[PR]薬用プロアクティブ公式サイト:実力派にきびケア、60日間返金保証



1925年6月3日、ニューヨーク。ハンガリー移民の仕立て屋、マニュエル(モノ)とヘレンのシュワルツ夫妻に待望の長男が誕生した。バーナードと名付けられたその子が、後にトニー・カーティスという名でハリウッドのトップスターの座に君臨することになる。

 貧困に加え、最愛の弟ジュリアスがトラックにはねられて死亡するという事件が起こり、11歳のバーナードは次第に仲間たちと非行に走るようになる。翌年、少年感化院に入れられたバーナードは、ここで彼と同姓のシュワルツと言う人に出会い、更正への道を歩き始める。映画が大好きだったバーナードは、間もなく高校に復学し、演劇にも興味を抱くようになっていた。折しも第2次世界大戦の真っ只中。彼は潜水艦の信号兵として太平洋戦域着に配属されることになった。大ファンだったケイリー・グラント主演の潜水艦映画"Destination Tokyo"(43)を観て、憧れたのが志願のきっかけだという。後に大スターになった彼は、ケイリー・グラントとヒット・コメディー「ペティコート作戦」(59)で共演することになるが、これは「ケイリー・グラントと潜水艦を舞台にした映画に出たい」という彼の意向による企画だった。まもなくグアム島近海で負傷した彼は、再び高校に戻ることになるのだった。

 高校を卒業した彼は、ドラマティック・ワークショップの学生となり、演技の勉強に励んだ。ハリー・べラフォンテ、ウォルター・マッソー、ベア・アーサーらが当時の同級生。やがて舞台に立つようになったバーナードは、ニューヨークのグリニッチ・ビレッジで「ゴールデン・ボーイ」に出演していた時に、ユニバーサルのスカウトマンに発見され、1948年、遂に念願のハリウッド入りを果たすことになる。

 アンソニー・カーティスという芸名をもらい、スターの卵としてレッスンに励んでいた彼が最初にもらった役は「裏切りの街角」(49)の中でイボンヌ・デ・カルロと踊るだけのジゴロの役。ところが、たった1シーンしか出番がなく、クレジットもされていない彼宛にファンレターが殺到。次第に大きな役がつき、「盗賊王子」(51)で遂に"主演スター、トニー・カーティス"が誕生した。同年、当時の人気女優ジャネット・リーと結婚し、56年には夫婦の名を取った"カートリー・プロダクション"を設立している。

 「魔術の恋」(52)などのヒット作にも恵まれ、ハリウッド随一の人気スターとなったカーティスだったが、 批評家からは強いブロンクス訛りや、余りに通俗的な出演作品のため軽視され続けてきた。そんな彼が演技派として最初に認められたのがキャロル・リードが監督した「空中ブランコ」(56)。同じく、バート・ランカスターと共演した「成功の甘き香り」(57)での野望に満ちたシドニー・ファルコ役も批評家から喝采を浴び、続く「手錠のまゝの脱獄」(58)では、共演のシドニー・ポワティエと共にアカデミー主演男優賞にノミネートされるまでになった。マリリン・モンロー、ジャック・レモンと共演した「お熱いのがお好き」での演技も絶賛され、60年と61年の二年連続でマネー・メーキング・スターのベストテンに入るなど、名実共にハリウッドの大スターの座を手にする。その後も「バイキング」(57)、「ペティコート作戦」、「スパルタカス」(60)、「グレート・レース」(65)と立て続けにヒット作を放った。ちなみにエルヴィス・プレスリーはトニーの大ファンで、彼のヘア・スタイルはトニーを真似たものだという。

 63年、トニーは「隊長ブーリバ」の撮影で、ドイツ出身の美少女スター、クリスティーネ・カウフマンと出会う。彼女と恋に落ちたトニーは、「ハリウッド理想のカップル」として名高かったジャネット・リーとの結婚生活に終止符を打ち、カウフマンと再婚した。その後、「ムッシュ・コニャック」(64)でも共演したカウフマンとは68年に離婚し、モデルのレスリー・アレンと三度目の結婚をしたが、80年に別れている。タイトルロールを演じた傑作「絞殺魔」(68)などに出た後、手広くやっていた事業が失敗し、破産を経験。70年代の始めにはロンドンに渡り、親友のロジャー・ムーアとTVシリーズ「ダンディ2・華麗な冒険」(71)で共演し、好評を得た。

 84年、トニーは麻薬とアルコール中毒の治療のため、べティ・フォード・センターに入院。中毒を克服し、再起を果たした彼は「マリリンとアインシュタイン」(85)で印象的な演技を見せた。以降も演技派として映画に出演し続けているが、マティスを思わせる作風の画家としても成功。彼の絵は世界のトップギャラリーに展示され、高額で取引され続けている。また、小説"Kid Andrew Cody & Julie Sparrow"(73)を出版、自伝"Tony Curtis: The Autobiography"(93)はヨーロッパでベストセラーになった。

 93年、37歳年下の弁護士リサ・ドーシュと再婚するも、わずか17ヶ月で破局。98年にはなんと45歳年下のホース・トレーナー兼モデルのジル・ヴァン・デン・バーグと5度目の結婚式を挙げた。
 ジャネット・リーとの間に生まれたケリー、ジェイミー・リー(「ハロウィン」(78)、「フォーエヴァー・ヤング/時を越えた告白」(92)、 「トゥルーライズ」(94)など)は女優になった他、クリスティーネ・カウフマンとの間にアレキサンドラとアレグラの二女、レスリー・アレンとの間にニコラス(93年に麻薬中毒で死亡)、ベンジャミンの二男がある。

 

(C) Hollywood's Gold 

[PR]中古車探しは、ガリバー:在庫多数、全車保証つき!