避けに電話しろって言ったのお前じゃないか。怪談なんかするなよ」
少し泣きの入った声。ただでさえ、怖い話を本気で怖いと思ってしまうのに、夜道に、たった一人で聞かされてはたまったものではない。
だが、相手の声は変わらない。飽くまで淡々と、むしろ楽しそうにさえ聞こえる。
『俺、かけてきたら怪談するって言っただろ?』
言った。確かに言ったが、冗談だと思っていた。
少女は、「それはそうだけど・・・」と語尾を濁してしまう。
間があった。その一瞬がたまらなく怖くて、少女は体を固くする。建物の隙間に、何か得体の知れないものがいはしないか。店の看板の裏から、奇妙な生物が飛び出て来はしないか。
馬鹿げた事と思いつつも、全否定には至らない。自分の中途半端な想像力が恨めしかった。
『切れば?』
「・・・・怖い」
あっさりと放たれた言葉に、悔しいと思いながら従えない。このまま一人で帰るなんて、到底考えられない。
『じゃ、次の話。えーっと、これはねえ・・・』
少女は、心中「ばかやろーっ」と叫んだ。思わぬ肝試しに、足が重くなる。そうすると、恐怖の時間は益々延びるのだった。
他の友人に電話をかけ直せば良かったと、気付いたのは、家に着いた後のことだった。
【サンタクロウス】
一般的には、赤髪の子供の姿をしているといわれる。他の妖精のようにいたずら好きでもものをよく隠すが、その姿を見た者には幸運を授けてくれる。煙突を好み、特にクリスマス前夜に見られる。一部地域では、老人の姿をしているとも伝えられる。(世界俗説辞典・栄楽社)
東塔からは、聖夜祭のにぎやかなざわめきが聞こえてくる。逆に、学生寮となっている西塔は、すっかり静まり返っている・・・はずだった。
「なあなあ、ホントに見えると思う?」
「言うなら、『いると思う』じゃないんですか」
「だよなあ。巽ってガキだから」
「なんだよ、年一緒だろ!」
三種類の言語が、テンポ良く飛び交う。
「国」という概念が薄れて久しいが、この学園では、それが極まりつつも、個々を大切にしていた。他に例を見ないほどに様々な民族が共に生活しているが、共通言語の押しつけはない。代わりに、幼少時からの言語教育の為、ほとんどの生徒がいくつもの言語を自在に話せ、そうでなくても聞き取りはできる。
そういった環境のため、一年でも特に盛り上がる聖夜祭をすっぽかして寮に残った3人組は、それぞれの母国語――といっても、彼らはその母国を、知識としてしか知らないが――で喋っているのだった。
「そういうこと言ってんじゃないってーの」
金に近い茶の髪と深い緑の目をしたルイス・エンデが、身を乗り出して抗議してきた水無瀬巽を見下ろす。三人のうちではルイスが一番背が高く、十センチほど置いて、他の二人が並ぶ。
「そうですよ。巽、ルイスは年齢を問題にしてるわけではありません」
笑いながら巽の頭を、子供にするように軽く叩くのは、楊明月 [ヤンミンユエ] 。髪も瞳も巽と同じ黒だが、巽よりはいささか赤みがかっている。縁付きの眼鏡は常にかけているものだが、視力矯正手術の盛んな昨今では、ごく少数派だ。
「じゃあ何なんだよ?」
「お前は、精神的に子供だって言ってんの」
「どこが!」
「具体例その一。真夏にアイスの食べ過ぎで腹を壊した。今時、幼児でさえやらないボケだぜ」
「具体例その二。大雪が降った日に、機能麻痺している町や学校をものともせず、寒い中を嬉しそうに走り回っていた。貴重なほどに無邪気ですね」
「具体例その三」
「もういいッ」
ルイスと明月に二人がかりで証言され、むくれる巽。明月はよほど、その様子が子供っぽいのだと言おうかと思ったが、言いはしなかった。断然、今のほうが面白いし、羨ましいのだから。
巽は、座って頬を膨らませたまま、立っている二人を睨みつけた。
「お前らが老けてるんだよ。どっかのサギ師と学者みたいで」
学内でも有名人の二人は顔を見合わせ、噴き出した。互いに、「ぴったりだぜ」「絶対になれますよ」などと言い合っている。巽さえも、膨れ面をやめて、笑っている。
どんな言葉が飛び交おうと、そこに悪意はなかった。
この学園の寮は、無作為なコンピューターの選別で同室者を決められる。当初、正反対のルイス・エンデと楊明月は、それぞれが異なった方向での好成績者だったために、その同室を危ぶんだ教師もいたが、元々気が合ったのか、それとも巽が緩和剤になったのか、とにかく上手くやっている。上手く行きすぎて、結託して何かとやらかす三人に、今度は別の意味で頭を悩ませる羽目になったのだった。
そして今、校内きっての問題児の彼らは、本来ならば明け方まで騒ぎ通す聖夜祭を自主欠席し、暗い寮でサンタクロウスを待つのだった。提案者は、例によって巽だ。
「あ。これだけ騒いだら、先生たちにばれるかな?」
「大丈夫です。細かいことを気にする先生方は、今頃夢の中ですから」
今更の巽の疑問に、明月が先ほどまでとは違った種類の笑みを浮かべて応える。巽とルイスは、ちらりと互いに目線を交わして、明月とは少し距離を取る。
「・・・薬、盛ったのかな」
「・・・だろうな」
「・・・これって、ばれたら余計怒られない?」
「・・・ああ。ま、いつものことだけどな」
「あ、そっか」
「何が『そう』なんですか?」
背後から声をかけられた二人は、後ろめたくもないのに、何故か大袈裟なほどに首を振った。
「な、なんでもないよ。な、ルイス?」
「ああ、気にするようなことじゃないって」
「そうですか」
明月は、肩をすくめて窓へと向き直った。
西塔の入り口付近に、人影があった。遠くの東塔のざわめきを背に立ち、準備運動をするかのように、底に適度な厚みのある靴を踏みしめる。
塔の頂上を見上げたのは、ゴーグル越しにも判る、挑むような瞳をした少女だった。長めの前髪が、ゴーグルの上にかかっている。
「ったく。親父殿ってば、厄介なとこにばっかしかけるんだから」
そうした愚痴をこぼすと、少女はおむろに、西塔の城壁に模した壁を登り始めた。
「折角の聖夜だってのに。何が悲しくて、こんなとこ登らなきゃならないのよ」
少女の呟きは、冬の寒風に紛れていった。
「――のに、まだ聞こえるんだよ。だぁしてぇくれぇぇ・・・って」
話し終えた巽が、ろうそくの炎に照らされた他の二人を見ると、ルイスはともかく、明月の顔がひきつっている。意外にも、苦手なのだ。調子にのって続けようとすると、ルイスがそれを遮った。
不服そうに睨んだ巽だったが、様子が違うのに気付いて、大人しく口をつぐむ。しんとした中に、風とは違って、一定のリズムを持った音がした。
「この音は・・・」
「ああ。外だ」
「いや、何の音?」
ルイスが無言で崩れ落ち、明月が溜息をつく。ついさっきまでの真剣な空気は、一掃されてしまった。巽だけが、きょとんと二人を見やっている。
「おーまーえーなっ」
「なんだよ、だって、わかんないんだから仕方ないだろっ」
「俺たちがいつもやってるだろ!」
「・・・飯でも食ってんの?」
「どこのどいつがどんな食べ方すれば、あんな音が出るんだ!」
「誰かが外の壁を登ってるんですよ」
ようやく巽が納得して、脱力したルイスを残して小声の会話が打ち切られた。揃って、外の音に耳を澄ます。
――にぎやかに吹き荒れる風の音が、聞こえる。塔の内にこもった音は、獣の咆哮めいていた。それに紛れて小さく、石をこするような音。明月が指摘した通り、誰かが外から塔を昇っているのだ。
普通なら聞き逃すところだが、ルイスは耳がいい。他の二人に言わせれば、「ただの地獄耳」ということだが。
とにかくその音は、徐々に近付いてきて、一旦消えた。三人ともが無言で、各々中の興奮を押し留めながら、使われていない暖炉に向かった。自然と、忍び足になっている。
そこは、巽が「サンタクロウスが来るならここ」と目していたところだった。
「俺の勝ち! 明日の昼ご飯、ルイスのおごりだからな」
「甘い。泥棒だったらお前のおごり。ついでに、捕り物劇でニュース出演」
「その場合、怒られるのと褒められるのと、どっちでしょうね」
「・・・ったあ―・・・腰痛ー・・・え?」
静かに騒ぐ三人が出会ったのは、赤毛の、濃いゴーグルをかけた少女だった。
「ついてこないでってば」
「だって、ひまなんだもん」
「閑って、聖夜祭に出れば良いでしょ。今頃盛り上がってるんじゃない?」
「あんな子供騙し、つまんないんだよなー。お菓子とジュースしか出ないし」
「え? 俺結構好きだけど?」
「お前は別。精神年齢ガキだから」
「なんでだよ!」
口の減らない二人の傍らで、七月は額に手をやった。すると、七月とは対照的に、笑顔で二人を見ていた眼鏡の少年と目が合った。
「お疲れですか?」
「あんたたちのおかげでね」
「御愁傷様です」
「使うところ違うから、それ」
深深と、溜息をつく。
まさか、初等部の寮に、聖夜に居残る物好きがいるとは思ってもみなかった。七月自身、五年ほど前には似たような宿舎にいたが、もっと単純に聖夜祭を楽しんでいたと思う。多少いたずらはしたものの、学校を挙げての祭りを蹴ってまで、存在の疑わしい「サンタクロウス」を見ようなどとは、考えなかった。断じて。
そう考えると、なんだか、自分はそう手のかからなかった子供だったのではないかと思えてくる。――大きな錯覚なのだが。
「ところで、どこへ向かってるんですか?」
「んー、ちょっとてっぺんにね」
「何があるんですか?」
「あの狸親父が・・・って、あたし今なに言った?」
考え事をしていると、無防備になる。我に返った七月は、自分の癖を思い出して蒼褪めた。それでなくても、あと少しで目的の頂上に出そうだというのに。
「なあ巽、タヌキオヤジって?」
「狸みたいな親父だろ?」
「まんまだろ、それ!」
「たしか、狸は食えない人とかだったような・・・」
「人なんて美味いのか?」
「意味が違います」
いつからか、話を聞いていた二人が無自覚に茶々を入れる。「自分の言語くらい理解してろよ」という言葉が聞こえ、七月は再び深深と溜息をついた。――こいつらの先生って、大変だろうなあ。
「塔のてっぺんにある、親父の忘れ物を取りに行くだけ。これで満足した? ちなみに、君の回答で正解」
眼鏡の少年を指し示して、七月は一番上の小部屋へつながる扉に手を当てた。
『確認シマス。――照合中。――「ナツキ」一致シマシタ』
ピーッ、と高い音を立てて、扉が開いた。七月の後ろには、わくわくしている三人がいたが、自分一人だけが通り抜けてすかさず扉を閉める。
「えーっ!!」
三人の非難の声が聞こえたが、七月は、ほっと安堵の溜息をついたのだった。窓があるから、これでもう、あの三人と顔を合わさずに出ていける。
一方の三人は、暗闇の中で顔を見合わせた。ランタンは少女が持っていたため、手元にはなかった。
「・・・どうします?」
「どうって、このまま諦められるかよ?」
「さっき、なんか手ェ当てて・・・」
『確認シマス。――照合中。――不一致デス』
「えーっ、何ソレ!」
「ちょっと、代わって」
『確認シマス。――照合中。――不一致デス』
巽に続いてルイスも呆気なく玉砕し、二人の視線は、ほとんど見えないながらも明月に向かった。明月も、当然のように扉に手を当てた。
『確認シマス。――照合中。――「サンユエ」一致シマシタ』
「!」
先ほどの少女のときと同じように音を立てて開いた扉を前に、三人はまた顔を見合わせた。
「誰、サンユエって?」
「知るか」
「とりあえず、開きましたね」
――「「「やった!」」」
甲高い機械音に、七月は信じられない思いで振り返った。その手には、小さなガラスの容器が握られている。用事は済み、後は出ていくだけのはずだった。
しかし扉は開き、三人が入って来ていた。
「嘘・・・?」
呆気に取られて呟くが、三人は、そんな様子には構わず、小部屋の中を物珍しそうに眺めていた。
「ひどいよ、一人だけ入るなんて」
「それは、邪魔だというのも判りますけどね」
「でもあれはないよなー」
「・・・えーっと・・・訊くけど、あれ開けたの、誰?」
黒髪の小さな少年、眼鏡の少年、金髪の少年と順にランタンを付きつけると、最後の少年がにやりと笑った。
「交換条件。忘れ物って、何?」
やられた、と思うと、可笑しさがこみ上げてきた。本当に、先生たちは大変そうだ。
肩をすくめると、七月は持っているガラス瓶を三人に見えるように持ち上げた。
「これ。見るだけ、触っちゃ駄目よ。毒らしいから、こぼれたら大変」
毒、との言葉に、反射的に金髪の少年と黒髪の少年が身を引き、眼鏡の少年が身を乗り出す。そんな三人の反応に、七月は思わず苦笑した。
「厄介なものばっかり残していってくれたのよ、あの人は。こういう毒や、得体の知れない不老不死の薬とか、呪われてるっていう宝石とか。一覧のリストがあるんだけど、ホント、それ見るとろくな人間じゃないと思うわ」
「どうしてそんなものを、集めるんですか?」
「遺産相続の条件なの。お金は、まあ別に良いんだけどね。あたしのお母さんの遺品とかが、その中に含まれてるから。だから、協力して探そうって決めたのよ、判ってるだけのきょうだい皆で。――で、開けたのは誰?」
揃って顔を見合わせて、眼鏡の少年が軽く手を上げた。
「僕です」
「じゃあ、あなたがサンユエね? 漢数字の三に、月?」
三人は、訝しげに七月を見つめた。違うのか、と呟く。
「ごめん、間違えたみたい。それじゃあ、そういうことだから。誰にも言わないでいてくれると助かる」
「待ってください!」
「――何?」
七月は、ガラスの小瓶を慎重にズボンのポケットに入れ、窓に手をかけたところだった。ランタンは、そもそも寮のものを拝借していたので、部屋の中央に置いている。その体勢で、三人を振り返る。
「僕は、捨て児でした。その・・・元の名前が、三月、ですか?」
「知りたい?」
「――はい」
「どうして? 今の生活は、辛い? 違う自分になりたい?」
窓から手を離すと、眼鏡の少年――三月に向き直った。
少年が、首を振る。他の二人は、黙って、そっと見守っているようだった。
「ただ、知りたいだけです。あなたが知っているのなら、知りたいだけです。そのあとどうするかは・・・考えていません」
「まあ、いいけどね。本当に、後悔しない?」
「・・・多分」
「慎重ね。その方が好きよ、あたしは。――こんなところで会えるとは思ってなかったわ、きょうだいに」
一秒、二秒、三秒。
三拍置いて、小さな少年が、え、と声を漏らした。
「えーっ! 何、なんで? えっ、じゃあ明月、この人と一緒に宝探しするのか?!」
「・・・いや、ちょっと黙ってろ、お前。な?」
「でも、だって! そうなったら、もう明月と遊べないじゃん! やだよそれ!」
思わず、七月は微笑した。それは三月も同じで、どこか、その笑顔はほっとしているように見えた。
少年は、友人たちを見やってから、七月に向き直った。
「この場合、どうなりますか? 僕が何かしなければ不具合がありますか?」
「遺産相続に? ううん、別に。ただ、欲しいなら探すのに加わってもらわないと、やっぱりちょっとね。人数多いから、いろんな意見があるし」
「それなら・・・」
「待った」
金髪の少年が、三月と七月の間に割り入るようにして、挙手した。驚いて、三月ともう一人の少年が見つめる。
「質問。多いって、どのくらい? これは、ただの興味だけど。本題はこっち。――それって、明月一人でやらないと駄目なこと?」
「きょうだいは、全部で十二人・・・の、はず。多分ね」
「多分って?」
「あちこちで子供作って、名前だけつけていったっていう最低男だから。で、順番滅茶苦茶だけど、月の名前でいってる筈だから。ちなみにあたし、漢数字の七に月で、なつき。よろしくね、三月・・・明月って呼んだ方がいい?」
「はい」
にこりと笑う。そこには、迷いは微塵もなかった。
「ええと、それで・・・一人で、ねえ。うーん、別にいいんじゃないかな? 人雇ってるのもいるし。手伝う奴らには、当然遺産は行かないし、何人でやろうと、分配は一人分だけだろうけどね」
何やら、顔を輝かせる三人組に、七月は思わず微笑した。考えが、手に取るようにわかる。きっとこれは、最高の冒険なのだろう。
それでいい。
少しばかり血の繋がったあのきょうだい達は、皆、それぞれの動機に基づいてこんなことをやっているのだから。
「詳しいことが知りたかったら、ここに連絡して。五月って奴。照合のために地下髪の毛でも送れって言われるけど、悪用はされないから。それに、結構話の分かるやつよ」
連絡コードの書いた名刺を渡して、今度は制止の声の挟まれる前に、ひらりと窓から外に出た。
帰りは、ブーツの重力緩衝装置が作動するので、ただ塔の壁面を滑り落ちるだけで良かった。
「あー。行っちゃった」
巽が、残念そうに窓から身を乗り出す。
万が一を考えて、ルイスがその服の一端を掴んで、明月の方を向いた。
「さあ、どうする?」
お膳立てはしてやったぜ。
言いもしていない声が聞こえて、明月は、微苦笑した。どうするも何も、決まっている。
「僕と巽はともかく、ルイス、あなたは授業を削った方がいいでしょうね。そうしないと、空き時間ができない」
「んー。じゃあ、構造理論と行政書類削るか。そうすれは、丸一日空くだろ。お前も、栄養素学削っとけ夜」」
「あれは、ビデオ授業とレポートでも大丈夫です」
悪戯を考えるときの様子そのものの二人。
しかしそれも、巽の声に変化する。
「あ! 走ってきた、警備員だ!」
塔は高いが、巽の視力は、大平原で育ったかと思うほどにいい。ルイスと明月は、顔を合わせる間も惜しんで、巽を引っ張って自室へと駆け戻った。
後日、ルイスは構造理論と行政書類書式の授業を辞め、明月は栄養素学に直に出席することはなくなった。そうして、それらの授業のある日、三人で連れ立ってで歩くことが増えたのだった。