日常の非日常 / 風の吹く夜に

日常の非日常

「久し振りだな」
 例によって、教えてもいないバイト先にやってきた友人は、以前別れたときの鬱々とした空気は微塵もつれず、紫の風呂敷包みを片手に持っていた。
「それは?」
「兎陽の手料理だ」
「あ、やった。もう少しでバイト終わるから、向こうの公園にでもいてくれないか」
 素直に応じて去る背中を途中まで目で追って、成一は、止めてしまった手を動かした。大学の資料室までどうやって、しかもそろそろ終わる時間に、と思うが、考えるだけ無駄のような気がする。
 うん、久し振りだな。
 胸中で反芻して、成一は、安堵に息をはいた。
 正月に訪ねてきてくれと言ったのに、来てはくれなかった。そのまま二月三月と過ぎ、もう新学期も始まる季節だ。もう、酒を飲み交わすこともなくなるのかと思っていた。
 成一と黄桜には相互にやり取りのできる連絡手段はなく、いつも黄桜がふらりとやってくる。唐突なそれは、いつなくなっても不思議はない。黄桜はもう何百年も生きているということだから、そうやって生きる日々に埋没し、気付いたら成一の方は年老いて死んでいた、ということさえありそうだ。
 改めて思えば、あまりに儚いつながりだ。
「利根川君、そろそろ終わっていいよ」
「あ。うん。予定通りに終わりそうだよ。ラベル、ちゃんと買ってあるんだよね」
「あ」
「買っとく」
「ごめん」
 大学時代の同級生は、首をすくめるようにして謝った。まるで、たしなめられた子供のようだ。
 卒業してそのまま助手になった山本美和子が、今回のバイトに推挙してくれたのだ。呆れるほどの資料の山の整理は、バイト料は安いのにこき使われると評判で、金のない学生でさえ、あるいはだからこそ、敬遠されていた。
 しかし成一にとっては、朗報だった。資料室の雑多な諸々は、民俗学関係の一切合財が放り込まれているため、あまりお目にかかれないものにも遭遇できるのだ。例えば、東北地方の今や廃れた神棚丸ごと。配置の仕方と家計図まできっちりと記録をとった用紙つき。
 専門として極める予定は特にはないが、好きなものは好きだ。幸い、懐具合もそう寒くはない。年末年始にかけての代理仕事が、生活費をかけずにそこそこの値になったこともある。
「じゃあ、お先に」
「あ、待って。今日これから予定ある?」
「さっき友達が――そうだ、山本さん、向かいにいたんだよね。部外者入ってたけど良かった?」
「え?」
 きょとんと、目を丸くする。その様子に、成一は首を傾げた。
 資料室の向かいが美和子らのいる研究室で、今見れば戸は開け放たれている。視界を塞ぐように置かれているものもないから、廊下を行く人物があれば判ったはずだが。それとも、他の事をやっていて気付かなかったのか。
 もっとも、あの友人なら何でもありに思えて、言ってしまった疑問を適当にごまかした。そうして、起動を戻す。
「今日は、これから約束してる奴がいるんだ。何かあった?」
「そっか。じゃあいいや」
「何か用事だった? すぐできることならやるけど」
「ううん。明日は?」
「空いてる」
 考えるまでもない即答に、ぱっと美和子の表所が輝いた。
「利根川君を見込んでの頼み事。機械類、扱い得意だよね」
 得意、と言ってしまうといささか誇張がある。単に、取扱説明書に書いてあることが把握でき、無難に使えるだけのことだ。
 そういうと、美和子は、それで十分と言い切った。
「フィールドワークの映像記録が、溜まりに溜まってるの。テープの分はまだいいんだけど、この間新しく買ったデジタルカメラのデータが移せなくて。教授たちは絶対にやらないし、だけどあたし、メカ駄目なの」
「手伝えばいいの?」
 美和子の機械への苦手意識は強く、ビデオの録画予約さえできないことで有名だった。当然、パソコンも携帯電話も、必要に駆られて購入はしたが、ろくに使っていないということだ。
 あまりに必死な様子に、思わず苦笑がこぼれる。
「いいけど、どうして今日?」
「本当は、ずっと頼みたかったんだけど、大学からバイト料は出せないし、迷惑かけるだけだからって悩んだんだけど、どうしてもだめ。デジカメ、一杯になっちゃったらしくてもう撮れないし。ここの整理、もうそろそろ終わっちゃうし」
「明日でいいなら、いいよ。ソフトやドライバは入れてある?」
「・・・えーっと、ごめん、何言ってるかわからない」
 引きつった笑顔に、笑ってしまう。
「明日、全部見る。ついでに、使い方覚えたほうがいいよ。難しくないから」
「うう・・・」
「じゃあ、また明日」
「うん。あっ、お礼にご飯おごるから!」
 美和子の声を背で受けながら、だけどきっと、資料整理が終わった後の数時間だと終わらないだろうと、予想する成一だった。
 しかし、うつうつと沈みかけた思考を止めてもらえたのだから、そのくらいの礼はしてもいい。
 考えることは嫌いではないし、止めてはならないと思うが、黄桜に関しては別だ。できることなら、死ぬまで酒を飲み交わせる友人でいてほしい。ふらりと来る、不思議な、そんな人物でいい。自分が先に死ぬだろうことは、わかっている。
「えーっと、公園って言ったな俺」
 呟いて、成一は、薄く暮れた空の下へと踏み出した。

    
目次一覧


風の吹く夜に

 桜の花がはらりと、枝を離れた。
 桜が、吹雪というほどではないにしても、舞っている。
 黄桜は、研究室と定めた一室からそれを眺めていた。あまりにも見慣れた、それなのに不思議と感じてしまう光景だった。
 どれだけこれを眺めて来ただろう、と、今までの時間を計りかけている己に気付き、黄桜はゆっくりと頭を振った。
「おーい、トゥーヤン。何か作ってくれないか。成一のところに行く」
「はーい。食べたい物はありますか?」
 呼びかけに応じて、白い髪に赤い瞳の少年が顔を覗かせる。その隣に、同じ顔で髪の色だけが黒い少年が並んだ。
「大人[タイレン]、俺も! たまにはつれてってくれよ」
「また今度な」
「ちぇっ、いっつもそれだよな」
 ふてくされる少年に、思わず苦笑がこぼれた。

 闇の中に、甘い金木犀の香が溶け込んでいた。
 暦の上では、初冬となる季節だ。さすがに、朝晩は涼しい、あるいは冷える。もっとも、暦は新暦のことであって、旧暦を照らせば、一月ほどは後のことになる。
「料理上手だなあ、トゥーヤン」
 未だ学生にも見えそうな成一は、そうやって感嘆の声を上げながらも、箸を休めることはない。片手には、コップが握られている。
 今日がゲームセンターのフロアチーフとしての最終日だったというこの男は、執着というものが薄いように見える。引き止められながらもバイトを転々としている様は、まるで、一箇所に留まることを避けるかのようでもある。
 成一は、黄桜を「何だか不思議な常識の通用しない友人」として認識しているらしいが、それは、黄桜にとっても同じことだった。
 だから、こうやって酒など飲み交わしていられるのかもしれない。
「なあ。何か考えてることがあるのか?」
「は?」
「やけに口数が少ないから。違うならいいけど」
 出し抜けにそんなことを言い放ち、空になったコップに、一升瓶からそのまま酒を注ぐ。
 鈍いようで鋭いのだから、侮れない。
 黄桜がコップを差し出すと、そこにも、当然のように透明の酒を注いでくれた。なみなみと注がれたそれを、一息に飲み干す。
「俺は不自然に生きているなと、改めて思っただけだ。いや、思い出したと言うべきか」
「ふうん。そうなのか?」
「年をとらないこと一つ取っても、おかしいだろう」
 黄桜に、肉体が病み衰えることによる寿命はない。言うなれば、在り続けることに耐えられなくなったときが、終わりだ。
 あまりに部格好な「生」だと、そう、思わずにはいられない。
「俺はどうやって終わるんだろうと、考えるんだ」
 再び満たされたコップを、また、一息に呷る。
「できるなら、穏やかに終わりたい」
 それを恐れているのか、待ち望んでいるのか、それすら定かではない。
 そうして、成一と出会い、己が時の環から放り出されていることに、改めて気付かされたのだった。成一は生き、長くても数十年もすれば、命を終えるだろう。黄桜は、友を喪って残されるのだ。これまで、仲間を失うことはあっても、友を喪ったことはなかったような気がする。
 ふと成一に目をやると、きょとんとしていた。
「・・・何だ?」
「あ。いや。てっきり俺、お前は死なないのかと思ってた」
「俺も、元はただの人間だ。滅びもするだろう」
「だって、なあ」
 なあ、と言われても困る。
 間に戸惑って玉子焼きをつまむと、あ、最後の一個、と、なんとも拍子抜けする言葉が聞こえた。
 成一は、遠慮もなくまじまじと黄桜を見つめ、そうして、考えるように腕組みをした。不意に、にこりと笑みが浮かぶ。
「じゃあ、今まで生きてて運が良かったな」
「はあ?」
「お前がさっさと死んでたら、こうして顔を合わせて酒なんて飲めてないし。トゥーヤンの手料理を食べることもなかったわけだろ?」
 呆気に取られている黄桜の前で、うんうんと、一人頷いている。
「お前がこうやって生きててくれて、本当についてるわけだ」
 てっきり、黄桜の運が良かったと言っているものだと思ったら、違ったらしい。
 ふと、何かに気付いたように顔を上げた。
「ってことは、俺よりも先に死ぬこともあるのか?」
「・・・まあ、な」
「なんだ、てっきり死に水取ってくれると思って安心してたのに。じゃあ、その時は大泣きしてやるから、俺が先に死んだら、泣いて悼んでくれよな」
「――は?」
 にやりと笑い、成一は、酒を口元に運んだ。
「酷い話だけど、本当に悲しんでくれる奴が残ってくれてるってのは、嬉しいと思うんだ、俺は」
 ふわりと、甘い風が吹いた。
 二人は、金木犀の闇の中で、酒を飲み交わした。
「ああ。そうだな」

    
目次一覧


STORY  TOP  SCENARIO

[PR]DoCoMoご利用の方必見!:無料の運命鑑定≪スピリチュアルの館≫