
「ただいまー」
髪の短い少年、いや少女が元気良く扉を押すと、扉につけられた鈴が盛大に鳴り響いた。店の中にいた青年は、音に顔をしかめ、何か言ってやろうとして唖然とした。
そこには本来あるはずの、彰――少女の名だの顔――はなく、代わりに、色とりどりの花のかたまりが浮かんでいた。一瞬何か判らなかったものの、すぐに彰が花を抱えているのだと気付いたセイギ――元々は、正義という名だった――は、しかし、その色のかたまりが移動したときには大きくのけぞった。
その花が、喋った。
「ロクダイ、花瓶どこ?」
「ロクダイならさっき出かけ・・・って、なんで居るんだよっ?」
出かけたはずが、何事もなく店の奥から幾つもの花瓶を抱えて出てきた着流しの青年、ロクダイ――本名を、セイギは知らない――に目を見開く。一方ロクダイは、端正な唇の端に、人の悪い笑みを浮かべた。
「わしは先刻から帰っておる。お主がぼんやりしておっただけじゃろう」
「とか言って、裏口から入っただけなんだよね」
「なんじゃ、ばれておったか」
「判るよ、それくらい」
明るく笑いながら言う、彰。
二人が仲良く花を仕分けている様は、ほのぼのと明るい上、ドラマかのようにはまっている。そんな光景を一人離れて見ながら、セイギは疑念が湧いてくるのを抑えられなかった。
――もしかして俺って、遊ばれてる・・・?
ご近所で、「親しみやすくかっこいい」と評判のセイギも、この二人にかかっては形無しだった。
今や、半ば魂の抜けた状態でぼんやりと二人を見ていたセイギだが、不意に叫んだ。
「彰っ、お前その花どうしたんだよ。そんな金あったか ?ロクダイっ、その花瓶売り物じゃないか!」
『月夜の猫屋』は、喫茶店、雑貨屋、何でも屋という肩書きを持っている。そして、喫茶店店長は高校生くらいに見えるセイギが、雑貨点店主は新社会人くらいに見えるロクダイが、何でも屋所長は小学生のような彰が、それぞれ受け持っている。
だが、そのほとんどの営業が芳しくなかった。
口コミでの人気はあるようなのだが、どうも入り辛いらしく、女子高生の団体が入ってくるくらいだった。
商品自体の利潤が少ないこともあり、『月夜の猫屋』の帳簿は、いつも赤と黒の間を綱渡りしているのだった。そこに、彰が気まぐれにかってくる物やロクダイが仕入れる売れそうもない商品の代金、約二分の一の確立で作り出されるセイギの珍品料理の材料費を加えると・・・・。
この際セイギは、自分のことは棚にあげた。
「どうなんだよ?」
「向かいの花屋さん・・・カササギで、切花の安売りをしてたんだよ。少しくらい良いでしょ?」
「お前の少しは、全然全く少しじゃないんだよ!」
「しかし、花瓶も余っていることじゃし」
「それは売り物だろうが!」
セイギの声と、手を滑らせた彰が盛大にぶちまけた花とが飛び交う店内に軽やかな鈴の音が鳴り響いたときには、もう遅かった。
逃げる客を目の端に捕らえ、彰があっさりと宣言する。
「これで今週十二人目だね」
水曜日の、夕暮れのことであった・・・・。
その日は、きっちり朝から晩まで休業中だった。
そもそも、喫茶店兼雑貨屋及び何でも屋の『月夜の猫屋』は、仕事収めの二十八日から仕事始めの4日まできっちりと休業日を取る。何しろ、元々人の入りの少ない店なのだから、開けているだけ無駄というものだ。かくして猫屋は、昨今珍しく『年始年末にお休みする』店となっている。
だが、だからといって仕事が減るわけではない。むしろ、大掃除やおせち作りで開店時よりも忙しくなる。その上、本業の『幽霊達の迷子センター』としての仕事は、休みなどあるはずもない。
ところがその日は、本当に『休業日』だった。おかげで、店内大掃除を十分に出来たのだった。その日――十二月三十一日に。
――午前八時十四分、掃除開始
「うわ―、凄いほこり。毎年やってこれだったら、掃除しなかったらどうなるんだろうね?」
「彰、無駄口叩いてないで掃除しろ」
いつものエプロンではなく、使い古されてぼろぼろになったエプロンをつけ、彰に雑巾を投げ渡す。ロクダイは、いつも通りの服装で、器用にほこりを逃れながら掃除機をかけている。足元は、彰が言うように大量のほこり。
雑巾を受け止めた彰は、素直に床を拭いていく。
上から下にかけて、というのが掃除の基本なのだが、この調子では床そうじをした後にもう一度、テーブルなどを拭いていくしかなさそうだ。
「ねーセイギ、モップ買おうよ。雑巾で床拭きなんて、小学校の掃除じゃないんだから」
ロクダイが掃除機で吸い取った後のはずなのだが、雑巾はすぐにほこりにまみれてしまう。セイギの雑巾も同様だった。
「駄目だ。買うなら、無駄遣いを何とかしろ」
誰の、とは言わない。三人ともが、それぞれに無駄遣いをしているのだから。
「こっちは終ったぞ。セイギ、ここを拭き終えたら昼にせんか?」
「そうだな」
――午後一時ごろ、昼食
――午後四時ごろ、拭き掃除終了
「それじゃ、各自いくか」
セイギの一言をきっかけに、それぞれの分担区へと散る。セイギはキッチンに、ロクダイは店の外に、彰は二階の応接間に。それぞれの部屋は、昨日のうちに掃除し終えている。
「終ったら、キッチンに来てくれよ」
「わかってるって」
「わかっておるよ
――午後四時二十三分、店回り終了
――午後四時五十七分、応接間終了
――午後七時ごろ、大掃除終了
彰が、店のテーブルに突っ伏している。ロクダイも、やや疲れ気味に自分で淹れたお茶を飲んでいる。
「疲れたよー」
「年寄りには、ちいとばかり厳しかったのぉ」
「だよね。なのにセイギってばさ。絶対人間じゃないよ、あれ」
二人の脳裏を、嬉々として掃除をしていたセイギがよぎる。セイギの努力と彰、ロクダイの犠牲のかいあって、店内はかなりキレイになったいた。
自称「年より」の二人だけが、ほこりをめいいっぱいかぶったせいで薄汚れている。
「あれ、ここでそば食べるのか?」
同じく薄汚れているセイギが、エプロンを取り替えて店のほうにやってきた。対する二人は、力なく首を振るだけだった。
――午後七時二十分、紅白開始
居間で蕎麦をすすりつつ、現在では視聴率が落ちたという紅白歌合戦を見る。
――午後十一時四十五分、紅白終了
――午前零時丁度、新年到来
一回の喫茶店にいた三人の耳に、足音が聞こえた。なるべく音が立たないようにしているものと、羽音。
「Happy new year ! 」
「くるっくー」
長い髪の少女とふわふわした真っ白な鳩とが元気よく扉を開く。彼女達が真っ先に目にしたのは、誰もいない空間だった。
「あれ? いつもはここに・・・・きゃっ」
「いらっしゃい」
「お待ちしておりました」
「ごゆっくりどうぞ」
少女の背後から彰が、扉の後ろからロクダイが、彼女達が来たはずのキッチンからセイギが出て来る。一人と一羽は、大きく目をみはった。
「驚きましたよー」
そうは思えないほどにのんびりと、少女が言う。
一斉にふきだした一同は、手近な椅子に座り、セイギの持ってきたお茶を手に取った。
「あーあ。驚かせようと思ったのに、逆に私が驚かされちゃうなんて」
「だって多優、いっつもこの時間ぴったりに来るんだもん」
「そうか。今度からは時間をずらせばいいのか。頑張ろうね、とりさん」
「くー」
お茶と和菓子を片手に、他愛もない雑談が始まる。
毎年恒例となった猫屋での会合だった。
「いらっしゃいませ」
外からの暑苦しい空気をものともせず、彰はにこやかに言った。店内には取り敢えず冷房が入っているので、外のような蒸し暑さはない。多優は、小さく息をはいた。
「こんにちは。何か冷たいもの下さい」
「何でも良い?」
「はい」
「セイギ―、トロピカル風二つ」
店の奥に呼び掛けて、多優に椅子を勧めた。本来であれば厨房まで言いに行くのだが、仕事仲間という気安さと、店内に他の客がいないことから、つい省略してしまう。常に開店休業状態といっても過言ではない「月夜の猫屋」は、夏休みのおかげでいつもに増して暇だった。
「ついでに、宇治金時を頼もうかの」
「全然ついでじゃないって」
正義の恨めしそうな声を背に、二階から下りてきた征が二人のテーブルに近付いてくる。相変わらずの和装だ。
「こんにちは。お邪魔してます」
「仕事にはもう慣れたか?」
「少しは。結構人使い荒いですよね」
まだ幼さの残る顔に、ふわりとした笑みを浮かべる。
多優は、半年ほど前に「幸せ配布局」の仕事についたばかりだった。自分の属する「幽霊達の迷子センター」といい、楽しいけど誰がつけたんだろう、と考えてしまう彰だった。
征がそれを眩しそうに見やっている一方、彰は店内の装飾具と化している、実は「雑貨屋」の売り物であるはずの小物入れを開けて、中から薄桃色の紙片を取り出している。
店中は、置かれている古びた品々――何割かは雑貨屋の商品なのだが、ほとんどの人が店内の飾りと思い込んでいる――のせいか、空気までがどこか古びている。蝉の声を聞きながらも、多優は別世界にいるような心地がした。そう思ってから、少し可笑しくなる。既に自分は、「別世界」にいるのに。
「ロクダイ、プレゼント」
彰が、先程取り出した紙片を渡して微笑んだ。多優は、その声で考え事をしていたところから引き戻されて、紙片を見た。割引券のようだ。
「やっぱり、デートには花がいるでしょ。カササギのやつだよ」
「ああ・・・。すまんのう」
「あんまり花買って来ると、セイギ怒るんだもん。ロクダイが使うのが一番だよ。ロクダイ、今からデートなんだ。花くらいもって行くべきだよね?」
不思議そうに見ていた多優に、いたずらっぽく微笑む。どう見ても多優よりも年下なのだが、そこには微妙な違和感がつきまとう。
「ロクダイさん、彼女いるんですか?」
「昔の、じゃがな」
苦笑するように言った。一瞬、彰を見る。そこに、正義の声がとび込んで来た。
「おーい、誰か運ぶの手伝え」
「駄目だなあ、そんなんじゃ曲芸師にはなれないよ」
からかい気味に言葉を投げ掛けながら、彰が立ち上がる。移動しながらも、正義との言葉のやり取りは続いている。
外では、太陽が南中しつつある。これから、もっと暑くなるだろう。多優が何気なく時計に目をやると、サイレンが鳴り響いた。正午だ。日めくりカレンダーを見て、ようやく今日が終戦記念日なのだと気付く。
見ると、征が黙想していた。祈るような、堪えるようなそれに、実際には、征が自分よりも多い時間を過ごしてきた事を思い知らされる。
「お待たせ。ついでだから、お昼も一緒にってさ。ロクダイ、どうする?」
飲み物に合わせたのか、色んな物が挟まれたサンドウィッチがやまほど運ばれて来た。それとも、始めからそのつもりだったのだろうか。短時間でこれだけ作ったとなると、ギネスにも載れそうだ。その後ろから、飲み物と宇治金時を載せたトレイを持って正義が現れる。
「ロクダイ、折角作ったんだから、これ食ってから行けよ」
「かき氷だけ、先にもらおうかのう。後は、帰ってからで構わんか?」
「ああ、今日終戦記念日か」
カレンダーに目をやって、正義が頷く。彰が、小首を傾げて言った。
「どうして終戦記念日なんだろうね。敗戦記念日の方が、合ってるような感じなのに」
「体裁が悪いからじゃろう」
「ふうん」
言いながら、サンドウィッチをほおばる。
「彰・・・。いただきますくらい言えよ」
「あ。ごめんごめん。いただきます」
「忘れるなよな。こういうのは、作った人と食材を育てた人に感謝を込めて・・・」
「若年寄」
「それはお前の方だろう」
言い合う二人を眺めながら、征は順調に宇治金時を食べていた。二人のやり取りにか、微笑している。古びた光景の中で、ここだけは活気がある。
「多優、食べないの?」
彰が、不思議そうにサンドウィッチを示す。多優は、笑顔になった。「食べますよ、もちろん」
この後、暑い中でまた仕事に行かなければならない。でもそれも、大したことではないと思える。「生きる」ために、選んだ事なのだ。自分がここにいるために。
多優は、冷たいジュースに手を伸ばした。
『猫屋』上部にある居住区で真っ先に目を覚ますのは、大抵征だ。
目覚まし時計も使わずに目を覚ますと、手早く身支度をして正義の部屋へ向かう。季節が初冬のため、外はまだ暗い。
「セイギ、起きろ。頼んだぞ」
その声とノックの音に、正義が己の眠りの浅さを呪いながら起き上がる。半ば無意識に、寝癖のついた頭で、洗面所へ行くべく歩き出す。既に、征の姿はなかった。
――6:14
テーブルの上には、伏せられた茶碗と汁物の器がある。他には、卵焼きに漬物、キンピラゴボウなど。少しばかり時間の余った正義は、彰がスーパーでもらってきた出来合いのキンピラゴボウに箸をつけた。
「・・・味醂が足りない」
誰に言うでもない、ただの呟き。そして、箸を置いて立ち上がる。
この後、キンピラゴボウを調理しなおし、今度は味醂を入れすぎてしまうのはお約束というもの。
――6:19
いつの間に外から戻って来たのか、征がリビングに入ってくる。相変わらずの着流し姿だ。
「外、何かあったか?」
「いや、変わらぬよ」
征は、自然な動作でテーブルに近付いた。白い器に入ったキンピラゴボウが、湯気を立てている。
正義は、全く気付いていなかった。
ついさっきまで、この辺りに痴漢が出ると聞いた征が、かつらと女物のロングコートを身につけて出掛けていた事を。それは、目撃者も作らずに見事撃退した。ただ、正義が知れば、その姿を見れずにさぞ悔しがった事だろう。
――6:23
「起こしに行くか」
「ああ、わしが行って来よう」
「じゃあ、よろしく」
テーブルの上には、湯気を立てる味噌汁とご飯。彰を起こしに行った征を見送り、正義は再びキンピラゴボウに箸を伸ばした。
「味醂が多い・・・・・・・・」
一方征は、彰の部屋にいた。いくら外から呼んでも目覚める気配がなかったからだが、それ自体はそう珍しい事でもない。彰は、眠りが深いのだ。
「彰。まだ寝ておるのか?」
布団にうずくまった小さな体を、その上から軽く揺する。少しして、眼が開いた。だが、どこか虚ろで遠くを見ている。
征など、目に入っていない。
「行っちゃやだ、兄[あに]さん・・・・」
まだ十分には成長していない、だが決して大きくなる事のない子供の手が、着物の袂を掴む。しかし、それも一瞬だった。すぐに、視点が定まる。
「・・・ロクダイ?」
「――――起きたか。朝じゃよ」
「うん。ありがとう、起こしに来てくれて」
無邪気な、明るい笑顔。
ある、朝の出来事だった。
寂れた感のある通りに、その店はあった。
呑気な中年のおばさんが経営している駄菓子屋、『ぽんぽこ堂』とすでに置物としかけている老人の鎮座する古書店『木辻古本屋』を両脇に、どちらかといえば苗木を中心においている花屋『カササギ』を向かいにして、古ぼけた扉にそれと同じくらい古ぼけた、裏に『ただいま閉店中』表に『月夜の猫屋』と書かれた看板をかけていた。
それが今は、その看板は姿を消している。まるで最初から何もかかってなかったかのように、木目の浮かんだ扉は沈黙をしている。ほこりと日焼けのせいで見えにくい窓ガラスを覗き込んでも、そこには何もない空間がひろがっているだけだった。
喫茶店兼雑貨屋及び何でも屋、という胡散臭い肩書きの店『月夜の猫屋』は、この地を離れたのだ。