最初に彼女を見たのは、枝垂桜の下だった。風に花びらが舞い、枝が揺れていた。
「お前、鬼だろう」
女は、枝垂桜の隣の木の上の黄桜を見上げながら言った。長い髪が風に掻き回されるが、さして気に止めた風でもない。上等な着物と帯は、だが惹き立て役のようだった。
「皆が鬼だと言っているのは、お前なのだろう?」
「だとしたら、どうする」
桜は苛立っていた。人を呼ぶなら早くすれば良い。このように静かに見つめられるなど、居心地が悪いだけだ。
女は、少し笑ったようだった。優美なそれに、一瞬気をとられる。
「私の名は清[キヨ]だ。お前の名はなんという?」
桜は応えなかった。
「それなら、私はお前を鬼と呼ぶ。それでも良いのか?」
睨んでも、怯む様子はなかった。目を逸らす事もしない。桜にとってそれは、新鮮でもあった。
「だって、名乗らないのなら仕方ないだろう?」
「覚えて置け。鬼にしたのはお前達だ」
まだ遠くにある人の気配に、身を翻す。この女に構っていれば、不味い事になるかもしれない。女は、止めるでもなく言った。
「鬼。またここに来なさい。私は暇なのだよ」
全く可笑しな女だと、桜は思った。
それから、二人は幾度となく会った。気が合ったともいえるが、それよりも、二人とも淋しかったのだろう。他愛ない話や、互いに、他では出さない弱音も言った。
何も変わりはしない。桜は大陸産まれで西欧の血も混ざった母から受け継いだ容姿のために「鬼」であり、清は誰からも名を呼ばれぬままにこの近辺を治める男の妻のままだ。
鬼と呼ばれる盗人と、奥方と呼ばれる女の、無害な密会。それは、何時も枝垂桜の下だった。花が散り、葉が散り、再び花がつく。毎年繰り返される光景が、今までとは違って見える。ただ、それだけだった。
「桜が咲いてるの?」
「うん。取ってこようか?」
桜の家は、人のあまり来ない山奥にある。家といっても、猟師の山小屋程度のものだ。それも、かなりがたが来ている。だが、桜がそこに戻らない日はない。そこには、唯一の家族がいるのだ。
「いいわよ。折角綺麗に咲いてるんだから、無理矢理取っては駄目よ」
殺風景な小屋の中には、いつも童顔の少女がいた。赤色の瞳が、桜を見て嬉しそうに和む。白に近い銀の髪は、そのまま肩に垂らされている。体が弱いから、あまり外には出られないでいる。
「あ、でも」
「駄目だよ」
「まだなにも言ってないでしょ」
「そう? 俺はまた、花見酒は欲しいとでも言ったかと思ったんだけど?」
少女のかおが、一層幼くなる。むくれているのだ。
「少しくらい良いじゃない」
「ほら、やっぱりそうなんじゃないか。駄目だってば。姉ちゃん、酒飲むと怒るし泣くし、笑うし。いつもの四倍は手かかるんだから」
「そんなことないって」
本人は酔って記憶がないのだから、本気で言っている。それが手に負えないんだよと、桜は内心呟く。
いつもの光景だった。
両親は既にない。――「鬼」と「鬼」をかくまった者として、村人たちに殺されたのだ。それでも、今でもそれなりには幸せだと思っていた。適当に盗みを働いて、この辺りの領主の妻の「女」と話して、帰ったら姉がいて。
「桜。いつでも、私のことは気にしないで行ってしまっていいんだからね」
例え、白刃を踏むような、霞みを集めるような、そんな「幸せ」だとしても。
「そんなこと言って、置いて行ったら怒るんだろ?」
「ううん。ほんとの話」
柔らかく微笑む。姉は、自分が桜の荷物になっていることを知っていた。桜が、自分のことを大切に思ってくれていることも。そして、自分も何よりも弟を大切だと思っていることを。だからこそ、今までは冗談で返せば、冗談で応えてくれた。
「嘘だよ。姉ちゃん、絶対怒るって」
変化が訪れようとしている事に、気付かないふりをしようとしていた。
その日、女はいつものように枝垂桜の下から帰っていった。城には何もないが、それでもそこが彼女の帰る場所だった。
己の名さえ忘れそうになっていたのに、それをなんとも思わないほどに己の中身が空虚になっていたのに、誰も気付いてくれなかった。誰一人として、気付かなかった。夫とは、もう一週間近く顔も合わせていない。自分に興味がない事など、ここに来てすぐに判った事だった。
だから、あの少年――鬼と呼ばれる少年との時間が、何よりも大切だったのだ。桜は、遠慮などしない。付加価値ではなく名を、呼んでくれる。それだけで十分だった。
その桜がはじめて城内に来たのは、深夜の事だった。
「清、居るか」
「黄桜?! どうしてここに?」
外からの声は、間違いなく桜のものだった。この部屋は清の私室とはいえ、危険な事には変わりない。侵入者が、まして鬼と呼ばれる者が、無事に入れるところではない。
「来るな」
桜が見えるところへ行こうとした清を止めた声は、叱責のようでもあり、哀願のようでもあった。その声に、動けなくなる。
「・・・・姉ちゃんが、殺された。誰かが、俺の後をつけてたんだ」
きっと、清と会った後を。この城の者だろうことに、確信はあったが言わなかった。
「鬼だから、殺すんだって。鬼はいちゃいけないんだって。――望むなら、鬼になってやる」
押さえていた声に、憎悪がたぎる。前に言った言葉よりも、それは「鬼」に近かった。それが最後だった。
何も、出来なかった。
そしてそのまま、空虚な日々は流れて行くのだった。「鬼」の噂も、もう聞かない。女には、桜が本当に「鬼」になったのかさえ、知る事は出来なかったのだ。
妖の祭りに紛れ込んだかと、思った。
おやお前さん。何をしているね」
夜の何もないはずの山で何をしているかと問うのは、もっともなようで馬鹿げている。これだけ民家から離れていれば、何のしようもない。しかしそれは、こんなところで宴会を繰り広げる連中も同じだ。
鬼と呼ばれる自分だから、妖に仲間となつかれたかと、嘲るように笑みを浮かべ、桜は、むしろ福の神にでも見えそうな老人を、じろりとにらみつけた。
四十ほどだろうか。中途半端に長い髪の男は、満月に照らされ、福々しく笑った。
「若い者が、暗い顔をするものではないよ。時に、厄介なものを呼びもする」
「あんたらのことか」
「わしらは、気ままに月と花を讃して酒を飲むだけよ。お前さんも、一杯どうだね」
普段なら乗らないだろう誘いに乗ったのは、桜花の元に集う者たちが、さして桜に気を払わなかったことと、闇のためだ。淡い髪の色は、人外と、奇異と恐れの目で見られ、人々の群れからはじき出される。
人よりもよほど、妖の方が、一時の宴を楽しめるのかもしれない。
ただ、気が向いたと言えなくもない。
男は盃を寄越し、とろりとした酒を注いだ。思いがけず、上等の酒だ。並大抵の身分では、ほとんどがお目にかかれることもなく、一生を終えるだろう。胡乱そうに見遣っても、老人は、そ知らぬ風に見返しただけだ。
そんなこともあろうと、桜は、いっそ無用心なほどに簡単に、盃を飲み干した。
「・・・あんたらは何者だ」
「さてな。お前さんはどう思う」
「妖」
「ほ。それは言い得て妙」
老人は笑い、二人は酒を飲み交わした。
「桜の。それは誰だ」
「ああ、竹の」
ひょいと姿を見せたのは、桜と同齢ほどの男だった。こざっぱりとした商人のような格好をしており、富豪のような老人と並ぶと、商談途中かのようだった。しかし態度から、立場が等しいと一目で判る。周りの者たちも、格好や風体は様々ながらに、親しい仲間内かのようであった。
「迷い込んだらしいわ」
「ふうん。若いの、何か悩んでいるな」
そう年も変わらないくせに、妙なことを言う。にやりと笑った男に、わずかに、顔をしかめた。
男は、桜の反応を気にする風もなく、どっかりと、桜と老人の前に腰を下ろしてしまった。
下層の者にも見えないが、男は、髪をぷっつりと切り落としてしまっていた。桜も似たようなものだが、男の髪は、月明かりの中でさえ、闇に沈みそうに黒く見えた。
「いや、悩んでいるのではなく――世に在るのが苦痛でしかないと見える。鬼と呼ばれるは、辛いか?」
一瞬、呼吸が止まった。
「生きるを止めるつもりは無くとも、在るは辛い。違うか」
「これ、おぬしは言葉が真っ直ぐ過ぎる。好んで血を見ることもなかろう。お前さんも、図星を指されたからと、刀なぞ持つものではないよ」
とっさに掴んだ刀は、老人にやんわりと押さえられ、それだけなのに動かせなかった。
このとき桜は、男の言葉が、男自身や老人をも、また宴を楽しむ幾人かをも含むと、知りはしなかった。血を見るのは、抉り出した己の胸からと、知りはしなかった。
「ふん」
男は、さして気を悪くした風でもなく、手酌で、酒を注いだ。
老人は、それを穏やかに眺めやり、場を立ち、去ろうとしていた桜に声をかけた。
「お前さん、姉君に会うたろう」
「・・・何」
「姉君だ。美しいお人だな。そして、つよい。我らと違う道を選ばれた、まことに、つよい方よ」
桜の姉は、数年前に死んだ。殺された。人に、殺され死んだ。
その姉に再会したのは、その死後半年ほどが経ってからのことだ。生前と変わらず、穏やかに微笑み、様々なことを話して去っていった。さいごまで一言も、恨み言など言いはしなかった。
何故と、かすれる声で呟くと、老人は、底の知れない笑みを浮かべた。
「何。我らは、少しばかりものを多く知っておるだけよ。そうして、欲深いだけよ」
ふうと、月を見上げる。
「妖は、もっと無欲。生に正直で、貪欲よ。我やお前さんのように、中途半端ではないわ。――この盃を、受けてはくれんか」
出された盃を、桜は、思わず受け取った。液体が、見ている前で注がれる。何故か、それを飲めば彼らの仲間入りをするのだと、わかった。
それも悪くない。
「干せば、戻ることは適わぬ。それでも、人の世に別れを告げる気はあるかね」
いつしか、宴の人々は、ひっそりを桜らを見守っていた。そこを、桜花が降り注ぐ。
口に含むと、酒なのに、甘い蜜のような匂いがした。そして、眩暈の様な一瞬。
ほうと、誰かが溜息をつき、空気が動いた。それだけで、人々は宴へと戻っていく。まるで、何もなかったかのように。
「オメデトウ。これでお前は、桜の代理道の管理者だ。知識はおいおいつけていけ。俺は、竹葉尚良。お前は?」
「・・・桜」
「桜か。桜桜ってのも妙だな。さてどうするか。道の名を姓に持ってくるのが通例だからなあ。氏は持っていないな、当然」
「コウ」
「あ?」
ほぼ一人で、滔々と話し続けていた男は、訝しげに訊き返してきた。桜の形で、氏を持つとは思えなかったのだろう。桜自身、長い間知らなかった。
宙に、姉の見せてくれた、父――海の向こうの人だったという父の姓を描いてみせると、ああと、肯いた。
「ならそれでいくか。桜キザクラ――いや、キオウか。桜黄桜」
サクラキオウ、と、各所で囁きや祝うような声が聞こえた。
笑いかけ、酒盃を差し出す。これは普通の物らしく、素直に受け取った。
「あんたも、道ってのを持っているのか」
「ああ。竹だ。だから、竹葉」
「本当の名は」
「知りたきゃ調べろ、桜」
言って、にやりと笑う。ふと、宴は再開しながらも、近くには男しかいないことに気付いた。老人の姿が、ない。
竹葉が、見回す仕草に気付き、盃を持ち上げた。
「これが、俺らの最期さ。お疲れ、衛生。ゆっくり休め」
そう言って、彼は、盃を地に傾けた。
生ぬるい、風が吹いていた。高台にある学校は周りを木々に囲まれており、折々の虫の声さえ気にしなければ、勉強にはうってつけの環境だった。その分、夜ともなれば人気[ひとけ]がない。
今は、体育祭に使われて用具やクラスの張りぼてが無言でたたずんでいる分、不気味さが濃くなっている。天空には、金貨を放り投げたような満月。
そんな静まり返った校庭を、年の割にやや頼りない体つきをした少年が歩いていた。
――しまったなあ。せめてもっと大きい懐中電灯、持ってくるべきだったなあ。
置き忘れたポケットベルを探しに、夜の学校へ。学校の怪談のには、うってつけの舞台設定だ。この学校には怪談なんてないし、少年自身も本気では信じていない。だが、無視するには状況が整いすぎていた。
「―――?」
今、視界の端で何かが動いた。
「いや、まさか・・・」
つい口に出し、否定する。だが、逆に心の中には不安がこみ上げてくる。
――幽霊とかじゃなくても、人だったら? 変質者や殺人犯がごろごろしてる時代だぞ?
「そんなわけ・・・」
なんとか首を向けたそこには、四方を誰にも支えられず、宙に浮いた提灯が在った。
「行ったか?」
「行ったよ」
温泉を模した張りぼてから、小さな二つの人影が現れる。小学生くらいだろうか。瓜二つの容貌だが、闇に解けるような黒髪とそれ自身が輝くような白い髪という、それだけが違った。
二人は、顔を見合わせて笑った。
「始めるか」
「うん。僕達のタイク祭」
途端に、空気が変わる。何かしら、生き物がいるような、ざわついた空気になり、張りぼてにつけられた小物達は動き出し、張りぼて自体も生きているような雰囲気をかもし出す。
「まずは――」
「かけっこだよ。ほら、みんな集まって」
白髪の声につられて、提灯やはしご、玉入れの玉、河童のぬいぐるみといったものがトラックに並ぶ。
「僕達も行こう」
「ああ」
そうやって、様々な競技が再現される。それは、昼間に行われたものと全く同じだった。だが、昼間には賑やかだった運動場には、二人の子供の声しか聞こえない。動くのは、仮初[かりそめ]に命を拭きこまれた者達。
恐れずに見る者がいれば、淋しい光景だと思っただろう。
だが、二人はそんな言葉は知らない。互いしか知らない彼らは、この光景が自然であり、基準なのだからそんなものは浮かんでこない。人間は彼らとは違う生きモノで、彼らは己の種族の中でも、「違う生きモノ」だった。
やがて、「昼休み」の時間が来た。
人々が休むのに倣って、二人も地面に座り込む。白髪の息が弾んでいた。汗だくになっている黒髪が、それを見て片眉を上げる。
「おい、大丈夫か?」
「平気だよ。今日は満月だから」
疲れの見える笑顔。
この二人は、属するものが違う。黒髪は夜の属性であり、白髪は昼。それは、闇と光とも言い換えられる。それぞれ、自分の領域外のときには力が半減する。全くないわけではないのだが、無理をすると倒れかねない。
黒髪は、掌を白髪の額に乗せた。力を注ぐ。
「平気だって言ったのに。ありがとう」
黒髪が、照れて別のところを向く。白髪は、邪気なく笑っていた。疲れは消えたようだ。
「楽しそうだなあ」
突然の声に、緊張した四つの目が主を探す。
人間に見られてはいけない。それは、本能的な警戒だった。あれは、何をするかわからないから――。
「こんばんは」
眼鏡をかけた優面の男は、睨みつける目をものともせず、にっこりと微笑んだ。害意はなさそうだが、油断は出来ない。二人は、互いの手をしっかりと掴んだ。
「良い月夜だね。少しくらい、遊びたくなる」
「消えろ!」
渾身の力で、術をかける。これで、男は跡形もなく逝ってしまう筈だった。つないでいた白髪の手が、本来のものにもどるのがわかった。黒髪自身も、かなり疲れている。
でも、大丈夫。これで危険は去ったはずだ。今日休めば、明日からはまたいつもの生活に戻れる。その筈だった。
「危ないなあ」
術で霞んだ空間の向こうから、どこかのんびりとした声が聞こえる。黒髪は、疲れて片膝をついたまま、片手でぐったりとした白髪を背に回して庇うと、男を睨みつけた。術も使えない。体力もほとんどない。それでも、大人しくするつもりはなかった。
正常になった世界で、男は、眼鏡の残骸を手にして立っていた。ズボンに半袖開襟シャツ、下駄と、昔の新聞記者のような格好をしている。
「酷いなあ。一言言ってくれれば、眼鏡を無駄にしないですんだのに。あれ、もう一人はどうした?」
言いながら、背に回された手に気付き、ああ、と呟いた。
「あれだけ派手にやれば、戻るのも仕方ないか。まだ子供だからなあ」
「俺達をどうするつもりだ」
「やっと口をきいた」
敵意だらけの台詞だが、男にひるんだ様子はなかった。やはりのんびりと、その場から一歩も動かずに言う。
「はじめまして。俺は桜黄桜[さくら きおう]。君達の噂を聞いたものでね。どうだ、俺のところにこないか?」
噂? 知り合いの一人もいない、人間にも本性を隠して生きてきた自分達を、誰が噂するのか。黒髪は、そう思った。
不意に、男が動いた。現れたときからずっと立っていた場所を離れ、二人へ近付く。黒髪は、動けない自分に歯噛みした。
「警戒するななんて、無駄だろうから言わないけどね。そう睨まないでほしいなあ」
黒髪と目線の高さを合わせ、その額に手を置く。力が、戻るのを感じた。二人が互いに力のやり取りをするのと同じような。だが黒髪は、それに礼を言うでもなく、後ろに跳んだ。半ば、条件反射のようなものだ。
男は、それを見て少し笑った。優しい微笑だ。
「良い心がけだ、と誉めてやりたいところだな。でもまあ、今はやめとけ。もう一人も、力がなくなってるんだろう。むしろそっちの方が重症だな」
混乱する。他人と話をするのも、こんな事を言われるのも、こんな態度をとられるのも、初めてだった。
「よく考えろ。俺にお前達をどうこうするつもりはない。返事が訊きたいだけだ。そのためには、お前も相棒と相談した方が良いだろう?」
間を置いて、静かな声に、黒髪が頭を垂れた。
結局、二人は黄桜の元に行くことにした。人間に紛れて生きることにも、同族――兎たちの中で生きることにも、馴染めないのは確かだったからだ。そこは、この世界とは違った空間にあるということだし。
「そう言えば、名前は?」
二人が、困ったように顔を見合わせる。互いしかいなかったから、必要もなかったのだ。『自分でない誰か』は、一人しかいなかった。
「なんだ、ないのか? それじゃあ・・・自分で考えるか? それとも俺がつけようか?」
「・・・つけてもらったほうが、いいです」
眼で相談した末に、白髪が告げる。
「うーん。白兎、黒兎じゃダメかな?」
「それはちょっと・・・」
「もっと真面目に考えろよ」
「いや、真面目なんだけど」
小さくぼやいて、すねるように二人を見た。そうすると、意外に幼く見える。これで何百年も生きてるなんて、本当なんだろうか。意図せず、二人に同じ考えが浮かんだ。
「トゥーイン、トゥーヤン」
唐突に、まず黒髪を、次に白髪を指してそう言った。少し驚いたように見る二人に、にやりと笑い返す。
「決定だな。嫌なら、自分で考えろ」
こうして、「兎陰」「兎陽」という名が、双子にはつけられた。
「俺のことは好きに呼べばいい」
・・・やがて、校庭には何事もなかったかのような静かさが戻っていた。飼育小屋から兎が消えていて小規模な騒ぎが起こるのは、また後日の事だ。
利根川成一の家庭事情は、多少込み入っている。充分に漫画の主役を張れる、と友人に言われたことがある。
まず、成一は利根川家の三男で、女きょうだいはいない。因みに、兄二人の名は総一と優一だ。命名者は父の勝利[かつとし]。二代に渡って、なんとも凄い感覚をしていると、成一は思う。
そんな父は、「一番」が好きだった。だが、体力の優れた総一と学力の優れた優一に比べ、成一は、器用貧乏だった。そして何より、やたらとのんびりとした性格から、父とは合わなかった。
家を出たのは、小学校卒業の少し前。
高熱で受けた小学校で最後のテストが、散々な点だった。それまでの成績からして、同じ付属の中学校に進学する事は出来たはずだった。だが、このときに色々と言われ、成一は公立の中学校へ行くことを決心した。
当然のように父に反対され、母方の祖父母のところへ転がり込んだ。家事の手伝いや自営業の文具屋を手伝う事で、学費その他を出してもらった。
高校に行くつもりはなかったのだが、祖父母の願いもあり、やはり公立の高校に通う事になった。大学のときにもそういった運びになり、成一は、高校に通うと同時に詰め込むように始めたバイトの傍ら、勉強に励む事になった。
大学入学後、それまで以上にバイトをするようになった成一は、卒業後もその生活を続けていた。
そんな成一が、奇妙な友人にはじめて出会ったのは、中学校に入ってすぐだった。
「うっわー、キレー」
仰向けの状態で舞い落ちる桜を見て、成一は呟いた。
「・・・で、ここどこだ?」
気付いたら、見覚えのない場所にいた。さっきまで、放課後の教室で寝ていたはずだ。そんな状況でも騒がないのが、利根川成一という男だった。
見渡す限り満開の桜。
体を起こして、だが、馬鹿みたいに桜の花を見つめていた。生まれてこの方、こんなに沢山の桜を見た事がない。おまけに、沢山の花びらが散っているのに、どの木も満開だ。
「タイレン? 何をやって・・・」
「え?」
「・・・え?」
成一の前には、白い髪と紅い目をした少年が立っていた。少年は、驚きに目を見張っている。次いで、後ずさりを始める。
「あ、あの・・・おーい?」
折角人に会えたのに、逃げられてしまった。追い掛けようかとも思ったのだが、少し傷ついている。
取り敢えず誰かがいることだけは判ったので、それで良しとしよう。誰かと間違えたってことは、少なくとも二人はいるのか。
後に若年寄と渾名される成一は、そんな事を考えながら、再び仰向けに寝転がった。こんなに見事な桜は、滅多に見られるものではないだろう。
心地良い気候と風のため、頭上から声が降ってきたとき、成一は半ば眠っていた。
「おい。何をしている」
「・・・・あー・・・」
「何?」
「あんたがタイレン?」
それが、二人が最初に交わした言葉だった。
古ぼけた小屋の中で、成一は寛いでいた。甘酒の入った湯呑を抱えて、遠慮なくあちこちを見ている。意外に物が多い。
この小屋の主は、成一をここに連れてきてから姿を見せていない。
「なあ、お前」
「ん?」
振り向くと、黒髪に紅い瞳の、さっき見たのとは髪の色が違うだけで同じ顔をしている少年が立っていた。成一と、同じような年齢だろうか。
もう一人は、甘酒を用意してくれたものの、主と同じく、それから姿を見ていない。
「なんでここにいるんだ」
刺すような視線に、内心首を傾げる。何か、気に障ることをしただろうか。初対面のはずなんだけどなあ。
「いやあ、それは俺が訊きたいんだけど」
視線が、一層きつくなる。そして、そのままどこかへ行ってしまった。さっぱりわけがわからない。
それから、どのくらいそうしていただろう。甘酒のコップは、すっかり空になってしまっている。窓の外では相変わらず桜が舞い散り、太陽が見えないために、どのくらいの時間が経ったかも判らない。
総一兄[にい]とかいたら、怒ってるだろうなあ、とぼんやりと思う。優一であれば、近くにある本を勝手に取って、読んでいるだろうか。怒られたところで、待たせる方が悪いといって気にもしないだろう。
その兄たちと暮らす事はもうないだろうと思うと、少し淋しい。兄たちもそう思っているかといえば疑問だが。とにかく、家に戻るつもりがないことだけは確かだった。
父や兄たちは嫌いではないが、合わない。ああいった考えの人がいること自体にどうこういうつもりはないが、自分もそれに合わせなければならないとなれば別だ。
「じいちゃん達には迷惑だろうなあ・・・」
「何がだ?」
黄桜と名乗った男が立っていた。ソファーに座っている成一は、下から見上げた格好になる。
「え―っと、黄桜さん? ここってどこ? 俺、帰りたいんだけど」
「利根川成一。父、勝利。母、雅巳。現在高校三年生の兄、総一と、高校一年生の優一がいる。そして本人は、中学校一年生。現在、祖父、佐川守と祖母、佐川はなのもとに居候中。間違いないか」
「は?」
「間違えているか?」
「いや、合ってるけど」
「それなら問題ない。ついて来い」
呆気に取られてそのうしろ姿を見ていると、少し行ったところで立ち止まった。振り向く。
「ついて来い、といっただろう。帰りたくないのか」
突き放したような口調。成一には、慣れた口調だった。父が、こんな喋り方をしている。
「いやあ、帰りたいけどさ。いきなりなんでびっくりした。これ、ここ置いていっていいの?」
「ああ」
短く答えて、じっと成一を見ている。待っているらしい。色素の薄い釣り目が、睨んでいるように見える。
だが成一は、人間不審の野良猫を相手にしているようで、少しおかしかった。今も、学校の帰り道に挨拶だけはする野良猫がいる。それに似ている。
「あのさ。あいつ、なんて名前? 俺にタイレンって声かけてきた奴」
「トゥーヤンの事か」
「トゥーヤンっての? もう一人の方は?」
「トゥーイン」
「そか。ありがとな、トゥーヤン。美味しかったよ、甘酒。トゥーインも、バイバイ」
二人がいるだろう方向に向かって言うと、黄桜に続いて小屋を後にした。
兎陽と兎陰の二人は、黄桜たちが出て行った後、さっきまで成一がいた部屋にやってきて、顔を見合わせて笑った。
「なあ、ここってどこ? これだけ桜が咲いてる所なんて、見た事ないや」
小屋を後にして、どれくらい歩いただろう。周りが似たような風景だけに、距離感がない。心持ち日が暮れてきたようだから、そろそろ夕方だろうか。
「ここから出ていけ」
黄桜が指し示した位置に、唐突な扉がある。どう見ても扉だが、壁がない。空間に突き刺さっているかのようだ。
「・・・どこでもドア?」
「さっさと行け」
「うん。それじゃあ、また」
躊躇いなく手を伸ばし、扉を開ける。その先には、木彫りの熊が置かれた玄関があり、振り向くと、さっきのドアではなく横引きのサッシだった。
祖父母の家だ。
「・・ただいま」
心中首を傾げ、靴を脱ぐ。一年前からは考えられない、だが、確かに「日常」だった。
成一が扉の向こうに消えたのを確認して、黄桜は踵を返した。
「変な奴だ」
自分が微笑している事に、気付いていない。
――「また」だって?
ここに来るのは死人だけだ。それも、死んだものが皆来るわけではない。「また」会える可能性は少ない。今回が、極めて珍しい異例なのだ。知らないとはいえ、無茶な事を言うと、黄桜は思った。
だが、成一は黄桜達の容姿を気にした様子はなかった。時代が流れて認識が変わったのか、成一が変わっているのか。
黄桜が「鬼」と呼ばれる事は、もうないのかもしれない。――自分以外からは。
過去を想って、黄桜は顔を上げた。枝垂桜がある。
――何も変わらない。
黄桜の予想や凡例に反して、これから約二年の間、成一は度々黄桜達の小屋を訪れていた。そして、訪れられなくなった頃には、黄桜の方から尋ねていくほどに親しくなっていた。
成一がこの「異界」に行けた理由、行けなくなった理由、ともに未だ以って不明である。