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北夷平定にやってきた田道命は、青森の猿賀で無念の戦死をする。その怨念が大蛇となり、産土神として古木の祠に祀られた。今の猿賀神社は文政時代の見事な建築で、天井には何十本もの矢が突き刺さっていた。そんな弓射神事があって4百年もこのままらしい。境内も樅や杉欅に深閑としたままで、モミジが紅葉をはじめたところ。巫女の口寄せは始まるし、池ではご婦人方が賽銭を浮かそうとしている。
祭日は青森中から獅子が集まり、三匹一組で奉納していく習わしがある。獅子には熊獅子という鈍重なものと、鹿獅子という俊敏な種類がある。全身を覆う幕を大袈裟に揺すり、地を這い、笹竹を揺すり、橋に怯える。そこに猿面をしたちょっと浮いた1匹。こいつが間抜けかつ愛らしい。
みんなで安住の地を、遠くに見える岩木山に切り開こうとするのである
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東北にはあらゆる所に戦場跡がある。それは内紛ではなく、朝廷から派遣される討伐軍との交戦を示すものばかり。東和町の北成島にもそんな歴史が残っていた。
延暦時代の頃、坂上田村麻呂が蝦夷の大将・大竹丸とにらみ合いのうちで近くの征矢森にたてこもっていた。あまり強いため朝廷軍は苦戦の状況だったが、紀州熊野に祈ることでついに勝利する。そのためここに三熊野神社を勧請。北天の守護神、毘沙門天も安置し、成島を東北初の枢要地に定めたのである。
そんな神社の土俵で、赤ん坊どうしの泣き相撲を六番ほど見てきた。いつまでも続く七五三の祝盃の後、なんとも愛らしい泣き声が境内にこだまして、それまでの重々しい空気と歴史を全部吹き飛ばしてくれた
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早池峰、六角牛、石上の三山に囲まれ、いくつもの川がめがけてそそぐ、隔絶された盆地の底に民話のふるさと遠野市がある。アイヌ語のトオヌップ(湖の畔の丘)からこの名前がついたとか。
内陸と太平洋を結ぶ中継地として市がたち、東から魚が、西からは穀類がここを去来した。宿場では異種文化どうしの交流があって、豊かな風俗と無数の逸話が落とされた。それを囲炉裏端でおかしく語るようになったのが、あの『遠野物語』となった。
寛永元年、南部氏が建てた遠野郷八幡宮で遠野祭りを見てきた。町中に、民話に出てくるようなカッパが座っていて驚かせる。そして赤い衣装や鉋殻の鬣を馬場の緑にひらめかせ、物語から抜け出てきたように、延々と陽気に行列して視界を流れていった。
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秋田は今年、佐竹家入部4百年ということで活気づいている。開幕の際、常陸から陸奥南部まで及ぶ領地を有した佐竹義宣は、名士と認められながら関ヶ原では豊臣方についたとみなされ出羽に配置替えとなったのだ。実質的左遷である。石高も低く、家臣の多くをリストラし、ほんの一部精鋭だけを連れて北に上るという悲しい引っ越しだった。
その中に、常陸では城の北側に居を構え殿様を護衛していたことで佐竹北家と称されるようになる重臣があり、それが今の角館を割り当てられた。その時に造営された武家屋敷道は今も多くの人の心を癒す名所として残っている。ここで行われる祭りは、町ごとの曳き山を北家に上覧し、ぶつけ合って志気を高めている。
角館は、戊辰戦争においては珍しく征討軍について、同盟軍と交戦した。大村藩少年手鼓兵が銃弾に没したのもこの時期のこと。
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馬産の管理者として糠部郡に配置された南部氏は、ここに9つの広大な牧場を建設する。今の青森南東部から岩手北部にかけて広がる、いわゆる南部地方のこと。九ケ戸四門制といって、三戸や八戸はご存知だろう。あの“戸”を9カ所に作ったのだ。その6つ目となる六戸(ろくのへ)は港を持ち商業的に発展する八戸と異なり、奥入瀬川に沿ってできた広い農地のまん中で、ぽつりと小集落を構えていた。
ここの秋祭りでは、八戸の祭りで作られる飾り屋台を借りてきてそれを巡行させるのが常。同じ“戸”でありながら貧富を分けねばならない命運を思い、夕刻から始まったあまりに幻想的なナニャトゥヤラ盆歌に浸ってみたわけである
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9月の東北祭り |
青森 09/第1金〜日曜 六戸秋まつり
秋田 09/07〜09 角館のお祭り
岩手 09/13〜15 遠野祭り
岩手 09/19 泣き相撲
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9月の関東の祭り |
9月1日 御船祭り・茨城
9月9日 秋留ショウガ祭り・東京
9月13日 上総裸祭り・千葉
9月13日 葛城流の綱火・茨城
9月14日 笹野の式三番・東京
9月14〜15日 国司祭り・千葉
9月14〜16日 石岡のお祭り・茨城
9月19日を過ぎた日曜 泣き相撲・栃木
9月20日に近い日曜 根津神社祭礼・東京
9月23〜24日 大原裸祭り・千葉
9月29日 やっさ祭り・群馬
9月29日に近い日曜 鳳凰の舞い
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義経をはじめ安倍一族、悪路王など、権力に追われ蝦夷で無念の死を遂げた武者は多い。それらは亡霊となって荒れ狂い天災や地震、病疫を引き起こした。そんな話が東北、とくに北上地方には種々残っている。
仏に祈るとその満願の日、1匹の猿が現れ念仏を唱えながら踊り、そのあまりのおかしさに亡魂も踊り始め、ついに災害も鎮まったという。役小角が吉野川に垢離をとり大峯山で苦行し、蔵王権現を感得した満願の夕暮れに舞ったとの説もある。いずれにしてもこれらが念仏踊り、剣舞となり、荒々しい踊りと呪術的性格とを併せ持つようになった。
反閇という陰陽師や修験者の用いる邪気退散の呪術舞いであるともいわれ、そんな鬼剣舞を発祥地とされる泉徳寺前で霊の供養をしてきた
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ことに北陸から北海道にかけて、広大な山岳地域に分布した独特の生活形態を持つ民族に“マタギ”というのがある。群馬や日光のほうからわたった勇ましい兄弟の末裔だとか、北陸の山中に暮らした一派が独自にあみだした狩猟法を広く分派させたのだとか。とにかくそんなマタギ生活や排他的に思える狩猟儀式をいち早く採り入れ、それを遅い時代まで守ってきた場所に阿仁がある。よくマタギの里と形容されることがあるから、ご存知の方も多いだろう。ここの根子地区には、さらに源氏と平家の血が混じっていることもあって、盆の夜になるとことに激しい番楽を見せてくれる。廃校になった小学校の体育館に、迎え火を済ませた村中の人が弁当を抱え見物に来る。いい景色だった。 |
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8月の東北祭り
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青森 08/03〜08 立佞武多
岩手 08/07 けんか七夕
秋田 08/14 根子番楽
岩手 08/16 鬼剣舞
青森 08/16 大川原の火流し
秋田 08/16〜18 西馬音内盆踊り
青森 07/31〜08/01旧 お山参詣
青森 08/14〜16旧 猿賀神社例大祭
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8月の関東の祭り |
8月3〜5日 沼田祭り・群馬
8月6日 百八灯流し・栃木
8月8日に近い日曜 脚折の雨乞い・埼玉
8月14日 大捻縄引き・栃木
8月15日 那珂祭り・茨城
8月16日 鬼来迎・千葉
8月16日 立沢の虫送り・埼玉
8月下旬の3日間 田野辺の天祭・栃木
8月23日 伊奈高岡の綱火・茨城
8月23〜24日 伊奈小張の綱火・茨城
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東北の祭りには、多くの場合、戦乱が絡んでいるようです。もちろん何百年にもわたる大和軍の、蝦夷侵略の歴史がそうさせていることは間違いありません。侵略が完了したとみえた後でさえ、アラエビスの血が沸騰するのか、何度も反乱が起こりその度に多くの血が流されました。義経堂の前に立ち芭蕉と同じく不覚にも涙したのを思いだします。
混血の後も今度は激しい内乱が始まり、政宗が幅を利かせた戦国時代に入っていきます。近隣にあって決して伊達藩に屈しなかった相馬では、当時の騎馬軍強化のさまを残した野馬追いがあり、騎手たちの威風があたりを払っていました |
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海の潮には蘇りの力が宿っている、というのは神道の基本的な考えのひとつのようです。東北の太平洋岸に建つ神社の多くに6年とか12年に一度といった期間をもって、潮垢離をとったり神輿を潮へ浸すために海岸まで行列して下りていく風習もあります。
話は変わりますが、そんな潮を製塩する技法が伝わったのは2千9百年も前のことだそうです。ホンダワラという海藻の束に何度も海水をかけ徐々に水分を飛ばしていく。濃くなったところをさらに平釜で煮立てて、最後この海藻と一緒に焼くといったやり方です。
当初の釜が残る塩竈で、その一部始終を神事にしてみせてくれました。
この神塩は塩竈神社例祭で、製塩法を伝承した老翁神に奉納されます |
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土や木や塩や、鉾、烏帽子、扇……。鹿や熊など動物もそうですが、東北でみてきた祭りには実に多くの、珍しい神さまがいました。小金銅仏という、仏像が神さまだったこともあって驚かされたことさえあります。
細く高く、神さまが依りつく目印になりそうなものが、そのまま神さまになって崇められていることが多く、毎年竹を伐ってきては藁衣をかぶせ、お竹さまとして1年間祀っているのが男鹿と天王の境で行われる天王祭です。お竹さまを管理する統人が次へ引き継がれる行事がこの祭りですが、もうそんなところを見る人も少なくなり、八郎湖が海とつながる水道上の、スサノオとオロチ(=牛乗りとくも舞い)の対決ばかりが人気をさらっていました。 |
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7月の東北祭り
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7月7日 牛乗りくも舞い・秋田
7月10日 鹽竃神社例祭・宮城
7月14〜15日 綴子神社の大太鼓・秋田
7月20〜24日 恐山大祭・青森
7月22〜24日 田島祇園祭・福島
7月23〜25日 相馬野馬追い・福島
7月31日〜8月1日 早池峰神社例大祭・岩手
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7月の関東祭り |
7月7日 平塚七夕祭り・神奈川
7月14日 お札撒き・神奈川
7月14日 水止舞い・東京
7月14日 江の島天王祭・神奈川
7月21日 どろいんきょ・埼玉
7月19〜20日 川瀬祭り・埼玉
7月20〜22日 うちわ祭り・埼玉
7月25〜27日 竜ヶ崎祗園祭り・茨城
7月26〜28日 山あげ祭り・栃木
7月26〜28日 白間津祭り・千葉
7月27〜28日 貴船祭・神奈川月の東北祭り
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東北には鹿島神社や八幡神社が多く建立されています。
これはかつて住んでいた蝦夷を平定するため、朝廷軍が攻めた頃の名残りだそうです。つまり蝦夷との戦いに勝利するため各地に社を建ててその武神に祈ったというわけ。
太平洋側にずらりと並ぶ鹿島神社がどれも北を向いて建っている様子は、そんな歴史を現した遺物にみえます。ただそんな神社もそこで定着すると土地神として機能するようになるから面白いものです。ある歳に達した子供が強い精神を授かるようにと、また村内の厄を流してしまおうとして、かの武神に祈る。鹿島さまという武者人形を数百体も作り、藁の船に乗せて川に流す子供の祭りが鹿島流し。今年も丸子川を下り、無事、常陸の国まで流れたのでしょうか。 |
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6月の東北祭り |
6月5日 大山犬祭り・山形
6月第2金〜土曜 ちゃぐちゃぐ馬コ・岩手
6月第2土〜日曜 小町まつり・秋田
6月27日 鹿島流し・秋田
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6月の関東祭り |
6月金〜日曜(7日に近い) かっぱ祭り・東京
6月6〜10 つきじ獅子祭・東京
6月9〜16日 山王祭り・東京
6月22日(夏至) 中田植え・茨城
6月30日 大祓い式・埼玉
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東北の南部地方はかつて名馬の産地として知られていました。
南部というのは軍馬育成の腕を買われ、甲斐の国からやって来た殿様の名字。今はその領地だった青森南東から岩手北東あたりをさして南部ということが多いようです。ここの人々は馬をかわいがり、曲り家という、厩までつづく屋敷まで考案します。軍馬からやがて農耕馬に代わってもこの精神は同じで、農耕馬の必要がなくなった現在もこの古い家で馬と一緒に暮らす人がいます。そして年に一度、馬をきらびやかな小荷駄衣裳で飾って、ちゃぐちゃぐ馬コでお披露目の行進をします。
年々数は少なくなってきましたが、今年も百頭近くが集まりました。 |
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今年が、本厄。神仏に祈って厄払いをなどと考えていると、そもそも厄年というのは役年のことだったといわれました。その神職がいうには、仕事も安定し人格も備わってきて、そろそろ地区をまとめて奉仕するのがちょうどその年頃だと。
ほっとしましたが果たしてその役、今の自分に負えるか疑問は残るところでした。祭りでは当屋、統人、党本などといわれ、持ち回りでその奉仕役が決まることが多いようです。
大山の犬祭りでは奉仕役を頭屋と呼んでいるようです。前年の祭りの最後に頭屋が神籤で決まると、1年間神鉾を管理します。
その最終日を祭りとして、1年間守ってきた神鉾を還すため神社まで犬や大名、仮女房とともにくねって行列するのです。 |
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土色とりどりになって子供たちが行列する祭りの様子は、暖かくなってきた目抜き通りを沸き立たせてくれます。全般にそうでないことは知っていますが、集客のために行われるパレード祭りも決して少なくなくなりました。そういう盛り上がりもこの世には必要となってきたのでしょう。しかしできれば一瞬でも、本来あった神事に触れてから繰り出してくれればと願わずにおられません。
鶴岡の化物まつりでは盛大な商店街をよそに、八幡さまの境内にも異質な賑わいがありました。菅笠で顔を見られないようにして、3年目の参拝を済ませる化物たちです。 |
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5月の東北祭り |
5月1日 梵天ばやい・宮城
5月5日 熊まつり・山形
5月5日 江島法印神楽・宮城
5月12日 檜枝岐歌舞伎・福島
5月15〜16日 久渡寺のオシラ講・青森
5月24〜25日 化物まつり・山形
5月下旬〜6月上旬 稲垣村の虫送り・青森
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5月の関東祭り |
5月2〜3日 大津のお船祭り・茨城
5月3〜5日 日立風流物・茨城
5月3、5日 宝珠花の大凧揚げ・埼玉
5月4〜6日 くらやみ祭り・東京
5月5日 へいさんぼう・茨城
5月5日 国府祭・神奈川
5月5日 じゃがまいた・栃木
5月中旬 神田祭り・東京
5月中旬 三社祭り・東京
5月27〜28日 傘焼き祭り・神奈川
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