
現在に至るまでの芸人、喜劇人をまとめてみました。
50音順に掲載していきますので、乞うご期待。
| 江頭2:50 |
| 人呼んで「命知らずの破壊芸人」。大川興業所属のお騒がせ芸人である。上半身裸に黒タイツ姿で尻を張り出し、機関車スタイルで登場する。笑いのために命を張っているのか状況判断ができないのか定かではないが、ASAYANではオウム真理教の修行で有名になった水中クンバカで4分半も水槽で潜っていたり、トルコでは公衆の面前で全裸になって警察の世話になったり、バイアグラを多量に服用し病院へかつぎ込まれたりと1年に1回は世間を騒がせるパフォーマンスをしている。一方、本芸ではコンタキンテとコントコンビ「男同志」で大川興業のライブに出演、ホモネタを主体としたゆがんだコントで観客の笑いを取っていたが、解散した。 |
| 江川マストン |
| 大道芸人。玉乗りをしながら、お手玉をしたりなど玉乗り専門の曲芸をするベテラン芸人。 |
| 笑組 |
| 昨今の東京の若手漫才師としては珍しい師匠がいるコンビ。八木一夫は昭和59年に内海好江に入門。八木がバスに乗っていたときに、後から乗り込んできた好江を知り合いと勘違いし挨拶したことが入門のきっかけ。伊藤豊は「日本人しかできない仕事が夢」で昭和61年、高校卒業後内海桂子に入門。漫才コンビそれぞれの弟子が昭和61年にコンビ結成した変わり種。コンビ名『ゆたちゃんかずちゃん』で原宿「芸能屋」にて初舞台を踏む。直後にコンビ名を『笑組』に改名。何事にも意に介さないマイペース型のかずおとクヨクヨと考え込むタイプのゆたかと対照的な二人が繰りひろげる漫才は「のらりくらり型漫才」と自らが位置付けている。平成6年、江戸曲独楽の三増紋也に師事入門し、漫才だけでなく曲独楽も持ち芸として取り入れる。年齢が30代ながら芸歴18年とすっかり中堅の芸人として、主に寄席や演芸場に出演している。同年代の若手がお笑いライブ中心に出演している中で、かつては高座に上がることがが当たり前だった寄席芸人の風情が今となっては異色の存在となっている。 |
| 越前屋俵太 |
| 多くのラジオ番組やテレビ番組に出演。テレビでは主にレポーターとして顔を出す。登場するときに意味もなく突然コケる"ズッコケ芸"を極める。93年、テレビ番組などの企画・制作会社、有限会社「越前屋電視社」を設立。以降、出演だけでなく、企画・演出・プロデュースも手がけている。現在も、企画・演出から番組制作に参画し、海外ロケなどを中心に活動するほか、各種雑誌に寄稿するなど多方面で活躍している。また役者としても「甘辛しゃん」での熱演は好評を得た。 |
| 江戸家猫八 |
| ものまね芸人。昭和16年古川禄波一座で舞台役者としてデビュー。昭和20年に広島で被爆。昭和25年に3代目猫八を襲名。NHKの「お笑い三人組」レギュラー出演が、この人を一躍メジャーな芸人に押し上げた。本芸のものまねは動物のものまね専門であり、にわとり、猫、鈴虫、うぐいすなど動物の鳴き声、虫の声を忠実に再現してくれる。ここ最近は年には勝てず、ものまねの腕もやや落ちてきてはいるものの、長男の小猫や次女のまねき猫といっしょに高座にあがり、芸を披露して第一線でがんばっている。また、本芸の他、ドラマや映画、時代劇など俳優としても活躍の場を広げていた。平成13年12月没。 |
| 江戸家小猫 |
| ものまね芸人。3代目猫八の長男として昭和43年より高座に上がる。父同様、動物のものまね専門で、にわとり、うぐいす、猫、鈴虫など動物の鳴き声、虫の声を忠実に再現。寄席では親子共演で披露する芸も趣深かった。4代目襲名もそう遠いことではないだろう。 |
| エド山口 |
| モト冬樹の実兄。さすらいのエレキ芸人。大学中退後、弟の冬樹とグッチ裕三の3人でバンド結成し、クラブなどで演奏活動をする。その後、いくつかのバンドに所属、バンドマンなどを経て、芸能レポーターとなる。83年ラジオのパーソナリティとなってからTVにも頻繁に登場するようになり、お笑いスター誕生出演でブレイクする。その後も映画、Vシネマで活躍する傍ら、モト冬樹と兄弟でGSユニットを結成しCDを出すなど音楽活動でも活躍している。ちなみに夫人は元アイドルの井上望である。 |
| 榎本健一 |
| 戦前・戦後を通じて昭和の喜劇王。日本のチャップリンともいわれている。シワが深く、太い眉と大きな目の愛嬌のある顔、アクロバッチックな動きと独特な声で庶民派喜劇俳優として絶大な人気があり、現在のベテラン芸人のほとんどは彼にあこがれ、また彼を目標とするほどの存在であった。大正11年根岸歌劇団のコーラス部員となる。関東大震災以後は地方回りや映画の端役などを経て、昭和4年浅草のカジノフォーリーに参加、小柄ながらよく動き、得意のアドリブなどで人気スターとなる。このころより"エノケン"の愛称で親しまれた。7年にエノケン一座を結成、9年には東宝と契約し多くの喜劇映画に主役として出演。その一方で舞台にも進出し、喜劇界の中心人物となった。30年喜劇人協会の初代会長に就任後も舞台や映画、TVに第一線で活躍していたが、37年に脱疽により右足を膝から切断。翌年舞台復帰するも、舞台狭しと動き回る姿はとても義足をつけているようには見えず、往年の動きそのもので芸人魂を見せられるものがあった。そんなハンデを乗り越えた喜劇の神様もガンには勝てず、惜しまれながら昭和45年その人生に幕を下ろしてしまった。 |
| 海老一染之助・染太郎 |
| 太神楽。お染ブラザーズ。昭和20年、太神楽の海老一海老蔵に師事。翌年海老一勝太郎・小福の名で高座に立つ。昭和24年に染之助・染太郎と改名し現在に至る。籠毬、土瓶、ナイフなどの曲芸を得意とし、兄・染太郎の「頭脳労働」と弟・染之助の「肉体労働」をキャッチフレーズに「これでギャラは同じ」のギャグを織り交ぜ、伝統的な古典芸の太神楽を披露し客を楽しませている。主に正月だけで年収の半分を稼ぐほどのおめでたい席には欠かせない芸人であったが、「おめでとうございます!」の掛け声と、ダイナミックな動きのパフォーマンスがうけ、「笑っていいとも」などにレギュラー出演することもあった。FNNの元旦番組「初詣ヒットパレード」の第1回目から毎年欠かさず出演してきたが今年の出演を最後に2月、兄・染太郎が胃ガンのために惜しまれながらも亡くなってしまった。寂しい限りである。 |
| ABブラザーズ |
| 中山秀征、松野大介で結成されたコンビ。"いただきます"にレギュラー出演し、視聴者のはがきをもとに再現コントなどをやっていた。この他、バラエティー番組で活躍するが、お笑い路線の松野よりアイドル路線の中山のほうに人気が集まり、やがてドラマ、映画などでブレイクする。中山は"DAISUKI""おじゃマンボウ"などのレギュラー、司会などバラエティー番組の顔として活躍中であることは言うまでもない。一方の松野は主に舞台を中心とした活動をしているが、98年に「芸人失格」という自伝を出版し、一時話題になったものの表舞台に復活することはなかった。 |