現在までの芸人をまとめた史上最強のお笑いデータベース。
随時更新していきますので、お見逃しなく。


  【い】

イエス玉川
 漫談家。笑いの宣教師と称して牧師の格好で左手に聖書を持ち登場する。賛美歌と称して「天保水滸伝」を一席うなる。ネタとしてあまり聖書の中身に絡むダジャレやオチはあまりなく、ふつうの漫談である。
いかりや長介
 ご存じドリフターズのリーダー。戦後、ドリフターズ結成。昭和39年に桜井輝夫からリーダーを引き継ぎドリフターズの新リーダーとなる。その風貌から「ゴリラの長介」として親しまれる。「8時だョ!全員集合」で一介のコミックバンドから国民的コントグループへと成長。昭和44年から16年続いた番組が終了後は、重厚な演技をする個性的俳優としてトレンディドラマやサスペンスなどでその渋さを発揮。その一方でお笑いも忘れてはおらず、「ドリフ大爆笑」では「ダメだこりゃ」などのギャグをはじめ、現在もお笑いでの健在ぶりをアピールしている。
→ザ・ドリフターズ
池乃めだか
 昭和43年正司玲児と音楽ショーのビスボーイを結成しデビュー。その後、海原小浜の長男かけると海原かける・めぐるで漫才、上方お笑い大賞で銀賞を獲得する。昭和52年コンビを解消し、吉本新喜劇入団。小さな体から池乃めだかと改名。猫の手招きやカニばさみなどの形態ギャグを続々と考案し、吉本の看板タレントとして新喜劇で活躍している。またバラエティー番組にも出演し、幅広い人気を獲得している。
石井均
 旅芸人一座として全国を回っていたが、お笑いに路線変更し、喜劇人として活動。西川きよしの師匠として有名。師匠であるこの人も目玉が大きかったので変に納得してしまう。伊東四朗も世話になったことがあった。昭和40年代には大村崑、谷幹一と「キン・コン・カン」トリオでTVや舞台で笑いを振りまいていた。平成9年の大晦日に病没。最近TVに出ていなかったので一層寂しい限りである。
石井光三
 6歳の時から子役として舞台を踏み、昭和21年東映京都撮影所の第1期ニュー・フェイスに。タレントとして「てなもんや三度笠」などに出演。38年松竹芸能に入社し、役者からマネージャーへ転身。58年芸能プロダクション社長となり、レオナルド熊、コント赤信号、ピンクの電話などをマネージメントする。その明るいキャラクターがラサール石井のモノマネでデフォルメされ、図らずも表舞台に引っぱり出される。業界一最もアクティブな社長として辣腕を振るう傍ら、自らたまにドラマなど出演することも。劇団「七曜日」を主宰。
石黒ツトム
 素人ものまね番組の常連。あらゆる効果音をステージでリアルに再現するものまね芸は天下一品。特に十八番の「野菜炒め」の音の再現は、実際に調理している過程から忠実に表現する。その他ドナルドダックの鳴きまねなども得意とする。
石橋エータロー
 キーボード担当としてクレージーキャッツに参加。一時期病気で休養するも半年後に復帰。ギャグはほとんどなかったが、以外にとぼけた味を出していた。料理人の道へ進むためにクレージーを脱退。料理研究家として本も数冊出している。平成5年に病没。
石橋貴明
 高校生の頃から「素人コメディアン道場」「TVジョッキー」に登場。アントニオ猪木のモノマネで一躍人気者に。また、星一徹やサリーちゃんのパパ、サンダーバードのモノマネも秀逸であった。同時期にやはり「TVジョッキー」でウケた同級生の木梨憲武とコンビを組む。一時期ホテルマンとして就職するも、お笑いが捨てきれず、「とんねるず」として脚光を浴びる。映画「メジャーリーグ」にも出演しハリウッド進出。現在でもバラエティ番組を中心に歌番組の司会、ドラマなど幅広い活躍をみせている。98年11月に女優の鈴木保奈美と結婚した。
→とんねるず
イジリー岡田
 若手お笑いコンビ「キッドカット」を結成するが、その後解散。岡田のぼるの名でモノマネ番組に登場していたが、91年「ギルガメッシュ・ないと」にイジリー岡田としてレギュラー出演。以後、放送終了まで番組の顔、また「エロタレント」としても活躍。ここ最近はまたモノマネ番組の常連となりつつある。十八番は坂上二郎のモノマネ。
泉ピン子
 高校中退後、牧伸二に弟子入り。18歳でギターを使った歌謡漫談でデビュー。ぽつぽつと演芸番組に出ていたが、なんといっても「ウイークエンダー」の名物レポーターとして一躍メジャーにのし上がった。これを機にテレビドラマにも出演することが増える。その後女優に転向し「おんな太閤記」「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」など橋田ドラマにはなくてはならぬ存在となり、演技派女優として不動の地位を確立する。
泉和助
 昭和初期から中期にかけて活躍したコメディアン。昭和8年エノケン劇団に入り、そこで芝居、タップ、歌をこなし修行を積む。戦後は劇団を結成したが、その後、日劇ミュージックホールで活躍、和っちゃん先生と後輩に慕われた。しかし芸人の最後としてはあまりにも淋しく、自宅で死亡したのに数日間は誰にも発見されなかったということであった。
一龍斎貞鳳
 講談師。そのスマートな口調と上品さは本職の講談よりも、NHK「お笑い3人組」の方が強烈な印象を持っている人も多いであろう。また、今泉良夫の名で司会もするなど、見事に名前を使い分けていた。さらに参議院に立候補して当選するなどマルチタレントぶりを如何なく発揮した人であった。
一龍斎貞水
 講談師。高校在学中から講談の世界に足を踏み入れ、一龍斎貞丈に入門。後継者のなかった当時の講談界で下積みの修行を重ね、昭和41年8月真打ちに昇進する。特に怪談物の講談は得意とする出し物で、怖さを醸し出す表現力と客を引きつける語り口には定評がある。
いっこく堂
 本名を玉城一石という沖縄出身の腹話術師。地方のイベントや老人ホームの慰問など細々と活動していたが、トゥナイト2やニュースステーションでその存在を取り上げられてから、一気に大ブレークした。腹話術を持ちネタとする芸人は数多くいるが、日本でも最高の超腹話術師である。自分の声を含め、7種類の声を使い分け、主に右手に鳥の”ジョージ”、左手におとぼけ”サトル”を操り、トリオ漫才よろしくネタを進める。この人の腹話術の完璧さは”マ行””バ行””パ行”を口を動かさずに発声するところにある。これはかつての腹話術師にはできなかったことをいとも簡単にこなしている。それにもう一つは自分の声を腹話術で出せることと、仮想衛星中継(声が遅れてでてくる)を再現できること。このような新境地を切り開き、色物芸から芸術まで昇華させた点は芸人と言うよりもアーティストと言っても過言ではないだろう。
イッセー尾形
 ひとり芝居の価値を大きく高めた人物。高田純次と組んで芝居をしていたこともあった。アルバイトをしながらミニライブ形式でひとり芝居をやっていたが、小柳トムがひとりコントでウケたのに刺激され、同じく「お笑いスター誕生」に登場。ひとり芝居なのに周りに人がいるような雰囲気を醸し出すのは、極めて完成度の高い芸としてしばしば笑いを超えた世界を作ってしまうことも。後に「意地悪ばあさん」の早野巡査役でレギュラーになるが、この人の持ち味が十二分に発揮されているのは、ビデオ「都市生活カタログ」を見ればわかると思う。
いつもここから
 山田一成と菊地秀規のコンビ。パンクバンドのメンバーだった二人だったが、元々はお笑い志望だったのでバンドを抜けデビュー。最初はフリーで活動していた。クラシックの名曲「パッヘルベルのカノン」に合わせて、ファイティングポーズで山田が「悲しいとき〜、彼女のウォークマンが変なメーカーのやつだったとき〜」「悲しいとき〜、パンダの目が本当は意外と鋭かったとき〜」などと絶叫、イラスト担当の菊池がイラストをめくりながら連呼するネタで人気を呼んでいる異色の存在である。「たけしの誰でもピカソ」に出演した際に、ビートたけしから絶賛されたり、「笑っていいとも!」に準レギュラー出演するなどじわじわとその評価を高めているが、ネタの着眼点により出来不出来の差が大きくなるリスクも背負っている。
出光元
 俳優。もとは東晃声の名で喜劇、バラエティなどで出演。コメディアンに"東"姓が多いこと、また「笑って笑って60分」レギュラー出演を機に出光元に改名。また、「三波伸介の凸凹大学校」にもレギュラー出演。現在では昼ドラでよく見かけるが、必ずと言っていいほど、河原崎長一郎の兄貴役という設定が多い。
井手らっきょ
 素人モノマネ番組の常連。井手ひろしの名で「笑っていいとも」にレギュラー出演。宮尾すすむ、水谷豊、アントニオ猪木のモノマネで人気があった。昭和59年たけし軍団入り。その後円形脱毛症にかかるが、「ハゲが目立たない」という理由でスキンヘッドにしてしまう。これを機に井手らっきょに改名。現在はモノマネの頻度が減り、ところかまわず全裸になる"ストリップ芸"が芸風として定着。また、野球が非常にうまく、日本ハムのテストを受けたこともあり、「あと5年若かったら採用したかった」と言わせるほどのセンスがある。
→たけし軍団
伊藤一葉
 奇術師。ソフトでほのぼのとしたしゃべりと、トランプやハンカチを使ったマジックはうまさとおもしろさを兼ね備えていた。また1つネタが終わるごとに「この件について何かご質問は?」というフレーズは大受けで一時期流行語にまでなった。まだまだこれからというときに病没。残念である。
伊東かおる
 漫談家。主に大須演芸場をフランチャイズとしている、人呼んで名古屋お笑い界の重鎮。東海地区でこの人を知らない人はいないという超ド級のローカル芸人。
伊東四朗
 俳優であり、お笑い界の重鎮でもある。昭和33年、石井均一座「笑う仲間」に参加。37年三波伸介、戸塚睦夫とトリオを結成。当時人気絶大だった「脱線トリオ」にあやかって「てんぷくトリオ」と命名、人気トリオとなる。しかし、この人の人気はむしろ「てんぷくトリオ」よりも、たったひとりになってから不動のものとなったと言っていいと思う。小松政夫との名コンビで電線音頭の「ベンジャミン伊東」、「親子コント」、「小松の親分さん」などは「てんぷく」時代よりも生き生きとしていたものがあった。また、「ザ・チャンス」での名司会、「タフマン」「白子海苔」のCM、「ニン!」「ど〜かひとつ」というギャグでも強烈なインパクトを与えている。最近はドラマで主人公の父親役の他、刑事役、また「笑うセールスマン」では喪黒福造に扮し怪しい世界を再現してくれた。現在もお笑いの第一線で活躍している数少ない芸人となっている中で、これからもさらにがんばってほしいものである。
稲川淳二
 デザイナーを志していたが、昭和50年、テレビ三面記事のレポーターとしてテレビに登場する。主にテレビ・ラジオのレポーターが中心であったが、「スーパージョッキー」の熱湯風呂でのリアクションが大ウケし、いじめられタレント、モルモットタレントとして脚光を浴び、「悲惨だなぁ〜」「喜んでいただけましたか」が流行語となる。さらに、霊感の鋭さから自らの心霊体験をもとにした「怖い話」を多数披露。「心霊タレント」のイメージを決定づけ、チューブとともに夏に欠かせない芸能人となる。最近では自ら「リアクション王」と称し、オーバーなリアクションで旅番組・グルメ番組を盛り上げている。また本業のデザイナーに加え、テーマパークのお化け屋敷などには怖さを演出するためにプロデューサーとしても活躍している。
イヌーズ
 太田プロの高校生コンビ。主にライブで活躍し、キティちゃん空手道場のコントが有名。5年ほど前にツッコミ役の染谷が芸人を引退したため解散。残った中村は太田プロのお笑いライブなどに出ていたが、現在はその太田プロ所属の構成作家をしている。
犬塚弘
 ハワイアン・バンドを経て昭和30年ハナ肇らと"キューバン・キャッツ"結成。その後クレージーキャッツのメンバーとして舞台、映画、テレビと大活躍した。コミックバンドとしては珍しいダブルベースを担当し、「ワンちゃん」の愛称で親しまれている。長身でスマートな風貌ととぼけたキャラクターを笑いに生かし、クレージーではよき番頭役をつとめたが、現在では映画、テレビでユーモラス役から枯れた味わいの老人の役まで、幅広くこなす貴重なバイ・プレーヤーとしてがんばっている。
井上竜夫
 17歳で曽我廼家五郎八に入門。新春座を経て吉本新喜劇に入団。やすし・きよしやコメディーNo.1に続けとばかり、谷しげると昭和46年にざ・どっきんぐを結成したが、病気によりコンビを解消し、新喜劇に戻った。若手の頃から老け役が多く、玄関先で「おじゃましまん〜にゃわ」などギャグをとばし、人気を博していた。
今いくよ・くるよ
 今喜多代の弟子。現時点での女性漫才のトップである。常に派手な衣装で客をつかむくるよと、ハスキーな声、首に浮き出るスジが特徴であるいくよのコンビ。高校時代の同級生である。くるよが自分の腹をパンパンたたくギャグがウケ一躍人気者に。テレビのレギュラーを数本持つ売れっ子コンビであったが、本業の漫才に専念するためにすべて降板し、現在はNGKなどの舞台で漫才一本で勝負している数少ないコンビである。
今田耕司
 ダウンタウンの弟分としてみられているが、やっとメインで番組を持てるまでになった。東野幸治とセットになっていることが多い。よしもとNSCの4期生として主に心斎橋2丁目劇場や吉本新喜劇など、大阪を中心に活躍。当時は同期であった蔵野孝洋と「ダブルホルモンズ」というコンビを組んでいたが解散。ピンで活動後は東京へ進出し、「ごっつええ感じ」などバラエティに出演。95年には「いつかまた逢える」で準主役として、トレンディー俳優達に混じって堂々の競演を果たしている。 また"WEST END×YUKI"で「SO.YA.NA」をヒットさせる。
入船亭扇橋
 昭和32年3代桂三木助に入門し、桂木久八で前座。昭和36年師匠の死去により柳家小さん門下に移り、二つ目。昭和45年に真打昇進して9代目入船亭扇橋を襲名。民話的な温かさと粋でいなせな雰囲気を感じさせるベテラン噺家で、その場の話題や時事ニュースなどをまくらに織り込み本題の古典落語に入っていく話術の巧みさはまさしく職人芸である。また俳句をたしなみ「光石」の俳号を持つ。
岩がん太
 車だん吉と「コント0番地」を結成。当時は"いわたがん太"と名のっていた。おもに「55号決定版」にレギュラー出演していたが、番組終了後解散し引退した。
→コント0番地
岩本恭生
 札幌・ススキノのショーパブ「ガンダム」でショータイムにモノマネをやっていた。素人ものまね番組出演後、平成元年「ものまね王座決定戦」初登場で優勝しメジャーデビューを果たす。得意ネタは沢田研二、布施明、和田アキ子など多数。また、深夜お色気番組「ギルガメッシュないと」の初代司会者としても有名。現在もNTV「ものまねバトル」を中心にバラエティで活躍中である。
インパルス
 東京NSC4期生の堤下敦と板倉俊之のコンビで平成10年に結成。堤下が以前乗っていたバイクの名前がコンビ名となった。言葉遊びの天才、個性的なキャラクターを演じるボケの板倉はどこからでも笑いを作る。的確なタイミングで鋭いツッコミをたたみかける堤下の技術は若手の中では群を抜いている。若干早口ながら無駄のない堤下のツッコミが、板倉のボケを引き立たせ、かなり巧くバランスのとれた正統派。NHK「爆笑オンエアバトル」、FNN「はねるのトビラ」で実力をつけ、NTV「エンタの神様」レギュラー出演で知名度を上げている。ただし、ネタの展開が全編を通して暗く感じられる。


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