(1)千田顕史の「なぜ日本の脳性麻痺医療はおくれてしまったのか」
(2)朱鷺書房の「教育現場における障害理解マニュアル」
(3)古井透の「リハビリテーションの誤算」
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(1)千田顕史の「なぜ日本の脳性麻痺医療はおくれてしまったのか」
千田顕史氏は、創風社という出版社の編集長で、「とねっこ保育園」という、障害のあるこどもも障害のないこどもも一緒に育てる保育園の設立にも、協力しています。その意見や活動の一端は、次のサイトで読むことができます。
脳性麻痺の整形外科手術の問題点はどこにあるか
02年9月18日 千田顕史
http://www.mmjp.or.jp/soufushiya/020918cprepo3.html
とねっこ保育園
http://hb3.seikyou.ne.jp/home/t-matsu2/jap13.html
千田さんと保育園の仲間
http://hb3.seikyou.ne.jp/home/t-matsu2/jap13.html
とねっこ保育園のこども、1
http://hb3.seikyou.ne.jp/home/t-matsu2/jap22.html
とねっこ保育園の仲間達、2
http://hb3.seikyou.ne.jp/home/t-matsu2/jap25.html
とねっこ保育園の仲間達、3
http://hb3.seikyou.ne.jp/home/t-matsu2/jap26.html
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A 脳性麻痺は早期発見、早期訓練で治す。(ボイタ法やドーマン法) B 脳性麻痺は訓練で治る部分と残る部分がある。(全部は治らない) C 脳性麻痺の原因の中心の痙縮は訓練では治らない。痙縮を脳外科的、整形外科的医療でとって、リハビリは筋肉を育て、身体の動きをよくするため(堀智勝先生や、松尾隆先生) A,B,Cの考え方が今でも社会全体にあり、AとBが現場では圧倒的多数です(90%以上か)。医学会はAを否定し、Bを中心にして、Cに移りつつある感じです。 医療を進歩させるには研究者だけではできません。我々は20年間の経験から、松尾先生、堀先生に協力してもらいながら、Cの立場を深め、広めることをしながら、子どもたちを育ててきました。Bの立場はAに近い人と、Cに近い人に分解していますが、結局Bの人たちは、Aの立場を合理化し、Cの前進を妨げる役割も半分担っているように見えます。二次障害を考えますと子どもの生命と家族の生命(家族は介護の負担で60才をこえられない人も多い)、人生をより豊かに生きることを考えてCの内容がより前進(特にリハビリ面で)できるよう、これからもやっていく必要があるようです。日本中がAとBからなぜ脱することができないかというのは、「脳性麻痺を訓練で治す」という考えのもとに装具や訓練に関する保険医療費が計上されていて、その評価にかかわる問題をふくんでいるからとも考えられます。保険医療費は障害の軽減のより科学的進歩の方向に使われるべきではないでしょうか。アメリカ、フランスより、約10年おくれで新しい時代になったようです。 |
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※ここまで脳性麻痺の医療が前進しているのに、4月下旬のNHKスペシャルの日木流奈君の番組を見てびっくりした。NHKと講談社が大宣伝している流奈君の療育はドーマン法(脳性麻痺の訓練法の1つ)で行われれおり、流奈君はドーマン法の広告塔ともいえる存在に見える。
1968年にアメリカとカナダの8つの医学会は学会声明を出して(上田敏『リハビリテーションを考える』263頁)、ドーマン法を公式に否定した。私はそのことを約20年前に上田先生の本で知った。 ここまで医学が進んだのに、こんな番組がつくられ、本がベストセラーになるとは信じられない状況である。いかにマスコミに働くジャーナリストが勉強していないかを知った。私はすぐ、NHKと番組紹介をした朝日新聞に抗議の連絡をした。「マスコミは医学の今の研究状況の平均ぐらいは常におさえて報道してほしい」と。残念ながら報道を修正する気配はまったくない。
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| ドーマン法は古い生理学的理論(1940年代前後)を恣意的につなぎ合わせたもので、科学的には到底納得できない「理論」のうえに立っており、発祥地のアメリカにおいてさえ、1968年に、異例なことに8学会(アメリカとカナダのリハビリテーション医学会、脳性麻痺学会、精神薄弱学会、等々)の共同声明で公式に「なんらの根拠もなく、完全治癒が可能であるとうたっており、かつ有効と証明されてもいない技法を極端に厳しく親たちに要求している」という理由で批難されているのも根拠のないことではないと思われる(注10)。このような公式の批難はその他の説にはいっさい行われたことはなく、まことに異例であるが、ドーマン法にはそれだけ問題があるということであり、筆者は脳性麻痺の運動療法の統合理論にドーマン法が寄与する点はほとんどないと考える(あるとすればひじょうに長時間訓練を行うというだけで、一部の体力の十分ある患者には、その点は学んでもよいかもしれない)。 (263ページ)
(10) Official Statement: The Doman-Delacato treatment of neurologically handicapped children, Arch. Phys. Med. Rehabil. 49, 183-176, 1968. |
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さて、前の項で早期訓練の必要性、重要性についてお話ししました。お父さ
ん、お母さんのやさしい手と心による発達促進の取り込みが何より大事だとの考
えをのべました。ところで、次の関心は、がんがん泣かせてでもきつい訓練をさ
せてていいのか、という事になります。
機能訓練に第一に求められる点は、訓練は徹底して愛護的にこどもを泣かさ ずに楽しくおこなわれるものであるという点です。私が最初に訓練というものを 拝見したのは、ある九州の肢体不自由児施設でした。ドーマン法という訓練法と いう事でしたが、三人あるいは五人一組になったお母さん方がお子さんをあおむ けにし、頭と手と足をもって1、2、3、4と交互に顔を右にむかせたり、左に むかせたりし、そのたびに両手と両足を曲げたり、のばしたり、内にねじったり 外にねじったりして、数分間、体を動かすんです。本人の意志は全く無関係でこ どもはぎゃあぎゃあ泣いておりました。すごく効果がありそうだなと感心して見 ておりましたが、お母さん方も何かしてやったという満足感をもっておられるよ うでした。しかし、この治療は効果があったのかどうかは別にして、こどもにと っては地獄のドーマン法だったろうなと今になって思い返します。 また、そのほかの訓練法で首をむりやりねじ曲げるものがあり、首の骨がず れて頚から下が完全麻痺になり、最終的に脊椎手術などの甲斐もなくなっていっ たこどもさんもいます。このように早期訓練が導入された時期は療法士と機能の 改善をのぞむお母さんがあまりに一気になおそうと一生懸命になりすぎ、こども が泣く事によって動きが出るのではないかと期待し、わんわんなかせながらの訓 練が訓練室を中心にくりひろげられ、「訓練室残酷物語」を形づくっていたと思 われます。 しかし、科学的に考えますと、泣く事によっておこる動きはつっぱった動き であり、どんなにいい方向に動かそうとしても、やわらかいゆっくりした体を持 ち上げるようないい動きにはならないんです。よく考えると体を動き上げる大事 な動きはゆったりした快適な環境のなかで育てられるんですね。また私達はマヒ のないこどもには、こんな泣かせるようなトレーニングをするのでなく、少し手 助けしながら、おだやかに、ほめながら自主的な動きがでるよう、育てるんです ね。 こどもが大きくなり、訓練をやめてしまったお母さんにその理由を伺います と「こどもが大きくなり、もう抑えつける事が出来なくなり、訓練を拒絶するよ うになった」といわれます。これでは楽しい訓練とはほど遠い所になってしまい ます。やはり、本人ぬきでなく、本人の意志を大事にした訓練で訓練の実をあげ たいものです。この愛護的訓練の方向性については私は「脳性麻痺と機能訓練」 という本の中にくわしくのべており、多くの方々に読んでいただいています。 実際には訓練を担当される方々それぞれに実施の段階では大きな苦労もおありか と思いますが、現在、療育界とそれをとりまく皆さんが、より障害児・者を大事 にしょうという気運にあります。お母さん方も賢しなり、よく勉強を始めてきて います、訓練もより愛護的に適切な時期と場所で、より豊かに行われる事を期待 するものです。 |
(2)朱鷺書房の「教育現場における障害理解マニュアル」
朱鷺書房の「教育現場における障害理解マニュアル 障害とともにまなぶ」という本が、2002年12月に発行されています。
この本のなかに、ドーマン法に関する記述があることが、2ちゃんねるのNHK板で紹介されていました。
ドーマン法は特に脳性麻痺に限らず効果をうたっていること、
前スレで、なぜ専門家が沈黙しているのか!?という話題が出ましたが
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3b6414ed735de0104e81?aid=p-morioka00730&bibid=02260144&volno=0000
著者:小野次朗、榊原洋一共編 / 本体価格: \2,300 / 出版:朱鷺書房 / ISBN:4-88602-627-3 / 発行年月:2002.12
http://tv.2ch.net/nhk/kako/1042/10426/1042693862.html
「教育現場における障害理解マニュアル-障害とともに学ぶ」という本が
平積みになってました。教員向けの内容で朱鷺書房のものです。
脳性麻痺についての章にドーマン法について囲みコラムが設けてあり
(提唱者の名前をブレン・ドーマンと誤記しているのはご愛嬌ですが)
読者への注意を喚起しています。
奥付を見たら2002年12月初版であったことから、このコラムは
「奇跡の詩人」を意識してのものであるように感じました。
(本文の方ではボイタ法への苦言、ボバース法が見直されていること、
包括的な療育が大事だとの見解が示されていました。)
決してそのようなことはないように思われました。自分は障害児教育に
普段まったく縁がない生活なので他の例をあげられなくてすみません。
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早期発見・早期治療が導入された時代は同時に神経生理学的訓練法(ファシリテーションテクニック)が輸入された時期でもあり、当時、「脳性麻痺児を健常児にできる」とセンセーショナルに世間が騒いだのは事実である。長年脳性麻痺とかかわった経験から、北原はまた「脳性麻痺の神経症状・徴候や運動障害を正常化すること、正常児に追いつくこと、を目的としたリハビリテーション的介入は、一次障害の治癒を目指したものである。その意味ではこれまで目的の達成はなされなかった」、「脳性麻痺が治ることはない」とはっきり言っている。当時は早期発見、早期治療のファシリテーションテクニックのひとつであるボイタ法を日本に導入するのに熱心だった児玉和夫も、一九八七年の論文で超早期診断と訓練の結果について「脳性麻痺はなくなっていないし、よくなったように見えた大部分のケースは本来脳性麻痺にならなかったはずのグループに過ぎない」と言っている。 (p.137-138) |
「ファシリテーテッドコミュニケーション」とよく似た「ファシリテーションテクニック」という言葉が出てきたり、まるでドーマン法のことを読んでいるようですが、これは、かつて、ドーマン法みたいなことを言ってた訓練法が脳性麻痺医療の主流になったけど、今はドーマン法だけが相変わらず昔とおんなじことを言っている、というだけでなく、かつて「脳性麻痺児を健常児にできる」という言葉を人々が歓迎し必要とした状況が、結局は今もたいして変わっていない、ということではないでしょうか。
「リハビリテーションの誤算」と同じテーマの研究報告が、「リハビリ再考『がんばり』への呪縛とそのOUTCOME」(古井透)です。ここには、脳性麻痺の当事者の発言も載っています。立岩真也さんのarsvi.com「脳性マヒ(Cerebral Palsy)」からリンクされています。
立岩真也氏は、ドーマン法の問題をとりあげるにしても、ドーマン法だけでなく、脳性麻痺医療業界全体が「脳性麻痺児を健常児にできる」という理想に燃えて施した訓練法・治療法の失敗の歴史をふりかえり、まとめる必要がある、と考えているようです。
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2)なおすこと、なおることについて。
例えば反原発運動と障害者運動との間に摩擦、齟齬が生じことがあったのだが、それはなんだったのか。 |
立岩真也氏は「障害学」を提唱し、障害学会を立ち上げています。
http://www.arsvi.com/0ds/ds.htm
ところで、「障害学」には、実は二通りある、と説明しているウェブページがあります。立岩真也氏とともに障害学を立ち上げた倉本智明氏の「障害学カフェ」によると、『リハビリテーションを考える 障害者の全人間的復権』の著者上田敏氏に代表される障害学と、立岩真也氏に代表される障害学とは、まったく方向が異なるようです。
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ひとつは、リハビリテーション医学や障害児教育学の延長線上に提唱された学問としての障害学です。たとえば、上田敏さんは、「疾患」の研究ではない「障害」そのものの研究は医学においてもきわめて新しいものであり、リハビリテーション医学ではそれを「障害学」と呼んでいる」と記しています(上田敏『リハビリテーションを考える』青木書店,1983年)。 (中略) もうひとつは、(中略)、「障害を分析の切り口として確立する学問、思想、知の運動である。それは従来の医療、社会福祉の視点から障害、障害者をとらえるものではない。個人のインペアメント(損傷)の治療を至上命題とする医療、「障害者すなわち障害者福祉の対象」という枠組みからの脱却を目指す試みである。 (中略) 前者が、障害者を差別し抑圧する社会のしくみを根本から問いなおすというよりは、医療や教育・福祉の拡充・刷新を通じて、主流社会への障害者の受け入れを促進しようとするのに対し、後者では、医療や教育・福祉の大本にある人間観や社会観をも含め、障害者への差別や抑圧を生み出す社会のしくみそのものの問い返しこそがめざされます。 |
つまり、障害者本人の障害に照準をあてて、リハビリテーションで身体的な障害の程度を軽くしたり整形外科や脳外科で治療したり、学校や病院など障害者をとりまく生活環境を整えて社会的な障害の程度を軽くしようとするものと、社会のほうに照準をあてて、障害者への視線や姿勢や政策や仕組みなどを問い返していくものと、ふたとおりある。
あるいは、「上田、千田、南尾」障害学では、良い訓練、良い治療と、悪い訓練、悪い治療とがあり、医療行政が判断を誤って進められたり医療従事者が既得権を擁護しようとしたりするので、悪貨が良貨を駆逐する不幸な事態が長引く、と考えている。
一方、「立岩、古井、倉本」障害学では、良い訓練、良い治療と、悪い訓練、悪い治療とを比べたら、それは良い訓練、良い治療のほうがいいが、悪い訓練、悪い治療が広く受け容れられてしまうのは、そもそも、良い訓練も悪い訓練も良い治療も悪い治療も含めて、障害者を「医学」「看護」「リハビリテーション」の対象として(だけ)とらえがちだからであり、その根本には、「内なる優生思想」をすべての人が抱えている現実がある、それを掘り下げていこう、と考えている。
だから、たとえば、ドーマン法が効果が無く苦痛が多いという問題点の認識については、二つの「障害学」は一致しているが、さらになぜそれが人々に必要とされたり、賞賛されたりするのか、という点について、前者は、医療行政の非科学性やマスコミの認識不足を追及しますが、後者は、さらにそのような医療行政やマスコミを成り立たせてしまうものまで、広く深く掘り下げることになるのだと思います。
*参照*
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