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タイトル
その5
モーリタニア学生生活の始まり
モーリタニアの民族衣装で記念撮影。右端の彼から借りた
のだが、殻を取られたカタツムリみたいでちょっと可哀相だ】
モーリタニアの民族衣装で記念撮影  正直言って最初に授業に参加したとき、そのレベルが今の自分にとって かなり高いものであることは直感していた。最前列の席に座るよう心がけたが、 それでも回を追うごとにそれは確信へと変わって行くばかりだった。 モーリタニア人の先生方の言葉に方言がかなり混じっていることは明らかだが、 例え彼らの言うことを全て聞き取れたとしても、それをきちんと理解する自信は無かった。 絶対的語学力、イスラーム基礎知識や専門用語知識などが不足しているのは明白だった。

 クラス内の学生のレベルも様々に思える。ここの中学・高校あたりから 上がってきている生え抜きのモーリタニア人やモロッコ人もいれば、 僕と同様非アラブである自国のイマーム大学系列校を出て大学に直接入学してきた ナイジェリア人たちのように、比較的学力の劣る者たちもいる。 彼らの多くは確かに語学力が高くは無いが、暗記暗記で必死に努力し、結果試験を クリアーしてしまうのだという。それゆえ僕ももしかすると何とかなりそうに思えたし、 先生や学生たちからも「しばらく辛抱してろ、慣れっちまうから。」 とアドバイスもされたが、しかし彼らとて生来のムスリムであり、 曲がりなりにも自国のイマーム大学系列の中学・高校で 基礎知識を学んできている成績優秀卒業者たちである。 ムスリムになって僅か3年、アラビア語を非アラブの国で2年程学んだことがあり、 クルアーンとハディース(預言者の言行)を読むだけの僕を彼らと並べて 考えるわけには行かない。非常に悩んだ。ある者たちは高校に編入することを 強く勧めてきたので、抵抗はあったものの、やむなく人生2回目の高校生活も 解決案の1つとして考慮に入れるようになった。

【ゾンビ・タクシー。洒落ぬきでやっとの事で動いていた。「いや、大丈夫なのか?」
と聞かずにはいられなかったが、運転手は余裕の笑顔を崩さなかった。】
ゾンビ・タクシー
 授業が始まって間もなく、シャイフ・サアドが僕のために設定してくれた 特別課外授業もスタートした。夜先生方の自宅に直接伺い、アラビア語やクルアーン、 預言者伝やタウヒード(神の性質や、信仰の基本に関する知識)、 フィクフ(イスラーム法)といった科目を基礎から個人教授してもらう スペシャル・メニューである。これは昼の授業よりも今の僕にとっては、 有益だった。先生方も殆どがサウジ人で、言葉も分かりやすく、 また彼らはこの国において、僕にとって最も親近感の感じられる人たちでもあった。 特に預言者伝担当のモハンマド・アッラウキー先生は知的で高潔、 君子然とした雰囲気漂う立派な方で、授業の後には毎回お茶や食事などを振舞われ、 車で寮まで送っていただき、非常な感銘を受けている。この課外授業だけのために マウンテンバイクを買ったが、購入して間もなく15段ある変速ギアが 3段しか変わらなくなってしまったのと、砂塵で器官をやられてしまうことで、 最近はすっかりタクシーばっかり利用するようになった (60円から100円位で大体必要な所へ移動できる)。 尚、シャイフ・サアドは自分の修士論文の用意で忙しくなり、殆ど会えなくなってきた
人間観察(その1)

 多くの人の意見同様、僕のこちらの人に対する感想はまず「シンプルさ」である。 これは率直さにもなりえるが、時には不躾さにもなりえる。つまり、 心にあることが良かれ悪しかれ、即表情や言葉となって出る。 興味を惹かれることがあればそれをストレートに示し、飽くまで主体的で、 「他人の目」と言った視点を持つことが余り無いように思える。 欲しい物への欲望を抑えること、隠すことが出来ない。路上でふと気付くと、いつの間にか 同行者が増えていたりすることもあるが、そんな時「何でついて来てんの?」と言うと 初めてハッと我に返り、少々戸惑う、といった現象も見受けられる。 このような傾向は黒人系・アラブ系モーリタニア人どちらにもよく認められる。

 また人はこれを「遊牧民文化」と呼ぶが、彼らの体勢の崩し方がちょっと凄い。 人前でも自由気ままに体をグニャグニャとリラックスさせる習慣だ。 大学の教室内でも足を前の席に乗っけたり、思い思いに椅子の上で色々な姿勢を取ってみたり、 またふと見ると、さりげなく鼻の穴に指がしっかり第2間接まで入っていたりする。 それでは外ではどうかと言うと、まず基本的にどこでも地べたに座り込み、 どこでも横になる。特に昼の礼拝の後あたりには、町のド真中でも人々が路上や 店先で思いっきり無防備に寝転がっている光景を普通に目にする。どこでも自由に くつろぎノビノビ、ゴロゴロする様はさながら「大地の子ら」と言ったところか。 余り人目をはばからないと言えば、ふと道端で背を向けてしゃがみこんでいる男性を見ることがある。 「小用」だが、聞けば「大」の方もありえるのだという。

【ナイジェリア人の学生詩人と2ショット】
ナイジェリア人の学生詩人と2ショット  このような彼らの習慣・性癖はともすると、 ネガティブな面においては「自己規律」と言う点にも関わってくる。 例えば、何らかの手続きのため縦1列になって順番を待つように言われても、 すぐ各々がフラフラと動き出し、いつの間にか横1列になって押し寄せているという行程を、 注意されても繰り返してしまう、と言った具合である。 この点、一般的に日本人はこの対極側にあるのではないか (無論、最近は「遊牧民」化しているのも沢山いるようだが)。 自己規律が良く取れ、常に他の視点を意識している。そしてこの要素は、 物事の計画などが個人、或いは特に社会の中においてスムーズに、そして効率的に進行し、 より高い段階に移っていく上での1大要因ではないかと思われるのだが、どうだろうか?  でもこれも行き過ぎると、実際日本人の中によく見られるように客体的になりすぎ、 自主性の欠如とか自由で健康な心の障害にもつながってしまい得る。 架空の他者の視点が自らの主体性に勝ってしまうと、そこには自我崩壊が待っている。 自分を抑制することはある程度自分を殺すことだとも言える。一方、 自らを抑制しないものは他者に犠牲を強いる。どちらの極端に傾きすぎてもいけない。 人々は互いに良い部分を吸収しようという常なる向上心と謙虚な態度を必要とされている。
人間観察(その2)


   サンプル@:アイユーブ
 寮内殆ど唯一のアラブ系モーリタニア人(モーリタニア人は大体自宅通学)。 僕のルームメイト。発音が明瞭でない上声がくぐもっており、 しかも早口なので言っていることが良く聞き取れないことが多い。 多分、日本における僕以上のレベルの訛りがあるんじゃないだろうか。 彼はこの大学に入るまで普通教育を受けていない。つまり、 「イスラーム寺子屋」的な所でずっと学んできた生え抜きである。 大学3年で、トップの成績。遠く離れたどこかの田舎町出身のはずなのだが、 ここにいるどのアラブ系モーリタニア人より落ち着いて洗練されて見える。 物静かで少し恥ずかしがりで、決して感情を高揚させたり大声で笑ったりはしない。 クルアーンは勿論イスラーム教及びアラビア語の知識が大量に彼の頭の中に 保存・蓄積されている。彼のロッカーの中には泡立て器とボールと水と カルカデという赤い花のエキスが常備されており、しょっちゅうロッカーの中に 半身のめりこんだ体勢でカチャカチャやってジュースを製造し、飲ませてくれる。 よく大きな声で寝言を言うが、やはり何を言ってるのか分からない。 今は亡き彼の父は早婚で長生きしたため、末っ子の彼と一番上の彼の姉との間には 30歳近くの年齢差があるといい、彼女の子供、つまり彼の甥は彼より年上である。 このような現象はここではごく普通に見られるらしい。

   サンプルA:アブドル・ガニー
 同学年のモロッコ人。クラス編成があるまでは同じクラスで、 よくノートを書き写させてもらった。丸顔で優しい顔をしており、まだうら若く、 高校生くらいの年齢に見える。真面目で素朴で伏し目がちの恥ずかしがり屋 (アラブ人でもこんな人が結構いるんですよ!)。「あどけなくて可愛いなあ」 と思いつつ歳を聞いたところ20歳という事だったが、 彼の方では僕を年下だと思っていた事を知り、少々ショックを受けた。
 或るとき彼のノートを借りた際、その見開きの部分に 「名前:アブドルガニー クラス:B 出席番号:〜番  イマーム大学モーリタニア分校シャリーア学部第1学年」 といった事が自主的に事細かに書き込まれているのを見つけた。 そしてそれが「主よ、我の知識を高めたまえ」という大きく太い文字で 書かれた祈願の言葉で締めくくられているのを見て、彼の学業への真摯で 純粋な姿勢の中に学生のあるべき姿を見たような気がし、大いに心打たれた。 こちらではまだまだ、質実さと真摯さと勤勉さを備えた、 二宮金次郎のような苦学生の原型像を見ることが出来る。
 また、彼がフランス語を殆ど知らないと聞いて驚いた。 モロッコにもまだまだ「イスラーム寺子屋」的施設は根強く存在していて、 ここにいるモロッコ人学生たちも大概そのような背景を持っているらしい。 今でも普通教育を受けることによる社会的メリットより、 こちらを選択する親や子息は少なからず存在するようだ。

   サンプルB:マルワーン
 高校2年に在籍する19歳のモロッコ人。顔こそちょっとユニークな魚系だが、 この男ただ者ではない。この若さでその雰囲気において思慮深さ、知性、 自らの思想と信仰への確信がにじみ出ており、ビシッとして他の学生とは一線を画している。 よく見られる暗記一辺倒の学生ではなく、様々な視点からイスラームを眺め、 比較・検討し、その上で悟りきり、既に自分の世界観を確立しているように見える。 喋る時も人の言葉の受け売りで話すのではなく、時々少し休止しながら、 言葉の1つ1つをじっくりと吟味し、意味をこめて少々早口に話す。 僕がここに来てから単身真っ先に僕を訪れ、慣れない土地での辛苦を思いやり、 優しい言葉をかけてくれた奴でもある。今でも色々相談に乗ってもらったり、 勉強の手伝いをしてもらったりする。 また、寮内のモスクで最も多くイマーム(礼拝を導く人)を務める内の1人でもあり、 クルアーンのあらゆる部分から自由自在に吟味・選択して章句を引き出し、 卓越した朗誦力と声量をもって礼拝を導く。彼のみでなく、 前々号でも述べた通りモロッコ人学生は大概クルアーンをよく暗記しており、 朗唱力に秀でている。モーリタニア人の暗記力も有名だが、 残念ながら彼ら独特の誤った発音の仕方や、 タジュウィード(朗誦理論)への軽視が、正しく美しい朗誦への障害となっている。

   サンプルC:モハンマド
 学校外で友人になったアラブ系モーリタニア人。 洋服を着ている稀有なアラブ人の1人で、 立ち居振舞いや雰囲気もとても洗練されている。 何でも幼少の頃からフランス系の学校に通い、 大学時代はパリで過ごしたのだという。 裕福な一家の出で、表情は遊牧民とは程遠く繊細、 幾分神経質気味な風すら見て取れる。1人旅を愛好し、 日本にも半年の語学留学で滞在したときがあり、日本びいきで、 アラブ文化圏には興味が無い、とキッパリ言い切る。 「例外的なモーリタニア人だな。」と言うと、 「お前だって例外的な日本人だ。」と言う答えが返ってきた。 確かにこの男と僕の間には多くの共通点があるようで(僕はおぼっちゃんではないけど)、 この全くの異国では親近感すら覚えてしまう。 つまり、様々な国に滞在して様々な文化や価値観を知り体験していること、 そしてそれを比較・考察・分析するのが好きなこと、フラッと1人旅に出るのが好きで、 それによって身内から困惑されていること、そして自国に関しては殆ど無知で、 「いろいろ外国を廻ったけど、自分の国が一番奇妙だ。」という結論に到着していること、 などにおいて。僕はといえば、日本について知識があり、 ましてや来日したことのあるモーリタニア人などここにはいないと思っていたし、 彼もモーリタニアに留学している日本人など想像もしなかったと言う。 彼は学校のすぐ近くに住んでおり、時々会って一緒に食事をしたりする。
生活風景(その1)

【井戸。ドラム缶満タンの水で約80円位らしい】
井戸。ドラム缶満タンの水で約80円位らしい  こっちにきた当初は急で大きな環境の変化などによるストレスからだろう、 心身面で調子が芳しくなかった。到着してからの数日は食欲も全然ない状態だったが、 段々慣れてくるにつれ、毎回同じメニューの食事も楽しみになってくるようになった。 特にラマダーン月(断食月)に入った今においては、ウマウマ言って食べている自分に気付いた (これは周りからも変な顔をされる。ここの食事をおいしいなどと言う学生は1人もいないので)。 尚、寮の外に住んでいる所帯持ちの学生たちには寮での食事の権利、 及び配膳されなかった食事の余り物の配給を受ける特典があるのだが、 その中のある者たちは他の学生たちがテーブルに残して立ち去った食べ残しをゲットしようと、 目を鷹のようにして狙っている。フランスパン1本2,30円相当の物価とはいえ、 彼らにとっては生活費の節約に必死なのだ。 このような中で食事に変化が無いだのマズイだの言うことは、 彼らの存在を自分の中で突き落とすことになる。贅沢は敵だ。

【水タンク輸送用ロバ】
水タンク輸送用ロバ 時々水の供給が滞り、行水を出来ないことがザラにある。 水の重要さを実感させられる。便所も風呂もなんだか慣れてしまった。 バケツ1杯の水があれば余裕を持って全身を洗うことが可能であることを知った。 考えてみれば、便所は中国で経験したある種のものに比べればかなり上等だ。 今も存在するのか知らないが、ドアなしセミオープン・タイプ、 更には仕切りなしのフルコンバーチブル・タイプで平気で用を足していた気がする。 でもそこにも恐らく慣れるまでの猶予はあったはずだろう。

 首都ヌアクショット1大きなスーパーでも、日本で言うちょっと大きい八百屋クラスだ。 それでもここはとても贅沢な場所。たまに来てヨーロッパからの輸入物の洗練された お菓子類や飲み物類などを見ると、思わず心浮かれて店内をスキップして歩きたくなる (ちょっと気持ち悪いか)。さしずめ「ドリームランド」だ。このようなところで 買い物できるのは一部裕福な者だけで、店の前には常に物乞いがたむろしている。

【お肉屋さん】
お肉屋さん  スピード写真があるというので証明写真を撮りに行ってみたら、 ごく普通の一眼レフで撮った写真を現像し、店のオッサンがハサミで小さく適当なサイズに チョキチョキ切るシステムだった。フラッシュをたかれた瞬間思わず瞬きしたら、 写真屋の男は、「フィルムが無駄になっから2度と目ぇつぶんじゃねぇぞ!」 と言う感じでとても憤慨した。再び瞬きしたら「帰れ!」とか言われそうなので、 頑張って目を見開いたままでいた。

 ところで写真と言えば、ついでに前号のラクダの写真について起こった出来事の 詳細をお伝えしよう。写真の左端に男2人が見て取れると思う。この時は既に真っ暗で 彼らの姿は見えず、面白い絵が見つかった、といつになく不用意にシャッターを切ったのだったが、 そうするやいなや彼らがドタドタとにじり寄ってきた。実際カンカンに起こっていたのは1人だけで、 もう1人はニヤニヤしながら僕らのやり取りを眺めたり、 カメラを珍しそうに見詰めていたりしていただけだった。 交わされた会話の概要は次のようなものである。

   男 「今何した!?おい、今何したんだ!?」

サイード 「ラクダの写真撮ったんだよ。」

   男 「何でラクダの写真撮ったんだ?」

サイード 「こっちで初めてラクダを見たから珍しくて撮ったんだよ。」

   男 「ラクダだったら田舎に行って撮ったらいいべえ!」

サイード 「田舎に行くチャンスがねぇんだもん。」

   男 「おめぇ、何人だ?どこさ住んでる?ここで何やってんだ?」

サイード 「サウジの学校で勉強してる日本人だげんちょ?
      ここでラクダ撮って何かあんたさ迷惑かけた?」

   男 「あぁ、この車とか建物とか皆人様の持ちもんなんだから、
      勝手に取ったらダメだべぇ!」

サイード 「大丈夫だ、気にすんでねぇ。ラクダの他は殆ど暗くて写ってねぇーがら。」

   男 「ったく、もう。しょうがねぇなあ。イスラームは許しの宗教だ 。
      おめぇもムスリムってことで今回は大目に見てやっかんな。」

サイード 「フン、何、ムスリムじゃなかったら許さねぇつうの?」

   男 「あぁ、許さん。」

 そして彼らは立ち去っていった。確かにこの時は僕も不用心だった。 よそ者に写真をパチパチ撮られるのも気分良いものではないだろう。 こちらでは写真撮影にはとても気を使う。偶然女性などを撮ってしまえば、 下手すると誤解されて予想以上の大問題にも発展しえるだろう。 地元っ子アイユーブに聞いたところ、彼らは単に写真に生理的抵抗感があり、 よそ者へに不信感を持っているだけであり、特に宗教的にどうこうというわけではない、 ということだった(イスラーム教のごく一部の学者には、 生き物を写真撮影することを一切認めないとする人たちも存在する)。

【郊外の住宅地「ハイインナイーム」。訳せば「恩恵町」・・・?
貧民区かと思いきや中間層の区画だという。】
郊外の住宅地「ハイインナイーム」  前にも述べた通り、学校及び学生寮は、東京で言えばさしずめ広尾のような 市内一等地に位置している。が、ここに至ってもバラックやテント生活をしている 家族は多いし、ロバや野犬はウロウロしているし、ヤギの放牧すら見られる。 草木の類は殆ど無いため、ヤギは道端のごみの中から何か探して食べているが、 紙類などもそんなに無いはずだし、何を食べているのかよく分からない。 毎日食堂で食している肉はこのような「ゴミ喰いヤギ」のものなんだろうか?  だとするとちょっと気持ち悪いなあ。寮からは常に何らかの動物の声が聞こえる。 一番うるさいのはロバで、ご存知の方もおられるだろうが、 まるでこの世の終わりが突如目前に迫ったかのような物凄い悲痛な叫びを上げる。 尚、近所には貧者に喜捨をする裕福な人の邸宅があり、 毎日どこからか貧しい人たちが施しを求めてやってくる。先日、早朝からワァワァと 何やら喧騒が響いてくるのでてっきり運動会かなんかのイベントでもあるのかな、 くらいに思っていたところ、窓の外を覗いて少々驚いた。色とりどりの衣装に 身を包んだ女性の群集が、施しを待って道路を埋め尽くしているのだった。 その動員数2,300人に達したのではないか。彼女らはもともと声が大きいのだが、 その上そこいらで順番争いだか何かがきっかけで怒鳴り合いやつかみ合いに ならんばかりの紛争が勃発しており、修羅場の様相を呈していた。
ラマダーン IN モーリタニア

【イマーム大学モーリタニア分校正門図。
子供たちは断食明けの食事の配給を待っている】
イマーム大学モーリタニア分校正門図  ムスリムとなってから4回目のラマダーンをこちらで迎えた。 この1ヶ月間、日の出前の礼拝時間前から日没まで、飲食物及びそれに類似するもの、 そして性行為を断つことは、ムスリムに課された有名な五行の1つである。 この月の断食は次の6つの条件を全て満たして初めて義務付けられる。 即ち:@ムスリムである。A成年である(15歳以上であるか、或いは初潮、精通を迎えている)。 B精神的に健常である。C土地の居住者である(旅行中でない)。 D断食を遂行できるだけの力がある。E(女性であれば)妊娠、生理、出産直後の状態にない。

【郊外のモーリタニア風モスク】
郊外のモーリタニア風モスク  こちらでは大体午前4時半頃から断食前の食事(スホール)を摂り始め、 5時40分頃から断食を開始し、6時頃日の出前の礼拝。日没は大体夕方6時半頃で、 このとき約13時間の断食を、配給されたナツメヤシの実と暖かいミルクを摂って終える。 夜の9時頃から10時頃まではタラウィーフというラマダーン月の特別集団礼拝 (義務ではない)がある。月の終わり最後の10日間には更に別の特別集団礼拝 (タハッジュド。これも義務ではない)が午前3時頃から4時頃まで行われる。 全てが寮内でアレンジされているので、日本などの、ムスリムが ごく少数である社会の中でのそれに比べれば辛い事など何もない。 ラマダーン月は、当時の社会悪と人間の誤った信仰に心悩ませていた預言者ムハンマド (saws)が、啓示を受ける前から定期的に洞窟にこもり、神への祈りと瞑想に耽っていた月であり、 また、その習慣を始めて3年目に初めて啓示を授かったところの特別な月である。 この期間は単に断食するだけでなく、特に意識して善行と神の崇拝・讃美に努め、 啓示即ちクルアーンを熟読することが強く勧められている。

 また、断食はラマダーン以外の月にも任意に行われうる。例えば1ヶ月に3日間の断食とか、 毎週月曜と木曜の断食なども勧められていることであり、その他、断食を強く勧められている 特別な日も存在する。断食の効用には、神への意識や感謝の念が増すとか、単に健康に良いとか、 貧者への同情心を増長させるとか、信者の一体感を増すとか様々な点があるかと思われるが、 無論その全てをあげつらうことは誰にも出来ない。
落ちこぼれサイード

【海岸で遭った元気なお子様たち】
海岸で遭った元気なお子様たち  さて、学校の授業をしばらく辛抱して様子を伺っていたものの、やはりその難しさは 変わらなかった。このままの状態でいても自分の実にならないのは明らかだったので、 早くどうにかせねば、という精神的負担を常にひしひしと感じていた。更には、 学校内外で人々からはばかりない好奇の目で見られること、「中国人だ」と ヒソヒソ囁かれる事にもウンザリしてきていた。自分が差別されている、嘲笑されている、 と受け取ってしまい、悪い感情を自分の中に溜め込んでしまったことも相まり、 時々引きこもり気味になってしまったりもした。 金曜日に集団礼拝のために出かけるモスクでも容赦なく「変なのが来た」 「ムスリムなのか?」といった目で同じムスリムから見られることは、 正直言って集団礼拝に出る意気すらくじけさせそうにしてしまうものもあった。 一時、こことここの人間が本当に嫌で嫌で堪らなくなった時もある。 しかし、ふと或る時1人海岸へ出かけた折(市内から車で10分もかからない)、 何もない広い空間の中で様々な束縛から解放され、 すがすがしい自由な気持ちを取り戻せたような気がした。 ここでも「ニイハオ!」と言ってくる子供たちに会ったが、「中国人ではないよ。」 と話しかけると、彼らの表情から悪気が全くないことが見て取れた。 僕はシャイターン(悪魔)に心を占有されかかっていたのかもしれない。 神の他にはこの世界において何の力も有しておらず、これも定められた試練であり、 きっとこの後にはいいことが待っているのだと意識すると、随分気が楽になった。 ここにいつまでもいられるわけではないのだ、大事に過ごさねばならない。 そう考える事は同時に、この世という更に大きなステージにおいても人は同様の 「旅人」の状態にあり、いつまでもここにいられるわけではなく、ボケッとしていたら すぐ旅立ちの時が来てしまうのだという事を自然に連想させ、心が震えた。

【イード後の食堂にて写真撮影大会が幕を切られた】
イード後の食堂にて  周りの学生たちに遠慮なく不満を吐かせてもらう事や、学業に対する悩みを聞いて貰う事は、 僕が直面している最も大きな問題の解決に役立ったばかりでなく、 ストレスや悪い感情の良い形での解消にもなった。とりあえずこのまま授業に 只出ていても時間の無駄になってしまうことは確かだったが、 高校生からやり直すほどの時間は無いように思われた。学校外の 「寺子屋」には西欧人なども多数学びに来ているし、生活は厳しいがそちらの方が 有益なのでは、と言う話もあったが、実際のところ教師は方言で授業を行い、 定まったカリキュラムもなく、授業のレベルもとても高いらしかった。 そんな中、学生の或る者達の中には休学して学業の準備期間とする者もいる、 と言う情報を耳にした。これはいいかもしれない、と思った。1年間の猶予で寮に留まったまま、 課外授業と自分に合ったペースの自主学習でアラビア語の学力向上と イスラームの基礎知識の習得に臨むのだ。シャイフ・サアドにこの事で相談すると、 彼もこの選択を考慮していた旨を述べ、同意した。ようやく道が開けたような思いで、 随分気が楽になった。新鮮な気持ちの中、希望と頑張る気持ちが湧いてくるのを感じた。


 11月27日、休学届けを学部長に提出。

アラブイスラーム学院および日本から応援してくださっている皆さん、 こんな不甲斐ない僕をどうか大目に見てやって下さい・・・
 次号は「サイード、ガンビア人学生と白昼のデスマッチ」
の巻以下3本です。お楽しみに。




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