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- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 96年10月、台湾の立法院が、龍門原子力発電所(第4原発)1号・2号機の 建設予算を認可したため、日本から「日立・東芝」連合が、初めて海外への原子炉輸出を おこなうことになった。 しかも台湾では、立法院の議員161名のうち、野党の民主党などが、投票採決を拒否して 退場したため、与党の国民党が単独採決を強行し、過半数の83対0という結果となった。問題は 、議会の外の状況にあった。台湾の建設現地でおこなわれた住民投票では、実に95パーセントの 住民が、"日本からの原発輸出に反対"の票を投じたのである。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 日本の主要な原子炉の設計・審査責任者であった日本原子力学会会長の三島良績の名が ある。三島は、97年に75歳でこの世を去ったが、初代台湾事務局総裁・伊藤博文の曾孫の義弟に あたる。やはり歴史的な権力構造が、原子力学会に作用していたと考えられる。 - 今回初めて台湾へ輸出される予定の巨大な沸騰水型原子炉ABWRに"安全"のお墨つきを 与えた、初代の原子力安全委員(のちの委員長)御園生圭輔が、台湾総督と共に登場する。彼は、 原子力をチェックする安全委員となる前に、実は原子力委員として原発推進のリーダーで あった男だ。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - このタイプの原子炉は、出力が135万キロワットと世界的にも最大級で、これまでに 経験のない未熟な技術を寄せ集めた、大事故に最も近い原子炉である。日本では、新潟の 柏崎6号機が初めてこれを採用して、96年11月に営業運転を開始したばかりだが、続いて 営業運転に入った7号機と共に、事故が続発して不安がたかまっている。 - 橋本龍太郎首相である。さきほどの偶然によるモンデール大使との出会いとは 違って、彼の先代の人脈は、一見して分かるように、陸軍中将が3人と海軍少佐、 朝鮮総督府政務総監らに囲まれた軍人一家であった。妻・中村久美子も満鉄総裁・中村雄次郎の 曾孫にあたる。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 自分たちが食うためとあらば、この原子力集団の企業人は、外国に何を売ってもかまわないのであろうか。それは、すでに日本人に対するアジアからの反感を招いている以上、一企業として許されない国民全体に対する背信行為である。有事を自らつくりだそうとしているのが、軍需産業を独占する彼らである。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 金の力で台湾与党・国民党の議員を抱きこんで危険物を強引に輸出すれば、 一体これから何が予想されるか、普通の人間であれば誰にでも分かる。ところが、そうした 常識的な判断さえ下せない日本人が、原子力と軍需産業の中枢を動かしている。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - |
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