
2002.05.19
by saihikarunogo
『ひとが否定されないルール〜妹ソマに残したい世界〜』(日木流奈著、講談社、2002年)を買いました。
この本では、12歳の男の子が、日常生活のルールについて、語っています。
たとえば、こんな具合に。
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私は、言葉で表現する前から、”死”というのを終わりとはとらえていませんでした。科学で学ぶ出来事は、それを裏づけているようでした。ですが、人はそのことにあまりに無頓着だと思っていました。
<わ>という言葉が私の中に響き渡ります。<わ>、輪っかの輪、平和の和、循環の環、それらがすべて地球の営み、ひいては宇宙の営みを表していると、すでに人は知っているはずなのです。なのに、実際の生活では、その<わ>を崩すことばかりに力を注いでいるのです。<わ>の事実を知れば、あらゆることが解決できるのではないかと、私はよく思います。
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(p.217)
ここでは、日常生活のルールの根本となる哲学が語られています。
しかし、普通、12歳のこどもは、ルールについて語るよりも、この世のルールに対して、問いを出すものではないでしょうか。
仏陀やキリストでも、12歳の頃は、道を説く人ではなく、道を問う人だったと思います。
もし、そのこどもが天才だったら、問いを出すためにこそ、その才能を使うのではないでしょうか。
自分はどこからきてどこへいくのか。
自分はなんなのか。
世界はいつはじまって、いつか終わるのか。
この世のなりたち、人間の歴史のゆくえ、この世で起こっているできごとの根本原因など。
およそ、ひとが一生かかって考えても答えが出ないようなことを、考え始める時期だと思います。
たとえば、12歳で自殺した、岡真史さんの詩と、日木流奈さんの文章とを、比べてみると、その質の違いが、よくわかります。
「新編 ぼくは12歳」(岡真史著、ちくま文庫、1985年)より
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ぼくはしなない
ぼくは
しぬかもしれない
でもぼくはしねない
いやしなないんだ
ぼくだけは
ぜったいにしなない
なぜならば
ぼくは
じぶんじしんだから
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『ひとが否定されないルール』(日木流奈著、講談社、2002年)、p.236より
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私は、いつでも個人でいたいと思っています。世界の中で、<わ>の一員ではありますが、個でありたいと強く願っています。個として存在しながらも、他との結びつきにおいて、<わ>を感じながら生きさえすれば、どこかに所属しなければならないという強迫観念もなくなるでしょう。反対に、どこに所属していてもいいのです、個をなくしさえしなければ。
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二人の表現の違いは、岡真史さんが、天才ではなく、普通の男の子で、日木流奈さんは、天才だから、でしょうか?
そうではないでしょう。
いかに知能が天才的であったとしても、情緒は、12歳の男の子のものでしょう。
もし天才ならばなおのこと、12歳の男の子の情緒を天才的に表現するでしょう。
それは、この世に生きることに謎を見出し、驚き、問いを出す、というかたちになるものです。
そのまま一生考えた人は、世間に認められるか認められないかにかかわらず、ほんとうの天才になるでしょう。
たいていの人は、そのうち、日常生活の中に埋もれていきます。
それでも、おとなになって、自分の価値観を持つようになるでしょう。
『ひとが否定されないルール』で語られているのは、そういうおとなの価値観そのものです。
こどもの「問い」を語ったものではありません。
だから、流奈さんの天才による独創的作品だとは思えません。
たとえば、こどもがおとなそっくりの振り付けで歌舞伎を演じる、こども歌舞伎というものがあります。
それはまねごとであって、こどもが自分の気持ちを、おとなと同等の技量で表現しているというわけではありません。
もし、おとなの価値観のみならずおとなの情緒をおとなの言葉遣いで、こどもが、自分の価値観や情緒として語るならば、それは、病的です。
それを天才と呼ぶのは、歪んだ認識です。
こどもに、そんなまねをさせてはいけません。
NHKスペシャル 4月28日放映
「奇跡の詩人」で大反響!!
4月28日放映
人間への愛、人生への勇気に感動! 脳障害・天才少年の魂の記!!
『ひとが否定されないルール〜妹ソマに残したい世界〜』
日木流奈
12歳でこんなことが本当にある!?
歩くことも話すこともできない
重度の障害者の驚くべき感性と知性。
想像を越える
「人間の無限の可能性」と、
常識にとらわれない
「生きることの哲学」に感動!!
私は条件をつけられずに愛されました。このまんまの私を受け入れてもらえました。脳障害であることは大変ではあるけれど、私の存在を否定する材料にはなりませんでした。
そして、そこから始められた私は、それ以後もだれかと比較されたことはなく、テストされたこともなく、きのうの自分よりあしたの自分が優秀になっていればいいという思想のもと、育てられました。
----本文210頁より抜粋
読者からの反響続々!!
混沌とした時代だけでなく、いつの世にも受け入れられる一冊と感じました。
生きる喜び、人生の素晴らしさ、何か見えない大きな力によって我々はささえられている。
頑張っていきたいと感じさせる本でした。
多くの友人にすすめたいと思います。
(東京都・33歳・男性)
職場あるいは家庭内で、起こるさまざまな事に、心を惑わされることが多い中、迷いの処方箋に出会った思いです。
否定と強制をしないことの意義と、そして反対に、難しさにも改めて気づいた次第。
47歳にして初めてバイブルを手にしました。
(千葉県・47歳・男性)
小学6年生の歳の子が、こんな文章を書けることに感動した。
とても納得したし、流奈くんみたいな気持ちになることができたら、どんなに心が平安になるだろう…と。
とても読んで良かったと思えるような一冊になった。
(大阪府・38歳・女性)
本当に驚きました。普段、何げなく使っている言葉、会話の本当の意味が分かりました。
自分って、なんだろう? と、思いました。
本を読んでいると、自然に自分が明るく、気持ちよく、自信が湧いてくるような感じになりました。
もっと、もっと、この本を読みたくなりました。
ありがとうございます。
(東京都・21歳・女性)
彼のとろけるようにやさしい発想、
人生80年生きても悟れないような人生哲学に感動しました。
なかなか今の私にはすぐに発想の修正は難しいですが、少しずつ、この本をお手本に明るく生きていければ…と思っています。
(兵庫県・33歳・女性)
読書会、教育委員会、学校関係者で採用続々!!
NHKふれあいプラザのホームページより
http://www.nhk.or.jp/plaza/
http://www.nhk.or.jp/special/top.html
4月28日放送「奇跡の詩人」について
放送直後から多くの反響をいただきました。そのなかには「信じられない」、「流奈くんの本当の言葉なのか」など、疑問をいだいた方からのご意見がかなりありました。そこで、取材の経緯などについてご説明いたします。
流奈くんの言葉が本当に彼自身の言葉なのかについては、当然のことながら取材スタッフが最初に確認しなければならない問題でした。特に、 1) 文字盤は正確に指されているのか 2) そうだとしても、お母さん自身が指しているのではないのか の2点が重要だと考え、流奈くんの家族はもちろん様々な取材を行いました。
文字盤については、流奈くんが文字盤を使い出した初期のビデオやNHKが撮影した現在の素早い動きのものも、映像をスローモーションにして子細にチェックしましたが、間違いなく指していることが確認できました。指している回数と言葉の数が合致しない例がありますが、これは文字盤には「わたし」や「はい」、「取り消し」などのボタンがあることや、濁音を飛ばしたりしているせいだということもわかりました。
お母さんが自分で話しているのではないかという点については、流奈くん自身が、非常にゆっくりですが、補助を受けずに文字盤を指して言葉をつくれることを確認しています。また、取材スタッフは、お母さんの知らないことを流奈くんが話すケースを何回も確認しています。そして、成長記録には、最初のたどたどしい言葉から次第に洗練された言葉に変わっている過程が時間を追って詳細に記録されていること。お父さんや親しいボランティアの人も文字盤を使って簡単な意志疎通ができること。これら取材現場での観察から、お母さん自身が話しているという可能性はないと判断しました。
専門家の意見も聞きましたが、重度の運動障害がある場合には、知的能力を探る方法が確立されていないことがわかりました。もしこのような検証を行うとすれば、流奈くんにかなりの物理的な苦痛を強いることになり、適当ではないと考えました。
以上のことから、信憑性を否定する事実はないと判断しました。また番組は、脳障害児の能力を科学的に検証することを意図したものではなく、流奈くんが発する感性豊かなメッセージを伝えることを意図したものであることから、流奈くんと家族のそのままの姿を放送することにしました。
しかし番組をごらんになって、納得できないという印象を持たれた方がいらっしゃったことも事実であり、説明が必ずしも十分でなかったことは認めざるを得ません。みなさんのご理解を得られるよう今後もいろいろな形でご説明をしていきたいと思います。
尚、再放送を中止したとか、放送記録を抹消したとのご指摘がありましたが、そのような事実はありません。このサイトをご覧いただいている方にはおわかりと思いますが、放送記録を載せるのは放送の翌週以後ですし、再放送も決まり次第その都度案内しております。
2002年5月17日
NHKスペシャル『奇跡の詩人』の再放送をお願いします。
私は、この放送を、ほんの少ししか、見ていません。
実は、ちょっとだけ見て、暗い感じがしたので、チャンネルを変えてしまったのです。
おかあさんが、流奈さんを抱いているのは、はっきり見ましたが、それは、これから、文字盤を指そうとしているところだったのだろうと思います。
『奇跡の詩人』を全部見た人で、これまで、家族ぐるみで日木流奈さんのファンだったという人は、今回の放送に、腑に落ちないものを感じたと言っています。
執筆や講演がクローズアップされ、流奈さんの妹のソマちゃんはまだ赤ちゃんなのに、おかあさんにかまってもらえず、かわいそうで、逆に、流奈さんとその家族が一生懸命生きて、ボランティアさんたちと時に辛く、時に楽しくやっている姿が充分に伝わっていないという意味のことを述べています。
(http://tcup7022.tripod.co.jp/saihikarunogo/bbs)
一方、「週刊新潮」5月16日号の記事で、先日発売された、『ひとが否定されないルール』(日木流奈著、講談社、2002年)からの引用が紹介されています。
それには、自分は混沌の中にいたが、コミュニケーションの手段を手に入れたおかげで、混沌から脱出できた、という意味のことが書いてあります。
それは、流奈さんが、文字盤を使って、人と意思の疎通ができるようになった、ということを、本人になりかわって、おとなが表現したら、ちょうどそういう文章になるだろう、と思います。
流奈さんは、情緒も知性もあるけれども、それは、一人のこどもとして備えているもので、おとなのような知識があるわけではないでしょう。
流奈さんと親しい人は、流奈さんの心の美しさやけなげさ、流奈さんなりの発達・成長をみて、すばらしいこどもだ、と感じているのだろうと思います。
そういうすばらしさを表現するときに、この子は天才だ、というのは、障害のあるなしにかかわらず、親が、こどもへの愛情にあふれて、口にする言葉ではないでしょうか。
ただ、流奈さんは、障害が重くて、学校とか、仕事とか、といった、社会参加の道が、ほとんど閉ざされている。
これでは、この子のほんとうのすばらしさが、わかってもらえず、一生、親が介助するだけで、終わってしまう。
ほんとうは、すばらしいこどもなのに。
ということを伝えようとしているうちに、
天才だ、というのが、おとなのような知識があり、知性がある、という意味になってしまった。
おかあさんが、そう思い込んでしまった。
そういうことではないでしょうか。
その後、5月11日の土曜スタジオパークで、『奇跡の詩人』の一部分が放送されるのを見ましたが、おかあさんが、流奈さんを抱いて、文字盤をさわらせるところは見ましたが、流奈さん自身が、詩を作っているのかどうかは、わかりませんでした。 この映像では、日木流奈さんのおかあさんの、日木千史さんが詩を作っているようにも見えます。
NHKふれあい広場の「4月28日放送『奇跡の詩人』について」では、次のように述べられています。
> 専門家の意見も聞きましたが、重度の運動障害がある場合には、知的能力を探る方法が確立されていないことがわかりました。もしこのような検証を行うとすれば、流奈くんにかなりの物理的な苦痛を強いることになり、適当ではないと考えました。
これは、流奈さんの能力を科学的に証明することは、できないということだと思います。
また、流奈さんが実施されている訓練方法について、小児科医の杉本健郎先生が、ホームページで、
> かってアメリカ小児科学会がドーマン法について効果のない訓練法として正式に意見した
と述べられています。
(http://web.kamogawa.ne.jp/%7Esugimoto/topi/sinfuteiki.htm)
杉本健郎先生は、医療的ケアの必要なこどもを、養護学校で受け入れるために、また、卒業後、施設に通えるようにするために、学校の先生方や親御さんたちとともに、努力を重ねていらっしゃいます。
流奈さんの存在が、そういう人々へも、応援歌となるような、そんな番組だったらよかったのに、と思います。
それで、今度、『奇跡の詩人』を再放送するに当っては、さらに放送時間を延長して、次の点を、補足していただきたいと思います。
(1) 流奈さんの能力を科学的に証明することはできない。
(2) 流奈さんの詩を流奈さん本人が作ったと証明することはできない。
(3) 流奈さんの詩を流奈さんのおかあさんが作ったとみなすこともできる。
(4) 流奈さんの詩に感動している人々がおおぜいいる。
(5) 流奈さんの詩人としての能力を信じ、流奈さんの訓練に協力し、流奈さんをささえている人々がいる。
(6) 流奈さんが実施している、訓練方法は、賛否両論であり、医学会には、否定しているところがある。
(7) 流奈さんと同じような重度の障害を持っている人々にとっては、学校・仕事など、社会参加の道は、ずいぶんと狭い。
(8) 介護や療育などで、家族に過重な負担がかかっていることが多い。
(9) このような障害者やその家族を、もっと社会が援護する必要がある。
(10) 『ひとが否定されないルール』(日木流奈著、講談社、2002年)では、NHKスペシャル『奇跡の詩人』で放送されたことが宣伝文句に使われている。
しかし、流奈さんの能力が科学的に証明されない以上、「奇跡の詩人」という表現は、流奈さんの実施している訓練方法に対する誇大宣伝になり、公共の利益に反する。
この点を、謝罪するとともに、講談社にも、訂正謝罪広告をお願いする。
小児科医の杉本健郎さんのホームページより
http://web.kamogawa.ne.jp/%7Esugimoto/topi/sinfuteiki.htm
5月11日 「奇蹟の詩人」・日木琉奈君についての NHKspecial
なんとも寂しい、そして悲しい番組でした。内容が寂しいのではなく、あまりにも思いこみの強い一方向的な組立の番組だったからです。思いこみの強さは、母親であり、番組担当者です。でも母親が息子にいろいろな想いを持つのは否定しませんが、その親の姿を見て、寂しさだけでなく悲しさを感じたのです。子どもの人権を守る立場からみても問題がある親の姿勢と思いました。さらに「日本国営放送」が専門性を抜きにして、障害に対する「思いこみ」だけで作り、ゴールデンタイムに放映したことは、大きな問題と思います。
書きたいことはたくさんあります。
まずはポイントをまとめます。
1) 母親が障害を持つ我が子に強い想いをもっている。母親自身が詩人では。
2) ドーマン法の効果のなさについてはすでに結論がでている。
3) 脳障害の原因は残念ながら重い。脳のCTは胎生期の脳形成障害では。
両側の脳室の形や前頭葉の脳回(しわ)が萎縮ではなく、不規則な形成障害とボクは判断しました。
4) 発達心理学や小児神経学の科学性を全く否定している。その否定に説得性は全くない。認識力は画面で見る限り、果たして1歳半を越えているか。幼児期の前半であることは確かと思いました。難しい概念の言葉がどうして使えるのか?
5) NHKは国営にちかい放送局。鑑賞した視聴者への影響をどう考えたか。
とにかくオープニングの画面から、母親の紙を持つ右手が起用に動き回り、他の人が(琉奈君も含めて)文字を読みとれる状況ではありません。即ち母親の意志で右手が動き、左手で我が子の手をもち、左右の動きが連動しています。これは母親の大脳の指示で統一されていないとできないことです。
琉奈君の目線が時々離れ、しかも彼の眼球運動は放映画面だけからでも両内斜視とともに追視が途切れるような障害をもっていることがわかります。動く紙の文字を読みとる以前の問題です。
母親が語る言葉で感動を呼ぶ内容に構成されています。でも何故か母親の表情には楽しそうで我が子を愛しているような優しさを感じ取れません。障害受容ができていないように思います。
琉奈君の表情が彼らしい表情になるときは、妹を見たときの目と、風呂に入って気持ちよくなったときの表情でした。
話は少しそれますが、琉奈君の妹の今後のこころの成長に不安を感じた専門家も多いのではないかと思いました。
この物語をNHKのナレータのいうように事実と出来事として位置づけ、タイトルのように「奇蹟」として認知するなら、医学とは、科学とは、そしてボクが学んできた専門性は一体何なんだ??と叫ぶ内容だということをこの番組の制作者はわかって放映したのでしょうか?
それ以上に全国の障害児をもつ多くの母親がドーマン法に向かわないと「障害児の母でなし」という「常識」ができあがらないことを祈ります。
番組が放映された直後から、二桁近い小児神経のドクターから、かってアメリカ小児科学会がドーマン法について効果のない訓練法として正式に意見したように、直接の会話やメイルで異口同音に「この番組は専門学会として抗議すべきではないか」という意見が寄せられました。
知る限りでは、週刊文春や朝日新聞でも批判的な論調がありますが、障害児者本人や保護者と日常的に接している人間として、この番組は看過出来ない影響があると思いました。親の生き方にとやかく言うつもりはありません。信仰の自由も保障されています。今回はNHKが全面肯定で放映したことが問題なのです。
もう一つ、障害をもつ子どもの人権を守る立場からみてもあのやり方は問題があります。欧米では、1980年代の「不快な容赦しない訓練法」を子どもに押しつけることは過去のものになっています。
掲示板より
http://web.kamogawa.ne.jp/~sugimoto/bbs/index.htm
229 反響にびっくり・奇跡の詩人
2002/5/13(月)22:17 - スギケン
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ものすごい反響ですね。
いつものように気軽に書き込んだ不定期日記があちこちで読まれていると思うと、すごい責任を感じます。
何故書き込みが遅れたか?ですが、正直申し上げて、4月28日のテレビ評を見て、「これは
見てはならない」と確信していました。もし見たらNHKへ抗議に出向かねばならなくなると。
そして、たぶん思った通りの内容だったようで、いろいろな人から感想を求められました。
「そんなに腹たてないで・・・ボクは見てないので・・・」で涼しい顔ですましていました。
ところが、ボクの性格を知り抜いた小児神経医師の仲間から、ビデオを押しつけられました。
「NHKのこんな放映は許されるのか?お前も見て見ろ」と。正直言いまして11日土曜日に
ビデオを見ました。そして、黙っておれなくなりました。それが不定期日記の記述になります。
広島の海(かい)君の教育テレビ放映とは根本的に異なります。子どもの権利条約にも
関係しますが、子ども自身の自己決定、意志表現の問題です。日頃障害をもつ子どもたちと
接しているサポーターとして、いかに彼らの意思表示をキャッチするかが課題です。
決して親がそれをアレンジしてはなりません。親の想いと子どもの思いは決して同じではありません。
専門家としてNHKへ是非抗議してくれというメイルを頂いています。NHKには怒りにちかいもの
を感じますが、日木君自身の想いや家族の必死さを考えると、これまで接してきたドーマン法に
夢をかけ渡米した何組かの家族が重なって複雑な気持ちになっています。
28 re(1):ドーマン法
2002/5/14(火)13:27 - スギケン
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日頃たくさんの重い障害をもつ子どもたちや成人のサポートをしています。
ご本人もそして保護者もいろいろな方がおられます。ボク自身の思想信条は曖昧ではないつもりですが、
専門医の立場として割り切って発言していいものか(してしまいました)。日本的感情に
あいませんね。でも北米ははっきりしています。ボバースがほとんどです。ドーマンはほんのほんの一部です。北欧は
ボバースとごく一部ペテー方式でしょうか。あとは感覚刺激訓練が主流です。
効果の程は、本人やサポーターの想いがあるでしょう。ボクに全くないと言う権利はありません。
しかし、ドーマンセオリーはボクの知識としては理屈に無理がありすぎます。
スタッフの数、お金、訓練の理屈など総合してもこれでないと駄目という理由はみつかりません。
そしてこれまで何人か保護者から頼まれて医者としてサインしてきました。「やってみたい」と懇願されては、
そして日本の医者のサインがいる(今もそうですか?)ので、自分の医者としての意見を申し上げて、
その上でサインしてきました。
ボバース法でも同じ以上の効果は期待できると思いますが、全く無駄という意味ではないのです。
あれだけの人が手足を動かすのですから、無意味とはいいません。しかし、歩いたり、話したりすることが
このドーマン法を貫徹することの延長線に必ずあると信じることは、まさに信仰の域にはいる場合が
多いと思います。いくら訓練をしても、どの訓練法でも、「立てよ歩めよ」が不可能な場合はたくさんあるのですから。
そのときに、尚信じて訓練を続けるか、それとも・・・どう生きていくか。障害とともに如何に
快適な人生を過ごすか・・・障害観も絡んできます。
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NHKスペシャル「奇跡の詩人」関連リンク集
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