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大蔵省銀行局から国民金融公庫副総裁を経て、地銀生保住宅ローン(住専)社長と なった有吉正と、大蔵省代表日銀政策委員から日本住宅金融(住専)社長となった庭山慶一郎、 そして大蔵省理財局次長と防衛事務次官を経て日本ハウジングローン(住専)会長となった 原徹を、代表的な人間として紹介しよう。いずれも大蔵省出身である。 有吉正は、かつて大蔵省銀行局を切りまわす総務課長だったが、妻・国子の叔母は、 大蔵事務次官だった池田勇人の妻であった。池田が、大蔵官僚トップから大蔵大臣、総理大臣へと 登りつめてゆくあいだに、有吉本人も、造幣局長、さらに国民金融公庫の理事から副総裁と なって、76年に住専一社の地銀生保住宅ローンに天下りして、社長となったのである。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 「武富士の新社長に就任した池田正人は、第一勧銀の総会屋事件で不正融資に使われた ライベックス社にいたことがある」と述べておいた。ライベックスに大口融資をしていたのが、 ほかならぬ、有吉正社長に率いられる住宅金融専門会社、この地銀生保住宅ローンであった。 この三人の"黄金の三角関係"を見ると、大蔵省銀行局の官僚が個人資産を蓄財するための 金融機関として、武富士が機能してきたことは明白である。武富士社長の武井保雄は、93年分の 高額納税者リストで、納税額が43億円を超え、わが国で第1位になったが、このような納税額の チェックをするのが、税務署に出向く大蔵官僚の仕事である。 そもそも有吉正は、父の有吉明が戦時中の上海総領事として麻薬の阿片に精通する人物で あった。また、叔父の有吉実が、警察部長出身の住宅金融公庫の顧問弁護士であったから、 住宅金融の専門一族であった。初めから、その弁護士の甥が大蔵省に入って、彼らの手の中で、 この巨大住宅金融グループが誕生するよう運命づけられていたのである。そして住専が71年に 設立されると、7社のうち、実に6社の創業社長のポストが、たちまち大蔵省OBによって 占拠されたのである。 その最初の会社が、大蔵省代表日銀政策委員だった庭山慶一郎を社長に迎えた 日本住宅金融であった。この住専設立という政策こそ、ちょうどその71年6月に退官した 大蔵事務次官、 - 澄田智の置き土産であった。そのため、澄田が、以後の大蔵官僚天下りを 支配してゆくメカニズムが誕生したのである。 有吉一家が精通した住宅金融公庫は、96年までに、ほぼ1年分の国家予算に匹敵する 64兆円という大きな金額を、そちこちに貸し付けてきた。そのほとんどは、われわれ国民の 郵便貯金を流用した金であった。この金も、住専と同じように焦げついて、いま現在、回収不能の 金がどんどんふくれあがっている。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 大蔵省から登場した庭山慶一郎は、これも銀行局にいた人間で、有吉正の 1年後輩であった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 権力が金を呼び、金が権力を呼ぶため、相互に政略結婚を求めてゆくものらしい。庭山慶一郎の場合は、三井財閥当主の三井家と閨閥をつくっていた。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 原徹もまた、66年に主計局主計官となり、73年には大蔵大臣官房審議官となって、 オイルショックに遭遇して前述の石油人脈と深い関係をつくりあげた。しかも理財局次長となって、 財政投融資の大金を配分する査定権力をにぎったあとは、大蔵省から防衛庁に転じて、 防衛事務次官までのぼりつめた珍しい経歴の持ち主であった。 彼は、幼名を小山徹といい、日本貿易振興会(ジェトロ)の理事長となる原吉平の 入りムコとなって改姓し、この実権を握ったのである。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 原家は、建築業で日本一の清水建設で社長となった吉川清一と近親者であり、原徹が 住宅金融専門会社に転じれば、相互に業界のトップが通じ合って、地価狂乱のバブル経済を 近親者が演じることになった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 鉄建公団事件で発覚した大蔵官僚の空出張は、大蔵省ぐるみの組織犯罪であり、 松下康雄にとっては、監督責任という問題ではなかった。自ら組織を率いて手を染めた税金泥棒の 主犯者であった。そのような性格の人間が、事務次官から日銀総裁となって、たった今、 この金融崩壊の国家を導いているのである。 「鉄建公団総裁」は、現在のところ年収3000万円を超え、4年在籍で退職金が2600万円を 超える。わずか4年の天下り生活で、ほぼ1億5000万円を手にするポストである。それだけでも 驚くが、「日銀総裁」の年収は、97年現在5133万円で、総裁の任期5年を満了すると、退職金が 7470万円もらえる。このわずか5年間で、3億3135万円になることぐらい、 - 電卓を使って 計算できる。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - |
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