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さいかい

「これで23件目、ですか」
 眼下の緩やかなくぼみを見下ろして、キリエは言った。特に感情もこめていない、確認だけの声音(こわね)で。
 その隣で、キリエより少しばかり背の高いリナは、鮮やかな緑に目を見張りながら応じた。こちらは、幾分弾んでいる。初めての外(そと)仕事が楽しいらしい。
「ここが最新ですね、今のところ。このところ連発だったけど、まだ続くと思いますか?」
「資料、読んでいますね。以前も似たような消失事件が相次いで、十四年前に止んでいます。そのため、捜査は打ち切られました。その結果がこれです。もしまた止んだとしても、気を抜かない方がいいと思います」
 やはり静かに、切り返す。
 キリエは数年前に多発した村落消失事件の数少ない被害者として認定されている。この事件で認定される被害者は少ないが、それも仕方ない。なにしろ、突然にひとつの集落がほぼ丸ごと消失するのだ。後に残るのは、本来の地形と鬱蒼と生い茂る緑のみ。
 被害者は、たまたま村を離れていたり外れに住んでいた者ばかりだった。つまり、本当の被害者は、すべて家屋ごと行方知れずになっているのだ。
 それらをすべて資料で知っているはずのリナは、うーん、と小さく腕組みをして首を傾(かし)げる。その動きに従って、ホルスターに差し込んだ気銃(きじゅう)が金属的な音を立てた。 
「そうですねえ・・・。あっ、センパイセンパイ、これで一時休止して、次は34件目で止まるんじゃないですか?」
「何故ですか?」
「だってほら、前回が12件目、今回が23件目。ね?」
 キリエが、風に長い髪をあそばれながら、右手を顎(あご)に当てて考えの体勢に入る。リナは、大いに慌てた。
「じょ、冗談ですよ、本気にしないでくださいよ!」
「いえ、ないとは言えません。この件に関して、有力な仮説を立てた者さえいないのですから。一考に値しますよ」
 珍しく笑顔を見せたキリエに、リナが顔を赤くする。
 ――ぜったい、絶対ゼッタイ、センパイは自分のことわかってない! こんな笑顔見せられたら、誰だってどこまでだってついていくのに!
 部署内で「仮面女」とあだ名をつけられて敬遠されているキリエを、リナは嫌いではない。むしろ、付き合ってみるとどこかすっとぼけたような性格が好きですらある。
 それだけに、周囲の評価を気にせずに行動し、その結果悪く言われるのが我慢できなかった。本人が気にしていなくとも、リナは気にする。
「・・・どうかしましたか?」
「え?」
「急に黙り込んでしまって。疲れたなら、戻りますか? 出張の許可は、あと三日はとってありますから」 
 国内の治安維持のために打ち立てられた防衛署は、大きく三つに分けられる。ひとつは人の起こした犯罪などに対する人倫署、もうひとつは漁業や林業、天災に関した天然署、そして二人の所属する未知署、通称よろず署あるいはガラクタ署。
 未知署は、人倫署や天然署に当てはまらないものや人外の動物などに対処する。れっきとした政府事業なのだが、一番民間事業と勘違いされやすいのもこの署だった。
「それは、清潔なシーツとかあったかい布団とか柔らかい枕とか、できるものならもぐりこんで眠りたいです。ここまで、野宿だったんだから。お風呂だって入りたいですよ。でも、センパイは一人でも今から村跡に降りるんですしょう?」
「そのつもりですが」
「だったら行きます」
 元気な笑顔を見せて、リナは足元に下ろしていた荷物を持ち上げた。

 もとは村があったはずの地面は、それまでの集落と同様に、もう何年も人が踏み入っていないような草地になっていた。それでも木が生えていないのが、妙といえば妙だ。しかし、あったはずの広場や畑は全く見られない。
「センパイ、いつもこんな感じなんですか?」
「はい。見事なものですよ。ほうき一本、手拭い一枚残らない。そして、一年もすれば木の種が芽吹き、人が植えるよりもずっと早く森になる。ひょっとすると、自然の回復機能かもしれませんね。もしそうであれば・・・」
 キリエの言葉はそこで途切れた。
 リナが訝しげにキリエのみつめる先を見ると、二十代後半くらいの背の高い男の人が立っていた。着ているものはあちこち乱れ、顔色もいいとはいえない。だが、倒れそうには見えなかった。
「あの・・・この村の人、ですか?」
 口を開かないキリエに代わって、リナが遠慮がちに訊く。この村の状態が発見されてから大分経ったが、その可能性がないとはいえない。
 何故か男は、キリエを凝視していた。
「あのー?」
「え? あ・・・・、えっと?」
 はじめてリナに気付いたように、男は視線を移した。声や仕草からも、初めの印象より若い感じがする。
「私たち、未知署の者です。この村の人だったら、話を聞きたいんですけど」
「いや俺、ただ通りかかっただけなんだけど。ここで一泊するつもりだったんだけどなー、あてが外れたか。あんたらは、その年で政府役人? 凄いなあ。ついでに、俺に宿があるとこ教えてくれない? うまい飯とふかふかの布団、夢に見るほどなんだけどさー」
「こことは無関係なんですか?」
「ああ」
 キリエとリナは、視線を見交わした。調べなければならない諸々(もろもろ)の数値は測っていないが、そろそろ日の陰る時刻だった。

 どこに行くつもりですか、アオイ」
 わずかに欠けた月が、高い位置から光を投げかける。家々の灯(ひ)は落とされ、灯(あか)りといえばそれと星だけだった。
 宿の外で、キリエは宿の壁に背をあずけ、腰に下げていた刀を杖のように手に持ち、男を待っていた。布団には一応、荷物とまくらで細工をしてきた。部屋を出るときも、リナを起こさないようにしたつもりだ。
 男は、薄闇の中でもそれとわかる苦笑を浮かべた。
「名前、覚えてたんだ」
「恩人の名ですから」
「・・・恩なんて、かけた覚えないけど?」
「それでも、私がここにいるのはあなたのおかげです。十四年前、私の村が消えたのもあなたのおかげだと私は思っていますけど」
 リナに向けるのと変わらない、表情に乏しい顔を向けて淡々と。
「あなたは何の釈明もせずに、私だけを助けて姿を消した。何故です?」
 あの日は、月のない夜だった。それでも、夜中に目を覚ますと何もないのがわかった。ただ、遊び疲れて手をつないだまま眠った友人の温もりだけがあった。
 それが村落消失の12番目だと知ったのは、後日のことだ。
 夢と思って再び眠りについたキリエが目覚めて見たのは、一面の緑。そのときには、友人は姿を消していた。
「なあ、俺は助けてなんかないんだ、誰も。お前が助かったのは偶然で、俺は・・・ひどいことしかしてないんだ」
「話を聞かせてください。そのために私は、この仕事にも就いて、何年も待ったんです」
「・・・そうだな。お前には、その権利がある」
 俯いて陰に表情を隠して、アオイは言った。そして、言葉を選ぶように少しの間沈黙する。空間が、虫や夜行性の動物たちの声に満たされる。
「俺が眠ると、村が消えるんだ。村や人を消したのは、俺なんだよ。どうなってるのかは、知らない」
 口を開きかけて、キリエは沈黙を選んだ。そのことに気付いて、アオイが言葉をつなぐ。
「ああ、全部が全部ってわけじゃない。いつ起きるのか、判らないんだ。四日くらい連続で続いたかと思うと、一月くらい、ぜんぜん起こらなくて。普通になったんだ、と思ってもまた、起きる」
 辛そうに、言葉を切った。それでも、言葉の調子だけは明るい。それが、キリエには余計に辛かった。
「しばらくは、自覚がなかった。記憶のない赤ん坊のころなんて当然だし、物心がつきだしても、何か変だなあ、くらいにしか思ってなくて。俺を見つけて育てようとしてくれた親切な人たちばっか、巻き込んでたんだよなあ。まあ、中には人買いなんかもいたみたいだけど、だったらいいってもんでもないし。・・・気付いたのは、お前の村を消したとき。突然、理解できた。自分が何をやったのか」
 春のぬるい風が、駆け抜けていく。二人の服や髪を掻き回していった。
「それから、十年くらいかな。人のこない、どっか奥の方で暮らしてた。そのまま一生そこにいようと、思ったんだ。でも、駄目だった。どうしても、一人に耐えられなくなって。なるべく寝ないように、人のいるところでは寝ないようにして、いろんなとこを歩き回った。国都にも行った。縁日にも」
 キリエを見た。笑い顔が、泣いているようだった。
「最低だろ? 自分勝手だろ? こんなに酷いことやっといて、誰にも迷惑かけないようにひっそり暮らすこともしないで、死ぬこともしないで。こうやって人のいるところにきて、悪いことばっか振りまいてんだ。・・・なあ、最後に一個、最大のわがまま言っていい?」
「・・・何ですか」
「俺、殺してくれない? その刀で」
 そのとき初めて、キリエは感情を見せた。怒りを含んだ目で、真っ向からアオイを睨み付ける。刀を鞘から引き抜いた。
「却下します。これは、人を殺すためのものではありません」
 そう言って、キリエは中空に刀を切りつけた。驚いたように、アオイがその様を見ていると、宿の入り口で小さな悲鳴が上がった。
「リナ、銃をしまうと約束してください。・・・従わなければ、私がしますよ。私の腕は、よく知っていますね?」
「でも、センパイ・・・」
「リナ」
 項垂れたように「はぁい」と声がして、リナが姿を現した。リナとキリエでアオイを挟みこむような配置だが、キリエにその気がないのは明らかだった。
 アオイが、一連のやり取りに驚いて目を見張る。それに対してキリエが、静かに口を開く。 
「今の時代に、刀を武器に使う者はほとんどいませんよ。少々の精神力だけで、簡単に気銃が使えるんですから。これは増幅に使っているだけです。私は結界師ですから」
 刀を一振りして、鞘に収める。
 アオイは、話が飲み込めないまま立ち尽くしていた。そこに、キリエが無表情な顔を向ける。
「素質があれば、この刀で強い結界が張れます。人の動きを止めることも、逆にこちらの思うように動かすこともできます。場合によっては、結界内の空気を抜いて、手も触れずに死に至らしめることもできます。知らずに、無邪気に殺してしまったこともありますよ。あなたのようにね」
「・・・程度が違うだろ」
「そうですよ、センパイ」
 アオイがうめくように呟き、リナが同意する。だが、眼の合った二人は、慌ててそっぽを向いた。二人の様子に、キリエは一瞬、微笑した。
 だがそれをすぐに打ち消すと、真っ直ぐにリナを見る。
「リナ、本部にこの件の報告をお願いします。原因不明、と」
「センパイ!?」
「アオイ、あなたのわがままを聞いてもいいと思います。その代わり、条件があります」
「条件?」
 状況が変なように流れているなと思いつつ、アオイは慎重に聞き返した。
「あなたの気が狂うか、その能力が暴走したときに限らせてもらいます」
「へ?」
「その間、私が見張ります。そうすれば、山奥にこもっても人恋しいこともないでしょう? そうしなくても、人のいるところで眠らないようにもできます。私が先に死んだ場合は・・・後を追ってくれると面倒がなくて済みますが・・・無理なようなら、ユラギの地を訪ねてください。カザトという私の師がいます」
 呆然と自分をみつめる二人に、キリエは笑顔を返した。リナが知る中でも、飛び切りの笑顔だった。
「そうすれば、問題はないでしょう」
「あるだろ、どころか何も解決してないだろ!? わかってんのか、俺の傍にいたらお前まで消えるんだぞ」
「十四年前は、消えませんでしたよ。試してみる価値はあると思いませんか?」
 そう言って、キリエは優しく微笑んだ。アオイが、言葉を失って立ち尽くす。
 代わりに、リナが我に返って口を開いた。どうしても、非難になる。
「そんなの、別の人に任せればいいじゃないですか! それに、それに、この人、殺されても仕方ないことしてるじゃないですか! そんな人のために先輩が犠牲になることない!」
「政府に知られたら、利用されるだけです。戦争時の秘密兵器としてでも使うでしょうね。そして、私は犠牲になるつもりはありません。これは私のわがままです。本人の望みからも、客観的にも、アオイが死ねば厄介事は解決するのですから。それを生きろというのは、わがままでしかありません」
 そう言ってから、キリエは目を伏せた。
「アオイは実際に酷いことをして、それを生かそうとする私はもっと酷いことをしているかもしれません。それでも、私は生きてほしいと思います。被害を出すことなく、生きてほしいと。アオイが何も感じていないなら、仕方のないことだと思うのなら、誰より私が殺そうと思っていました。けれど、違うから。ずっと、悔いているから。だから・・・責めるのはやめてください」
 リナとアオイ、二人ともが俯いた。
「リナ、私は調査中に崖から落ちたとでも報告しておいてください」
「センパイ・・・・」
 引き止めても無駄だと知り、リナにはそれしか言えなかった。これが正しいとも思えないが、間違っているかと訊かれても肯(うなず)けない。それと同時に、寂しくはあるがそれ以上に、思っていたよりも凄い、と半ば呆れ、半ば感心するのんきな部分も頭をもたげていた。
 その様子に、アオイが慌てた。敵対する位置にいるからこそ反対してくれると思ったリナが、諦めてしまったのだ。それは困る。何故、こんな展開になったのか。目が合った時点で、踵(きびす)を返して逃げるべきだったかもしれない。
 そう思ってキリエの方を見た瞬間に、村跡で再会したときのように目が合った。
「何か言いたそうですね。参考までに言っておくと、私はまだ十四年前に何も言わずに私を置いていった仕打ちを許していませんし、今日会ったときに逃げていたら、結界で引き止めるつもりでしたよ」
 微笑むキリエの姿に、アオイは己の敗北を悟った。・・・勝ち負けの問題ではなかったはずなのだが・・・。
 月が、中空から三人を見下ろしていた。

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魚の飛ぶ空

  朝起きると、世界が一変していた。
 見慣れたあたしの部屋、ベッド、布団。――なのに、開けた窓の向こうには、数え切れないほどの魚。その一匹が、大きな目であたしを見た。
「っわあああっっ」
「美里!?」
 階下から、聞き慣れた母の声が聞こえた。

「全く。朝から大声出して、何かと思ったじゃないの。鰯注意報が出てるって、昨日言ってたでしょ」
「・・・鰯って・・・もっと小さくなかった・・・?」
「そりゃあ、小さいのもいるわよ」
「・・・空なんて、飛ばなかったと思うんだけど」
「何ばかなこと言ってるの」
 陶器と木のぶつかる音がして、ミルクティーがたっぷりと入ったマグカップが置かれる。湯気付きで。
 呆れるほどに、いつもの光景だった。さっきのあれは、夢だったのだと思いたくなるくらいに。
「魚に気をつけなさいよ。あんた、ぼんやりしてるんだから」
「・・・・・行って来ます」
 歩き出したあたしの視界の片隅では、大きな網を持った大人達が、祭の櫓のような所に登っていた。漁でもするのだろうか。空で?
 溜息を、一つ。
 空には、悠然と泳ぐ巨大魚たち。
「・・ま、いっか」
 こういう世界もありかもしれない。
 足を速める。早くしないと、学校に遅れてしまう。どうせなら、学校のない世界がよかった。   

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 満開の桜の木の下には死体が埋まっている。
 そう言ったのは、梶井基次郎という作家らしい。匠がそのことを知ったのは、この言葉を聞いたずっと後のことだった。
 誰に聞いたのか、いつ聞いたのか、全く覚えていない。読んだことも無い『西遊記』の内容を知っているように、それは、気付かないうちにすり込まれていたようだ。
「凄いなー、満開だ。よく花見客がいないよな―」
 延々と続く桜の木々を見上げながら、匠は呟いた。夜で、雨が降っているからかとも思うが、霧雨程度で花見客が諦めるとも思えない。
 ――それとも、知らないのか。
 駅から、徒歩約三十分。たかだかそれだけの距離だが、今まで匠は、歩いたことが無かった。いつも、バスか自家用車、でなければバイクか自転車だ。それらのときとは違った道を通っているとはいえ、こんな全く知らない道があるとは、意外だった。
 ――まあ、土地勘無いからな。
 家から歩いて五分とかからない場所にある郵便局の存在を長いこと知らず、わざわざ遠い郵便局に行っていたばかりか、郵便局の位置を訊かれ、間違えて銀行を教えた前科のある匠だ。そんな事もあるだろうと、納得する。
 だが、花見客がいないことは説明がつかない。知らないというのは、匠のような者ばかりが近辺に住んでいるならともかく、考えにくい。雑誌ででも紹介されていてもおかしくないくらいの見事さなのだ。
「・・・ここ出たらどこなんだろう」
 適当に歩いていたから、見当がつかない。方向は合っている筈なのだが。家に帰る途中で迷子なんて情けなすぎるぞと、心中呟く。
 不意に、道が開けた。広場のような、広い空間になっている。
「あれ?」
 広場の中心の、一際太い木の根元に、人がいる。長い髪をした、和装の女の人だ。木にしがみつくようにして、何やら呟いている。
 ――まずい人に会ったのかな?
 気でも触れているとしたら、匠の手には負えない。匠は、早くこの場を離れようとした。広場といっても、公園ほどは広くない。早足で行けばすぐだ。
 だが。
「あたしの子供だったんですよ」
 女が、顔を匠に向ける。手はまだ木の幹にかけられており、泣いていたのか、瞼か少し腫れている。満月なのと間近にいるのとで、そんな細かい事まで判ってしまう。
「まだ、ほんの赤ん坊だったんですよ。七歳までは神のうちって、今でもそうだったんですかねえ」
 匠を見ているのか、もっと遠くを見ているのか。
 早く立ち去ってしまおうと思うのだが、うまく足が動かない。ついに、立ち止まってしまった。
「でも、酷いじゃないですか。どうしてあたしの子なんです? ねえ?」
 女を見ると、笑っていた。だが、自分が笑っている事にも気付いていないようだった。
 女の着物には、桜が描かれていた。
「あの子、泣かないんですよ。判ってなかったこと無いだろうのに。最後まで、声一つたてずにいっちゃいましたよ。酷いじゃないですか」
 桜の木に向き直って、呟く。
「わかってたんですよ、あの子。こうしなきゃ皆が困るんだって。だから、黙って。優しい子だったんですよ」
 女が、立ち上がった。生気が無いような、まるで人形のような動きだった。誰かが、空から糸を引いている。
「でもね。あたしはどうすればいいんです? 残されたあたしは、どうすればいいんです。なんにも出来ないじゃないですか。あの子は、もういないんですよ」
 匠は、全く動けなかった。ただ、女の影が揺らめくのを、ぼうっと見ていた。
「だから決めたんです。人身御供に、代わりがいれば。あの子を、こいつから取り戻せるんです。あの子が帰って来るんです」
 匠は、駆け出した。後も見ず、ひたすら走る。後ろから女が追いかけてきたかどうかも判らなかった。両側に立つ桜の気が襲いかかるような気がして、頭を抱え、ひたすら走る。
 ――満開の桜の木の下には、死体が埋まっている。
 脳裏に浮かんだ、根が死体から養分を吸っている鮮明な映像が、どうやっても消えなかった。
 その日はじめて、匠は失神を体験した。必死に駆け込んだ家の玄関で、倒れているところを家族に発見されたのだった。

 このことに、これといった後日談はない。
 あの場から離れてみると、夢だったとまではいかないまでも、何かちょっとしたことを勘違いしたのではないか、という気にもなったのだ。だからこの話も、怪談で友人に話した以外には、兄に言ったくらいだった。
 あの桜並木や広場には、あれ以来行っていない。
 そもそも、歩きであの辺りを通ることの方が珍しいのだ。だが、存在の有無を確認しなかったのは、あの場所があってもなくても、完全に納得がいくとは思えなかったからだった。それと同じように、あの辺りで何かがあったかということを調べもしなかった。
 そして、日常に埋没していく。
 そして匠は、考えてみれば、こうやって生活していることさえ不思議になりうるのだという事に、思い至るのだった。
 なべて、事もなし。

    
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白い華

「劉[リュウ]っ、次の仕事何があるー? 高いのがいいな、高いの!」
 雑貨屋と居酒屋を兼ねながら、尚且つハンターの情報屋でもある店に入りながらの、白華[ハクカ]の一言。店の常連は既に慣れており、驚いたカオをするのは新入りか通り掛かりと相場が決まっている。
 混じりっけ無しの短い白髪を逆立てた少年は、十四にして一人前の植物ハンターにして、この店の常連だった。
「・・・お前ねえ。もっと大人しく入って来いって何遍言ったらわかるよ? ええ?」
「いいじゃん別に―。ほら、取ってきたし。金貨虫。これで合ってるだろ?」
 虫とつくが実際には小さな花を咲かせる一年草を、土ごと収納できる保存容器に入れてカウンターの上に出した。即座に、カウンターの向こうから手が伸びて、劉が情報端末の情報と逐一照らし合わせて、「取得」情報を送信する。
 その頃には、店にいた何人かが白華の後ろに集まっていた。
「へえ。金貨虫をなあ・・・」
「こりゃあたいしたもんだ。凍死せんかったか?」
「おい、百華[ヒャッカ]。お前今回はどこまで行って来たんだ。教えろ、地図作りの足しにする」
「いいけど、ちゃんと情報料くれよな、Luster[ラスター]」
 劉が容器を奥に運んでいる間に、白華、ハンター登録名百華は、年齢・体積ともに倍くらいはありそうな中年やがりがりに痩せた小男、学者風の青年などと情報交換を含んだ会話を交わし、いつの間にか出されていた、定番のお茶をすする。
 劉が戻ってきた頃には一段落つき、白華は、カウンターでのんびりと湯のみを抱えていた。
「遅いよ、劉。仕事するのに時間かかってる。年取った?」
「またそういう、口だけは一人前だな? がきんちょ」
「俺、仕事も一人前だもんね―っ。だから、次の仕事!」
「はいはい」
 白華の前に固焼きのパンを置いて、条件を聞きながら情報端末で検索をかける。
 ここまでは、大体の常連客に対するのと変わらない。
 しかし、そうやって情報を呼び出しておきながら、見せるのを躊躇うのは親心だろうか。幼くして捨てられた白華を育てたのは、当時、今の白華と幾つかしか年の変わらない劉なのだ。
「・・・なあ、ハッカ。お前ももういい加減稼いだし、ここらで少し休むとかしたらどうだ?」
「やだよ。おっ、これいいんじゃない?」
「どれ? あーっ、これは駄目! 絶対駄目だ!」
「なっ・・・」
 大声を出されて、思わず白華は椅子ごと後ずさった。店内にいた客たちも、滅多にない劉の大声に、ぎょっとして注視する。近くにいた何人かは、何事かと端末の画面を覗き込んだ。
「これは、もう何人も行方不明者が出てるんだ。そろそろ、取り消しの案も出てきてる」
 それに同意して、見ていた何人かが肯いた。
「俺らはどこでどう死んでも不思議じゃねえけどなあ。こればっかは、いい噂聞かねえなあ」
「なんせ、受けた奴の足取りもろくに追えないらしいからな」
「大体、この教団自体ろくな噂がないのよ。若い子監禁してるとか、信者の身内から大金巻き上げてるとか」
「そんなこと言って、ただあんたたちの手に負えないだけじゃないの?」
「何!?」
 素っ気無い声にいきり立った客たちだったが、何人かは、声の主を認めると、決まり悪げに目を逸らした。
「裏で、何度も呼んだのよ。ベルが壊れたなら、早く直してよ。この人たちが気前よく落としていってくれるんだから、お金がないわけじゃないでしょ」
「ごめん、瑠璃[ルリ]。待って、今代金を・・・」
「今度まとめてもらうわ。ここに置いて行くけど、そこまでくらい運んでくれるでしょ」
 初めから終わりまで、非友好的な態度で通した少女は、扉を叩きつけるようにして出て行った。
 店のあちこちで、囁くような会話が交わされる。「・・・まだ、立ち直らないんだな・・・」「無理もない」「でも、あたしたちまで目の仇にするなんてお門違いよ」・・・。
 少女は、身内をハンターに殺された。 
 ハンター、と一言に言ってもその内情は様々だ。腕の良し悪しがあるのは当然として、白華の「植物」のように、一応の分野分けもして登録されている。もっともこれは、その分野の専門というだけで、他の分野の仕事をしてはならないわけではないのだが。
 そして、そういった公のものとは別に、裏で非合法的に登録されているハンターもある。そちらは、人殺しや武器の調達などの分野分けがなされている。少女の家族を殺したのも、こちらだ。
 それまでは、この店にも良く遊びに来て、休んでいるハンターから話を聞いたり、年の近い白華と遊んだりもしていたのだが・・・。
「あ、そうだ」
 暗い雰囲気の店で殊更に明るく、白華は声を上げた。
「俺、金貨虫見つける途中でチゲの実見つけたんだ。沢山とってきたから、買ってくれよ」
「お前、そんな危ないもの持ってよく・・・。とりあえず、状態見るから出してみろ」
「それと俺、やっぱりさっきのやつ、受けたい」
 言い切った白華を見つめて、店内は一時、空気が固まった。

「こちらです」
「はあ」
 案内されて、通されたのは、奥まったところにある離れ。どう見ても一般信者や、通りがかっただけの者が通されるところではなさそうだった。他の建物同様に、白でうめ尽くされている。案内したものの格好も白で、頭には白い布を巻きつけている。
 標的に関して、詳細は直に会ってとあったから、来ただけなのだが。
 髪の毛の白い白華は、生まれつきなのにこの教団のために染めたように思われる気がして、少し厭な気分になった。今のところ、神に頼りたいとは思えない。
「ようこそいらっしゃいました」
 案内人が退室すると、正面から声がした。か細い少女の声に、なんとなく姿勢を正す。
「そんなに離れていては・・・もう少し、近付いてきてはいただけませんか?」
 言われたままに近付くと、仕切られていた白布が外された。
 そこには、長い真っ白の髪をした、少女だった。人とは思えないほどの美人で、白華は呆けていた。
 そして。
「私のために死んでくれませんか?」
 魅入られた。
 そんな表現で正しいだろうか。
 艶然と微笑まれて、白華は呆とそれに見入っていた。その背後から、白い触手のようなものが這い寄って来る。しかし、白華は身動きさえしない。
 そこに、爆発が起こった。
「っ・・・?!」
 はっと我に返る。わき腹が、爆発に焦げていた。鈍い痛みに顔をしかめる。
「・・・って、なんだよ、これ・・・?」
 半ば呆然と、白華は周囲に目をはしらせた。白い部屋に縦横無尽に張り巡らされた、白く長い物体。
 視線を向かいに座る少女に戻して、白華は表情を強張らせた。
 何も見ていない瞳。
 感情の浮かばない顔。
 今となっては、何故それに見入ったのかさえ判らない。綺麗だとしても、人形の美しさでしかなく、不気味さの方が勝る。
 どうにか視線を外して、白華はわき腹を探った。服のポケットの残骸に触れ、ああ、と小さく呟く。そこには、チゲの実の破片が残っていた。チゲの実は、強い衝撃を与えると爆発する。
「・・・もう、死んでるのか・・・」
 さわさわと揺れ、近寄ってくる細長い物体を見て、白華は呟いた。これと、同じ物を知っている。記憶の端にかかったそれを探って、一度、目を閉じた。
「依りにしやがったな!」
 人魂華。生物を糧とし、自らが喰らったものの皮を被って擬態する。その際に、予言をするとの報告もある。そのため、過去にはわざと人を与え、予言を引き出そうとしたものも見られている。それが「華贄」という、部族を挙げての行事だったところもあった。
 白華は、上着を頭から被って、手袋に包まれた手で細長い物体、人魂華の根を払った。人魂華は、肌から進入してくる。今回、金貨虫の時に防寒対策を引き摺ったままだったのがついていた。完全に素肌をさらしているのは、顔くらいのものだ。
 根を掻き分けて部屋の外に出ても、後ろから追いかけてきた。
「な・・・なんということを・・・」
「んぁ?」
 根を凝視して、立ち尽す男が一人。前進白ずくめだが、ひそかに銀の刺繍が入っているところからすると、それなりの位置にある人物か。
 白華は、逃げようともしない男を引っ張って、大声を張り上げた。
「おい! 食事場はどこだ?! 飯作ってるとこだよ! あるだろ! じゃなきゃ風呂場! 近い方を言え!」
「な・・・」
「ええいっ、使えねえ! どっか逃げてろ! 邪魔!」 
 男を離れから突き飛ばしておいて、自身は更に離れの廊下を走る。一般人のいるところに持って行ってしまうと、惨事は目に見える。
「あーっ、ちっくしょう、火! どっかねーのかよっ?!」
 植物は、概して火に弱い。その中でも、水分があるはずなのに何故か、人魂華は燃え易かった。
 チゲの実を劉に渡さなければ良かったとも思うが、そうした場合、人魂華の根が初めに触れてきたときに白華も吹っ飛んでいただろう。
「火、火・・・よっしゃ、ガス袋!」
 向かいの建物に据え付けられた、茶色い袋。揮発性の天然ガスを閉じ込めたそれは、簡単に火花を炎にするために、少量ずつ使われる。白華は、袋を掴むと、チゲの実の破片をつかんでこすり合わせた。
 火花が出たときを見計らって、袋の中に投げ入れて離れの中央、さっきまで自分のいた部屋に放り込む。
 大きな爆発音がして、炎が離れに移るまで、長くはかからなかった。

「お疲れ」
「うん」
 甘いホットチョコレートのカップを抱えて、こくりと白華は肯いた。
 いつもの通りに劉の店だが、開店前なので、他に人はいない。朝だった。
「なんか色々疲れた。今回は」
 離れが燃え尽きるまでに、多くの信者が駆け寄ってきた。白華はそれを牽制して、完全に炭になるまで待って、司法局に連絡を取った。これから、あの教団のやったことが激しく追及されていくことだろう。
 姿を消したハンターたちは、まず人魂華に喰われたと考えていいだろう。それもお告げに含まれていたのだと、幹部の一人が口走ったらしい。
「・・・なあ、白華。やっぱりお前・・・」
「やめないよ。休みもしない」
「だけどなあ・・・」
「今回のは、俺が迂闊だったってだけだし。・・・ちょっと、瑠璃に意地張っちゃってさ。あいつ、わかってるはずなのに、あんなこと言うから」
 ひょっとすると、白華よりもハンターたちの仕事に興味を持っていたのは、瑠璃の方だったかもしれない。それなのに、家族を殺されて以来、ハンターどころか自分をも憎んでいるように思えてしまう。
 白華は、それが厭だった。
「お前たちを、こんな仕事に関わらせるんじゃなかったよ」
「馬鹿言うなよ、劉。俺、感謝してるんだよ? この仕事好きだし。劉に拾われて良かったって、思ってる」
 いつの間にか立場は逆転して、劉の方が慰められている。
 そうしている間に開店時間になり、店には、いつものように客が訪れはじめた。    

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