
地鳴りのような音と、勢いよく上がる煙。
はっとして、ショートは顔を上げた。目の前を、少なくとも見栄えはいかつい汽車がゆっくりと、よぎって行く。体の重い、巨大な芋虫にも見えた。
「あ。・・・ああっ! うわ、待て、乗る、乗るって!」
言ったところで止まるわけもないのだが、思わず叫びながら、それまで椅子代わりにしていた四角い大きなカバンを一気に持ち上げて、今や最後尾となった汽車のデッキに投げ込む。
「お、おい、誰か・・・ぅわっ?!」
「どけ!」
ショートの投げたカバンの音に驚いたのか、様子を見ようとドアを開けた男が、跳躍してデッキの柵を掴むところだったショートの姿に、慌てて身体を戻した。
柵を掴み、どうにかデッキへと身体を移したショートは、大きく息を吐いて、柵に背を預けた。
切りそびれたように長い髪が、ぐちゃぐちゃになった上で更に、風に掻き回されている。
「あ・・・っぶなかった・・・っ・・・! なんだって、こんなメに・・・」
「・・・おい、大丈夫か?」
「あ、うん? まあそれなりに。とりあえず、これも無事みたいだし・・・あんたは?」
おそるおそる、といった態で顔を出すいかつい中年の男にはじめて視線を転じると、滅茶苦茶の風体で紅い装丁の本を抱えたショートは、不思議そうに訊いたのだった。
「とりあえず・・・話はわかったけど。どこをどう見て、俺なんかを雇おうって気になったんだ?」 手入れどころか、梳いてすらいないぼさぼさの長い髪(前髪含む)に、その下から見えるフレームだけの眼鏡、一昔か二昔前に主流だった袖を遠さずに胸の前で留めるだけのマント。やけにふてぶてしい態度に、手放そうとしない得体の知れない赤い本。
自己申告だけで、これだけ怪しい。もしショートなら、会ったばかりのこんな奴を雇おうなどと思いはしない。絶対に。
しかしショートを取り囲んだ男たちは、ひどく真面目にショートを見据えるのだった。コワモテ四人に囲まれていることになる。見ようによっては、恐喝だ。
「ですから! 時間がないんです!」
「最後の街まであと少し。奴らが襲ってくるとしたら、今しかないんです」
宝石の輸送中に、護衛が食中毒でダウン。この辺りを荒らす強盗団に狙われている彼らは、頭を抱え、ほとんど諦めていたのだという。
そこに転がり込んできたのが、「読書家兼護衛業」と名乗ったショートだ、と。
「・・・まず、車掌に知らせとけよ。そもそも、一般車に乗ってんじゃね―っての」
「は?」
「いや、なんでも」
ぼそりと呟いたショートの声は聞こえず、訊いても素っ気無く否定される。そんな状況に、男たちは首を傾げ合ったようだった。しかしショートは、まったく意に介さない。
「つまりまとめると、俺しかいないから選択の余地はなかったと、そういうことでだな?」
「あ・・・いや、そういうわけでも・・・」
「ん? 違ったか? それなら他当たってくれよ、俺じゃなくて」
「い、いえ、いやその・・・っ」
「まあ、引き受けてもいいけど?」
ショートの言葉にしどろもどろとしていた男たちが、喜色に染めた顔を上げた。どうでもいいことだが、ここまで外見(コワモテ)と中身(感情的)が違うと、不気味というよりも笑える。どうにかショートは、苦笑で止めることに成功した。
そして、話はさっさと細かい契約内容へと移行していく。宝石を守る、ということを中心に決め終わると、男たちは、ショートに正装一式を押しつけた。
「・・・何?」
「その格好だと、失礼ですが、怪しいですから。いちいち呼びとめられたりして行動に支障をきたすと、厄介でしょう?」
「いや、だからって着替える必要は。大体なんで持ってんだ・・・わっ、待て、わかった、わかったから! 服くらい、一人で着るって!」
抵抗する素振りを見せたショートに、一斉にかかった男四人。ちなみに、全てコワモテ。あっという間に身包みはがされ、先ほど出してきた服を着せられ、ぼさぼさの髪も櫛を通して、ひとつに束ねた上で何故かきっちりと三つ編みにされる。
「・・・・・・器用だな、あんたら・・・」
怒る気も失せたショートは、そう言ってがっくりと肩を落とした。その姿は見違えるほどで、先程とは違った意味で人目を惹きそうだった。 ちなみに、眼鏡と本も没収された。「待てっ、それは相棒の・・・」というショートの声は、あえなく無視される。代わりに髭面の男が、にっこりと微笑むのだった。
「仕事の間は、カバンに入れておけばいいだけのことですよ」
脅迫だ、と呟くショートだった。
(無理矢理)身支度を整えられたショートは、四人に何があっても宝石のそば、つまりは今いる個室から出ないよう言い置いて、通路に出た。
間違っても、物音がしたからって見に行くんじゃないぞと、はじめに会った男に特に、きつく言っておいた。こんなことに巻き込んだ事への、ささやかな嫌がらせでもある。大人げない。
「あーあ」
溜息をひとつつくと、ショートは進行方向に向かって歩き出した。今居る個室車両を抜けると、食堂車両があって、更にランクが上の個室車両、そして石炭室と機関室に車掌車両。用があるのは、とりあえず車掌だ。実はまだ、乗車料金を払っていないショートだった。
ちなみに、この車両より後ろは一般車両や家畜車両が並び、最後尾は貨物車両。宝石以外の荷物の確認に来た男と顔を合わせたのは、だから、たまたまとしかいいようがない。ショートにとっては不運なことに。
「いらっしゃいませ」
二両分の個室両を抜けると、まだ幼いくらいの少女が笑顔を振り撒いてきた。何割かは営業用でない愛想の良さが見て取れたが、敢えてそれを無視する。
足を止めることもなく、手をひらひらと振る。
「あ、違うから。俺客じゃなくて・・・そうだ、こんな奴、知らない?」
思いついて足を止めて、着せ替えられたときにわざわざ移した紙の切れ端を、少女に見せる。 少女は、うーん、と言って首を傾げた。
「探し人ですか? 見たこと、ない・・・ですね。すみません」
「いや、いいよ。ありがとう」
「他の皆にも訊いてみましょうか?」
「ありがとう、助かる。また来るから」
そう言って微笑みかけると、少女は頬を赤らめて、コックや仲間たちの方へと駆けて行った。 ショートは、最早そんな少女に気を払うこともなく、次の車両へのドアを引き開けた。ところがそこには先客がおり、車両と車両の間という狭い空間で、ショートは先客の背中を眺めることになった。
見ていると、先客は男のようだった。なで肩でひょろっとしている。服は、ありきたりの安物ではあるが、ショートの着ているものに似た礼服だった。なんとなく、これがこの青年の精一杯の正装ではないかという気がする。力仕事には縁のなさそうな細長い手が、ドアを開けようと伸ばされては、すぐに引っ込められる。
それを二回繰り返したときには、早くもショートの我慢の限界がきていた。しかし、いくら走行中で風の音が凄いとはいえ、それなりに音のするドアの開閉に気付かない男も大したものだ。「おい、アンタ。開けないならどいてくれ」
「えっ・・・あ。ああっ、はい、すみません、ごめんなさいっ!」
「・・・いや、そこまでびびらなくてもいいから」
気が抜けて、ショートは額を押さえた。
正面から見た青年は、体格の印象のせいか、見るからに気弱そうだった。よくこの風で飛んでしまわないなという印象を受ける。黒ぶちの眼鏡が、それを強調している。偶然にも、服装と背格好だけはショートと似通っていた。
へばりつくようにして脇にのいた青年の横を通って、ショートは躊躇いもなくドアを引き開けた。この個室車両は金持ちが対象のため、ささやかながら装飾が施されていた。
なんとなく車内を見ていたショートの腕が、突然掴まれる。ぎょっとして掴まれた右腕を見ると、栗色の髪の女がしがみついていた。薄いピンクのドレスを身にまとっている。
「さあ、ロバート、行くわよ!」
「ちょ、ちょっと待った!」
「何よ、ここまで来てまだ躊躇うって言うの!? 後悔すると思うならここには来ないって言ったでしょ」
「いや、ちょっと待ってってば!」
「だらしないわね、何よ! ・・・私のためならどんなことでもするって言ったのは、嘘だったの?」
泣きそうな声に変わったことに、溜息をついた。それから、慌てた声を出す。
「待てって! 人違いしてるから!」
「・・・・・・・・・え?」
そこでようやく、女は顔を上げた。ぱっちりとした眼に、健康的に上気した頬。薄く化粧もしているようだった。
女は、ショートの顔を見るなり、捕まえていた腕を離し、慌てて距離を取った。
「だ、誰よあなた!」
「・・・そっちが勝手に間違えたんだって」
一体この汽車には、どんな奴らが乗り込んでいるのか。変な奴ばかりじゃないだろうなと、いくらか心配するショートだった。
女は、羞恥に顔を赤くして、頭を下げた。
「ごめんなさい。そうね、私が・・・どうして間違えたのかしら。声だって、ロバートとは全然違うのに。あなたの方が断然、かっこいいわ」
「・・・そりゃあ、どうも」
曖昧に礼を言って、ショートは女の横を抜けて車掌車両を目指した。少し行って振りかえってみると、女は、ドアを一心に見ているようだった。
ここでも、溜息をひとつ。
「・・・なあ、あんた。そこで何やってんの?」
「それは、その・・・」
「俺と似たような格好の男を待ってるんだったら、そのドアの向こうで腕を上げたり下ろしてたりしてたけど?」
「・・・・・・そう」
女は、溜息をついた。何か呟いたようだが、ショートのいる位置まで、その声は届かなかった。
女が顔を上げる。
「教えてくれてありがとう。間違えてしまって、ごめんなさいね」
「いや・・・別にいいよ。じゃあな」
肩を竦めて、ショートはドアを開けて外に出た。そこに突然、重い衝撃がくる。
「・・・ってぇ・・・」
汽車は止まっていた。
急ブレーキだった為に、思い切りつんのめって、柵に掴まっていなければ、危うく外に投げ出されるところだった。顔を出して見回すと、後ろの車両からさっき通りすぎた男が落ちていた。 運のない奴だ、と呟きながら、進行方向を見ると、制服を着た気の良さそうな青年が、困惑気味に汽車を降りたところだった。
「おーい、何があったんだ―?」
ショートに気付いた男は、振り返って、困ったように帽子の角度を直した。
「も、申し訳ありませんっ、お客様ー! 線路に車が乗り上げたようで!」
「車が?」
「すぐにのけますので! 申し訳ありませんが、車内でお待ちください!」
訝しげなショートの声を、機嫌を損ねたものと勘違いしたらしく、車掌は、声を張り上げながらも、小さくなって言った。ショートを特別個室両の客か何かと間違えたのだろう。
しかし、ショートが眉をひそめたのはそんな理由ではない。ショート自身は、汽車が遅れたところで何の支障もない。そうではなくて、問題なのは、こういった事故を装った強奪団が多い、ということだ。
「・・・あいつ、わかってんのかな」
どのみち確認には行かなければならないのだが、それにしても全く緊張も警戒もしていないように見える。あの四人の持つ宝石を狙っていると知らなくても、しばしば狙われるのだから、それに応じた用心をしても良さそうなものだが。
とりあえずは、結果待ちだ。少し考えてから、四人の男のところに戻ろうときびすを返した。そもそも、そんなに急ぐ用だったわけでもない。
「お・・・っと、悪い」
戸を開けた途端に出くわした背中に突き当たって、短く詫びの言葉を口にして、ショートは相手が先へ進むのを待った。ところが、こちらを振り返ったきり、動く気配がしない。訝しげに、ショートは自分よりも頭ひとつ分は縦に高く、倍くらいに横に広い人物を見上げた。
そこにあるのは、いかつい顔。
今日五人目の遭遇となるいかつい顔の大男は、強いひげがいやに似合った、右目に眼帯をした四角顔だった。そう低い方でもないショートが子供のように見えるくらいの体格の良さと身長を持ち合わせた男は、振り向いたままの体勢でショートを凝視していた。
のんきそうに首を傾げながらも、上等そうな服に身を包んでも消えない粗野さと、身に馴染んだ血のにおいを感じ取って、ショートは、体勢はそのままに臨戦態勢だけは整えていた。
そこで予想外に、ショートからは遠い方、食堂車の方の扉が引き開けられた。
「キャシー、大変だ! 早くここから・・・」
ショートが車外に投げ出されたのを目撃した、なで肩の青年が、体を砂だらけにしたまま血相を変えて飛び込んできたのだ。それを待っていたはずの女が、事の異様さに気付いたらしく、顔を強張らせている。
だが、青年が言葉を終えるよりも先に、ショートの前に立っていた大男が、体躯からは想像できない俊敏さを発揮した。滑るように駆け、人形のようにやすやすと女の体を捕らえる。
悲鳴さえなく、大男以外誰も動かなかった。
このときになってようやく、ショートは個室の扉に、簡単ではあるが内側からは開けられないよう細工が施してあるのを知った。道理で、汽車が急停車しても誰も出てきていないわけだと納得する。
「動くんじゃねえ!」
我に返って身動きした青年に、大男は唸るような低い声を発した。女の喉に突きつけられた鈍く光るナイフに、青年が再び硬直する。
大男は、にやりと野獣のような笑みをひらめかせた。
「そうだ、動くな。なあに、大人しくしてりゃあ何もしねぇさ。いい子だから、あそこのやつを縛ってきな」
上着の下から出してきたロープを受け取り、青年はぎくしゃくと、ショートの方に歩いてきた。それを待ちながら、ショートは溜息をつく。自分だったら、ロープを受け取るときに相手に仕掛けたのに。
青年は申し訳なさそうに、青ざめた顔でショートの腕を後ろ手にくくりつけた。
少し考えて、青年にささやきかける。
「なあ、あんたは何を見た?」
「え・・・?」
「逃げろって、言いたかったんだろ。強盗か?」
青褪めてはいるが、青年はこくりと頷いた。思っていたよりも、冷静さが伺える。ロープも、いくらかゆるく結んでいるようだった。
青年の後ろから大男が声をかけ、青年を先頭に、次を手を縛られたショート、女を捕らえたままの大男の順で、隣の食堂車両へと移った。そこには、数人の武装した男たちと、縛られた店員や客がいた。
大男は、男たちに青年と、ショートを改めて縛らせて、更にはショートの足も縛らせた。女はからは手を離し、代わりに三人ほどの男とともに、先ほどの個室車両に行かせた。
慣れた命令の様子や、それに従う男たちからしても。明らかに、大男がこの盗賊段の中心人物のようだった。
「砂龍団です。目をつけた獲物を付け狙って、効果的に、その場に居合わせた他の貴金類ごとごっそりと奪っていくという・・・この頃、活動の目立つ一派です」
青年が、小声で告げた。 店員などから離れたところに置かれた二人は、今は背中合わせに、机の脚にくくりつけられていた。更に何か言おうとして、口を閉ざしたのがわかった。近付いてくる大きな足を見て、ああ、とショートは呟いた。青年が体を強張らせるのが、背中越しにもわかった。
「ふん、いい様だな、死神」
大男は、わざわざ腰を落として、目線を合わせて、たっぷりと嫌味を込めて言った。
しかしショートは、何の感情も浮かばない眼で見返しただけで、その反応に腹を立てたのか、大男は、立ち上がるとショートの腹を蹴りつけた。腹を庇うように体を丸めて、見下ろしているだろう大男を見もせずに、ショートは億劫そうに口を開いた。
「・・・何?」
「何、だと?」
男は、せいぜい威厳を込めたつもりの声を絞り出した。しかし、縛られていながらもショートの方が堂々としている。
それとわかっているからこそ、男はこめかみをひきつらせるのだった。
「お前は知らんかも知れんがな、死神。俺たちは誰も傷つけない強盗団として知られてるんだ。だが、お前となれば話は別だ」
「ふうん。俺、何かやったっけ」
「お偉い死神サマは、殺した奴なんていちいち覚えてないんだろうなあ。え?」
「ああ、あんたらんとことぶつかったことがあったのか」
更に男が殺気立つ。背中の向こう側で、一緒に縛られている青年がますます体を強張らせるのが判った。しかしショートは、それにかまわず、だるそうに溜息をついた。
「そんなのはどうでもいいんだけどさ、死神っての。それ、俺だよな? その名は捨てたから、あんまり呼ばれたくないんだけど」
青年が、息を呑んだ。
今度こそ、大男は言葉を失って激怒した。それを、強盗団のうちの一人がどうにか押さえつけ、なだめている。それを遠巻きに見守る仲間たちのうち、まだ入って日の浅い者が、こっそりと隣に囁いた。
「ねえ、頭領は何であんなに怒ってるんです?」
「お前も話は聞いてるだろ。あれが、死神のショートだ」
「え!」
新入りは眼を見開いて、ふてぶてしく縛られている正装姿の二十歳そこそこの男、ショートを見た。様々な血塗られた挿話には事欠かない、伝説となった人物。・・・新人は、訝しげに首をひねった。
「・・・ほんとうに、あいつに半壊させられたんですか? 砂龍団が? それに死神って言えば、冷酷無比って・・・人質捕られてつかまるようには思えませんけど?」
「俺だってそう思うさ! でもな、確かにあの顔なんだよ。底知れない眼をしてた。あれの敵に回って、生きてるのが奇跡みたいなもんだ! わかるか!?」
心底おびえた先輩格の言いように口を閉じたものの、新人は、やはり疑いの眼差しを向けた。 そうしている間に、他の車両からは引き上げの報告が入ったようだった。粗方めぼしい物は奪い取り、あとは撤退だけだ。ところが、その場にいる皆が、頭領と大人しく縛られているショートに注目していた。
「さて、お別れだ。俺たちはお前と違って優しいからな。最期の言葉くらい聞いてやろう」
折角の台詞だったが、さほど感銘を受けた風でもなく、ショートは器用に肩を竦めて、男を見やった。
「もう引き上げ?」
「ああ。そして、お前の最期の時間だ」
「へえ。芝居好きみたいだから、それふうに言うけど。アンタは誰も傷つけないって言ったけど、そんなことはあり得ない。奪えば、失う。それは必定で、傷つけるのと同義だろう」
「ふん。説教するのか。お前が」
「いや。やってることを知らないのか知らないふりをしてるのかは知らないけど、あまりにみっともないから。自覚くらいはしとけよって、思ってさ。それだけのこと」
そう、つまらなさそうに言って、ショートは立ち上がった。念を入れて縛り上げていたつもりだったために、一同は、呆気に取られてそれを見守った。それは、一緒に縛られている青年も同じだった。見ようとして、無理やりに、体をひねる。
ショートが、冷ややかな眼差しを向けた。
「咄嗟に動けるかが、生死の分かれ目だ」
ショートがそう言い放ったときには、既に立っていた半数以上が意識を手放していた。残る数人は、逃げるか立ち向かうか迷ったようだった。
そんな者たちも、呆気なく仲間の後を追う。
彼らが弱いのではなくショートが強いだけなのだが、「頭領」は納得することはできなかったようだった。
手下に投げつけた金属製の食器が尽き、ショートが素手と見取ったこともあって、無謀にも向かって行く。
ショートは、面倒そうに肩をすくめるに留まった。刀をかわして、逆にその手を蹴り上げる。男がそれに気を取られている間に、その喉笛に手をかける。
「・・・く・・・っ」
「死神の名は捨てた。そう言ったよな? 感謝するなら、礼状は俺の相棒に宛てろ」
寒気のするような、何の感情もこもっていない瞳だった。それに見つめられ、男はゆっくりと意識を手放した。話にもならない、絶対的な力の差だった。
さあて、と言ってショートは、自分が縛り付けられていたところ二歩を進めた。青年がびくっと体を硬直させたのが判ったが、気にせず男たちから適当に取り上げたナイフで、ロープを切り落とす。
「アンタ、他の人のほどいてくれないか」
無造作にナイフを渡されて、青年は目をぱちくりとさせた。そして、はっと我に返る。
「あ・・・ありがとうございます!」
「いいから、ちゃっちゃと」
「は、はい」
青年がぎこちなく縄を立ていく間にも、ショートは手際よく人々を開放していった。中には怯えたように目を逸らす者も少なくはなかったが、それも仕方ないだろう。
「死神」というとおり名で知られるものは、広く知られている者では二人いる。一人は百年ほども前の海賊で、もう一人がショートとなる。「死神のショート」といえば、子供でも知っている。
十年程前に突如として現れ、三年前に姿を消した。その強さと容赦のなさから、存在を知られていた当時から、半ば伝説化して語られていた。歯向かった者にはほぼ間違いなく死が訪れる。だからこその通り名だった。
事情を聞かないままの殺しの依頼もたくさん受けたし、対抗者を殺すのに躊躇ったこともない。そのころは短くしていた髪も、幾度も血に濡れた。実のところ、今もショートに後悔はない。それらを変えたのは、ただ、あの相棒に出会ったからだった。
「これで全部か」
解放した者たちに盗賊を縛るよう指示を出していたショートは、全員が縛り上げられていて、逆に縛られていた者がすべて開放されたのを確認して、立ち上がった。
「どちらへ?」
気付いて声をかけてきたあの青年を、物好きな奴だと思いながら振り返る。
「向こう。汽車動かしてもらいたいから。――スプン、借りてくな」
後半は料理長なり室長なりに向けたつもりだったのだが、誰の返答もない。ショートは軽く肩をすくめると、無言は承諾と決めて、数本を適当につかんでポケットにねじ込んだ。
それを見ていた青年が、首を傾げる。
「武器にするなら、フォークの方がよくありませんか?」「それだと、下手すると殺しちまうんだよ」
「ああ、なるほど」
「納得したな? じゃあな」
「待ってください!」
「ああ?」
先ほどのおびえをかけらも見せない人懐っこい感じの青年に、ショートはいささか辟易としていた。つい、思い切り厭そうな顔をして振り返ってしまう。このときすでに、体は機関車の方へと向いていた。
「僕も、ついて行っていいですか?」
無言で体ごと振り向いて、ショートは無遠慮に青年の全身をじろりと見やった。どう見ても、武術一つ身につけているようには思えない。
試しに、咽喉笛を狙ってみた。
咽喉を捕らえはしたもののぶつかる衝撃ひとつ与えない寸止めだったが、青年は驚いたように、まばたきをしただけだった。不思議そうに、「何ですか?」とさえ訊いてくる。ショートは、溜息をついた。
「やめとけ。まだ何人か、残ってんだから」
「向こうの車両には、僕の・・・大切な人がいるんです。待つだけなんて、厭です。邪魔になれば、見捨てて下さってかまいません」
「・・・アンタさ、俺の名前知ってるか?」
大丈夫だろうかこいつは、問い痛げに、疑わしそうに訊いたショートだが、「はい」と真面目なかおで返されて、いささか面食らった。
「ゴルホースは既に死んでいます。そうなれば、今、死神と呼ばれるのは一人しかいません。だけどあなたは、その名は捨てたと言いました。武器も、わざわざ殺傷性の少ないものを選んだ。人質も守った。だから、以前はともかく今は、冷酷だとは思えません。それに、本当に足を引っ張るのなら、見捨てられた方がいいんです。その覚悟もなく、ついて行くなんて言いません」 見くびるなと、言外に言われているような気がした。ショートは肩をすくめて、同行を許可した。
結果から言えば、青年もショートも無傷で済み、汽車は無事に発車した。
「この後はどこへ?」
襲撃者たちをまとめて荷物車に押し込んで、到着した駅。ショートは、いかつい男たち、元依頼人のうちの一人から訊かれ、さあ、と首を傾げた。
既に服は着替え、髪も元の通りにぼさぼさの状態に戻してしまっている。ふちだけの眼鏡も装備済みだ。それだけで、すらりとした目を見張るような青年は消え、不信人物が登場する。
駅は、役人や軍人が駆けつけ、大騒ぎになりつつあった。乗客は全員駅内での待機を命じられているが、ショートはそれに従うつもりはない。少ない荷物を手に、抜け出す時期を見計らっているときに、男が声をかけてきたのだった。
「何かお探しでしたら、俺たちも手伝いますよ」
「・・・なんで?」
「は?」
笑顔ではあるのだが、その実、鋭く射すくめられ、男は背に冷や汗をかいた。しかし、こちらも笑顔を崩さない。
すいと、ショートは男に顔を近づけた。
「探し物があるって、言ったっけ、俺?」
「いえ。ただ、そう思えただけで・・・」
「あっそ」
ふ、と、唐突に目線を和らげる。上辺だけの言葉で納得したのではないとは、男にも判った。それは、男がショートの昔の名を確信しているのと同じくらいには、確実なことだった。
それからショートは、何気なく男の後方に目をやって、うわ、と小さく呟いた。何事かと男が振り返ると、丁度、こちらへ来ようとしていた軍人と目が合った。
「あなたか、今回の件を治めたというのは。参考までに、氏名と事情を伺いたい」
軍人特有の、丁寧ではあるがどこか居丈高な言いようだった。きっちりと着込んだ軍服が、実によく似合ういささか小柄な男だ。もっとも、あの大男やこのいかつい顔の男が大きいから、そう見えるだけなのかも知れない。ショートよりは背が高かった。
自分に言っていると悟った男が、いいえと首を振り、迷ったように一瞬だけ、視線を後方へ向けかけたのを捕らえ、軍人もそちらに目を向けた。
ショートは、短く息を吐いて顔を上げた。
服装も髪形も大分変えてはいるが、それでも築かれる確信があった。よりにもよって、何度も直接顔を合わせているこの男が来たことは、ついていないとしか言いようがない。
先手を打つべく、明るく声をかける。
「よお、久しぶり」
「・・・・・・!」
「久しぶりだけど、別に積もる話があるわけでもないしなあ。じゃあ、そういうことで」
「貴様、生きて・・・!」
「死んだ覚えはないな」
驚きに、動けずにいる軍人となんとなく見守る形になった男とを残して、足早に去って行く。 カバンを片手に、マントを翻す姿は、閑だった何人かの注目を集めていた。
軍人が我に返って、捕らえさせようとしたときには遅かった。堂々たる不信人物が一名、功績を誇ることも咎を責められることもなく、姿を消したのだった。
「あの方をご存知で?」
「知っているも何も・・・あなたは?」
せめて、大声で呼びかけようかとしていたところにちょうど質問をしてきた青年に、軍人は横柄に訊いた。しかし青年は、気分を悪くするでもなくにこりと笑ったのだった。
「ロバート・ワンダー・・・いや、ロバート・デューイ大佐です。つい先ほど、結婚が決まったんです。妻が一人っ子なものだから、婿養子に決まって・・・」
しかし、軍人はもう話を聞いていなかった。上官に無礼な口を利いたと、かしこまって冷や汗を流している。
青年はそれに気付くと、ふっと笑って、一旦言葉を止めて、ショートの走って行った方に目線を向けた。
「それで、あなたはあの方を知っていると?」
「た、大佐はお若いからご存じでないかもしれませんが・・・あやつは、女子供もためらいなく殺す凶悪犯でございます!」
「いや、それは見間違いですよ」
「しかし!」
「乗客に聞けばわかります。この汽車を救ったのは、あの方なんですよ」
にっこりと、ロバートは笑った。有無を言わせぬ笑顔だった。
「次はどこ行くかな」
赤い装丁の本を見るともなしに開くと、四角いカバンに腰を下ろした体勢で、片あぐら状態の足に肘をおいて、頬杖をついた。
眼下には、先ほど後にした駅が見える。まだ処理が済んでいないのか、電車が動く気配も、人の減る様子もなかった。
「・・・あのバカ、どこ行ったんだかな―・・・」
一人の、男を思い浮かべる。やたらと笑顔の多かった、バカみたいに真っ直ぐで、何も考えていなくて時々おおぽかをやらかす。子供みたい、と言えば早いのかもしれない。
そして、つよい。あらゆる意味で、つよかった。
ショートは、その男を捜しているのだった。エースという名の、相棒を。
時代遅れのコートも、今はレンズを抜いてある眼鏡も、赤い装丁の本も笑顔も、人助けも、全てその男のものだ。ショートはただ、験かつぎのようにそれらを借りているに過ぎない。
ショートを冷酷な「死神」でなくして、今では妻と子供も持つその男は、ある日突然に姿を消した。仕事の相棒であるショートに何の断りもなく、何よりも大切だったはずの家族にも何一つ告げなかった。
早く帰って来ないと、この子、あなたをお父さんだと思っちゃうわね。乳飲み子を抱えたエースの妻は、そう言って、不安を押し隠して苦笑していた。
何気なく本に目を落とすと、エースの好きな詩が書かれている。エースの好んだ文章が自筆で記されているのが、この本だった。勝手に持ち出したから、後で怒られるかもしれない。後――が、あればの話だが。
「とりあえず、歩くか」
そう呟くと、本を閉じ、カバンに入れる。立ち上がると大きく伸びをして、あっさりと駅と人々に背を向けた。
ショートの見通しの無さを言い当てるかのように、空は雲一つなく晴れていた。