第2章 東京信用組合破綻事件とオレンジ共済組合詐欺事件


浜口首相と満州事変


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 高橋治則の母は、大蔵大臣と首相を歴任した"ライオン宰相"浜口雄幸の娘ムコと 従兄妹であった。

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 浜口は翌30年11月14日に東京駅で狙撃されて重傷を負い、外相の幣原喜重郎が 首相代理に就任した。その翌年8月に浜口がこの世を去った直後、9月18日に満州事変が ひき起こされ、日本の大々的な中国侵略がはじまったのである。
 当時の日本国内の世情は、ちょうど現在と同じように、政界の腐敗が頂点に達していた。 その腐敗に対する反発が、陸軍内部の若手を暴走させ、彼らが満州事変を計画する口実として 利用され、軍国主義に移ってゆく最大の動機となった。

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 浜口首相の長男・雄彦は、東京銀行の頭取から国際電信電話会社(現在のKDD)の 社長となった人物である。

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 浜口雄彦と、中部電力会長・井上五郎とは義兄弟であり、井上は原子力委員会の 委員長代理で、動燃の初代理事長でもあった。雄彦の弟・浜口厳根は、日本長期信用銀行(長銀)の 設立者で、頭取であった。長銀もまた、戦後1952年に出発した金融機関で、最大株主は、 第一勧銀である。そしてこの長銀が、高橋治則の東京協和信用組合に49.2%出資する 母体行だったのである。
 安全信用組合理事長の鈴木紳介が、95年3月に参院で説明したところによれば、 「日本長期信用銀行の指示で、高橋治則個人に約50億円の融資を実施した」という。 したがって、高橋ひとりの背任ではなく、明らかに金融のプロである長銀の背任罪のほうが 大きかった。
 さらに、浜口雄幸首相の直系の孫にあたる大橋宗夫は、85年にプラザ合意がなされ、 日本がバブル経済に突入したとき、日銀政策委員会の大蔵省代表委員という最重要ポストにいる 大蔵官僚であった。

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幣原時代の最も重要な出来事は、GHQと激論を交しながら誕生した戦後の新しい憲法の 制定であった。日比谷で幣原内閣打倒を叫ぶ7万人集会が開かれ、鳩山一郎が右翼の児玉誉士夫と 組んで反共演説をぶつという、全土騒乱の時代であった。この時代に、幣原内閣の秘書を つとめていたのが、数々の週刊誌で「東京二信用組合救済計画を仕組んだ男」と噂されてきた 右翼の政商・四元義隆であった。
 四元は、三幸建設工業を経営する社長として、政財界に隠然たる勢力をもつ大物右翼と されてきたが、鈴木進とは戦前からの知り合いで、鈴木進・紳介親子が経営する安全信用組合の 理事にも就任していた。それは、安全信用組合が、創業時から三菱財閥によって経営されてきた 金融機関だったからである。つまり、幣原喜重郎の妻は、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の娘で あった。

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 まず三菱財閥の岩崎家があり、その娘ムコ・幣原喜重郎の秘書が、 のちの政商・四元義隆であった。そのため、四元が三菱財閥の安全信用組合の理事に就任した。 また、幣原喜重郎の息子の姪が、鈴木紳介と結婚したため、鈴木が理事長となって、高橋治則と 共に95年に逮捕されることになったのである。

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 では、その高橋治則と行動を共にした中西啓介は、どこから出てきたのか。
 彼は、高橋治則の兄と学友であり、小沢一郎とも学友だったという。

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 安全信用組合への預金額をみると、イ・アイ・イが9億2990万円であったのに 対して、ゼネラルリースという金融業者は、実に5億120万円の預金額を記録していたという。 この金融業者の監査役だったのが、広瀬篁治という人物であった。 - - - この広瀬が、 ほかならぬ東京協和信用組合で理事をつとめ、安全信用組合では参与総代という重要ポストに ついていた。
 彼は、やはり高橋治則の兄の友人だったとされている。
 しかし広瀬篁治の叔父は、佐藤栄作内閣の経済企画庁長官をつとめた藤山愛一郎であった。
 - - 佐藤栄作の息子である通産大臣・佐藤信二がいた。さきほど、浜口雄幸首相の 孫・大橋宗夫は、85年のプラザ合意がなされ、日本がバブル経済に突入したときの 大蔵省代表日銀政策委員という最重要ポストにいたと述べたが、大橋宗夫の妻と、佐藤信二の妻は、 従姉妹であった。
 実は、この藤山愛一郎の姪の夫の祖父・山口喜久一郎という衆議院議員がおり、 その秘書だったのが、中西啓介であった。しかも中西は、山口喜久一郎の姪と結婚し、その地盤を 継いで、和歌山一区から出馬して衆議院議員になったのである。 - -
中西啓介は、"安全信用組合に5億円の大口預金をもつゼネラルリース"の監査役だった 広瀬篁治と近親者であり、ほとんど従兄弟同士に近い関係にあった。 - -
 その信用組合から、中西のマンション代金やパーティー、カジノ旅行の代金が 捻出されたことになる。そして広瀬の金融機関の預金を守るため、一族仲間の大蔵官僚たちが 東京共同銀行を設立し、全国の銀行預金から莫大な資金が捻出されることになった。

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 すべては、彼らの預金を守るためだったのである。

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