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エネルギーをつくりだす電力会社だけが、古い官僚組織を維持して、社会の変化に まったく順応できない枯れ木の姿をさらしている。その原因は、電力会社の地域独占体制と、 軍事用プルトニウムの計画を隠さなければならない原子力産業の秘密主義にあった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - プラントで重大事故が発生し、人間の生命に危害を与えても、その事実経過さえ 発表しない産業は、原子力だけである。それを官僚が擁護し、"危険性"を口実に部外者を シャットアウトする。さらに、"安全性の向上"を口実に、好き放題の予算分捕り合戦をおこない、 ほかの産業では考えられない高額の見積りと請求書を突きつけても、競争相手がいない。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 松永安左衛門が「電力事業再編成審議会」の会長に就任し、GHQと渡り合いながら、 彼が音頭をとって、戦争中に形成された九つの配電会社をそのまま受け継いで、ブロックごとに 電力会社が組織されることになった。 そのとき松永は、自ら公益事業委員会の委員長代理として、これら"電力9社の首脳人事"を 決定するという独裁的な権力をふるったのである。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 三菱重工のプルトニウム集団と、松永安左衛門の生み出した電力集団の結びつきが、 絵に描いたように明かになる。前述のように、動燃を設立して初代理事長に就任した井上五郎が、 三菱の岩崎弥太郎一族であると同時に、松永の一族でもあり、中部電力の社長として松永の 右腕だったからである。 この動燃が、現在のプルトニウム製造の一切を引き受けている。その動燃の前身として 1956年に設立された原子燃料公社の初代理事長に就任したのは、戦争中に三菱鉱業 (戦後の三菱金属鉱業)フィリピン鉱業所所長として海外鉱山事業に没頭した高橋幸三郎であった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 56年3月1日に、最も重要な組織を誕生させた。それが、東京電力会長・管禮之助を 会長として設立された「日本原子力産業会議」であった。続いて彼らは、5ヶ月後に 原子燃料公社を設立して、児玉誉士夫の流れをくむ高橋幸三郎を理事長に迎え、それが のち動力炉・核燃料開発事業団(動燃)と改組されて井上五郎が理事長となったのである。 すべて血族によって誕生した組織であった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 日満鉱業の会長だった管が闇の世界で知っていた児玉誉士夫が動くと、54年12月に、 その児玉資金を得て、鳩山一郎が第一次内閣を組閣し、いま述べたような三菱・東京電力の 原子力政策をすべて強引に推進したのである。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ごく微量でも肺癌を誘発し、数キログラムというごくわずかな量があれば、核兵器に 転用できるほど核暴走事故の危険性を秘めているのがプルトニウムである。これを燃料に使う "もんじゅ"は、新幹線の名古屋〜京都間にある米原から、ほんの40キロメートル余りの敦賀市に 存在している。したがって、この欠陥原子炉が再び運転されることになれば、北陸だけでなく、 名古屋・京都・大阪の大都市圏の全生命を巻きこむ危険性が高い。しかし当面、最も重大な危険に さらされているのは、福井県民82万人の生命である。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - |
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