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Nap of the Earth with Back Side Condition!

各務原航空宇宙博物館から飛行機を想う!
当HP主催初のオフ会「各務原の集い」のレポートです(^_-)

第11話 YS−11つづきの話
FAA型式証明取得への死闘


問題点続出
 YS−11の初飛行は成功したものの、事実はかろうじて離陸して1時間の飛行をこなし、やっとの思いで着陸できたというものであったでしょう。テストパイロットはプレス向きにはリップサービスを施しましたが、内向けの技術者へのブリーフィングでは

@ひどいものだ。ラダーペダル(方向舵)がスカスカで、まっすぐ飛ぶのがやっとである。あれでは命を落としかねない。
A離陸滑走は異常ないが、エレベータ(昇降舵)の効きがきわめて悪く、またダッチロールが強く、ラダーで修正しようとするとだんだんひどくなる。(ダッチロールを加振するつもりで)逆舵を使うような感じの操作で辛くも上昇を続けた。

と述べたことは第10話で紹介した。

 振動も相当ひどく主翼や胴体そしてエンジンナセル(エンジンのまわりを囲い空力的な形状を整えたもの)などに沿って、うまく空気が流れない境界層剥離の現象も疑われました。
 肝心の操縦性と安定性に関しても上のパイロットのブリーフィングのとおりであり、方向舵はパイロットの意志に関係なく流れてゆきかつ重く、横の安定性も不良で、補助翼の操作に必要な操舵力も規定値を超過し、昇降舵も着陸引き起こし操舵に対する機体追随性が悪く、着陸形態での縦の安定性が悪く、失速に近づけたときの昇降舵の操舵力が不安定になる等々と、開発の担当者たちは暗く重い未来がのしかかってくるのでした。

 第10話ではダッチロールが問題であるのに、どうして上反角を増加させるような大改造が必要であったのか、因果関係に逆行する処置が疑問であったのですが、問題はそんな単純なものではなかったのです。

 一般的に云うとダッチロール不安定は、前回に説明したように全体のバランスより上反角が過大であるような場合に生じます。しかし初飛行をなしたYS−11は横(ロール)方向の安定も不足しており、かつダッチロール特性も不安定であると云うのです。

 YS−11の初飛行から半年後の昭和38年3月27日に米国FAAが来日したおり、そのテスト・パイロットが非公式にこの航空機を飛行させました。初飛行から数えて39回目の飛行でした。

 FAAのパイロットは
@着陸のための昇降舵の効き不足
Aラダー(方向舵)、エルロン(補助翼)の操舵力が重い
B横安定の不足

等々の問題点を列挙し、このままではFAAの規定に到達せず型式証明はとれない、改善が必要であるとの勧告がなされました。

 日本側が認識していた問題点と違うところはありませんが、この勧告によって日本側は深刻な現状を自覚し、小手先の改修による解決をあきらめ、本格的な対処を行うきっかけとなったのでした。

境界層剥離問題
剥離した空気が胴体や尾翼などを叩き不快な振動を発生させたり舵の効きに影響を与えた問題への対策

a b
 上の写真は内藤子生(やすお)先生の「飛行力学の実際」(日本航空整備協会)からのコピーです。申し訳ありません^^;

 もともと主翼と胴体は不連続面で結合されることになり、空気の流れはスムーズにいきがたい。だからその結合部にはフィレットと呼ばれる成形部材で、不連続面の結合が少しでも緩和されるように配慮がなされている。上の写真cから円みを帯びたフィレットの形状が読みとれる。

 主翼にエンジンが取り付けられると、主翼、胴体そしてエンジンナセルの間の相互干渉は、ますます空気の流れを妨げてしまう。

 上の三つの写真は双発旅客機DC−3風洞模型のエンジンナセル・ストール(境界層剥離)の模様である。

 同書から写真aは、胴体まわりの流れは良好であるが、エンジンナセルの後方へは空気が流れ込んでいないことを示している。
 写真bはaより迎え角を1度増加した状態である。フィレット部で空気の逆流がはじまっている。
 写真cは更に迎え角を1度増加させている。ナセルと胴体間の主翼部位が完全に失速している。

 YS−11の開発にあたってもこのような風洞試験は行われてはいたが、敗戦後の航空禁止のブランクが重くのしかかっていた。風洞試験の手法そのものが暗中模索であり、プロペラからの推力がある状態での空気の流れは、実はよく分かっていなかったのだ。

 1号機の初飛行からほぼ4ヶ月後の昭和37年12月28日に2号機の初飛行が行われた。
 そこで2号機で1号機をチェィスし実際の空気の流れの状況を観察することになった。

 試験機で試験機をチェィスしなければならない現状には哀れを感ぜざるを得ない。
 だいだいこのテストパイロットは元海軍の搭乗員であり、直前まで航空自衛隊のパイロットであった。
 YS−11の飛行試験遂行のため、いわば国家的な見地から選ばれた二人であり、試験を行うにあたりYS−11開発のため設立された特殊会社「日本航空機製造」に出向された。

 だがマスコミと野党が騒ぎ出した。
「自衛隊の制服を着たパイロットが民間機の操縦をするなどもってのほかだ」と。

 二人は制服を脱いだ。

 何が国際貢献だかはしらないが、自衛隊の部隊としての行動を縛りに縛ってのPKOへの派遣や、イージス艦の派遣問題をみていると、何も変わっていないことが理解できる。

 ご同様に、試験機で試験機のチェィスを行わざるを得ない非常識が、常識にならざるを得ない非常識な世界にあがきゆく。
 よくもまぁ、こんなに不安定な飛行機で編隊飛行ができたものだと、否やらせたと畏れ入るのではあるが、ともかくはこの編隊飛行によって1号機に無数に張り付けられた気流絲(実際の空気の流れを確認するための十数センチの糸)は、主翼の後ろ半分の気流の流れは芳しくないこと、特にエンジンナセルの後ろは酷いことが明確になった。

 本格的な対策は胴体とエンジンナセルと主翼の干渉を最小限にするため、フィレットを含めそれぞれの形状や位置を考慮し直さなければならないのだが、そんな時間は残されていない。
 そこでボルテックス・ジェネレータを取り付けることとした。
 
 ボルテックス・ジェネレータは乱流境界層が層流の境界層より剥離しにくい性質を利用したもので、翼の上面などに突起物をつけて気流を攪乱させ、境界層内を強い乱流状態にして気流の剥離を防止するものである。

 この頃の翼は以前にも説明したように、なるべく層流が維持でき抵抗を少なくするように工夫されだしている。それを積極的な抵抗板とも言えるボルテックス・ジェネレータを、補助翼やフラップの前方にあたる主翼表面、方向舵や昇降舵の前方の尾翼表面、そしてエンジンナセルや後部胴体へ、所狭しと張り付けたのであった。

 この対策により振動問題は解決されることになった。

 上の写真は水平尾翼下面の昇降舵直前に取り付けられたボルテックス・ジェネレータである。これは振動問題よりはFAAパイロットも指摘した、「着陸のための昇降舵の効き不足」対策の一つであったと思われる。
 着陸時の昇降舵の上げ舵に対応して、水平尾翼下面の空気は着陸直前の遅い流れにもかかわらず、水平安定板後端から上げ舵の昇降舵に沿って上向きに折れ曲がってくれなければ機首上げ姿勢を維持できない。空気にその活力を与えたのが、ここのボルテックス・ジェネレータだったのだ。

横安定の不足問題
 「あがってみたら、ラダー(方向舵)がひとりでに動いて尻が振れ安定しないので、右のほうへエルロン(補助翼)の操縦輪を5度くらい切って待っていると、ずーっと機体が傾いてしまう。
 それを今度(バンクを)15度くらいで止めようと思うと、反対側に(エルロンを)40度くらい取っていないと抑えられないのです。その間、方向舵はギャーギャーと動く、とにかく二人で一生懸命操作したが、それでもまだ安定しないので、これはもうだめだとなって、無理な飛行はしないで帰ってきたのです」

 上はYS−11初飛行時のパイロット・コメントです。
 現代の飛行試験では初飛行といえども、パイロットはシミュレータで何度も、ほとんどリアル・ワールドと云っていい疑似空間を飛んでいるので、操舵感覚について全く初めてだという気はしないものだ。

 私もある航空機の初飛行の時、あれシミュレータと同じだと強く感じたものだ。
 それが風洞試験の手法も手探り、強度計算も手回し計算機が使われていた時代の開発機のことなのですから、文字どおり初飛行がテスト・パイロットにとって、その航空機の操舵感覚に初めて出会うことになるわけです。

 怖かったと思いますよ。「方向舵がひとりでに動いて尻が安定しない」のは方向舵流れの問題で、これがダッチロールを引き起こしていました。
 上手く離陸できた感動にひたるまもなく、名古屋空港を離陸したYS−11は、右に左に蛇行するダッチロール運動を起こしています。パイロットはこれを止めようと普通の感覚で方向舵を踏めば、ダッチロールを加振してしまったと云っています。このため機体が右に振れたとき右足を踏み、左に振れたとき左足を踏んで対処したそうです。普通ならパイロットが原因の加振運動を励起してしまい(PIOと云います)、墜落さえあり得る非常に危険なことになっていたでしょう。熟練のパイロットのとっさの処置です。

 前回説明した、ダッチロール特性とスパイラル特性の、せめぎ合いと、落ち着かせどころ(チューニング)の必要性を理解していただけると思います。がこの問題は後回しにして横安定の不足問題をみてみましょう。

 離陸上昇して高度を獲得したYS−11は旋回して名古屋湾に向かう必要があります。
 右旋回の開始です。

 普通パイロットは操縦装置から操舵入力することに特別意識を払うことはありません。人間の自然な感覚と操縦の感覚が合っているからです。

 耐空性審査要領やミルスペックなどの規定には大変難しいことが書いてありますが、操縦性に関してはそれを自然な人間の感覚に合わせなさいと、数値や数式などで表現しているだけなんです。もっともその両者を合わせるため現場は大変な努力を強いられることにはなるのですが。

 右旋回の開始です。パイロットは操縦輪を右に5度操作して待っていました。そうすると機体は右に傾いてゆきます。バンクが深くなるのを止めようと操舵輪をもどすのですが、バンク傾斜の深まりは止まりません。

 怖いですよと書いたのはダッチロールもそうですが、それにもまして、こっちも怖かったと思います。

 バンクが右に切り込んでゆくのを、例えば右バンク15度で安定させるためには、操縦輪を左側に40度も操作していなければならなかったと云うのです。操舵輪の操作限界の半分近くも使わなければ、それも逆方向へ、機体の傾きを抑えられなかったのです。

 パイロットは、なんてことだと、びっくりして逆舵を使ったことでしょう。そしてバンクが止まったときには、とりあえず、とりあえずです、ホッとしたことでしょう。

「その間、方向舵はギャーギャーと動く、とにかく二人で一生懸命操作したが、それでもまだ安定しないので、これはもうだめだとなって、無理な飛行はしないで帰ってきたのです」 プレス向きではない本音のパイロット・コメントが続きます。

 決定的に横安定が不足でした。
 離陸直後の片発動機停止や、着陸復航、横風着陸などと考えるだけで背筋か寒くなります。

 横安定を強くするには、これも前回の説明でお分かりのように、上反角を大きくすればよいことは自明の理です。
 が、商用の航空機であってもその開発は時間との戦いです。
 YS−11の開発が遅れると云うことは、他の国で開発された別の航空機が市場を奪っていくと云うことなんです。

 さあどうするか。翼端部に団扇のような形状の翼に40度もの角度をもたせるという案が浮上し、その翼端部の制作も行われました。
 ですが、国内の航空輸送会社がそんな不格好なものは勘弁してくれと拒否されます。今ならさしづめウイングレットでしょうね。

 とりあえず試験機については主翼の取り付け部のボルト結合の部分に、クサビ状のシムを追加するという、乱暴な妥協策でしのぎました。
 この案は川崎で開発されたキ5(陸軍の試作戦闘機)の横安定問題での解決策を踏襲したものです。この対策によって上反角は2度増加して6度強という写真の形に落ち着きました。

 また主翼の上反角を2度持ち上げると云うことは、主脚が外側に2度開いてしまうと云うことです。強度計算をしてみるとそのままで問題はないので開いたまま飛ばしたそうです。ただタイヤがダブルタイヤの形式で、左右それぞれ2本平行して取り付けられていますから、内側のタイヤに偏って負担がかかってしまいます。このため内側のタイヤ圧を低圧にし外側を高圧に調整することによって急場をしのいでいます。

3舵問題
 方向舵がかってに流れてしまう
 方向舵補助翼の操舵力が規定値を外れて重い
 着陸形態の縦の静安定が悪く、失速に近づけたとき操舵力不安定
 着陸引き起こし操舵に対する機体追随性が悪い
 YS−11ダッチロールの原因でもあった方向舵の流れ問題は、ボルテックス・ジェネレータの大量の投入で少しは収まりましたが、まだ完全ではありません。さらに方向舵の操舵力が重いのです。

トリム・タブ
 ここでトリム・タブについておさらいしておきます。
 図を見て直感的に昇降舵の方が分かりやすいので、昇降舵のトリム・タブについて説明します。

 図の左部分が水平尾翼の水平安定板です。中央のパーツが昇降舵、そして右の部分が昇降舵の先端に取り付けられているトリムタブです。

 そこで例えば操縦桿を常に引っ張って飛行を続けなければならないような状況を考えます。
 昇降舵をパイロットは上げ舵(PからRを押し続ける状態)で支え続けるのです。これでは疲れてしまいます。トリムがとれていない状態であると云います。

 ここでパイロットが操縦桿を引っ張り続けなくとも、所望の舵の位置が保たれる方法が、パイロット言葉で云う「トリムをとれ」ということになります。
 具体的にこの例ではC−D間にあるアクチュエータの長さを短くします。そうするとB点はA点を押しトリムタブは下方に曲げられます。

 押し下げられたトリム・タブからは上向きの揚力が生じ、昇降舵が上げ舵となる。これでパイロットが操縦桿を引き続けなくとも、飛行機の釣り合いを変更することができました。

 またパイロットが操舵して積極的にP−Rを動かしても、B点は舵の軸に整合されているのでタブの角度はほとんど動きません。

 YS−11のような機体はだいたい写真に示すような各舵の調整輪で、略図のC−D間の長さを調整して行います。補助翼の調整輪は方向舵とリム調整輪のさらに手前に付いています。
 この長さの調整が操縦索ではなく電気モータや油圧アクチュエータで行われる機体では、写真のような調整輪ではなく、操縦桿の頭部にあるビーパなどとよばれる電気スイッチでコントロールすることになります。

 さてこのトリム・タブの原理を積極的に使ってやれば重い舵を軽くできそうな気がします。それがバランス・タブと呼ばれるものです。

バランス・タブ

 図のB点は親翼、この場合水平尾翼の水平安定板に固定されています。

 パイロットが機首上げのため操縦桿を引いたとします。その操作はP−Rを押すことになり、昇降舵を上向きにしようとすることです。

 B点は固定されていますから、昇降舵の上げ舵はB点からA点を押すことになり、タブは下方に曲げられます。このタブの動きは、空力的にパイロットの上げ舵を助ける方向に作用します。
 ここでは昇降舵の例で説明しましたが、方向舵でも補助翼であっても同じことです。

 YS−11ではパイロットの操舵力軽減のため、このバランス・タブが設定されてありました。(勿論トリム・タブもです)
 そしてA点の位置を調整(タブ比の調整)してやれば、なんとかなると考えられていたのです。

 それが意に反し、特に方向舵は劣悪で、初飛行では散々な結果となり、じ後A点の位置を調整しようとしても、小舵に適合させようとすれば大舵で極端に重くなり、大舵に適合させようとすれば小舵が決まらずフラフラしてしまうということになりました。

 これは舵角に対する操舵力の関係が直線的ではなく、舵角の増加とともに2次曲線的に操舵力が大きくなってしまうことに主たる原因があります。
 小型機では何の問題も生じなかった人力による飛行機の操縦も、大型機では大問題となってしまうのです。ですからこの辺の機体が人力操舵機の限界でしょう。

 外国機でも当然大型機では同じ問題が生じますが、すでに大戦中からスプリング・タブによって解決が図られていました。この解決策を日本人が知らなかったのは、敗戦から昭和27年までの、戦勝国による日本の航空禁止処置が壁でもあったでしょう。

スプリング・タブ

 図のアームRは動翼(舵)に固定されている。一方アームQはアームRと同軸ではあるが軸を中心に回転できるよう取り付けられている。

 小さな舵角を取るような場合は操舵力は大きなものではない。そんなときはQ−R間のバネは縮まらず、パイロットの操舵力PはB点からQ点、そして変形しないバネからR点に作用して舵角を直接制御する。

 大きな舵角を取る場合は操舵力が必要であり、パイロットの操舵はQ−R間のバネを縮め、あるいは伸ばすことになる。このバネの変形はタブの角度を変更させ、結果としてタブはパイロット操舵を助ける方向に空力的な力を発生させる。

 バランス・タブで散々苦労していた時期に、若い技術者が見つけた外国の雑誌の簡単な記事からの閃きだった。さらに調べてみると外国の大型機ではみんな採用されていた。

 こんなところにバネを使うのはフラッターを誘発しそうで怖いきがするが、YS−11の技術陣はスプリング・タブの採用に踏み切ったのだった。

 ここにいたり、方向舵の流れ問題と操舵力の問題は解決。補助翼の効きと操舵力の問題はさらに補助翼の断面の翼型と平面形を考慮し解決。着陸引き起こし時の昇降舵の効き不足は先に説明したボルテックス・ジェネレータで、また縦の静安定の不足はダウンス・プリングで解決されていったのです。
 縦静安定とダウン・スプリングの問題は、また長い話になりますので別の機会に。

それからのYS−11
FAA審査

 技術的な検討が種々加えられながらYS−11は飛行試験を重ねていきました。

 双発機では当然片発動機が故障したときの状態も詳しく試験しなければなりません。この片発飛行の問題についても稿を改めて書いていきたいと思います。
 YS−11では片発試験を機体の状態がまだよく分かっていない初期の段階で行いました。
 片発でどこまで低速で飛行できるかという危険なVmcaの試験において、試験機は錐揉みに入っています。よく回復できたものだとおもいます。

 またスプリング・タブを取り付けた最初の飛行ではフラッターも起こしました。

 そんな血のにじむような努力の継続が、敗戦後の国産旅客機を、今も飛び続けている名機を、産み出したのでした。

 昭和39年5月28日、あの敗北の米国FAAによる非公式フライトから1年2ヶ月後、FAAの最終審査である飛行審査が行われることになった。そして日本人操縦士が飛行させようと準備していたとき、FAAの米国人パイロットが機長席に乗り込んで試験をはじめてしまった。

 その米国人にとってYS−11は地上審査をしていた二日間だけの付き合いであったのに、離陸直後本当に片方のエンジンを停止させて離陸を継続させてしまった。
 操舵感覚はおろか機体のことも良くは分かっていないと思われるテスト・パイロットの行動には度肝を抜かれる。と同時に彼らの二日間の審査をとおしてのYS−11への信頼をうかがうことができるものだ。

 そのすべての審査飛行を終了したFAAパイロットは「すべて申し分なくFAAの基準を満足している」と語りかけてきたのであった。
 昭和32年1月の復活折衝において中型輸送機初年度の設計研究費が認められて以来、7年5ヶ月のことである。

米国でのデモ飛行

 FAAの審査から2年後の昭和41年9月、YS−11はサンフランシスコでボーイング社のテスト・パイロットや技術者たちを搭乗させて、デモ飛行を行った。

 デモ飛行ではSTOL性能を堪能させ、あるいは離陸操作中に片発エンジンを停止させ、Vmcaの85ktで完全なトリム・アップを行い手放し飛行を行うなど、YS−11の高い完成度を披露し、高い評価を得た。

 デモ飛行が終了したとき一人の構造関係の技術者がリベットの点検をはじめた。そして点検を終えた米国の技術者は、日本の技術者に対して、最高のワークマンシップであるとの評価を伝えた。

 「安かろう、悪かろう」 とする日本製品評価の「安く、かつ優秀」へのターニングポイントの一断面であった。