
月が浮かんでいた。
満月のはずの月は、誰かにかじられたかのように欠けていた。今日は月食だ。私は、それをただぼんやりと見ていた。ノストラダムスの予言が当たるなら、そろそろだなあ、と思いながら。
もう七月末で、私の誕生日まで片手で足りた。私だけは、それが来ない事を知っていた。はずだった。
世界がどうなろうと、関係ないと思っていた。
たった一人でケーキを買って食べる。誕生日は、いつからか連れ添ってきた寂しさと、一人だということを実感する日でしかなかった。
普段あまり人の入らない屋上には、何故かボールが転がっていた。あまりにも荒涼としているように見えた。
それがやって来たとき、私は星の数を数えていた。りんご一個分くらいのためらいが残っていたから。
それは、少年だった。
「変な奴だな。なんでこんなところにいるんだ?」
「・・・上から降ってくる方が、ずっと変だと思うんだけど」
驚いているはずなのに、ついそんな言葉が出ていた。減らず口、という言葉が思い浮かぶ。未だ、自分が良く判らない。
しばらく、子供のような言い合いをしていた。初対面の相手とこんなに話せるなんて、思ってもいなかった。
気付くと、見上げた空には、真ん丸に戻った月と夏の大三角が仲良く浮かんでいた。
「ここも、結構楽しそうだな」
「私は嫌いだよ。誰も、私のことなんて気にしてない。気付いてない。いなくなったって、すぐに忘れられる」
「・・なんで諦めるんだよ。言や良いじゃないか。無理にでも、気にさせればいいだろ。諦めて、後悔して、辛くなるだけだろ」
――満月が、歪んだ。
予想に反して、誕生日はやって来た。もっとも、無事にとは言い難い。甘党の友人にせがまれて初めて作ったケーキは、ちょっとお目にかかれない代物になった。
この頃には、人々は次の祭の口実を探していた。相変わらず、地球は度し難い人間を載せて回っている。世界を捨てようとした、私も一緒に載せて。
そして、平凡な毎日が始まる。
――そうだ、屋上の鍵。見つかる前に、新しく付け替えておこう。
「あっ、落ちた落ちた」
「司さん・・・」
「え、何?」
人の悪い笑みを浮かべて、司が振りかえる。遊ばれている事が判りつつも、律儀に応えてしまう自分が哀しい。
足元に気をつけながら、俊葉は深深と溜息をついた。頭上では、木々から時折覗く空で星が「落ちて」いるらしい。
「仮にも受験生でしょう」
「受験生ったって、高校三コしかないっしょ。それに俊葉、うちの首席じゃないか。心配ないない」
「そういう問題じゃあ・・・・」
「じゃ、どういう問題?」
そう言われると困る。実のところ、俊葉自身もまず受かるだろうと思っているのだ。
「あとどのくらい歩くんですか?」
「話逸らすの、下手だねえ」
俊葉の前を歩いていた司は、笑って横に並んだ。肩を組んで、遠慮なく叩く。俊葉は半ば見栄で平静を保っているというのに、元気なものだ。
この幼なじみには、いつも敵わない。
格別何が劣っているというわけではないのだが、司には弱い。まあ、精神的なものほぼ間違いなく、幼年の頃のすり込みによるものだろう。昔の司は、今以上に「ガキ大将」だった。他にもそういう女の子はいたが、未だに遊ぶために野山を駆け回っているのは司くらいのものだ。
「ほら、着いたよ」
急に、空が見えた。
その場所だけ、木がなかった。教室の四分の一もないだろう広さで、土にうずもれた岩が転がっている。岩と岩の間を埋めるかのように、落ち葉が積り、草が生えていた。
ひときわ大きな岩を指して、司は無造作に寝転がった。ゆるく傾いた岩に仰向けになり、空を見る。俊葉も、それに倣った。冷たい石の感触が、厚着をした上からも伝わってくる。
だがそれどころではなく、二人は、ただひたすら落ちて行く星々を見ていた。
落ちて行く星が少なくなったとき、ようやく司が口を開いた。空から降るような、地を伝わってくるような声の聞こえ方は、どこか新鮮だった。
「月の兎さあ・・・・帰れたかな」
昔。司の姉が作った絵本を読んだ二人は、しばらくその事が頭から離れなかった。月を見ずにはいられなかった。
二人のどっちかがこんな風になったら絶対に迎えに行くと約束したのも、今では随分昔のような気がする。月の兎は向こう見ずで、夢ばかり見ていて、自分たちに似ているような気がしていた。
「きっと、仲間が迎えに来ましたよ」
「話は最後まで聞け、バカ。とか言われてね」
司の、動く気配がした。見ると、岩の上にあぐらをかいていた。
「あの話さあ、この前お姉ちゃんにしたら、キレイさっぱり忘れてたんだよ。暗い終わり方ねえ、とか言って笑ってんの。作った本人なのにさ」
十近くも年の離れた姉は、ここから離れた町で、既に結婚している。滅多に会えない事が淋しいらしく、たまに会えたとき、司は随分とはしゃいでいる。何故か、俊葉はそんな司を見るのは苦手だった。
星が、落ちる。
星の降る日に、月の兎はこの星に来た。きっと来るときと同じように、星に頼めば帰れると、昔俊葉は思っていた。
「なんかさ、これで明日学校あるって、サギだと思わないか?」
「仕方ありませんよ」
「そりゃそうだけどさあ」
「それに司さん、学校好きでしょう?」
返事はなかった。むくれて、そっぽを向いているようだった。
昔は天災のようなものだった、凶兆のしるしでもあった流れ星は、今では少しだけ特別な行事でしかなかった。