「うわー、キレイ」
宙に浮かぶ岩の階段の途中で足を止め、リウは嬉しげに金色の眼を細めた。金色の髪が、風に弄ばれる。
眼下には、輪郭を見せた島と海が広がる。横を見れば、離れたところに平行に、リウが今登っているのとよく似た、岩の螺旋階段がある。
金色の光の筋を中心に岩が螺旋状に取り巻いているのが、リウが登る「太陽の塔」。もう片方は、銀色の光の筋を中心にした「月の塔」だ。
『危ないよ』
「危ないからって、何もしないでいるなんて真っ平だよ」
出掛けに聞いた親友の声を思い出し、リウは呟いた。
リウの暮らす島には、「太陽の民」と「月の民」が住んでいる。太陽の民は島の南側に、月の民は北側に。そうやって、二つの民はほとんど干渉のないままに長年時を過ごしてきた。
太陽の民には金の証、月の民には銀の証。稀に生まれる、太陽の民で銀の証を持つ者や月の民で銀の証を持つ物は、二つの民の間にある祠の前に置かれ、それぞれの民が引き取っていく。
何故かその祠だけは、太陽の神と月の神の二神がまつられていた。
「早く行かなきゃ。日が暮れちゃう」
再び、岩の階段を上っていく。天辺まであと半分といったところだろうか。太陽が真上にくる頃には辿り着けるだろう。
本棚の整理をしていたアルシードは、どこからか聞こえてくる、しゃくりあげた泣き声に首を捻った。この部屋ではないし、外でもなさそうだ。抱えていた本を置くと、他の部屋を見てみる。――どこにもいない。
「ははあ」
あそこか、と呟いて家を出る。そうして上を向くと、予想通りに屋根の上でロンが泣いていた。
「ロン、何をしているんだ。空に何か見えるかい?」
泣きながらも、ロンは空を睨みつけていた。
アルシードには、よく晴れた空と一種威圧的な太陽の塔しか見えない。ちなみに、右に百度ほど向きを変えれば月の塔が見える。この家は、祠の近くにあった。
ロンが持ち出したらしい梯子を使って上ると、アルシードはロンの隣に座った。
「何があった? またヘイトかい? リウの姿が見えないみたいだけど・・・」
「リウ、行っちゃった」
「どこに?」
「・・・・太陽の塔」
なんとまあ。
金色の髪を無意識のうちに掻き回して、アルシードは驚嘆の息を吐いた。それから、思い出してロンを見る。するとロンは、やはり太陽の塔を見ながらも、ちらちらとアルシードの様子をうかがっていた。
「えーと、それは」
咳払いをして、アルシードはロンを改めて見た。涙に濡れた銀色の瞳が、おびえたように見上げる。
「もしかしなくても、僕のせいかな」
「え・・・・・・?」
「君たちに色々と吹き込んだ元凶だからなあ」
「違う、アルは悪くない。僕が止められなかったから・・・」
驚いて咄嗟にアルシードを弁護するロンに、柔らかな笑顔を向ける。
「あのリウを、僕らが止められるはずがないよ。さあ、ここは寒い。家の中で詳しく聞かせてくれるかい?」
金色の髪を軽く撫でると、ロンはようやく塔から目を離し、こくりと肯いた。
そんなロンを優しい目で見ながら、アルシードは金色の瞳で太陽の塔の先端を、睨み付けた。――太陽神が住むという、その場所を。
最後の一段に足を乗せようとしながら、リウは内心不安でたまらなかった。
塔に人が上ることは滅多にない。太陽の塔であれば金の証が、月の塔であれば銀の証が、それぞれ髪と瞳の両方に顕れている者だけ、それも、祭日の朝と決められている。
だが、この数十年、塔を登る機会のある者はなく、頂上がどうなっているか、リウは知らなかった。今、目の前には何もない。そして、資格のない者は塔に立ち入ることはできないという言い伝えが、リウを不安にする最たる原因だった。
「わ」
岩の螺旋を登り終えたリウの前には、木々と噴水、神殿に似た建物が出現していた。
「久しぶりに客が来たと思ったら、まだ子供じゃないか」
見事な金色の、流れる髪。輝くような、金色の瞳。アルシードと同じくらいの年齢にも見えるものの、逆に禍禍しくさえ思える神々しさに、リウは圧倒されていた。
誰にも似ていないのに、確かに誰かの面影がある、そんな風貌だった。
「おい? 見とれるのもわかるけどな、突っ立ってるだけならとっとと帰れよ」
「違う」
「そうか。じゃあ、茶でも――」
突然噴水に歩み寄り、頭から突っ込んだリウに、太陽神は切れ長の目を大きく見張った。
噴水から頭を戻したリウは、濡れたままの頭で、一度目に手をやってから、太陽神を睨み付けた。
「あんたに言いたいことがあって来た」
そこに立っているのは、黒い髪に黒い瞳の少女だった。
「うーん。僕としては、よくやった、と誉めたいところだけど。それだけじゃ済まないかなあ」
蜂蜜の入ったお茶のカップを片手に、アルシードはのんびりと聞こえるように言った。頭を抱えたいところだが、ロンの不安を煽ることは避けたかった。
「アル。リウ・・・・どうなっちゃうの・・・?」
「うーん。今日の夕食を抜くくらいは、やった方がいいのかなあ。少しは怒って見せないとだめだろうし」
ロンが、安心したように息をはく。リウが無事に帰ってくることが前提であることに気づいているようだった。
どうやらロンにはまだ、僕の言葉は絶対らしい。それは嬉しくもあるが、かなり荷の重いことでもあった。
――どうすればいい、リュウラン?
数年前に逝ってしまった恋人の名を呼ぶ。銀の髪に銀の瞳の、何十年か振りに現れた月の民の有資格者。立場は違えど、それはアルシードも同じだった。
有資格者は塔に登り、その祭日中に祭司の任に就く。アルシードもリュウランも、久方振りの「正式な」祭司になるはずだった。
出会いさえしなければ。
あの祠で、出会わなければ。
「アル?」
「――ああ。こうしてても仕方ないな。ロン、行くか?」
「どこに?」
「太陽の塔、よりは月の塔かな」
「でも、僕は・・・」
「資格がないと言うなら、僕は尚更だ。リウと同じ手を使えばいいんだよ」
そう言ってアルシードは、太陽の民であり月の民である、同時に双方から否定された少年を促し、立ち上がった。
むっつりと黙り込んだまま、リウはカップを取り上げた。中には、淹れたてのお茶が入っている。
「おい、ついでに飯食うか? 菓子も食えよ」
睨み付けると、上機嫌で笑みを返す。それが一層、リウの機嫌を悪くさせた。
一大決心をしてやって来たというのに、反応は大爆笑。腹を立てたくもなる。神々しいと思ったのは初めだけで、口を開くたびに威厳というものがなくなっていく、とリウは思った。今や、口の悪い兄ちゃんにとか思えない。
「怒るなって。だって、久々に客が着たと思ったら予想外にがきで、しかもあれだろ? 楽しくってさー」
リウの視線を一切気にせず、笑い続ける。
「で、なんで変装してたわけ?」
「あんたのせいじゃない!」
「はあ?」
怪訝そうな相手に「資格」のことをまくし立てるリウ。返ってきたのは、「あー、そんな大層なことになってんのか」という、なんとも気抜けする台詞だった。
「道理で登ってくる奴が減ったわけだな。で、嬢ちゃんは俺に何の用?」
きまり、何個か破ってんだろ? そこまでして何しに来たんだ?
咎めるのではなく、興味を引かれたような口ぶり。途端にリウは、躊躇した。だが、言わなければ来た意味がない。ロンに大見得まで切ったというのに。
「――仲直り、してほしいと思って」
心持ち、リウを見る目が厳しくなった気がした。それでもリウは、どうにか顔を上げた。下を向いて言うことじゃない、と自分に言い聞かせる。
「本に載ってて・・・・アルに教えてもらったんだ。あなたと月神がけんかしたから、太陽の民と月の民は別れちゃったんだって。もとはひとつだったのに。・・あたしが口出しすることじゃないとは思う。でも、でもそのせいで、アルとランは村を出なきゃいけなかったし、ロンもいじめられる。だから――仲直りしてほしい」
「・・・・お前は?」
少し強張っているものの、リウは不思議そうなかおをした。そして、さっきまでとは変わって静かな声に、随分と綺麗な声だと、今更ながらに気付いた。
「太陽の祝福――今は、証か。太陽の証も、月の証もないおまえは? それで何か変わるのか? 例え村人が変わったからといって、その豹変振りを許せるのか?」
「・・・・あたしはきっと、どうこう言うほど村の人を知らない。村の人たちも、そうだと思う。だから、どうなるのかわからないけど。二人が、少しでも厭なことが減って、笑ってくれたら嬉しい」
「その二人が、お前を置いて他の奴らのところに行ったら?」
「それは怒るよ。怒るし、悲しい。でも、そうなるなんて決まってないし、今のままの方が厭だ」
たった三人にしか看取られなかったリュウラン。
せめて家族には報せるべきだと言うリウに、看病と病とでそれぞれにやつれていたアルシードとリュウランは、淡く笑んでかぶりを振るだけだった。
そして真夜中、内緒で月の民の、リュウランの家族の元へ行ったリウとロンが出会ったのは、恐れを隠した強い拒絶だった。
身体ともにぼろぼろで戻ったリウたちを、二人は何も聞かずに迎えた。その痛みは、どれほどだっただろう。
「あなたたちが仲直りしても、何も変わらないかもしれない。それでもあたしは、知った以上何もしないでいるなんてできなかった」
もしアルシードが、リュウランがいなければ。リウは何も知らないまま、何一つ考えることも知らないまま、死んでいたのかも知れない。そして、過去にそうして死んでいった者がいたかもしれない。
そう考えただけで、たまらなく恐ろしかった。今、自分がここにいられるのは、ほんのちょっと運が良かっただけで、もしほんのちょっと運が悪かっただけで死んでいたとしたら。誰にも、出会えなかったのだとすれば。
「お前、名は?」
「リウ」
「そうか。俺は太陽神。もっともこれは一般用で、本当はシュライっていうんだ。覚えとけ」
そう言って、太陽神――シュライは笑った。
「事情はわかりました。それで、僕にどうしろと?」
「どう、と言うか・・・・実は僕も、何故こうなったかがわからないでいるのですよ」
眩い銀の髪を垂らした煌く銀の瞳の月神は、整いすぎた顔に、呆れたような表情を浮かべた。
「決まりを破った上に、滅多に使わない唄を歌っておいて。わからない、ですか?」
「はい」
和やかな笑顔で言い切るアルシードの隣で、ロンは一人はらはらしていた。染め粉をつけていた頭は、水を借りてもとの金色に戻している。それはアルシードも同様で、彼はその上、瞳の色を変えて見せていたレンズも外している。
リュウランに習ったという月神を呼ぶ唄を塔の半ばほどで歌い出したときも心臓が止まるかと思ったが、今もかなり危ない。心臓が耳に移ってきたかと思うほどだ。
だがロンには、一人家で待つとか、リウのことは諦めて放っておくという発想は、一切なかった。
「あの、僕たち、リウを・・・・太陽の塔を昇って行ったリウを、助けてほしいんです」
「助ける?」
「はい。あの・・・・リウは、塔を上る資格がないし、怒らせているかもしれないから・・・」
そこで初めて、月神は微笑した。すると途端に、威圧的だった何かが消える。月神は、優雅にさえ見える動きで足を組み替えた。
「君たちがここにいることで判るように、もともと資格なんて必要ありませんよ。それに兄の場合、そういった決まりを無視したとなれば、逆に大喜びしているかもしれませんよ」
「じゃあ、リウは」
「あとは、何を言うか、どう振舞うかによりますね。その子は、何をしに登ていったんですか?」
「・・・・ロン?」
ためらうロンを、アルシードが優しく促す。それでも一度は、開きかけた口を閉ざし、すぐには話し始めなかった。
「仲直り、させるんだって・・・・リウが。太陽の民と月の民が、本に書いてあるみたいに仲良くするには、仲直りしてもらえばいいんだって、言ってました。だから多分、そのことで行ったんだと思います」
沈黙が降りた。それを破ったのは、月神の笑い声だった。くすくすと、軽やかに笑う。
アルシードとロンは、思わず顔を見合わせた。
「本に書かれてるんですか、僕たちのけんかが。でもまさか、それを仲直りさせようだなんて・・・・素直な子ですね。資格がないと言いましたが、彼女は月の民なのですか? それとも、太陽の祝福が少ない?」
「いえ。どちらの証・・祝福もありません」
「それは――大変だったでしょうね」
一瞬、声が沈む。
しかし次の瞬間には、月神は指を鳴らして白いテーブルと茶器を出現させて、にっこりと微笑んだ。
「恐らく、兄から何らかの接触があるでしょう。それまで、お茶でも飲んで待ちましょう。ついでに、下の世界のことも教えてもらえますか? 何しろこのところ、ほとんど人が来なかったものですから、何も知らないんですよ」
アルシードとロンに自ら茶を注いで渡し、菓子類も勧める。
「君たちの名は聞きましたが、僕はまだ名乗っていませんでしたね。月神
シュンライに連れられて空を飛んで来たリウは、月の塔で楽しげにお茶を飲む三人に、目を見開いた。
「ロン、アル! どうしてここに?」
「リウ!」
降り立つとすぐに、ロンに飛びつかれる。その後ろには、アルシードもいる。二人の出現を考えてもいなかったリウは、大いに混乱した。
「どうして・・・・・・?」
「どうして、じゃない。心配しただろう。今回は良かったけど、どんな結果になってたかわからない。一人で突っ走らないように。いいね?」
静かに怒られて、リウはごめん、といってうなだれた。アルシードの叱り方は、声を荒げない分だけ響く。いっそ、大声で怒鳴られた方がましだとも思う。
だが今回は、その後でロンといっしょになってリウを抱きしめた。
「本当に。無事で良かった」
「ごめん、アル」
悪いことをしたとは思うけれど、アルシードの心配が嬉しかった。
「・・・・よう」
「お久しぶりです、兄さん」
「六百年ぶりくらいか?」
「確実に七百年は経ってますよ」
再開を喜ぶ三人から少し離れた場所で、シュンライとシュウリルも再開を果たしていた。
シュウリルの態度が幾分素っ気無いが、その口元には微笑が浮かんでいる。
シュンライは、決まり悪そうに頭を掻いた。
「その・・・・悪かったな。お前の竪琴、壊しちまって」
「あのまま置いてあるんです。直してくれたら、許してあげますよ」
「何でもやるよ。・・リウと約束したしな」
どう考えても照れ隠しの一言を付け加える。
そのリウが、シュンライとシュウリルを見て笑顔になる。仲直りした、と言っているのが聞こえる。
「正に、闇の児だな」
「そうですね」
神々にさえ安らぎを与えるとされる、闇の児。太陽の民にも月の民にも属さない髪と瞳は、その証かもしれなかった。
シュンライとシュウリルは、申し合わせたように笑った。そうすると、二人がよく似ているのが判る。
「後で、下に降りて行った方がいいでしょうね」
「ああ、そうだな。下の奴らにも謝って、ついでに説教でもするか」
「その前に、今回の功労者たちに食事でも出しましょうか」
「うん。えっと、それとだな」
決まり悪げに、咳払いをひとつ。
「本当に、悪かった。もうやらないし、これからは何かあっても、ちゃんと謝れるようにがんばります」
「リウたちのような人が、いつもいるとは限りませんしね。僕も、そう心がけます。たった二人の兄弟ですしね」
そう言って、二人は顔を見合わせて笑った。
この日、長年の時を経て兄弟新が和解し、そのことが島の人々に報された。
「どうだ。そろそろ戻ってもいい頃だろう」
「その言われ方では、まるで、私が官職に就くことを望んでいるようですね」
やんわりと返すと、初老も近い男は、困惑気味に眉をひそめた。
「違うのか?」
「あんなに無駄に人の多いところ、できるなら二度と戻りたくはありませんね」
「・・・しかし、人付き合いは良かった・・・だろう?」
あまりに非の打ち所のない笑顔に、男は、いささか自信なげに言葉を返す。しかし笑顔は崩れることがなく、いよいよ落ち着かない。
実際、人付き合いは良かった。
良すぎて、知らない間に叛乱を企てた一味にされていたほどだ。義理堅い同輩が、自らの地位をなげうって弁護してくれなければ、今頃は死刑台の露と消えていたことだろう。
「あそこばかりが世界ではありませんよ、花も木々もきれいで、書も面白い。こうやって訪ねてくださる方もいる。何の不満がありましょう」
――びくともしない笑顔に降参して、男が山を下るまで、そう長くはかからなかった。
「義兄さんも、めげない人だ」
知らずに呟いて、紀武、字は東野は、苦笑した。定期的にやってきて、しかも、くるたびに書物を持ってきてくれる点でも、実に律儀だ。
人が滅多に踏み入らない地なだけに、ありがたい。そして、印刷技術の発展にも喜ぶ日々だ。
「おい、東野」
「おや。まだしぶとく現世にしがみついていましたか」
「・・・やらねぇぞ、酒」
「どうせいつも、ほとんど一人で飲んでいるでしょう」
ふらりと、義兄と入れ替わりのようにやってきた昔馴染みに一瞬だけ目線を向けて、東野は書物に目を向けた。
昔馴染みは、そんな東野の態度に口を尖らせながらも、空いているところにどっかりと腰を下ろした。
「そこのところで、お前の義兄さんに会ったぞ。まだ諦めてなかったのか、あの人は」
「そう言うあなたこそ、仕事はどうしたんですか」
「一区切りついたから休みに来たんだろ。ほら、杯を出せ」
「はいはい」
杯を取りに立ち上がって、一緒に、手短かに食事を用意する。少し早いが、どうせこのまま飲み続けることになるのだろうから、今のうちに出しておかないと食べ損ねてしまう。
汁物を煮立てながら、どこか嬉しそうに、東野は溜息をついた。
祭沈、字を季道とする男は、武挙をほぼ一番で通った、なかなかに有能な武人だった。いつかは大司馬にもなろうと目されているが、今のところは、いささか分が悪い。
それというのも、千年の内乱の折りに、宰相に逆らって同僚の文官を庇ったためだった。しかし、それで出世の道が絶たれていないのは、実力と家柄に依るものだろう。
「しかしまめだなあ、あの人も」
「善い人ですからね。私を見切ったことを、申し訳なく思っていらっしゃるのでしょう」
「律儀なこった。俺には到底真似できんな」
「そりゃあ。あなたは、一度見切った者に情けなんてかけませんから」
逆を言えば、見切らなければ、何かと手を貸す。そして祭李道という男は、体面で人を見切ることの少ない男だった。
東野にかかった叛乱の疑いなど、鼻で笑ったものだった。
『どうせ、人集めで知らぬ間に仲間にされていたんだろう。待ってろ、なんとかしてやる』
『何とかと言っても――』
『なァに、俺には色々と後ろ盾ってもんがあるんだ。玉麗だって、無罪の朋友を見捨てたんじゃあ、愛想つかして出て行くってもんだ』
そうして、獄を去っていった李道は、実際、「何とか」してしまった。
当然感謝をしているし、言葉では言い尽くせないほどの恩義も感じているのだが、呆れも憶えたものだった。
「ちょっと来ないうちに、腕が上がったな」
「そうですか?」
食事というよりも酒の肴と化している煮物をつつきながら、東野は首を傾げた。
「ああ、そうさ。はじめのころは、食えたもんじゃなかった」
上機嫌で、自ら杯に酒を注ぐ。
始めから互いに手酌だったが、李道は休む間もなく飲んでいる。気病みを酒で紛らわす性質ではないが、それでも、東野が何かあったかと思うほどの調子だ。
「子供ができたんですか?」
「全く、お前は全部お見通しだな。二月ほどもしたら生まれるらしい」
本心から喜んでいるらしく、酒に赤い顔が、にこにこと丸くなる。
当ててしまった東野は、呆れて李道を見遣る。
「こんなところに来ていていいんですか」
「こんなところに住んでるのが悪い」
しらっと流されて、東野は肩をすくめた。
こうやって隠遁を決め込んだというのに、何かと世間が侵入してくる。向いていないのかと、そう思うこともある。
「仙人を決め込むには人望がありすぎるのさ、お前は」
心中を透かし見られたような李道の言葉に、東野は無言で杯を呷った。
紀武が復職するのは、それから二月ばかり後のことになる。