|
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - オレンジ共済の政界現金工作疑惑として名前が出たのは、後藤田正晴、亀井静香、 竹下登、中曾根康弘、羽田孜、鳩山邦夫、細川護熙、渡部恒三、中西啓介、海部俊樹、市川雄一、 太田昭宏、小沢一郎、小沢辰男、石井一、石井一二。 オレンジ共済組合事件で手にした10億円を超える巨額の金を、これらの政界にばらまき、 97年に国会で喚問されながら、しらを切った不動産会社「託正」社長・斎藤衛は、不思議な人物で あった。 通称は、斎藤禮治と署名されてきた。 6億円という高額の所得税を滞納し続けてきた男。オレンジ共済事件の中心人物である 長崎県選出の衆議院議員・初村謙一郎の妹タキ子と親交していた男。 そのため斎藤衛は、初村謙一郎の政治団体「21世紀政治経済懇話会」東京事務所の代表を つとめてきた。謙一郎の父・初村滝一郎は、70年に長崎から出馬し、参議院議員に初当選して、 77年に農林政務次官となった。 ほぼ同じ時期、増田盛は、68年に岩手から出馬して参議院議員に初当選し、80年に 農林水産政務次官となった。初村滝一郎の後継者である。 こうして、初村滝一郎と増田盛の二人は、同じ業界の仲間として利権を授受しながら、 親密になっていった。と同時に、それぞれの息子である初村謙一郎と増田寛也もまた、親密に ならざるを得ない運命にあった。その増田寛也が95年4月に出馬した岩手県知事選に、 オレンジ共済事件の資金が使われたという疑惑が報道されたが、こうした過去から推測すれば、 否定するほうが無理である。増田寛也は、新進党から出馬して知事に当選したのである。 長崎と岩手は、地理的には遠い。しかし岩手県には、北上川開発の土建で増田一族と組み、 岩手県内の土建業を牛耳ってきた小沢佐重喜という男がいた。弁護士だった小沢は、 東京市議・府議から衆議院議員となり、たちまち運輸大臣、逓信大臣、郵政大臣となり、ついに 建設大臣の職についてから、岩手開発鉄道の社長に就任した。そして、日本最大手に数えられる 鹿島建設で相談役となったのである。 その息子は、小沢一郎と命名された。 やがて建設利権を握る父の姿に触発された小沢は、国を動かす野心を抱き、政界に入って 田中角栄の直弟子となった。 新潟で、角栄の後援会である越山会の重要な役割を果たす建設会社・福田組の社長である 福田正の娘と結婚した。こうして小沢は、父の後を継いで、岩手の土建業界でボスにのしあがって いったわけである。東京のふたつの信用組合が破綻し、その大口預金者のリストに、田中角栄の 秘書で"越山会の女王"と呼ばれた佐藤昭子と、彼女の経営する会社「昭洋」の名前があり、 判明しただけで合計18億円というとてつもなく大きな定期預金口座があったのは、そのためで あった。前述の"虚言トリオ"高橋治則・中西啓介・山口敏夫の三人が、佐藤昭子のもとに いりびたっていたことも、よく知られた事実である。 小沢一郎は、ロッキード事件で田中角栄が失脚したあと、その利権の後継者である 竹下登の右腕となってから、ある重大事件に直面した。皇民党事件である。 それは、中曽根内閣のあと、自民党総裁選が近づいた87年、いよいよ竹下政権が 誕生するかどうかという重要な時期に、右翼団体の日本皇民党が、竹下登を絶讃する街宣車を 都心に走らせ、"褒め殺し"と呼ばれる活動を展開した事件であった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 皇民党の哲学は、「竹下登は田中角栄を裏切って派閥を形成した男であり、その 裏切り者を総理大臣にしてはならない」というものだった。 竹下総理を誕生させるべく自民党内の動きを取り仕切っていた金丸信は、この問題を 解決しなければならない状況に追いこまれ、親しくしていた東京佐川急便の渡辺広康社長に、 皇民党の活動を何とかできないかと、相談をもちかけた。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 東京佐川の渡辺は、金丸の話を聞いて皇民党事件の対策を引受け、自分が資金を 提供している暴力団の稲川会会長だった石井進に、右翼への仲介を頼むことにした。 こうして石井が皇民党とかけあった結果、 「竹下が、角栄の目白の自邸に挨拶にゆくなら許してやろう」という皇民党の了解を得て、 ようやく街頭宣伝が中止されることになったのである。そして事件は一見落着したように みえたが、結果として、竹下・金丸・小沢の三人組が、今度は、暴力団に借りをつくることに なった。事実上は、一方的な借りではなく、さらに親しい関係ができあがったのである。 この石井進と渡辺広康社長を中心に、ベトナム油田で高橋治則と関係を持つ田淵節也会長の もとで、野村證券が介入した東急株購入の仕手戦が発生し、証券不祥事へと発展していったから である。 その後の小沢一郎は、93年3月6日に金丸信が脱税容疑で逮捕されると、たちまち自分の 将来に形勢不利と読んで、巧みに自民党を離党してしまった。中曾根康弘は風見鶏だと 言われたが、小沢のほうが狡猾で、口は達者である。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 増田寛也は、95年4月に岩手県知事選に出馬した。小沢の新進党が、公明党とともに、増田寛也の知事選を全力で支援したのである。 そのため、ちょうどオレンジ共済組合を設立し、詐欺事件で大金を手にした参議院議員の 友部達夫と息子・百男は、新進党の幹事長・小沢の要求通り、この知事選に、詐欺で入手した 大金を投じることになった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - オレンジ共済事件で、参議院議員・友部達夫の選挙参謀をつとめていたのが、 斎藤衛であり、その斎藤が、川崎定徳の佐藤茂社長の秘書であり、その佐藤茂が、闇の日銀総裁と 呼ばれ、いま述べたような無数の事件の黒幕だったのである。中心にいた川崎定徳とは、 どのような財閥であろう。 現在では、金融界でなければほとんど知られていない川崎財閥は、かつて水戸藩の 金庫御用達として活動した名門の海運問屋で、明治維新後は、日本火災海上保険、川崎銀行、 川崎定徳、第百銀行、第百生命などを一族で支配してきた。水戸藩とは、現在の茨城県であり、 そこに君臨する常陽銀行も、川崎一族が育てあげてきた彼らの地方銀行である。したがって、 のちに述べるように、橋本内閣の官房長官をつとめてきた梶山静六や、東海村の原子力産業、 さらには逮捕された茨城県知事・竹内藤男たちはみな、川崎財閥の息がかかった人脈であった。 この川崎財閥が動いたとき、野村證券の田淵節也が、稲川会会長・石井進に口座を開かせ、 部下の酒巻英雄が社長に就任して、この闇の関係をもみ消そうと努力したことになる。 野村證券が、総会屋・小池隆一に、高さにして3メートル分、重さ35キロの札束3億2000万円を 直接、総務部別室の秘密応接室で手渡したのは、すべてこれらの背後で糸を引く不思議な力に よるものであった。明治時代に川崎財閥の当主となった川崎八右衛門は、郷幸子と結婚したが、 幸子の3歳下の弟は、ある一族の養子となった。三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎の養子となって、 岩崎豊弥となったのである。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 川崎八右衛門は、逮捕された安全信用組合の理事長・鈴木紳介一族の 幣原喜重郎首相と、義兄弟であった。そして父・八右衛門のあとを継いだ息子・川崎守之介が、 自分の後継者として終身社長に選んだのが、稲川会と密着した"闇の日銀総裁"佐藤茂であった。 したがって、川崎守之介の従兄の妻が、逮捕された鈴木紳介の妻の叔母だったのである。 - - 川崎八右衛門の甥は、第一銀行の創立者・渋沢栄一の娘と結婚して、渋沢栄一の 孫・敬三が、幣原内閣の大蔵大臣となった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 日本最大の財閥と、水戸藩の金庫御用達と、日銀総裁一族の資金を、佐藤茂が動かし、 そこに暴力団が結びついていたことは、まぎれもない事実である。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 国会で、オレンジ事件を追及したオレンジ共済問題調査チーム座長は、衆議院議員の 斎藤斗志二であった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - オレンジ調査チームの座長となった斎藤斗志二が、 - 中西啓介のすぐ上に描かれて いる。つまり、かなり近い一族であった。調査する側と調査される側が近親者でなければ ならないという関係は、泉井事件と同じように、日本の政界・官界の不正調査における人事の 絶対原則である。このルールが守られないと、彼らの社会の規律が崩れてしまうからである。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - |
目次へ |
戻 る |
次 へ |