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大新聞の論説委員たちが、裏金をもらって「農地の宅地並み課税」を社説欄に 書きなぐり、土地の有効利用というもっともらしい理屈をつけ、背後では、不動産業者と銀行が 暴利をむさぼった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 監査法人が問題になるのは、金融機関の貸出先(桃源社など)がまともな担保を 保有していることを確認し、チェックしなければならないところを、まったくノーチェックで 財務状況を保証していたことにある。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 日本では、監査法人の出す報告書が"経営不全"のハンコを押したものであれば、 その会社は、金融機関から借金ができなくなって、評判を落とし、ますます経営が悪化する。 それを避けるために、会社と大蔵官僚と監査法人がグルになり、あろうことか暴力団と手を 組んで、決算額に合わせて作為的な会計報告をつくりあげてきた。しかもこのグループ作業は、 あれだけの金融破綻を招きながら、誰ひとり、監査の責任を問われていない。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 日本全土の自治体も、ほぼ同じ状態にある。東京都では、無数の不正支出が 発覚したが、その未監査を放置してきたのは、警視庁である。それを統帥する警視総監だった 福田勝一は、消費者金融(サラ金)最大手の武富士に就職して、顧問となり、莫大な裏金を 手にした。 - - 96年8月30日、株の店頭公開をおこなって、1株1万200円の初値をつけ、時価総額1兆円を超えるという大商いとなった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - その半年ほど前の94年3月に、数百万株が、事前にわずか2700〜2800円の 値段で、未公開株として大量に政財官界に流れていた。その株を、武富士の元締めとして 機能してきた主幹事会社の野村證券が、VIP口座の特権者たちに売却した疑いが濃厚となった。 少なくとも、警視総監だった福田勝一は、自分と家族名義で、1万6000株を購入して いたことが発覚した。このような警視総監が、95年から中央選挙管理委員会で委員となって、 選挙の不正を監視する役職についていた。 さらに、大蔵官僚だった松尾直良(関税局長)は、武富士の顧問となって未公開株を 譲渡され、徳田博美(主計局主計官=>銀行局長)も、武富士の監査役となって未公開株を 譲渡されていた。彼らは、「これが、能力ある大蔵官僚の役得だ。そうした能力のない人間の 嫉妬が、非難につながっている」と、公言してはばからない。「誰でも、こうして億の金を手に している」と言ってくれるのである。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 徳田博美が問題となったのは、天下りして野村総研でトップの理事長に就任し、 未公開株だけでなく、家族ぐるみでゴルフ会員券などを無償で譲渡され、この武富士の利権に あやかっていたことにある。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 97年に武富士の新社長に就任した池田正人は、第一勧銀の総会屋事件で不正融資に 使われたライベックス社にいたことがある。また、徳田が野村総研理事長に就任した88年には、 - 通産事務次官・福川伸次が野村総研顧問となって、徳田と共同作業に入っていた。 しかも徳田は、大蔵大臣の諮問機関である金融制度調査会の委員となった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 政治家や官僚への武富士未公開株の配分は、澄田・徳田の人脈にもとづいて決められ、 実行に移されたはずである。 このように無責任な作業が、現役大蔵官僚と天下り、とりわけ徳田のように "銀行局長"だった人間の仕事であれば、日本の銀行がこれからいくら倒産しても不思議ではない。 問題があるのは、消費者金融だけではない。大蔵省から監査法人に移り、会長職について、 ほとんど何もせずに何千万の年収を得ているものがいる。何を目的に彼らが天下りとして 迎えられるかといえば、大蔵省や外部人脈との裏工作のためなのである。 ここに、暴力団が直接介在していることが、最大の問題となる。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - イトマン(伊藤萬)事件である。 この事件は、その後のあらゆる金融事件発覚の伏線となった怪事件であり、火付け役で あった。また、闇の金融事件として、史上最大の金が消えた事件でもある。そこに登場した 人間たちが、途方もない金額をめぐって争い、最後には、7000億円もの金が消えたまま、 いまだに行方が分からない。それが、不良債権となったのである。しかしそこに、なぜか、 その後たびたび問題となった野村證券の田淵節也会長の姿があり、中曾根康弘、佐藤信二、 三塚博、亀井静香という名前が登場していた。 舞台は、当時、収益日本一を誇る住友銀行であった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 磯田会長は、いさぎよい迅速な辞任発表で、この一件を鎮静できると思った。 ところが、早くから真相をつかんでいた報道界が追っていたのは、逮捕された支店長一個人と 仕手集団の犯罪ではなかった。住友銀行そのものが、光進グループと密着して行動して きたことは銀行界で有名であり、その原因は、噂によれば、「磯田会長の一人娘が、暴力団の 組員といい仲になり、その関係をビデオに撮影されて、脅迫されていた」という。 それを解決したのが、暴力団と交渉した伊藤寿永光という男であった。以来、山口組と関わりをもつ伊藤がいきなり住友銀行の商社部門であるイトマンの幹部にひきたてられ、地価暴騰のバブル経済を率いる"不動産"部門を担当する筆頭常務にまで成り上がった。その謎の男、伊藤寿永光が、7000億円以上の不正融資の泥沼に住友銀行をひきずりこんでいったのである。 しかも、その資金を生み出すため、住友銀行は、光進グループの仕手集団に融資し、仕手集団が暴力団と密着して行動していた。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 住友銀行と住友不動産は、いわゆる関西商法と呼ばれる強引な方法を使って、 東京の青山など都心の土地を地上げによって獲得してゆき、そのあまりに傍若無人な手段が、 そちこちで顰蹙を買っていた。しかし、それによって、住友銀行が日本一の収益をあげ、 "関西の銀行"から"首都の銀行"へ脱皮し、磯田会長が銀行界の覇者となったのである。 その地上げ作業は、ほとんど暴力団の力を借りたものであった。また、その第一線の実働部隊と なったのが、関西から東京に進出し、伊藤寿永光に率いられたイトマンであった。その結果、 イトマンの不動産関連の借入金が、90年3月末には、1兆1800億円という天文学的な金額に 達し、その融資先の不動産の大部分が、バブル経済の崩壊後、不良債権化しつつあった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 光進グループの小谷光浩が東京に進出したのは76年だったが、彼は仕手集団として 知られるようになってから、80年代には、中曾根康弘の政治団体「山王経済研究会」に入会し、 そこに、野村證券の田淵節也会長が同じ会のメンバーとして参加していた。さらに、小谷光浩が 国際航業を乗っ取った事件では、現在の橋本政権の大蔵大臣・三塚博が、"小谷光浩が国際航業の 共同経営に参加する覚書"の署名に立ち会っていた。 さらにもうひとつ、橋本政権の通産大臣・佐藤信二の秘書・城文雄が、"小谷光浩が 支配した国際航業の子会社ウィングの社長が設立した貴金属販売会社"の社長に就任していた。 仕手集団コスモポリタンを率いた元山口組の池田保次は、橋本政権の建設大臣・亀井静香から 大量の株を買い取っていたのである。 無数の政治家が、光進グループと密着し、野村證券がそこで指南役をつとめていた。 それが現政府の人脈である。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 住友銀行の磯田一郎とならんで、イトマン事件のもうひとりの責任者は、住友不動産の 社長・会長として君臨した安藤太郎であった。 戦後の住友銀行は、堀田庄三頭取のもとで復活してから、堀田に育てられた磯田一郎と 安藤太郎が、両輪となって経営を受け継いできた。安藤は、住友銀行副頭取のポストから 住友不動産に転じて社長となり、住友不動産販売の会長や、高層住宅管理業協会の会長となって、 まさにビル建設で日本の天皇となったのである。したがって、磯田一郎より、安藤太郎のほうが、 イトマンの不良債権については責任が重いと言ってよい。その権力の大きさを知っていたのは、 住友不動産と利益の奪い合いを演じた地上げ屋たちであった。 安藤は、東京都心の地価暴騰の主犯者と批判され、ついに87年には、安藤会長の自宅が 暴漢に襲われるという事件が発生した。安藤太郎に義弟・百合本悦造もまた、住友不動産の 取締役となっていた。そしてなぜか、安藤太郎とかなり近い縁戚関係にあったのが、右翼の 政商・児玉誉士夫に莫大な資金を与えていた - 野村證券の瀬川美能留だったのである。いや、 それより身近だったのは、誰あろう、橋本龍太郎という人物であった。野村證券をめぐる 証券不祥事が続発したときの大蔵大臣が、彼であった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 中島義雄が問題になるのは、いかがわしい接待を受けたことではない。 イトマン事件のため金融界が激動するなかで、海部俊樹・宮沢喜一の総理大臣秘書官となって、 責任ある大蔵官僚だったことである。日本で深刻な経済崩壊が進行していることを知りつつ、 建設国債を発行し続けてゼネコンの利益に奉仕し、われわれの借金を増やした。しかもその借金を、 国民に付け回すという消費税の導入を首相たちに提言し、実行した大蔵官僚の当時の行動である。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 国民の預金を守るため、破綻した金融機関を救済する組織が、預金保険機構である。ここが今年(97年)2月14日、破綻した木津信用組合の整理に「1兆340億円を贈与する」ことを決定した。これも新聞の片すみに書かれていたが、1兆円である。 そのため預金保険機構は、7200億円の債務超過となり、日銀から新たに5000億円を借り入れることになった。ところが、日銀からの借り入れ限度額が1兆円なので、資金不足になる可能性が高まってきたという。たった1行の信用組合の経営破綻で、全預金者のための国家的保険そのものが、破綻しそうなのである。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - |
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