

解放戦争記念碑前で敬礼(1972年)
アルバニア労働党第一書記エンベル・ホッジャ
「アルバニアと中国の偉大な友情は純粋で、力強い永遠の友情である。なぜならば、それはマルクス・レーニン主義の生命力のある教えとプロレタリア国際主義の原則に基づくものだからである。この友情は自由と社会主義と平和を目指すわれわれの行動の闘争のなかで、帝国主義、現代修正主義に対する闘争のなかで生まれ、きたえられてきた」
毛主席語録
「弱国は強国をうち負かすことができ、小国は大国をうち負かすことができる。小国の人民が敢然と闘争に立ち上がり、敢然と武器を手に取り、自分の国の運命をにぎりさえすれば、かならず大国の侵略にうち勝つことができる」

アルバニア人民共和国国徽
2002年8月19日開設
アルバニアメダル・バッヂ
偉大なる革命家、エンベル・ホッジャ同志写真集
中国紅衛兵代表団、アルバニア訪問(1967年7月)
アルバニア革命画集
アルバニア写真集
1967年11月「地図戦報」・・・欧州偉大的社会主義明灯
アルバニア語版・毛主席語録
アルバニア人民共和国簡史(「アルバニア現代史」より抜粋、一部修正)
| 1946年1月 1959年5月 1961年2月 1961年4月 1961年5月 1961年10月 1961年11月 1961年12月 1962年12月 1968年9月 1968年12月 1970年7月 1973年3月 1974年10月 1975年11月 1976年12月 1977年7月 1978年7月 1981年3月 1985年4月 |
アルバニア人民共和国を宣言。共産党政権成立。 ソ連と共同声明発表 中国から経済援助を得る協定に署名 ソ連、アルバニアに対する経済援助停止声明 親ソ分子を処刑 ソ連共産党、アルバニア批判 アルバニア労働党、フルシチョフ首相を修正主義者と批判。 ソ連との外交関係断絶を発表。ハンガリー、アルバニアとの外交関係断絶。中国・アルバニア教導海運会社設立協定署名。 コメコンとの関係断絶。 ワルシャワ条約機構を脱退。 中国との防衛条約を締結、中国軍の駐留を認める。 アルバニアで総選挙 ホッジャ第1書記が党政治局にブルジョア文化排除と思想純潔強化を要求。 北京・ティラナ直行航空線開設。 ソ連、両国の関係正常化を呼びかけ。 新憲法可決。国名を「アルバニア人民共和国」から「アルバニア人民社会主義共和国」に変更。 アルバニア労働党機関誌「ズリ・イ・ポプリット(人民の声)」、中国の対米接近を避難。 アルバニアで働いていた中国人専門家・技術者、全員帰国。中国と断絶。 日本と外交関係を樹立。 ホッジャ第1書記が死去。ラミズ・アリーア人民議会幹部会議長を後任に選出。 |
・・・とまあ、上記の年表をざっと見ただけでもわかると思うが、実に大変な現代史を生き抜いてきた国である。
長年トルコの支配下にあったためイスラムの影響が強かった小国が、戦後ナチスドイツ、ファシストイタリアの支配下を脱し、共産主義国家を樹立。しかし、ソ連と対立し、コメコンにもワルシャワ条約機構にも参加せず、ともにソ連と対立関係にあった中国に接近する。文革期に世界から孤立していた中国もアルバニアと手を結ぶ。
が、中国のアメリカ接近を期に、アルバニアは中国を批判するに至る。
こうしてアルバニアはほとんど完全に世界から孤立し、鎖国状態になっていく。だが、思えば、大国の都合に翻弄され続けた歴史とも言える。
変わったのはアルバニアではなく、それをとりまく大国の方であろう。
参考文献:
「USHTRIA POPULLORE NE ARTET FIGURATIVE」(1969)
「PER POPLLIN, ME POPLLIN」(1973)
「中阿友誼万古長青 TE PROJE MIQESIA KONI-SHQIPTARE」(1969, TIRANE)
「エンベル・ホッジャ アルバニア労働党第7回大会における報告」(1977、人民の星社)
「E・ホッジャ 修正主義と闘うアルバニア労働党」(1978,人民の星社)
「アルバニア労働党史(上・下)」(1974、東方書店)
「NHK特集 現代の鎖国アルバニア」(昭和62年、日本放送協会)
「アルバニア現代史」(1991,中津孝司、晃洋書房)
「地図戦報」(1967,工代会地図出版社革命委員会、地図戦報編集組)
その他
注:このサイトは無断リンクお断りです。画像の無断転用も無用に願います。