
それは、良く晴れた日に起こった。シュムが城に着いて去った、翌日のことだ。
「失礼します。陛下、お話ししておきたいことが・・・」
「ん? なんだ、エヴァか」
「・・・ッ」
すっかり定着してしまった呼び名に、エバンスは拳を握りしめた。それではまるっきり女のようではないかと言いたいが、言ったところで止めるような人たちでもない。
これは放置するしかないんだと、心中で強く繰り返す。
「用事があるなら言わないか。ずっとそこに立っているつもりか?」
「――いえ。申し訳ありません」
「顔を上げろ」
言われた通りにすると、国王――兄が、呆れた眼をしているのが判った。言いたいことは、既に何度も聞かされており、最近では口にすることもなくなった。
お前がそんな態度をとる必要はない。少なくとも、誰もいないところでまでそんなことをするな。
しかしその声を、ずっと黙殺してきた。きっと、これからもそうしていくだろう。兄か、自分がこの場所に留まり続ける限りは。
「話というのは?」
「ミハイル様に、師をつけて本格的に魔術の勉強をさせるか、一切を禁じた方が良いと思われます。今のまま放置すれば、誰にとっても良いことはないでしょう」
「あいつ、今度は何をやった?」
そろそろ十になる長子を思い浮かべてか、兄――ジェイムスは微苦笑した。しかしそれも一瞬で、今度は真剣な顔つきになる。
まるでジェイムスの少年時代のように、悪戯を繰り返す子供ではあるが、順調にいけばこの国の跡継ぎとなる。そんな人物に、魔術を学ばせろというのは尋常ではない。魔導師が、政治の位を持つことはあり得ないのだ。当然、王にもなれない。
ジェイムスもエバンスも、それはよくわかっていた。
「魔物を召喚しました。書庫の立入禁止区域に忍び込み、そこから魔法陣の知識を得たようです」
「それで――」
さすがに顔色を変えた兄に、エバンスは淡々と首を振る。
「いえ、契約は行なっていません。ミハイル様は、今は私の部屋にいらっしゃいます。他の者には、まだ知らせていません」
深々と溜息をついて、ジェイムスは椅子の背に体を預けた。掌を、額にあてて天井を仰ぐ。
「わかった、すぐに会いに行く。悪かったな、慌てていた。あいつに何かあれば、お前がこんなに悠長に話をしているはずもなかったのにな」
「・・・そうとも限りませんよ」
「限るさ」
あっさりと断言すると、ジェイムスはエバンスの肩を叩きざまにその横を抜け、執務室への通り道ともなる護衛室を抜ける際に、自分が戻るまでは誰も立ち入らせないように、との指示を出していた。何しろ、机の上には未決済の書類が放置されたままだ。
そして出口で振り返って、エバンスを呼ぶ。
「おい、エバンス。何をしてるんだ、早く行くぞ」
「あ・・・はい!」
呼ばれ方に、幼年時を思い出して呆けていたエバンスは、我に返ると、先に部屋を出てしまった兄の後を追った。ジェイムスの気まぐれにつき合わされるとでも思ったのか、衛兵の一人が同情するような素振りを見せたのが、少し可笑しかった。
国王の執務室から宮廷魔道士の寮の建物までは少し距離があるが、ミハイルの能力などの詳細を、他の者も通るようなところでできるはずもなく、二人はほぼ無言で歩いていた。
道すがら、ジェイムスの姿に気付いた者が、敬礼をしながらも穏やかに微笑むのは、人柄というものだろう。
そうして到着した部屋は、床や机を占領する羊皮紙さえなければ、さぞ殺風景で無機質だろうと思わせる、そんなところだった。
「――いるのはミハイルだけだと思っていたが?」
「そんなことは、一言たりとも申し上げておりません」
「そうか、そうかもしれないな? しかし、こんなものがいるとも一言も言わなかっただろう! そのくらいは言っておくのが筋というものじゃないか!」
「害はありませんよ」
「害の有無は関係ない! そうじゃないだろ! これがまだいるってことは、誰かが――いや、この場合はお前しかいない! お前がこれと契約したってことだろう! 違うか? 違うなら今ここで申し開きをしてみろ!」
「必要ありません。その通りです、陛下」
あくまで淡々と、告げる。
その様子に、ジェイムスは逆上した。羽織っていた上着を脱ぎ捨てて、エバンスの顔目掛けて投げつける。
「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、まさかここまで馬鹿だとは思わなかったぞ! 俺はお前を、そんな風に育てた覚えはない!」
「少しは落ち着いて・・・」
「落ち着けるか、この最上級の大馬鹿! お前よりよほど、クツァの方が賢い!」
クツァとは、城で飼っている子豚のことだ。庭師の子供が、気まぐれに名づけたものだった。
「ッ、馬鹿馬鹿って、あなたの方がよほどの大馬鹿者です! 臣下と息子と、どっちが大切だというのですか!」
「お前は臣下じゃなくて俺の弟だ!」
「だからそれは」
「お前一人で納得して、片付いたなんて思うなよ!? いつだってお前はそうだ! 皿割ったからって庭に埋めて、証拠隠滅したつもりでも、皿が一枚減ったのには変わりないんだからな! しかも埋めたところが浅くて、雨が降ったらばれたじゃないか!」
「そんな昔の・・・ッ。だったら言わせてもらいますがね、兄上だっていつも、城を抜け出すときに穴を塞ぐのを忘れてたじゃないですか。おかげで、兄上がいつ町に出てるかなんて、馬丁だって知ってましたよ。思慮が足りないのはどっちですか」
「なんだと?! 夜に雷が怖いって泣いてたのはどこのどいつだ!」
「そっ・・・そんなこと、どこにどう関係してくるんですか!」
いつの間にか肩書きも飛び、恥のさらし合いのような兄弟喧嘩へと発展している。始めから、音が外に漏れないように術をかけていたのが、救いと言えば言えるだろう。
しかし、部屋の中にいれば関係はなく。
「・・・母上、呼んできた方がいいかな・・・?」
「それよりも、仲裁に入ればいいだろう」
「僕の声なんて聞こえないから、きっと」
一人は途方に暮れ、もう一方はうるさそうに眉をひそめているのだった
「一月・・・まあ、そうだな。特に何もなければ、そのくらいは保つ」
「それはまた、随分と効率が良い」
感心したように言って、エバンスは羽根ペンで書き付ける。そのうち、きちんとまとめて文章にしなければ、と思い、どう書いていこうかと、ちらりと考える。
「それでは、次。寿命をとるというのは、具体的にはどうやって?」
「そのくらい、経験者がいるから判るだろう?」
「魔物と契約したと、おおっぴらに言う者は少ない。判ったところで、死んでいることが多いしな。上手く契約した者は、俺たちの目を誤魔化すくらいの知恵は付いて――そうだ、お前、あのとき呼び出された人物を言えるか?」
ペンを持ったまま顔を上げ、寝台を見遣る。そろそろ陽が沈む時分なので、少ししたら、灯りを入れなければならないだろう。
相手は、寝台に腰掛けたまま、訝しげに首を傾げた。人外の新緑の髪も赤い瞳も、見慣れればそう違和感もないものだと、エバンスは妙なところに感心した。
「魔術も扱えない人に魔物との契約をさせるなんて、どうせギルドにも属していないだろうが、通達しておけば知らせが来るかも知れない――おい?」
反応がなく、ペンを置いて向き直ると、それはしかめっ面を向けた。
「あのときというのは?」
「ガルヴォア・ハーネットと契約をしただろう? それで、あの人――シュム・リーディストを捕らえようとした」
「何故それを!」
最終的に、今目の前にいる者を送り返すときに、エバンスは手伝った。まさかそれを覚えていないのかと、溜息をつく。
あれからまだ、半月ほどしか経っていないというのに。
「俺もあのときあそこにいたんだ。てっきり、気付いていたと思ったのだがな」
「――ああ。そういえば、あのときにシュムと違った力も加わっていたか・・・」
「判ったらなら、話してくれ。どうなんだ」
「断わる。契約外だ」
エバンスが、アル――と、シュムは呼んでいた――と結んだ契約は、魔界や魔物を知るための質問に偽りなく答える、というものだった。丁度、後々のために魔物に関する記録を取ろうとしていた矢先のことだ。
だから丁度良かったと言えないこともないが、本来なら地道に各地の術者を渡り歩き、まとめ上げるつもりでいた。実のところ、魔物との契約というのは恐ろしい。
溜息をついて、エバンスは何も書いていない羊皮紙を取り上げた。
「それなら、新しく契約すれば文句はないな? それとも、契約中に別に契約はできないのか?」
「いや。この場合なら問題はないだろうね」
「こ――」
この場合ならとは、どういう事か。そう訊きかけたエバンスだが、乱暴に戸を 叩く音に遮られた。一般的な大人よりも低い位置での音に、ミハイルが来たのかと、予想する。
「どなたですか?」
「叔父上、僕です。入っていいですか」
「どうぞ」
おずおずと姿を見せた少年は、年の割には背が低く、瞳の色が濃い灰色の点を除けば、幼い頃のジェイムスにそっくりだった。瞳の色は、母のアンジーから受け継いだのだろう。
立ち上がってにこりと笑いかけ、先程まで自分が座っていた椅子を勧める。この部屋には、他に椅子はないのだ。寝台にアルと並んで座ることもできないではないが、エバンスは入り口の扉を背に、軽くよりかかった。
「違いは判りましたか?」
ジェイムスとの不毛な口論を止め、部屋から追い出した後、一緒に追い出されることになったミハイルは、不満そうにエバンスを見上げたのだった。
『僕が喚び出したのに』
『――これが私の契約書で、これがあなたの契約書です。違いが判っても文句があれば、遠慮なく仰ってください』
そう言って、エバンスはミハイルを送り出した。勿論、契約書には、手が加えられないように細工がしてある。
ミハイルは、まず二枚の契約書を返して、首を振った。
「無理だよ。しばらく、書庫には入れないって言われちゃったし」
「まあ、無難なところでしょうね。それで、私に訊きに来たのですか?」
「叔父上は、読めるのでしょう?」
ちらりと、寝台の方を見る。赤い眼と視線が合ったが、まじまじと興味深そうに見つめ返している。恐れを知らないのは、この場合、無知だからだろうか。
「読めますよ。この文字も読めずに魔物と契約を結ぼうなどと、死にたがっているとしか思えない行為ですからね」
むっとして、ミハイルが顔をしかめる。
エバンスは、返された契約書をミハイルが見られるように差し出して、契約者名を入れる部分の上の辺りを指し示した。
「この部分、字が違うことは判りますね? 僕の方は三月となっていて、あなたの方は残り全てとなっています。その上」
今度は、別の箇所を指さす。
「あなたの方には、交換条件が書かれていない。つまりは、無償で命を差し出すところだったのですよ」
少年は、血の気の引いた顔で、大げさに言っているのではないかと、叔父を見た。しかしそんな様子もなく、召喚したときに駆けつけてきた必死の形相を思い出し、きっと本当なのだと、そんな結論に辿り着いた。
穏やかに、エバンスはミハイルの心情を推測して、そっと肩に手を置いた。
「これに懲りて、無闇に知らないことに手を出すのは止めることですね。そろそろ、晩餐の時間ですよ。遅れたら、皆が心配します」
「はい。――叔父上、僕――魔術を、学ばせてはもらいない・・・よね、きっと」
「父君と相談は?」
「してないけど、でも」
「納得がいくまで話し合ってごらんなさい。あの人は、話してわからない相手ではありませんよ」
そうやって、ミハイルを送り出す。
送り出した後で、エバンスは溜息をついて椅子に腰掛けた。話している間にすっかり陽は沈み、エバンスは、燃えることのない読書灯を呼び出した。
そこで、寝台に座るアルを思い出す。
「悪いが、続きは明日でいいか? 今日は疲れたから――ああ、部屋を用意しないといけないな。姿は変えられるか?」
視線を向けるが、返事はない。
「その前に何か食べるか? 食べても力にはならないが食べられると聞いた。どうする?」
「――お前は、シュムに似ているな」
「はあ?」
予想だにしていなかった言葉に、エバンスは思い切り眉をひそめた。
どこをどう探せばあの人との共通点が出てくるのかと、問い質したい気分になる。
「何故、あのときにそのまま僕を送り還さなかった。そうすれば、わざわざ契約をする必要もなかっただろう」
「送り還されたかったような台詞だな?」
「・・・そういうわけじゃない」
「送り還したところで、どうせ次を探すんだろう。ガルヴォア・ハーネットとの契約は失敗したんだからな。それに、あの状態で還そうとすれば、召喚者も被召喚者も無事には済まない」
あっさりと言って、肩をすくめる。
一瞬、それでもシュムなら他の手段をとれただろうかと考えるのが、自分でもばからしい。比べたところで、どうなるものでもない。
「――やはり、よく似ている」
何も言えずに、ただ、エバンスはもう一度肩をすくめた。
義姉の姉だから、やはり義理の姉に当たるのだろうあの規格外の魔導師に対しては、妬心も含め、ひとかたならぬ感情を抱くエバンスだった。嫌いと言い切れないだけに、もどかしい。
「それでは、あなたもお姉さんのお友達なのね」
にこにこと微笑んで、アンジーはお茶菓子をすすめた。ちなみに、アンジーのお手製である。
これは、小さな国だからと言うよりも、以前に茶店で働いていたから、そして本人の気性故[ゆえ]というところだろう。当初は眉をひそめていた家臣たちも、今では、「王妃のお茶会」というと、半ば茶菓子目当てにいそいそとやってくるのだった。
そのお茶会の、今回の参加者はエバンスとミハイル、妹の――アンジーにとっては娘の――マリア。それとジェイムスも、書類が一通り片付いたら来るはずだった。
そして、アル。
「こちらにいる間、何か困ったことがあれば相談してちょうだいね」
にこにこと笑う。
咄嗟に目を逸らしたアルは、隣で難しいかおをしてお茶を飲むエバンスを睨み付けた。
「なんだこれは」
「・・・お茶会だろう」
囁き交わす声は、それぞれに非友好的だ。
エバンスとて、望んできたわけではない。早く聞きたいことを訊いて、契約を終わらせてこの物騒な男を還らせたかった。それが、朝食の席に届けられた伝言を聞き――思わず、呻いていた。
「王妃のお茶会」は、趣味と実益を兼ねた、アンジーの開くお茶会だ。
城内にいる者を、身分家柄役職関係なく、招いておしゃべりをする。大体はその日の朝に招待者に知らされるため、出席が無理な者もでそうなものだが、アンジーが上手く見計らうのか城内の全ての者が認めてしまっているためか、欠席者は滅多に出ない。
今が平和な世の中だからこそだが、それでも一応、城内の結束に役立っているのだから侮れない。
「やあ、話は弾んでいるようだね。私もお邪魔していいかな?」
「あらいらっしゃい、あなた」
現われたジェイムスと迎えるアンジーと。いつもならば溜息をつきたくなるほどにうんざりとするはずの雰囲気に、違和感をもって、エバンスは心中首を傾げた。
すると、それまで大人しく座っていたミハイルが、そっと袖を引っ張る。
「昨日、母上と何かケンカしたみたい。おかげで、話し合うどころじゃなかったよ」
「・・・珍しい」
思わず呟くと、聞こえてしまったらしく、アンジーとマリアの間の席から睨み付けられた。思わず、首をすくめる。
「ねえ、あの・・・叔父上」
思い詰めたような様子のミハイルに、エバンスは和やかなお茶会から頭を切り換えて、ミハイルの囁き声に耳を傾けた。
アンジーやマリアにしきりに話しかけられ、たじろいでいる様子のアルをちらりと見て、エバンスはいっそう声をひそめた。
「あの人・・・本当に魔物なの?」
「魔法陣から出て来たところを、あなたも実際に目にしたでしょう。それに、髪の色も目の色も、人にはまずありませんよ」
「でも・・・母上と普通に喋っているし、お茶だって飲んでいるし・・・魔物って、何も食べないものなのでしょう? 魔法陣だって、空間転移用のものだってあるし」
書物に細工をして、魔物召喚と空間転移の魔法陣をすり替えたのではないか。そうして、何かの方法で常人離れした人を、呼び出させたのでは。
聞いて、エバンスは溜息をついた。
「本気ですか?」
「だ、だって、全然恐そうじゃないし母上だって平気だし」
「そんなことをして、何の得があるというのですか」
「――僕を怖がらせて、魔術に興味を持たせないように、かなって・・・」
言って、少年は俯く。
軽く疲労を感じながら、エバンスは一口、お茶を飲んだ。
「そう思いたいのであれば、それでも構いませんよ。本当に、あれが転移用のものだったと思うのであれば」
はっとして顔を上げたミハイルは、何かを読み取るように、必死でエバンスを見つめる。それに思わず苦笑した。
エバンスの読みが外れていなければ、この少年は、人並み以上の力と感覚をもっているはずだった。今でも、なんとなくでも違いくらいは判るだろう。それを疑うのは、経験がないだけのことだ。
「ただ一つ忠告しておきますが、恐くなさそうだからと言って、あまり馴れ合わないことです。少なくとも私には、恐ろしくてそんな真似はできませんね」
ただ一時、契約を交わすだけの存在だ。こちらが親しく思おうとも、それで何が変わるわけではない。契約者が変わり命じられれば、平気で命も奪いに来るだろう。
その情の薄さが、恐ろしいのだ。
だからエバンスは、過剰な警戒はしないが、彼を信頼することはないだろうと思う。多分、向こうも同じことだろう。
それをシュムは――。
そんなシュムに、どこが似ているのか。昨夜の言葉を思い出すと、何かもやもやとしたものがある。シュムほどに、甘くも優しくもないと、そう思うのだが。
「ミハイル様?」
反応がなく、訝しげに見遣ると、ミハイルは、我に返ったように瞬きをした。
「――叔父上には、恐いものなんてないと思ってた」
「え?」
「だって、その年で宮廷魔道士の次長で、父上だって兄弟だからじゃなくてとても信頼されていて。全部に実力があって、だから・・・」
そんな風に。
この少年にはそんな風に見えていたのかと、本心から驚く。
そして、それは自分にも覚えのあったことだと気付く。誰もが、自分よりもはるかに立派な人に見えた。しかしそれは、本当だったが嘘でもあったのだと。
少し、懐かしくなった。
「私の評価は措くとして、やめさせたくてそんなことをする必要はありませんよ。そもそも、諦めさせるなら、魔術を使えたと思わせる方法はまずいでしょう」
エバンスが己の能力に気付いて、頑固な父を説得した。そのときに、あの兄はほぼ唯一、味方をしてくれた。
「王位を捨て、真剣に学びたいというのであれば、協力しますよ」
顔を輝かせるミハイルに笑いかけて、きっと始めから認めるつもりでいるだろうけどと、心の内でだけ呟く。
幸い、女王制の認められない国ではないが、そうだったとしてもきっとなんとかしてしまっただろうと思わせる、兄と義姉なのだから。
「悪いな、呼び出して」
「――いえ」
そうは言うものの、このところ、エバンスはろくに寝ていない。呼び出しは、大きくはないとはいえ、負担には違いなかった。
宮廷魔導士の同僚と共にミハイルに相応しいと思える候補を挙げ、選考に必要な情報の手配を行ない、アルから話を聞き、魔道士のギルドには一人の女の手配を頼み。
それに加えて日常業務も、怠るわけにはいかない。直裁的な力を使うことはあまりないが、時間はやたらに喰われる仕事の数々だ。
アルとの契約も続いており、聞き終わるかあらかじめ定めておいた期限を過ぎなければ、彼はまだこちらにいることになる。これも大きな負担のうちの一つだ。
早く還して縁を切りたいと思うが、好奇心や知識欲から、折角の質問ができる機会を手放す気にもなれない。
「それで早速だが、シュムが襲われたという魔物の片腕の、報告は読んでいるな?」
「はい」
シュムが宿の娘に託した報告書は、厭になるほど繰り返して読んだ。同職の二人も、その事実に目を見張った。
そして、そこにいたのが並外れた力の持ち主であったことに、感謝したのだった。常人では太刀打ちできなかっただろうと、その点では皆の意見が一致している。
「補足報告も読んだか?」
「はい。私に届けられたものは全て目を通しました」
シュムの報告書に応じて、あの小さな温泉街からこの都までの間の、最近の失踪者を調べさせたものだ。十数人という数字は、多かったのか少なかったのか、まだ結論が出せずにいる。
「それが何か?」
「人が人の中に消えた、という報告があった」
「――!?」
言葉を失って兄を見ると、ジェイムスは、報告書らしい羊皮紙をエバンスに渡した。
「その付近での行方不明者も多い。この数日で、二、三十人」
年間で行方不明になる者の数は知れない。姿を眩まそうと思えば、比較的簡単にできるものなのだ。しかし、短期間に行方不明者が多ければ、何かあったと考えて当然だろう。
「それは――しかし、あの人は完全に燃やしきったと――」
「地名を見ろ。シュムが燃やしたものと同じとすれば、ここから、目撃された日までに移動するのは無理だ」
「では、別物・・・それにしては、似すぎていますね。術を使ったということでしょうか」
そこで、ふと気付く。兄は、エバンスがこの部屋に入ったときからずっとしかめ面をしている。それは、厭なことを行なうときの癖だった。
身内に対してはなるべく嘘をつかない人だと、知っている。
「俺は、シュムの能力も報告も信用している。別物と考えた方がいいだろう。そして、これはただの推論――というよりも、思いつきに近いが」
そっと、ジェイムスはエバンスを見つめた。
「化け物の正体は同族喰らいの腕だとあったな。腕は、何本ある?」
「――まさか」
「わからない。思いつきだと言っただろう。しかし、あの町からすぐに移動を始めたと考えれば、不可能ではない」
だがそれでは、もう一本と共にシュムを追わなかった理由が判らない。そう思いながらも、今までなかった種類の怪物が、同時期に関係なく出現するのも妙な話だとわかっている。
もう一度報告書に目を通してから、エバンスは顔を上げた。
「私が確認に行きます。それでいいのですね?」
「――すまん」
言って、ジェイムスはいよいよ顔をしかめる。
しかし、宮廷魔導師の他の二人は年を取っていて、旅は堪える。そもそも、城外はエバンスの担当だ。
「もし居場所の見当がつくなら、シュムと合流してからでも構わない。無理はせず、報告だけにしろ。もしもシュムを襲ったのと同じとなれば、そう簡単にどうにかできる相手ではないだろうからな。いいな」
本心から心配する眼差し。苦笑しそうになったが、敢えて堪えた。
「己の分は弁えています。エドモンド師方には、まだ?」
「今から報せる」
「それでは、夕刻頃城を出ます」
そうして、エバンスはジェイムスの執務室を後にした。
エバンスは、ひっそりと一人で城を出るつもりでいた。
「ひっそりと」というのは、簡単に達成できると思っていた。他出が多いため、旅装にも、門番が軽く挨拶をする程度なのだ。だが、その考えはあっさりと裏切られた。
どこで聞いたのか、ミハイルが、一緒に連れて行ってくれないかとねだったのだ。
「まだ誰に師事するかも決まっていないでしょう? 僕は、叔父上がいいです」
「・・・私は、まだ弟子を持てるほどの者ではありません」
ただでさえ、ミハイルがアルを喚び出した一件をすぐに報せなかったと、兄共々、義姉に睨まれているのだ。今はまだ、夫婦喧嘩の余波を喰らったような形だが、ここで了承すれば、やはり「何も言ってくれなかった」と拗ねるのではないか。普段が分を弁えている人なだけに、そうやって怒られるのは厭だ。
そしてそれ以前に、まだ弟子を取れないと思っているのも本当のことで。
しかしミハイルは、不満そうに頬を膨らませた。
「立派に宮廷魔導師として活躍されているじゃないですか」
「私がそんな身分を名乗っていられるのは、総長様方がいらっしゃってくださるからです」
普通、宮廷魔導士というのは一人で、多くても二人といったところだ。中には、魔導士ギルドをそのまま抱え込んだような国もあるが、そういったものはごくわずかだ。
さて現在、この国には三人の宮廷魔導士がいる。
そもそもは二人だったのだが、宮廷魔導士の次長に師事していたエバンスが、どうにか独り立ちできるだろうとなったときに、次長が、高齢を口実に辞去、エバンスを後継にすると言いだしたのだ。
驚いた者は多かったが、誰よりも、エバンス本人が仰天した。
おまけに、それに応じて総長までが、やはり高齢を口実に――総長と次長では、総長の方がわずかに年上だった――引退を言いだし、エバンスは恐慌の域に達していた。
『エドモンドに押しつけられて、総長なんぞという地位に収まったのだ。奴が辞めるなら、わしも辞めて何が悪い』
問題発言を堂々と口にした老人たちに、エバンスは危うく叫ぶところだった。――悪魔が、二人いる。
いや、それらを受けてせっせと後押しをした兄も含めて、三人だ。
エバンス自身は、師から独り立ちを認められたら、早々にギルドに加盟の案内状を書いてもらい、そこの仕事で生計を立てるつもりでいた。兄や義姉が治めているのだから、やがては宮廷魔導士になるのもいいかも知れないとは思ったが、それはずっと先のことであるはずだった。
結局は、今の総長がそのまま残り、エバンスが次長でその師が補佐という形になったのだが、選べようもない身分や家柄で現職にあるようなもので、エバンスとしてはあまり気分のいいものではなかった。
それなのに、師と総長はエバンスが辞めるなら自分も辞めると脅しをかけ、周囲の者も内心はどうあれ、認めてしまったのだから。
――今でも、あの騒動の数日を思うと眩暈がする。
「私は、誰も旅に同道させるつもりはありません」
「だけど・・・あの人も行くと言っていたのに」
「――はい?」
一難が去らないうちに、また一難。
「誰が連れていくと言った?」
自室の隣に用意したアルの部屋に飛び込み、わめかないように押し殺した声は、地の底から上るようで、後を追ってきていたミハイルは、身を竦めた。
「ここに残ってもらうと、はっきり言ったはずだが。どこをどう曲解しても連れて行くなんてならないように、はっきり明確に言ったつもりだったが?」
「聞いたけれど、肯きはしなかった」
「それなら、封印でもしていってやろうか?」
「・・・目が据わっているよ」
無言で睨む。
契約期間内に戻れるかどうかは判らず、それは多少残念だったが、物騒な旅連れを持つよりも――エバンスは、決してシュムのようにはなれないという確信があった――、契約期限が切れるまでは他者と契約をしないようにという契約をして城内においていった方が安全と、そう考えた。師たちに頼んで、城内での生活も不便がないよう取り計らうつもりでいた。
しかしアルは、あっさりと肩をすくめた。
「そんなに問題はないだろう。お前も、契約通りに話も訊けるのだし、むしろいいことばかりではないのか? 契約は結べなくとも、多少のイタズラはできるのだしな。厄介事は厭だから、姿だって変える。悪くない話だと思うが」
「――ミハイル様」
「は、はい」
「これ以上の厄介は御免です。よろしいですね?」
「・・・はい」
気圧されてか、今度ばかりは大人しく応える。
しおしおと部屋を出るのを見送って、エバンスは、深く溜息をついた。そうして、アルを振り返る。
「今更だが、俺はお前を何と呼べばいい?」
「何と呼ばれていたか、聞いていなかったわけじゃないだろう?」
「それは、あの人の呼び名だろう。それでいいのか?」
エバンスは、今目の前にいる相手がシュムに対して本名を告げた上でそう呼んでいたのか、関係なく呼んでいたのかは知らない。しかし、名が彼らの種族にとって、人よりもずっと重んずべきものであることは理解していた。
「――ジャック、とでも呼べばいい」
「ジャック・・・?」
「ああ・・・何か?」
一瞬、動きを止めてしまったところを気付かれ、エバンスは、取り繕うように首を振って、不自然でない程度に表情を隠した。
「知人に、同じ名の人がいただけだ。平凡すぎて、意外な気がした、というのもあるが」
「口数が多いな」
「そうでもないだろう」
素っ気なく、ただ否定をした。
夕刻――と言っても、陽が沈みきって暗くなるには、まだ間のある時刻。エバンスは、旅装で城を出た。その隣には、仮にジャックと呼ぶことになった男が並ぶ。
「ところで、どこへ行くんだ?」
「着けば判る」
どうにも機嫌の悪いエバンスは、至極当たり前のことを言って、むっつりと口を閉ざす。ジャックは、軽く肩をすくめた。
「シュムのところへ行くのかい? それとも――」
「戻って、城に残っていろ。あの人たちと合流することはまずない」
エバンスは、ぎろりとジャックを睨み付け、出たばかりの城門を示した。それを受けて、ジャックが呆れたようなかおをした。
「シュムに会いたくないかと言われれば、それは会いたいけどね。何も、それが目的でついてきたわけじゃない。ただ、あの変な国王がそう言っていたから、合流するのかと――」
「聴いていたのかお前」
再び、ジャックの言葉が終わるのを待たずに遮ると、襟首を締め上げていた。しかしジャックは、苦しがるでもなく、少し眉をひそめて抗弁した。
「シュムの番犬程ではないにしても、耳がいいんだよ。聴いたわけではなく、聞こえただけだ」
シュムの番犬、と言われ、あの男――カイのことかと、思い至る。
そこでようやく、エバンスは我に返った。はっとして、ジャックから手を離す。
この「男」は、人とは別物なのだ。今は、目立つ髪の色も瞳の色も変えて人のように見えるが、断じてそうではない。旅行きが不安だからといって、そんなことに目くじらを立てても意味がないはずだ。
「――悪い」
どうにか押し出した言葉に、ジャックはただ皮肉めいた笑みを返した。そして、先に歩き出す。つられて、エバンスも再び歩を進める。
「どこに行くかは、訊かない方がいいのかい?」
穏やかな声に、エバンスは苦い息をはいた。雰囲気が変わったようでやりにくい。これでは、自分の方がわがままを言っているようだ。
「今日は、城下町の酒場に泊まる。ここから、一日ほどの距離だ」
「急がなくてもいいのか?」
「情報を集めて、後は――馬には乗れるのか?」
大事なことを訊き忘れていたと、エバンスは再度自省する。それは、はじめに確認していなければならないことだったはずだ。そんなことも見落としていた自分が、いやになるほど情けない。
目的地までは、馬に乗る。その馬は、城下町の北門に、明日の明朝には用意されている。そこにも、一頭追加してもらうよう伝令を飛ばしていなければいけなかった。――その前に、ジャックが馬に乗れなければ意味がないのだが。
「馬自体は知っているな?」
「ああ。知っているし、乗れる」
「本当か?」
「一度、息子の代わりという役をさせられてね。騎馬やら剣技やら、貴族の子弟がやりそうなことは、一通り仕込まれた」
唖然として、思わず足を止めてしまう。
「それは――」
訊きかけて、口を閉じる。今、何を言おうとしたのか。どんな契約だったのかと、訊いてどうなるというのか。
「それならいい。しかしそうなると、馬の手配が・・・」
束の間迷って、決める。
「先に、『馬馬車』という酒場に行ってくれ。大きなところだから、判るだろう。俺もすぐに行く」
「どこへ行く?」
「馬を、一頭しか頼んでいない。すぐに用意してくれるだろうが、さすがにその場でとなると、時間を取られるし迷惑をかける」
そう言って、エバンスは返事も待たずに足を早めた。このまま走るか、とさえ思った。一度立ち止まると、そのまま止まってしまいそうで厭だった。
北門の厩舎に、ジャックが――先ほど置き去ったジャックではなく、知人が、そこにいるとは限らない。城下町の四方の門に配置した厩舎の馬丁となったことは知っているが、そのうちのどこにいるかまでは知らない。
ジャックとは、友人だった。友人と、思っていた。
「おっ、兄ちゃん、どうだい。旅の前に一杯、やってかないか?」
「ねえお兄さん、困ってるんだけどちょっと助けてくれない?」
夜に向けて、客を呼ぶ声がかかる。
エバンスはそれらを無視して、ただ急いだ。そういったものにも、もう慣れた。それは旅慣れたからだが、この町に限っては、「冒険」の成果だ。お忍びで城を抜けて、城下町を歩き回る。そんな冒険は誰もがやることで、ジェイムスも、エバンスも、そうやって外の世界を知っていった。
兄はそこで妻を見つけ出し、自分は――
「友達ごっこは、できたな」
身分を明かしても、王弟と知っても、態度を変えない者には、結局出会えなかったけれど。
結局、北門まで、エバンスはほとんど走ったようなものだった。
「手伝うつもりもないなら、宿に残っていろ」
半ば頼み込むような気分で、エバンスはそう言っていた。
二日ほどかけて、馬を潰さないよう休みながら走らせ、その馬は隣村の宿屋――正確には、宿を借りた家で休ませてもらっている。そこから歩いて数時間。二人は今、報告のあった村の付近にいた。
直接役人のいるところまで行ってもいいのだが、最悪の場合、村人が全くいないということも考えられる。その場合、大いに警戒しなければならない対象と、真正面から遭遇してしまう危険がある。
だからエバンスは、まずは遠くから様子を窺う方法を選んだ。その途中での、言葉だった。
「無駄に危険になるだけだ」
「僕には、危険などない」
「俺の気が散るんだ、近くに部外者がいられると」
「未熟なだけだろう」
つい、声をあらげそうになってしまった自分を、どうにか押さえる。
もう日は高いというのに、村に人の気配はない。最悪の状態、村人が全ていなくなっているのか、どこかに隠れているのか。そして、その原因はどこにいるのか。
ここで騒いで、いいことなど一つもない。
「ああ、未熟だ。それが判っているから、こうやって言っているんだろう。他人まで気にかける余裕は、俺にはない」
「自分の身は自分で守る」
そのくらいのことは、はじめから判っている。自分よりもずっと、この男の方が強いことくらい。
そしてそれでも、安否を気にしてしまうほどに自分が弱いことも。
「好きにしろ」
呟くように言い置いて、目に付いた家に近づく。なるべく他から見えない位置から、そっと中を窺う。中には誰もいる様子はなく、しかし、古びた感じもない。
「向こうも空だ。今更だけれど、やはりシュムと合流した方が良かったんじゃないか? あの番犬がまだいれば、気配が判ったはずだ」
「気配?」
「一度接触した同族なら、少しくらいなら、離れていても判る。生憎と、僕は意識を失っていたから判らない。それでも、奇妙な気配があることくらいは判る。あたりかはずれかはともかく、妙なものは、まだこの村にいるようだ」
「・・・人の気配は、判るか?」
「大まかになら。向こうに集まっている」
ジャックの指し示した先を、少しばかり身を乗り出して見ると、祠があるようだった。避難場所としては、理に適っている。
何故もっと早く言わなかったという言葉は、感覚が違うのだから言ったところで無駄だろう。
「ありがとう、助かった」
「どこへ行く?」
行きかけた肩を掴まれて、エバンスは顔をしかめた。
「避難している人を逃がして、この村に結界を張る」
「無理だ、もうばれている。祠の前に奴がいる。僕も、下手に近づくと気付かれる」
「お前は来なくていい」
「しかし、結界を張るならここでもいいだろう?」
「いや。術の発動地から、同心円上に広がる。今ここで発動させれば、祠も結界に入ってしまう」
そうすると、村人が出られなくなる。
成功するとの確信もないが、見捨てられない以上、努力はするべきだろう。エバンスは、封印の呪文を記憶の中から引っぱり出した。それを変形させて、足止めに使えないかと考える。
術を変形させて使うことだけは、今のところエバンスに敵う者はない。
手近なところにあった蔦を掴み取り、低く呪文を唱え、蔦に絡ませていく。術を固定させて、形を持たせることが有利に働くかどうかは怪しいところだが、変形させた呪文を、咄嗟に正確に唱えられる自信もない。
「残るついでに、城かあの人にでも連絡を取ってもらえると助かる」
「誰が、残ると言った?」
驚いて、ジャックを見る。そこには、うっすらと笑みが貼り付いていた。薄く、冷酷とも形容できるだろう笑みだ。
「僕も随分な目に遭わされた。報復の機会は、今を逃せばないだろうな」
それが目的かと、エバンスは溜息をついた。それならそうと、はじめに言っていれば納得したものを。苦々しく思いながらも、その方がやりやすいかと、改めて祠を見遣った。
祠は、村のほぼ真ん中にあるようだった。
その入り口は西向きに造られた大きなものが一つだけで、窓もない。どこでも見掛けるような造りのそれは、この国ではありふれたものだ。
本来祠に扉はないものだが、逃げ込んだ人々が中の棚でもあてがったのか、入り口は閉じられている。
入り口の前にいるのが、同族喰らいの腕に取り込まれた者かどうかは措いて、この村にほとんど人がいない状態の原因だろう。格好は、どこにでもいる農民に見える。
それが振り返ったのは、やはり、ジャックの気配のせいなのだろう。エバンスは、息を殺して緩慢に目の前を通っていくそれを見た。
目はうつろで、おそらくは、何も映していない。
映していないのに、ジャックの動きを追うように動くそれが、恐ろしかった。
「あれが」
そっと呟いて、術を掛けた蔦を握る。聞かれる恐れがあっても声に出したのは、そうしないと、恐かったからだ。正直、あれと正面から立ち向かうことがなくなって助かったと思った。
あれは、ジャックに任せることになった。
エバンスが村人を逃がし、ジャックがあれに対峙する。そう決めたが、エバンスは、決めた通りにするつもりはなかった。要は、村人を結界内に取り込まなければいいのだ。
ジャックが誘導して、空き家に入っていくのを確認して、エバンスは、そっと祠に近付いた。
閉じられた入り口を、軽く叩く。中で、人が動く気配がした。
「聞いて下さい。ここは、このまま閉じておくように。しばらく出ないで。ここで何が起きたかは――多分、わかっていると思います。あれをなんとかします。いいですね、出ないように」
もう一度、人が動く気配がして、恐る恐る、声が聞こえた。
「あんたは・・・何だ」
「魔導士です。依頼を受けて来ました」
「・・・依頼?」
「はい。あれをどうにかするように言われています。しばらくの間、この中にいて下さい」
「どうにか・・・?」
それまでは低く押さえていた声が、急に激昂した。撒き散らされた言葉の断片を、今は聞かないようにして、静かに深呼吸をする。
お前の仕業か。何故もっと早く来なかった。
矛盾する言葉も、無理はない。悲劇に責任を求める感情は解る。けれど今は、それにかかずらってはいられない。
「後で、好きなだけ罵ればいい。だが今は、死にたくなければそこにいてください」
そう言う前に、祠の中から、声はしなくなっていた。激昂した男を、他の者が止めたのだろう。
――それなら、聞こえただろう。
応急の扉に守りの印を描いて、背を向けた。祠の前から、ジャックが行ったはずの家まで、焦げたような、溶けたような跡が続いていた。
「なんだかちょっと、予想外の展開になっちゃってるみたいね?」
声に振り向くと、いつの間にか、そこに人がいた。フードのついたローブを羽織り、長い髪はそのまま垂らしている。吊り気味の目は、水色をしていた。
「こんな田舎に、魔導士を送ってくる物好きがいるとは思わなかったのに。しかも、こんなに早く。言いなさい、依頼主は誰?」
赤い唇は、笑うように端が上がっている。背は、エバンスよりも少しだけ低い程度。声は、錆びたように甘い。
特徴は、合致した。
「そちらにも答えてもらおう。お前が、ガルヴォア・ハーネットを唆したな?」
「あらまあ。そうすると、あなたがシュム・リーディスト・・・女と聞いていたけれど。そんな成りをして、実は女なのかしら?」
「僕をあの人と間違えるとは、よほどのもの知らずのようだな」
厄介なことになったと思う反面、ここでこの女を捕らえれば、とりあえず問題は一つ片付くとも思う。どのみち、ギルドを通して見つけ出すつもりではいたのだ。
「ああ。それじゃあ、宮廷魔導士のエバンス・リードね。ふうん、もやしみたいなのかと思ったけど。案外、いい感じね?」
女の、あからさまに「男」を見る目に、エバンスは厭なかおをした。
エバンスに興味を持っている城の女たちよりも直接のそれは、娼婦に似ているが、商売でもないだけにねっとりとしている。肉感的な魅力はある女だが、この状況だけに、厭わしい。
「あたしと組むつもりはない? あれには脳はないし、上手く使えば、大儲けできるわよ?」
「断わる」
「どうして? 王宮魔導士なんて、馬鹿馬鹿しいじゃない。仕事ばかり多くて、権威だの何だの言って、くだらない仕事ばかり。ギルドだってそうよ。大した実力もない奴が中心でのうのうとのさばって。そんなの、うんざり」
吐き捨てるように言う女に、エバンスは溜息をついた。
「何よ?」
「口を鍛える前に、腕を磨いた方が賢明だったな。俺と組みたいなら、せめて、同等の能力を示すことだ。――話にならない」
蔦で、魔力ごと足を封じた女の手を後ろ手に縛り上げ、エバンスは、振り返ることもなく空き家に向かった。
「ちっ」
直に触れるとまずいというのは、一度接触して判った。触れた手が、引き込まれるようにして、それの体に沈みかけて、慌てて体ごと手を引き抜いた。
同族喰らいにも、様々な種類がある。
肉を喰らうもの、体の一部のみを喰うもの、能力だけを吸い出すもの、水分や、血液を抜き取るもの。ただ、殺すもの。それぞれの方法で、獲物の能力を身につける。
それの元が、どんな方法を採っていたのかは知らないが、少なくともこれは、体に丸ごと取り込むようだった。体全てが、胃のようなものだ。
こういったものは燃やせばいいのだが、生憎と、ジャックに扱えるのは、氷や冷気に類するものだ。小屋に火をつけたとしても、空気は湿り気を帯びており、また、その程度の火力では、これは、平然と動くだろう。
「大人しく、氷漬けで眠っていればいいものを!」
伸ばされた手や、ぶつけようとする体は、とりあえず氷の盾で防ぐが、熱を造り出せるようで、長くは保たない。氷の刃で傷を付けても、驚くほどの修復力で治ってしまう。
その上、長く逃げていると、それは生き物でなくても吸収するのか、床が溶け、そうしてできた穴に足を取られそうにもなる。
とりあえず、その場しのぎに凍らせては溶かされる、ということを繰り返していた。
「・・・馬鹿馬鹿しい」
あの忠犬を笑えないなこれは、と呟いて、皮肉な笑みがこぼれる。
こんな鼬ごっこは、どちらかの力が尽きて終わるに違いない。その場合、分が悪いのは、この数日で数十人を取り込んだそれではなく、ジャックの方だろう。
動きは鈍いのだから、逃げることはできるだろう。しかし――逃げおおせた、だろうか。
「偉そうに仇と言っておきながら、逃げるのか?」
これで十何度目下の氷漬けにして、膝に手を添える。体力の問題ではなく、あと数回で限界が来るだろう。そして、取り込まれる。はずだった。
「出ろ!」
聞こえた声に、目を見張る。しかし、それを予想していた自分にも気付く。
魔物を人のように扱う男が、そんなところでシュムに似たあの男が、あのまま放置しているはずもないと、思っていた。
「村人は逃せたのか?」
「いいから、出ろ」
エバンスは、むすっとして、不本意極まりないというかおをしている。
しかし、ジャックから少し距離を置いて立つ氷の固まりが、湯気を立てて溶けているのに気付くと、顔色が変わる。急いで、その側に駆け寄った。
「何を・・・」
正気かと、ジャックが口を開く前に呪文の詠唱が始まり、ここで結界を張る気なのだと気付く。それならと、いくらか厚い氷を、更に張り付ける。
それに気付いて、エバンスは目線で礼を言った。
ジャックは、エバンスが魔物を懼れているのを知っていた。だからこそ知ろうとしたのだし、自分に対して緊張もしていた。それなのに、恐れからではなく、扱いは人と変えない。妙なところで律儀だと思った。
不意に、エバンスは床を強く踏んだ。
「っ?!」
それのせいでか、溶けたように所々消失していた床は、耐えきれず、それとエバンスの立っているあたりが落ちた。
「大丈夫か?」
自分まで落ちないように、慎重に体重をかけて覗き込むと、エバンスは上手く着地したようだったが、少し首を傾げて、見上げている目とかち合った。
「・・・上るのか?」
地面と床とを見比べる様子にそう訊くと、こくりと頷く。相変わらず、呪文は詠唱したままだ。落下中に一瞬途切れただけなのだから、物凄い。
小さな地下の保管庫にあたってしまったらしく、ちょっとした落とし穴にはまった状態だ。肩をすくめて、ジャックはそれの氷を再び強化すると、天辺を平らにしたそれと床に足をかけて、エバンスの服を掴んで引き上げる。
近くではまた床を踏み抜く恐れがあったので、少し離れたあたりに投げる。着地は、上手くできたようだった。
そして、ジャックが氷に置いた足を戻している間に、穴の淵にきて、薄くなってきた氷の上に、掌をかざす。
「――何人たりとも、たち入るを許さず」
言葉を終えるのと同時に、見えない壁が、地下の壁に沿って造られる。
溜息をつくと、エバンスは膝を腹って立ち上がった。
「ありがとう、助かった」
正面からの礼にジャックは戸惑ったが、エバンスは、既に歩き出してしまっている。一瞬迷って、後を追う。
「あれでいいのか?」
「今は、あれしかできない。そのうちに、方法を探すかあの人に頼んで、どうにかする。それよりも、姿は、もう無理なのか?」
「姿?」
「元に戻っている。今から村人に会うから、変えるのが負担になるなら、森に入っていてくれ」
言われて、姿を変える分まで、術にあてていたのだと気付く。そのくらいの余力はあると言いかけたが、やめて、一旦エバンスとは別れることにした。
とりあえずは、この騒動はこれで終わりなのだろう。